第6話 大司教


 従僕フットマンのゴォフのおかげで、この世界のことも少しずつわかってきたし、王宮での生活にも慣れてきた。


 ジンテール王子は相変わらず仕事が終わると私の元に飛んでくるけど、それが恋愛感情ではないせいか、かえって気楽な生活を送れていた。


 逆にジンテール王子が本当に私のことを好きだというのなら、また話は違ってきただろう。


 恋愛に慣れない私は、たとえ一緒になっても付き合い方とかよくわからないし。ましてや好きでもない人と同衾どうきんするなんて、私には耐えられないと思う。たとえ顔はよくても、相手はあの変人だしね。


 だから珍しい生き物として猫可愛がりされるくらいでちょうどいいのかもしれない。


 そんなことを思っていると、今日も私の部屋にジンテール王子がやってくる。

 

 でも今日はジンテール王子一人ではなかった。


「ジンテール殿下、まだ仕事は終わっておりません」


 立派な髭をたくわえた男の人が、ジンテール王子を追いかけるようにして私の部屋に入ってくる。


 グクイエ王子といい、レディの寝室に気安く入ってくるのは、この国のマナーなのだろうか? 


 私が狼狽えていると、ジンテール王子は髭の男の人にこれ以上近づかないよう手で制した。といっても、私までの距離はもう一メートルもないんだけどね。


「えっと……どちら様でしょうか?」


 思わず私が訊ねると、髭の男の人は私を睨みつけた。


「娼婦ごときが、王子の御前でこうべも垂れぬとは!」


 髭面の言葉に一瞬、固まった私だけど——その言葉を理解すると、頭に無数の血管が浮き上がった。


「今、なんとおっしゃいました?」


「なんだと? ジンテール殿下に拾われた婢女はしためがこの執務官のタナカに楯突いて良いと思って——」


「おいで、ルー」


 髭面のタナカとやらが言い終える前に、私が指を鳴らすと、部屋の奥で寝ていた巨大カエルがこちらにやってくる。


 すっかり巨大カエルと打ち解けた私は、寝食もともにするようになっていた。


 のっしのっしと重い音を立てて跳んできたカエルを見て、髭面のタナカとやらはこれでもかと目を剥いていた。


「ちょうど食事の時間なのよね。餌がいて良かったわ」


「ば、化け物——」


「なんですって? ジンテール殿下の大事なペットを化け物呼ばわりして良いのかしら?」


 私がふふふと笑っていると、ルーの口から長い舌がぴろんと飛び出した。ルーはタナカの顔を舐め回したあと、ゲコゲコと鳴いた。すると、執務官のタナカは飛び上がってそのまま去っていった。


 静かになった私室で、私がため息をついて長い髪を払うと、ジンテール王子が爆笑する。


「アハハハハハ! 君はやっぱり面白い生き物だな」


「笑ってる場合じゃありません。こっちは娼婦とか言われたんですけど? もしかして、王宮にいる人の認識はみんなそうなのですか?」


「いや、タナカが曲解しているだけであって、他の者たちはケイラの境遇を憐れに思うと同時に、歓迎しているよ」


「なら良いですけど。ここは女性蔑視の国かと思ってしまいました」


「まあ、これからはケイラの寝室には入らないよう、注意しておくよ」


「それは入る前に注意するべきことでしょう? 事件が起きてからでは遅いですし。もし今後同じようなことがあれば、いくらジンテール殿下でも許しません」


「その時はどうするつもりだ?」


「ルーの餌になってもらいます」


「おお、飼い主に噛み付くとは勇ましい。面白いな」


「ちょっと、何をメモしているんですか?」


 小さなミラ紙(植物性の紙)に万年筆で何かを書き込むジンテール王子。

 

 この国は文具類が発達しているらしい。インクは魔法で補充するようになっていた。


 ……それにしても長い指してるわよね。


 花形の指輪なんてして、おしゃれなんだから。


 私がなにげなくジンテール王子の手元を見ていると、彼はとんでもないことを告げる。


「もちろん、ケイラの生態について書き留めているんだよ。そのうち研究結果を発表しなければ」


「け、研究結果!? そんなもの、どこで発表するんですか」


 ツッコミを入れると、ジンテール王子は誤魔化すように笑った。


 ともに過ごすようになって、すっかり気やすい雰囲気になったけど、相変わらず食えない人である。


「ずっと聞きたかったんですけど」


「なんだ?」


「私が婚約破棄された時、ジンテール殿下はどうして私を救おうとしてくれたのですか?」


「それはもちろん、王族に楯突く君の生態が知りたかったからだよ」


「そんなことくらいで助けようとするなんて、私には信じられません」


「そんなことくらいとは言うけれど、王族に噛み付くことがどれだけ無謀で自殺行為で身の程を弁えないことか、わかっているだろう? 王族には反論することさえ許されないのが、キウイ王国なのだから」


「そんな怖い国にいたんですか、私」


「圧政で民が苦しんでいると聞いて、視察もかねて立ち寄ったあの国で、君という光を見つけた時は本当に奇跡の出会いだと思ったよ」


「え……? 今、なんとおっしゃいました?」


 小声で呟いたジンテール王子の言葉を聞き返すと、ジンテール王子は「なんでもない」とはぐらかすように笑った。この王子は、誤魔化す時すぐ笑うのである。


 私が呆れていると、ジンテール王子は頭を掻きながら告げる。


「それはそうと、着替えなくていいのかな? 俺はそのままでも構わないけど、ケイラは気になるだろう?」


「え?」


 指摘されて、私は思い出したように自分の姿を見る。すっかり忘れてたけど、薄いネグリジェのような寝巻きを着たままだった。


「あああああああ! ちょっと! 部屋から出ていってください!」


「はいはい」






 ***





「それで、今日はどこに行くんですか?」

 

「君には大司教に会ってもらおうと思って」


「大司教?」


「ああ、この国の頭とも言える存在だ」


「え? でも国のトップと言えば、国王陛下じゃないんですか?」


「確かにこの国は国王が治めているが、民を動かすのはいつの時代も宗教だからな。もし宗教上の頭である大司教が民を扇動して王城に攻め入れば、ひとたまりもないだろうな」


「じゃあ、国王と敵対する存在ということですか?」


「そういうわけでもない。大司教は神が定めた人格者だからな。無益な争いは好まないんだ」


「神が定めるんですか?」


「ああ。民の上に立つからには、ただの人間であってはならないんだ」


「ただの人間ではないってどういうことですか?」


「それは、会ってみればわかるさ」


「……はあ」


 ジンテール王子の説明はわかるようでわからなかったけど、とりあえず納得するふりをした。だって、興味のない話をいくら聞かされてもきっと頭には入ってこないと思うから。聞いたところで仕方ないよね。


 そんな感じで長い時間、馬車に揺られて連れて行かれたのは、巨大な石造の神殿だった。


 床も柱も真っ白な空間の中央には、川がひかれていて、その川に沿って奥に進むと、噴水があって、引きずるほど長い白髪の女の人が立っていた。


 巨大な女性の像に向かって祈りを捧げていたその人は、私が部屋に踏み入った瞬間、こちらを振り返る。


 そして女の人は、ジンテール王子を前にして膝を折った。


「ようこそお越しくださいました。ジンテール王子殿下」


「堅苦しい挨拶は抜きだ、大司教。今日は私用だからな」


「私用でございますか?」


「紹介したい生き物がいるんだ」


 ジンテール王子の言い方!


 これでも同じ生き物なんだから、せめて女性と言ってくれないかな——なんて、私が呆れた目を向けていると、大司教と呼ばれたその人は私をじっと見つめた。


「こちらの方はもしや……ジンテール様の良いお方ですか? 良かったですね。これで我が国も安泰です」


「いや、私のペットだ」


「ペットですって?」


「ああ」


「いくらジンテール様でも、女性をペット呼ばわりするなんてよくないですよ」


「なら、他にどう呼べばいいんだ? こんなに面白い生き物は他にいないぞ」


「ちょっと! だから、その紹介の仕方やめてください」


 私が口を出すと、長い髪の女の人はハッとした顔をする。そして私の右手を、その人は両手で包み込んだ。


「な、なんですか?」


「あなたはとても珍しいオーラをしていますね」


 近くで見ると、とても背の高い人だった。手も大きいし、まるで男の人みたいな——って、まさか?


「こらこら、女性をペット呼ばわりするなと言いながら、女性に対して慎みがないな」


「申し訳ありません、ジンテール様の大切な御方に」


「大切といえば、大切だな。こいつはキウイ王国の侯爵令嬢だが、王太子に国外追放されてな。山賊に襲われそうになっていたところを拾ってきたんだ」


「侯爵家といえば、キウイ王国の要みたいなものではありませんか。キウイ王国の王太子も何をお考えなのか……」


「だろう?」


「しかし、この方がここにいることで、余計な火種を生まなければ良いのですが」


「それは覚悟していることだ」


「そこまでして手に入れたかったのですね?」


 二人が私の話をしているのはわかったけど、話の内容が全く見えなくてやや不貞腐れていると、そのうち私の手を握っていた人が自己紹介を始めた。


「私はこのグレープ王国の大司教を担っております、ゴリランです。どうぞお見知り置きを」


「……はあ。大司教様」


「ゴリランとお呼びください。傾国の姫君」


「もしかして、男性……なんですか?」


「どちらだと思いますか?」


 ゴリラン大司教は試すように告げるけど、私にはわからないし——その辺デリケートな問題だと見て、あえて答えるのをやめた。


「ケイラ様は面白い方ですね。たいていはどちらかハッキリさせようと思う人がほとんどですが」


「そうなんですか?」


「ええ。どちらでもいいですよね?」


「はあ」


「本当に面白い生き物を見つけましたね、ジンテール様」


「だろう?」


 大司教にまで面白い生き物認定されるなんて、私はいったい何者なんだろう。やっぱり、異世界とは価値観が違うせいだろうか? きっと日本ではどこにでもいる人間でも、この世界では異端児に思われるんだ。


 でなければ、私みたいな凡庸ほんような人間が面白いなんて、言われるはずがないし。


 そう、私はずっと平凡な執筆家と呼ばれていたのだから。


 過去作のアクセス数伸び悩みや、職場での扱いを思い出してため息を吐いていると、そんな時、どこからともなく足音が聞こえてくる。


 なだれ込むように部屋に入ってきたのは、真っ白な衣装を着たスキンヘッドの男たちだった。


「ゴリラン様! 大変です!」


「どうしました?」


「実は、王城に兵が押し寄せておりまして」


「なんですって!? どの国の旗ですか?」


「それが、キウイ王国の聖女の紋章らしく——」


「聖女ですって!?」


 ゴリラン大司教が目を細める中、ジンテール王子がスキンヘッドの男に詰め寄る。その顔はとんでもなく怒った顔をしていた。


「おい、今の話は本当か? 聖女が兵を率いてきた、だと?」


「ど、どうやら姿隠しの魔法で忍びこんできたようです」


「姿隠しの魔法?」


 誰となく訊ねると、大司教が教えてくれた。


「姿隠しの魔法とは、文字通り、姿を消す魔法です。キウイ王国は我が国と同じで、魔法が発達しておりまして。これまで侵略地を広げてこられたのはその魔法技術のおかげです」


「魔法って……姿を隠して忍び込んできたってこと?」


「そういうことだ」


「あ! ちょっと!」


 ジンテール王子はそう言うと、私を置いて神殿を飛び出したのだった。







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