第4話 暴走
「ケイラ、君はどうしてケイラなんだ」
甘く囁く声は透き通っていて、耳の奥をとろかされてしまいそうになる。
しかも素敵なのは声だけじゃなくて、その容姿も芸術品のように美しかった。
そんな完璧の逸品ともいえる彼が、王子様だなんて——神は公平という言葉を知らないのだろうか。
そして彼の差し出した手を取った私は、まるでお姫様みたいに綺麗な衣装を纏っていた。
「ジンテール様、あなた様はどうしてジンテール様なのですか?」
私は切ない気持ちをぶつけるように王子様を見つめていた。
この王子様となら、きっとどこへでも行くことができる。そんな気がしていた。
おかしいよね。会ったばかりでこんなことを思うなんて。
けど、現実はそう甘くはなかった。
王子様をほれぼれとした目で見ていた私の首元で、突然ガシャンと金属音がしたかと思えば、黒い首輪が出現する。
「え? 王子様? これはいったい——」
「捕まえたよ、私の可愛いケイラ!」
何が何だかわからず瞠目する私に、今度はやや幼い顔をした青年——グクイエ王子が告げる。
「あれ? 知らなかったの? うちの兄さんは珍しい生き物の収集家なんだよ」
「ええ!?」
高笑いをするジンテール王子の声。
世界の全てがガラスとなって砕け散る中、私は汗だくで夢から目を覚ましたのだった。
***
「——ケイラ様、大丈夫ですか? ケイラ様!」
目を覚ました時、知らない天蓋付きの真っ白なベッドの上にいた。そしてすぐ傍には、スーツを着たマッシュショートヘアの青年が立っていて、心配そうに私を覗き込んでいた。
「あ……あなた、確か……ゴォフ?」
夢から醒めたと思えば、まだ夢は続いているらしい。豪華な調度品に包まれた見慣れない部屋を見て、私は盛大なため息を落とした。
「なんなのよ。これってまだ悪役令嬢の夢の続きなの?」
「夢ではありませんよ、お嬢様」
そう告げたのは、
レディの部屋に男がいるなんてどうかと思うけど、顔見知りがいることで逆に安心してしまった。
悪役令嬢が大嫌いな私が、悪役令嬢になって国外追放されて、さらには隣国の王子に捕まるという謎の夢を見たのは覚えていた。だがまさか、夢が続いているとは誰が思うだろうか。
「レディの部屋に勝手に入ってくるなんて非常識じゃない?」
「私は退出しても構いませんが、お嬢様の方が困るのではありませんか?」
「何がよ」
「まだお嬢様にはこの世界の知識がないのでしょう?」
「そんなの、夢だからどうにでもなるわよ」
「まだ夢だとお思いなのですか?」
「当たり前でしょ? 私が悪役令嬢になるなんて、そんなこと——天地がひっくり返ってもありえないことよ」
「まあ、転生自体、普通ではあり得ないことですからね。お気持ちはわかります。ですが、このままあの王子のペットになっても良いのですか?」
「あの王子? ペット?」
「珍しい生き物収集家のジンテール王子ですよ。捕まって首輪をつけられたでしょう?」
「ああ、そうだった」
「早く逃げないと、何をされるかわかりま——」
その時だった。
大きなドアが勢いよく開いたと思ったら、使用人のドレスを着た女の人たちがわらわらと部屋に入ってくる。
「え? なに?」
私が狼狽える中、一番恰幅の良い女性が、私に向かって挨拶をした。
「お初にお目にかかります、ケイラ様。私はこの城の侍女長を務めるリビでございます。これから湯浴みの準備をさせていただきます」
「え? 湯浴み? ちょ、ちょっと——」
私が狼狽えている間にも、ゴォフは部屋の外に放り出され、私は服を脱がされる。他人に体を洗われるなんて、幼稚園以来だけど、恥ずかしがる間もなく、私は隅々まで綺麗にされて、新しいドレスを着せられたのだった。
そしてお姫様のように美しく仕立て上げられた私を見て、リビは満足したように笑った。
「ジンテール殿下が女性をお連れになるなんて、こんな嬉しいことはございません。こんなことを私めが申し上げるのもどうかと思いますが……どうか、お早いうちにお世継ぎをお願いいたします」
「よ、世継ぎ!?」
私が驚いて目をむいていると、近くから大きな笑い声が聞こえた。
「アハハ! すっかり勘違いされてるね、お嬢さん」
現れたのは、幼い顔をした美青年だった。先日、ジンテール王子が珍しい生き物の収集家だということを教えてくれた人だ。
しっかりとした体格のわりに、とても可愛い顔をした男の人だったけど、その顔は面白いものを見に来たという雰囲気だった。
「グクイエ様! こちらはジンテール王子の大切なお嬢様のお部屋ですよ! 簡単に入ってはなりません」
リビが怒り気味に告げると、グクイエと呼ばれた王子様ルックは、またもや吹き出す。そして私の元にゆっくりとやってきた。
「こんなに可愛いお嬢さんなのに、ジンテール兄さんのペットだなんて勿体ないね」
「グクイエ様!」
「はいはい、わかってるよ。すぐに去るから、ここに来たこと兄さんには言わないでね」
「当たり前です! 大切な女性の寝所にグクイエ様が来たとなれば、いくらお優しいジンテール様でも不快に思われるでしょう」
「じゃあね、ケイラ嬢」
「え、あ、ちょっと」
結局、私は話しかけるタイミングを逃したまま、グクイエ王子は去っていった。
「ジンテール王子のこと聞きたかったのに……」
自分が連れて来られた理由はおおよそわかったもの、今後自分がどうなるのかが気になっていた。
ジンテール王子が珍しい生き物の収集家ってことは、観察でもされるのだろうか?
なんて思っていると、今度はジンテール王子その人がやってくる。
「ケイラ!」
見た目だけは美しいその人が現れると、侍女たちがいっせいに頬を赤らめて去っていった。残された私は、ジンテール王子を睨みつける。
「ジンテール殿下……で呼び方あってるわよね?」
「どうしたんだ、ケイラ。何か必要なものがあれば、なんでも言ってくれ」
「私を解放してください」
「それは嫌だ」
「どうして!? 私なんてそこらへんにいるただの女ですよ! 決して珍しい生き物ではありません」
「そんなことはない。普通の女性なら王子に噛み付いたり、歌声で山賊を撃退したりはしない」
「ちょっと粗野なだけです! 早くこの首輪を外してください!」
「そんなに首輪が嫌なら、腕輪にするか?」
「そういう問題じゃありません!」
「それよりも、お前に見せたいものがあるんだ。こっちに来い」
「え、あ、ちょ! ちょっと!」
なんてマイペースな王子様なのだろう。
ジンテール王子は私の手を引いて歩き出すと、長い回廊を通って庭に出る。
すると、さらに広大な
途中から引きずられるようにして歩いた私は、森の奥深くへと誘われると、大きな木造の建物の前に連れて行かれた。ログハウスというには、巨大すぎる建物だ。目的地はどうやら、その建物のようだった。
「ぜぇ……ぜぇ……この距離なら、普通は馬車とか馬とか使いません?」
三十分くらい歩かされた私は、肩で息をしながら抗議の目をジンテール王子に向ける。
けど、ジンテール王子の方は気にしない様子で、話を進めた。
「ケイラに会わせたいやつがいるんだ」
「私に会わせたい人?」
「ああ。お前にそっくりな生き物だ」
「なんだか嫌な予感しかしないけど、どういう方ですか?」
「ちょっと待っていろ」
言って、ジンテール王子はログハウスの中へと入っていった。すると、地響きのような雄叫びが聞こえた。
ますます嫌な予感が深まる中、ジンテール王子がログハウスから出てくる。その手には、ロープのようなものが握られていた。
そしてジンテール王子がロープをひっぱると、ズシッズシッと重い足音が聞こえてくる。現れたのは、三メートルはある巨大ガエルだった。
「これって……カエル?」
「ああ、よく知っているな。見たことがあるのか?」
「こんな大きなカエルは見たことないけど——ていうか、私に似てる人って、これのこと!?」
「ああ、似ているだろう。顔つきなんてソックリじゃないか」
「どこがですか!?」
「お前たちなら、きっと気が合うと思ったんだが」
カエルは私のところにやってくると、丸い目でじっと私を見下ろした。
その迫力たるや……動物園のコブラなんて比じゃなかった。
しかもカエルに似ていると言われて、私は複雑な心境だった。
「あの……食べないでくださいね?」
内心ガクプルでカエルを見上げていると、そのうちカエルは長い舌で私の顔をぺろりと舐め上げた。
その瞬間、私は身震いをする。
なんてリアルな夢なんだろう。カエルの舌は、生暖かかった。
「おお、やはり同類なだけあって、気に入られたようだな。よし、ついでにこのまま城下へ——」
————と、その時。
突然カエルがゲコッと声をあげたかと思えば——吸盤のついた手で、その辺の木を
全身が赤く染まったカエルは、まるで怒り狂ったかのように暴れ始めたのだった。
「何が起きてるの!?」
「おかしい。いつもはおとなしいカエルが、なぜ?」
すかさず木の上に退避した私とジンテール王子は、転げ回るカエルを呆然と見つめていた。
すると、カエルが背中を向けた途端、私はあるものを発見する。
「あ、もしかしてあそこ!」
「なんだ?」
「カエルのお尻を見てください。矢が刺さってます」
「なんだって!?」
私が指摘すると、ジンテール王子は青ざめる。
「まずい。カエルは痛みに弱いんだ。このまま暴れ回れば、城を壊しかねない」
「ここなら、城には届かないんじゃ?」
「とにかく、魔法で眠らせて——」
ジンテール王子は何か呪文を唱え始める。
けど、カエルは体を丸めると、そのままボーリングの球のように回転し始める。
「きゃあああ! こっちに来ないで!」
「ケイラ!」
私たちのいる木に向かってカエルボールが突進してくるのを見て——ジンテール王子は慌てて私をお姫様抱っこして、木から飛び降りた。
その直後、さっきまで私が座っていた木も、カエルボールに
「私があそこにいたら、死んでたかも」
「まずい、城に向かい始めた」
木々を倒して真っ直ぐ進むカエルボールを見て、ジンテール王子は唇を噛む。
「このままじゃ、魔法の詠唱も間に合わない」
「え? 魔法の詠唱?」
「説明する暇もない」
「じゃあ、この首輪を外してください」
「なんだと!?」
「私の歌で止めてみせますから!」
「だが、首輪を外せば——」
「私はまだ逃げません。だから、首輪を外してください。城にはたくさんの人がいるんでしょう? 考える時間なんてないですよね」
「わかった」
ジンテール王子は頷いた後、私の額にキスを落とす。すると、首輪は弾けて消えた。
それから地面におろされた私は、大きく息を吸い込んで、歌を吐き出した。
今日も絶好調の歌声だった。
ダミ声は空に雷鳴を轟かせ、木々を震わせた。
自分で言うのもなんだけど、なんてひどい歌声だろう。
私の歌は、嵐さえ呼べる気がした。
そして大地を震わせるほどの歌声はカエルにも響いたらしく。そこらじゅうで暴れていたカエルは一度立ち上がると、大きな音を立てて倒れたのだった。
仰向けで白目を剥いたカエルを見て、ほっと息を吐く私。
「ジンテール王子、やりましたよ!」
振り返ると、素敵な顔で微笑むジンテール王子の姿があった。
その心が震えるほど美しい立ち姿を見て、ふと思う。
————あれ? ジンテール王子は歌を聴いてなかったのかな?
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