第3話 王子は甘く囁く
「なんだこの女、自分から馬車を降りたぞ」
「ちょうどいい、可愛がってやろうぜ」
下品な笑い声とともに聞こえてきたのは、悪役の
けど、こっちだって悪役令嬢らしいし、同じ悪役でも格の違いを見せつけてやろうじゃないの!
なんて、息込んでいると、近くから
「……困ったお嬢様だ」
ゴォフも一緒に馬車を降りたらしい。
ふん、なんとでも言うがいいわ。私の身を守れるのは、私しかいないんだもの。
そして私は深く息を吸い込むと、そのまま息を吐き出したと同時に、大きな声で歌った。
すると、まるで悪魔でも現れるかのように、空が黒く分厚い雲に覆われ、稲光がまたたき、ダミ声が轟いた。
そうなのである。私の歌は天災にも匹敵するほどの下手さだった。
いや、下手なんてものじゃない。周囲を包み込むダミ声は、野鳥を空から落とし、通りすがりのクマっぽい生き物を気絶させる。
山賊たちも懸命に耳を塞いでいたけれど、私の轟音は防ぎようがなくて、みんな泣きそうな顔をしていた。
————ふっ、勝った。
私は勝利を確信していた。未だかつて私の歌を聴いて無事でいられた人はいないもの。きっと山賊たちもこれで恐れをなして逃げるに違いない。
会社の宴会では禁止されるほどの歌声を、とくと食らうがいいわ!
なんて思っていると、ふいに山賊の一人が剣を振り回し始める。
どうやら、私の声を聴いて錯乱状態に陥っているらしい。さすがにこの状況は予想外だった。
私は慌てて歌うのをやめるけど、剣を振り回す男は、正気に戻らないまま、こちらに向かってきた。
「ケイラ様!」
ゴォフの声が聞こえた。
呼ばれても、それが私の名前だとピンと来なかった。
けど、自分に危機が迫っていることは、明らかだった。
————殺される。
夢の中でもこんなことになるなんて、私はどこまでついてない人間なのだろう。
それでも運命を受け入れる以外に手立てはなくて、私はぎゅっと目を閉じる。
二度目の死を覚悟した瞬間だった。
……けど、痛みはいっこうに訪れなくて、不思議に思っていると、そのうち断末魔の叫びのようなものが聞こえた。
私は慌てて目を開く——すると、いつの間にか王子様ルックの青年が目の前にいて、山賊は地面に身を伏していた。
「え? もしかして助かったの?」
どうやら王子様ルックの青年が山賊を斬り捨てたらしい。彼の持つ剣が血に染まっていた。
私が目を白黒させる中、王子様ルックは剣を鞘に収めて、ゆっくりとこちらを振り返る。
その顔は、舞踏会で見たジンテールという王子様の顔だった。
ゾッとするほど美しい顔を持つ青年は、私を見るなり人懐っこい笑みを浮かべた。
「やはり面白い生き物だな、お前は」
「え? ぇえ?」
この場合、私はまずお礼を言わないといけないと思うんだけど、意外すぎる発言のせいで言い忘れてしまった。
けど、ジンテール王子は意に介す様子もなくて、ひたすら邪気のない笑みを浮かべていた。
「あの、面白いとは、どういう意味でしょうか?」
「そのままの意味だ。歌で盗賊を懲らしめる奴は初めて見たぞ」
その王子様らしくない言葉に、私が動揺しているとジンテール王子は勝手に話を進めた。
「俺はお前みたいなやつを探していたんだ」
「……え?」
私の右手をそっと握り締め、胸元に持ち上げるジンテール王子。
見つめてくる目は真剣そのもので、私の胸がキュンと鳴った。
こんなイケメンに見つめられる人生もあるんだね。
私にも運が回ってきたのかもしれない。
なんて思っていると、ジンテールはにこやかに笑ったまま私の首にそっと触れた。
すると——。
ガシャン、と金属が擦れるような音が鳴り、首が急に重くなる。
「なに!? なんなの!?」
私が瞠目していると、ジンテール王子はうっとりした顔で告げる。
「今度は逃がさないよ」
気づくと私の首には、黒い輪っかが嵌められていた。
鉄のように硬いそれは、手でひっぱったところで、外れる様子もなく、ずっしりとした重さで肩まで響いた。
「ケイラ様!」
ゴォフが再び声を上げる中、私はジンテール王子を睨みつける。
けど、ジンテール王子はまるで珍しい昆虫を捕まえた子供のように嬉しそうな顔をしていた。
「何するのよ!」
「大丈夫、大事にしてあげるから、うちにおいで」
「はあ!?」
「ジンテール王子、これはキウイ王国に対する侵害行為とみなして侯爵家ひいては国王陛下に報告いたします」
ゴォフが必死に言ってくれたけど、ジンテール王子がひるむ様子はなかった。
「ケイラは国を追放された身分だから、国の外で何があろうと問題ないだろう?」
「しかし、仮にも侯爵家の御令嬢を——」
「罪人になった以上、侯爵家もケイラとの縁を切るみたいだよ」
「そ、そんな話は……」
「あれ? もしかして聞かされていないのかな? でも大丈夫だよ。私が可愛がってあげるから」
「なっ……」
可愛がると言われて、私は頭から火が出そうになる。この人は、私を連れて行ってどうするつもりなのだろう。
このままでは、私の貞操が危ういのでは?
でも、これだけのイケメンならむしろ喜ぶべき? いやいや、変なことされて泣き寝入りするのはごめんだし、ここはやっぱり逃げるしかない。
私は改めて大きく息を吸うと、声と一緒に吐き出すけど——。
「————」
どうしてか、喉からダミ声が出なかった。
「無駄だよ。魔法で歌を封じておいたから、その首輪を外さない限り、君はもうあの凶器のような歌は歌えないから」
「なんですって!?」
「言ったでしょう? 逃さないって。君はもう私の側から離れられないからね」
「くうう……どうすれば」
「大丈夫。悪いことはないよ。これから君をたくさん甘やかしてとろかして、幸せにしてあげるから」
なんでだろう、イケメンが嬉しい言葉を言っている気がするのに、ちっとも嬉しくないのは、この首輪のせいだろうか?
なんにせよ、私のことを捕まえようとするなんて、変人に違いない。変なことをさせられそうになったら、どうやって逃げればいいのだろう。
私が泣きそうになっていると、ジンテール王子が私に手を伸ばす。
「——触らないで!」
パチンと軽い音を立てて手を振り払うもの、ジンテール王子は笑顔を崩さなかった。
***
私がいたキウイ王国の国境を越えると、石造の門を通り、私は別の国に入った。
ジンテール王子の国だと言う。グレープ王国だそうだ。
この世界はフルーツで出来ているのだろうか。ジンテール王子の馬に乗せられた私は、そんなしょうもないことを考える。
妄想で現実逃避するのは得意だけど、なんで夢の中でまで妄想しなきゃいけないのだろう。
そう、私はまだこれを夢だと思っていた。
たとえ、首輪の冷たさが現実感を伴っていたとしても、これは絶対に現実だなんて私は認めないんだから。
ましてや悪役令嬢の世界? 私の一番嫌いな世界に、なんで転生しなきゃいけないのよ。
ゴォフの話を全部信じたわけじゃないけど、自分の置かれている状況が、ただごとではないことくらいはわかった。
ちなみに私は、なぜかジンテール王子と一緒に馬に跨っており、その後ろで御者のいなくなった馬車をゴォフが操っていた。
そんな感じで私たちは山道を進み、グレープ王国に繋がる門を越えると、城へと連れて行かれた。
途中、街中を通ったりもしたけど、市場の人たちはまるで見知った人間のように、気さくにジンテール王子に話しかけていた。
とても慕われているんだね……私に首輪を嵌めて連れていくような変態だけど。
そして広い城下町を抜けると、城門にやってくる。
城門は、ジンテール王子が指を鳴らしただけで、重い扉を開けた。
なんだか魔法みたいだな、と思っていると——魔法だと言われた。
「ちょっとあなた、人の心が読めるの?」
「そういう顔をしていただろう?」
「そういう顔って……」
ジンテール王子は不敵に笑う。
その顔に、ドキリとしてしまう時点で、負けているように思えたけど、でもここで諦めるつもりもさらさらなかった。
————いつか絶対、逃げ出してやるんだから。
私が固く決心する中、
そして王城に入った私は、ジンテール王子にエスコートされながら、赤い絨毯が続く回廊を歩いた。回廊の壁には、たくさんの絵が飾られていた。
私が絵に気を取られていると、そのうち回廊の向こうから柔らかい少年の声が聞こえた。
「兄さんが女性を連れているなんて珍しいですね」
「グクイエ」
慌てて視線を前に移動させると、向かいにはこれまた美しい青年の姿があった。丸い目で、ウサギのような愛らしい青年に目を奪われていると、そのうちジンテール王子が私を後ろから抱きしめる。
「こら、お前は私のものだぞ」
「え、ちょっと! 何するんですかっ」
私が慌てふためいていると、グクイエと呼ばれた青年は驚いた顔をする。
「なんだ、本当にジンテール兄さんの想い人なんだ?」
その言葉に、私が頬を赤らめるもの——ジンテール王子は
「違う、面白い生物を見つけたから、飼ってみることにしたんだ」
ジンテール王子の言葉に、私は凍りついた。
面白い生物って何? 飼うって……そんな、ペットみたいに。
ていうか、さっきのは愛の告白じゃなかったわけ!?
————これから君をたくさん甘やかしてとろかして、幸せにしてあげるから。
ジンテール王子の言葉を思い出して、私は絶句する。
「ちょっと待って、私はあなたのペットになったってこと?」
「そうだよ。私の可愛いケイラ。君ほど面白い生き物は他にいないよ」
「ぷっ」
呆然とする私の傍で、吹き出すグクイエという青年。
ジンテール王子の弟らしい彼はケラケラと笑いながら説明した。
「ちょっと兄さん、このお嬢さん固まってるよ。きっと何も知らないんだろうね、兄さんのこと——ごめんね、君。兄さんは有名な珍しい生き物の収集家なんだ」
「生き物の収集家!?」
私が思わず声をあげると、ジンテール王子は私をぎゅっと抱きしめたまま、甘く囁く。
「大丈夫、怖くないよ。これからたくさん可愛がってあげるからね」
聞きようによっては卑猥にも聞こえる言葉だけど、その真意がわかった以上、もう惑わされることはなかった。
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