9 少し前の保健室
如月兄妹が遅めの昼食をとっている時間に、HSS第二捜査室室長の栗原もとかは保健室を訪れていた。
教室3個分の広さを持ち、処置スペースと最大20床のベッドを展開できる。
戦闘時には医療拠点と考えられて作られたその部屋に今は訪れる人もおらず、養護教諭の責任者である柚月美晴だけが居る。
ふわっとしたカールのミディアムヘアスタイルと、白衣の下はブラウスとスカートといったおとなしめのファッションをしているように、本人はおっとりとした性格と雰囲気で中高問わず男子生徒に人気がある。
また、養護教諭というだけあって高ランクの治癒魔法の使い手で、来訪者の襲来が多いDゾーンにある学園で死者が出ていないのはこの教諭を始めとした医療スタッフの貢献による事が多い。
他にはレオノーレ・ベッカーという養護教諭がいるが出払っているようだ。
「こんにちはー、柚月先生」
全てのベッドを視界に収められるように、保健室の中央に置かれた作業机の椅子に座っている柚月にもとかが挨拶をする。
「アラ、栗原さん。待っていたわよ」
にっこりと笑いかける柚月。
「塔依代さんから聞いているわよ、変な夢を見るんだって?」
「そうなんです、ここ数週間かな」
と自分の見た夢の事と体の不調について伝えるもとか。
「なるほどね。夢見が悪いだけならいいんだけど」
症状と状況をノートに書き込んでいたペンを止めて柚月が考え込む。
「周囲で気になることとかある?例えば誰かに尾行されたりとか、何かの魔法的な干渉があったとか」
「それで言うと、私は思い当たる節が多いですよ。魔法については、アミュで感知できなかったらお手上げですし」
アミュとは、アミュレットの略で特定の器物に魔法を付与する事で、様々な役割を持たせている魔法道具の事である。
入手難度は高い部類だが、重要なポジションにいるもとかは複数持っていて、精神攻撃や追跡関係の魔法を防ぐものを持っている。
なんにせよ、もとかはHSSの捜査室の室長をやっているので、校外でもある程度は名の知れた存在となる、味方だけではなく敵対する相手にとってもだ。
もちろん、危険度の度合いによっては尾行やテロ行為は排除できているため同じ尾行が1週間以上張り付く事はない。
今までは。
「防諜網に引っかからない相手か、何かの干渉の体調不良か。それにしても内容が気になるわ」
「同じ夢という事ですか?」
「ええ、明晰夢としてもそこまで記憶と内容が一緒な事はありえない、なんらかの干渉や予知夢のようなものかもしれないわ」
「私を狙うとしている人物が居るとして、防諜レベルを上げるのは現実的ではないんですよね。今は卒業生が抜けた時期なのでHSSもリソース不足なので」
「そうね…。まず、疲労を取るから力を抜いてもらえる」
そう言いながら、アンティーク調の聴診器を首にかける柚月。
「寿ぎたまえ…祝したまえ…この者へ癒しの力を与えたまえ」
神道ベースの魔法の言葉を唱えると祝詞が描かれた魔法陣が展開され、柚月の手のひらの上に光球が出現する。
そのまま、その手をもとかの額に当てると光球が吸い込まれる。
「ふうっ。楽になりました、先生ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げるもとか。
「今のところはこれしかできないけど、また異常があったらすぐに来てね。かなりの疲労があるから無理は絶対にしないでね」
「わかりましたー」
入ってきたときより顔色や所作が軽くなった様子のもとかに柚月は声を掛ける。
「それじゃ、先生失礼します。これからちょっと本部で用事があって」
「ええ、お大事に」
保健室を出て行くもとかを心配そうに見送ったあと、少し考えこむ柚月。
そして『歴史研究室』と書かれたボタンを押して、内線をかける。
『もしもし』受話器からは男の声が漏れる。
「柊先生。ちょっと気になる事があります、HSSの栗原さんの事なのですけど」
『栗原がどうしました?』
スピーカーから聞こえて来たのは、楓の担任の柊の声だ。
「ええ実は…」
詳細に柚月はもとかから聞いた内容を説明する。
『なるほど、話はわかりました。私としてはどうしましょうかね』
「柊先生は、類似の事件などが無いかを歴史研究室のデータから調べていただけますか?」
『わかりました、日数によりますが過去10年であれば明日までに調べますよ』
軽く請け合う柊だが、情報分析に詳しい人物が聞いたらその量に対して結果を出す時間に目をむくだろう。
柊は学園内でも歴史関連の事柄に対しては、卓越した情報分析能力をもつため歴史研究室をほぼ1人で回している。
ブラック学園っぽいが、ちゃんと助手としての人員はいるので心配はない。
「はい、それでお願いします」
ガチャッと受話器を置いた柚月は、もとかが去って行った扉を見つめて頭を振る。
脳裏にフラッシュバックしたのは、過去の自分の治癒魔法能力をめぐる深い心の傷になった事件だった。
その事件の情景が浮かぶと、ギュッと胸のあたりの服を抑える事で動揺を消す事がその時からのルーティンだ。
「あの子がもし、何かにとらわれそうだったら。柊先生、お願いします」
そう呟く柚月の声は、抑えきれない震えに彩られていたのだった。
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