第20話 そして見事に優勝が決まった件。
そしていったん消えていたスポットライトがまた点灯して舞台袖を照らした。
「次は最高点を出した東雲明香里さんですっ!」
会場がうねりのように沸き返った。
あちこちで明香里ちゃんコールが巻き起こる。
俺はそんな中、ハラハラしながら視線をスポットライトに向けたのであった。
そして姿を現した東雲明香里を見て、俺は絶句した。
「……体操着?」
体操着だった。
上は白いポロシャツで下は紺色のショートパンツの体育でいつも着る体操着姿だったのだ。
そしてよく見ると足は裸足だった。
会場が騒然となった。
それは東雲の真意がわからないからだ。
単なる受け狙いなのか、それとも意図があってのことなのか不明なので、
みんなてんで勝手に憶測し合っているのだ。
「な、なんなんだ?」
俺は横の権藤につい尋ねてしまう。
「うーむ。明香里ちゃんはなにをしようとしているんだ?」
だが、当然のことだが権藤にも意味がわからないらしい。
そして壇上中央まで進み出た東雲がマイクを握る。
かなり緊張しているようで、息づかいが荒い。
「こんにちはっ。東雲明香里ですっ。これから自己アピールをしますっ」
と、言うと東雲はマイクを床に置いてしまったのだ。
「……なにをするんだ?」
俺は思わず腕組みをしてしまう。東雲の考えがまったく読めないからだ。
すると東雲はするすると後ろ向きで後退し、舞台袖までその小柄な身体を移動させた。
そして両手を挙げたのである。
体育館がしーんとなった。なにをするのかみんな息をのんで見つめているのだ。
そして東雲がいきなり床を蹴り、助走を付けていきなり跳躍したのだ。
両手を床に付けると反動でまた宙を飛び、
そのまま空中できりもみ式に身体を横回転させると見事に着地したのだ。
「おおっ!」
どよめきが会場を支配した。そしてその中には俺も含まれている。
そしていったん反対側の舞台袖に到着すると、
今度は折り返しで助走を付けると再び宙を回転し、最後はバック転で締めくくる。
「床体操か!」
俺は感服してしまった。
スポーツ万能とは聞いていたが、まさかこんなことまでできるとは思わなかったからだ。
そして東雲だが、バリエーションを細かに変えて更に二往復技を見せてくれたのだ。
もちろん本式の体操部員ではないのだから、女性特有の曲に合わせた演技などは含まれないが、
その分、男子選手のようなダイナミックな空中技をたっぷりと見せつけてくれたのだ。
「俺は猛烈に感動したっ。流石は我らの明香里ちゃんだ。
俺はさっきの言葉は撤回する。裕美ちゃん先生も素晴らしいが、明香里ちゃんはその上を行った」
権藤は泣かんばかりに感想を述べた。
「……確かにな。こんな隠し技を持っているなんて誰も予想しなかっただろうな」
俺はすっかり惚けてしまったかのように、ようやく権藤に返事を返すことが出来た。
まさにスポーツ天才美少女の魅力全開の演技だと思ってしまったのだ。
そして東雲だ。
割れんばかりの喝采を浴びて体操服姿の東雲は再びマイクを握った。
「ありがとうございましたっ」
それだけ告げると名残惜しさを表す拍手の波を背に、東雲は舞台袖に姿を消してしまったのだ。
「……うーむ」
俺は東雲にしてやられた気分だった。
もはやぐうの音も出ないとはこのことだ。
だが……、同時に最後に残った五祝成子を案じてしまう。
……裕美ちゃん先生。そして東雲。
この二人を上回る隠し芸をヤツは持っているのだろうか……?
俺の不安はむくむくと大きくなった。そして運命の時は来た。
「最後は五祝
再び暗くなった会場に最後のアナウンスが鳴り響いたのである。
そして再度灯ったスポットライトが舞台袖を照らす。
「……ん?」
そこには誰もいなかった。
しばらくライトはそこを照らしていたが、やがて少しずつ位置を変えて壇上を照らす。
だが、そこにも誰もいない。
……ま、まさか?
俺は嫌な予感がした。
だがそれは俺だけじゃなかったようで、場内はやがて徐々に騒がしくなった。
そしてそのざわめきを察知したかのように、スポットライトもあわただしく壇上を照らしまくる。
こうなると脱走犯を捜す監獄のサーチライトのようだった。
……もしかして辞退してしまったのか?
俺は最悪を覚悟した。
「……五祝さんはどうしたんだ? はは。まさか逃げたとか」
権藤が動揺した声で俺に尋ねる。
「……そ、そんなことないだろう」
俺はそう答えるが、強がっているようにしか自分でも感じない。
裕美ちゃん先生と東雲明香里にあれだけの自己アピールを見せつけられたのだ。
よもやとは思うが、逃げた可能性も否定できない。
会場内は騒然となった。もはや誰もが俺と同じ最悪を予感している感じなのだ。
そのときだった。
「……お?」
あわただしく壇上を照らすライトの隅に一瞬人影が映ったのだ。
するとスポットライトはそれを目がけて位置を合わせる。
「……な、なんだありゃ?」
権藤があきれるように言う。
……いたのは掃除のおばさんだった。
その服装は校長室掃除などでよく見かける清掃員の格好と同じで、
青い上下ジャージ姿で白髪交じりのザンバラ髪に三角巾を巻き付けて背中を向けて立っていたのだ。
そしてそのおばさん。
片手にはモップ、片手には水がはいったバケツを持っていた。
そしてライトに気がついたようで、疲れた顔で辺りをきょろきょろと見回すが、
やがて何事もなかったかのようにモップに水をつけると再び床を掃除し始めたのだ。
「おいおい、あのおばさん、なにやってんだよ。頭おかしーんじゃねーのか?」
権藤があきれたように言う。
だがそれは会場内の誰もが思った感想のようで、ため息に似た声が一斉にもれたのである。
だがそれも一瞬で、やがてため息はブーイングに変わっていったのであった。
そしてそのおばさんだが、事態が全くわかっていないようでマイペースで清掃を続けているのだ。
もはやミスコンは一時中止となった。
消されていた会場の照明は一斉に灯され、気がつくと生徒会の連中があわただしく壇上に登る。
そして黙々と清掃を続けるおばさんの両手を、
両側からつかみ壇上中央へと引っ張っていったのである。
……ん?
俺はそのときある種の予感を覚えた。
それは……、もしかして、ってヤツだった。
両側から拉致されたおばさんだが、イヤイヤと身体を振って生徒会員から逃れるのが見えた。
なにごとが起きたのかと会場は一斉にそれを見た。
そして事もあろう事か、おばさんは設置されたマイクを掴んだのだ。
「みなさん、こんにちは。……五祝成子です」
会場は大混乱となった。
それもそのはずで、疲れた感じの中年のおばさんから発せられた声は、
間違いなく五祝成子の声だったからだ。
「うおおおおおっ!」
うねりのような歓声が会場内をこだました。
そしてその声に応えるようにおばさんは三角巾、そして白髪交じりのかつら、
そしてかつらの中でまとめていた長い髪をほどいて顔の化粧を落としたのだ。
「うわっ! 五祝さんじゃねーかっ!」
権藤が心の底から驚いたと言う声で叫ぶ。
そしてその叫びは権藤だけじゃなくて、会場のみんなも同様だった。
「……驚かせてすみません。……私は芸がないので」
それだけ告げると五祝成子はぺこりと頭を下げて舞台袖に姿を消してしまったのだ。
場内はまさに唖然と言った感じになった。誰もがポカンと惚けた感じになったのだ。
だがそれも一瞬で、やがて誰ともなく拍手が起こり、
そしてそれは体育館を揺るがすくらいに大きくなったのだ。
……やるじゃないか!
俺は感服した。そしてこの感動を今すぐ五祝成子に伝えたくてたまらない思いだったのだ。
考えてみれば変装はヤツの得意中の得意なのだ。あれで眼鏡とマスクをすればシゲさんそのものだ。
おそらくかつらはいつも使うので通学バッグに忍ばせてあったのだろう。
そして隠し芸を披露しなければならなくなったとき、瞬時にひらめいて変装をしたのに違いない。
「……俺は完全にだまされたぞ。ま、まさか、あのおばさんが五祝さんとは全然思わなかった」
権藤が正真正銘驚いたって感じで感想を言った。
そしてそれは周りにいる生徒たちも同じようで、口々に同様のことをささやきあっていたのだ。
「……技では裕美ちゃん先生。素晴らしさでは明香里ちゃん。……だがインパクトでは五祝だな」
権藤がミスコンの決勝自己アピールの総評をそう告げた。
そしてそれは俺も同じだった。
「こうなるとまたまた票が割れるな。
……でも決勝だからな、単純にいちばん票が多いのが優勝だからな」
「ああ。……だがこうなると接戦になりそうだな」
俺がそう答えると権藤が深く頷いた。
「……なあ、剣崎。お前は誰に投票するんだ?」
「そう言うお前は?」
「うーん。正直悩むところであるが、俺は最初の宣言通りに明香里ちゃんに入れる」
そう答えた権藤は鉛筆でマークシートの二番目を黒く塗りつぶしていた。
「で、剣崎はどうすんだ?」
「……俺か? 俺は、……内緒だ」
「卑怯だな」
「なんとでも言え」
俺はそう答える。そして権藤には見えない角度でこっそりと
それは俺の正真正銘の正直な感想の結果だ。
個人的な感情は一切抜きにして、
裕美ちゃん先生、東雲明香里、そして五祝成子の三人の自己アピールから、
いちばん印象に残ったのを入れたのであった。
やがて集計のための休憩時間が取られた。
そして再び全校にアナウンスがあり、俺たちは体育館に戻ったと言う訳だった。
「……正直、俺、震えてきたんだが」
権藤が真剣な顔つきで俺にそう告げてきた。
だが、それは俺も同じだった。
五祝成子たちもやれることはやったと思うが、俺たちにしてもやれることはやった。
「後は天に任せる、だな」
俺はそう答えて、深呼吸をする。
俺たちだってこんなに落ち着かないのだ。候補者の三人はもっと激しい緊張感の中にいるのだろう。
そして会場のライトが消された。
辺りは真っ暗になり、集まっている生徒たちから興奮の声が響き渡った。
「いよいよだな」
「……あ、ああ」
権藤の問いかけに俺は頷いた。
「さあ、お待たせしましたっ。集計結果が出ましたっ!」
心なしかアナウンスの声が張り切っている様子に思えた。
そして壇上にスポットライトが照らされた。するとそこにはすでに三人の候補者が立っていたのだ。
右から裕美ちゃん先生、東雲明香里、そして五祝成子だった。
服装はみんなスーツ姿や制服姿に戻っていた。
……さすがに裕美ちゃん先生のドレス、東雲の体操服、五祝成子の上下ジャージを見るのはもう十分だ。
「おおっ」
どよめきが起こる。
そしてドラムの音が響く。最初はゆっくりだが、やがて早鐘のように早くなり、
ドラムの音に合わせて、あわただしくスポットライトも三人を照らす。
否が応でも緊張がみなぎってきた。
「優勝は……」
アナウンスが止まる。会場が水を打ったかのようにしーんと静まった。
誰もが固唾をのんで息を鎮めている緊張の一瞬だ。
「東雲明香里さんっ!」
うおおおっ、と、どよめきと興奮がさざ波のように広がった。
ライトは東雲を真っ直ぐに照らした。
そしてすさまじい拍手が巻き起こる。
「おおっ! やっぱり明香里ちゃんか!」
権藤が感無量と言った感じで声高に叫ぶ。
気がつくと壇上の東雲に一斉にフラッシュライトが浴びせられた。
見るとマスコミの取材陣が壇上の下に集まっているのが見えた。
「連中、無駄足じゃなかったな」
俺がそう言うと権藤が頷いた。
そして再び壇上に視線を戻す。すると中央に立つ東雲が両手で顔を押さえて震えているのが見えた。
おそらく感動で涙が止まらないのだろう。
そんな東雲に裕美ちゃん先生がそっと肩を抱いているのが見えた。
次に五祝成子を見た。
するとヤツは立ち尽くしていた。顔色もその姿勢もまるで蝋人形館の展示物みたいだった。
「……っ」
たぶん俺がいちばん最初に気がついたと思う。
俺はガタンと椅子を鳴らして立ち上がった。
「ど、どうした?」
俺は権藤の問いかけに答える間もなく走り出していた。
すると壇上の五祝成子がゆっくりとゆっくりと崩れるのが視界に入った。
会場は騒然となった。
照明が一斉に灯されて一気に明るくなる。
そんな中、倒れた五祝成子に生徒会の連中が走り寄るのも見えた。
俺はそいつらを追い越して壇上に上がった。
「い、五祝っ!」
気がつくと叫んでいた。俺は動かなくなった五祝成子に駆け寄った。
「おい、しっかりしろっ!」
俺は夢中で叫び続けていた。
それから五祝成子は保健室に運ばれた。
幸いなことに意識はすぐに戻ったが、どうにももうろうとしている感じだった。
そして俺はなんとなく付きそう形で同行したのであった。
「……ごめんね」
ベッドに横たわった五祝成子が俺にそう言った。
意識はすっかり元に戻ったようだった。
「ああ、それより大丈夫か?」
「う、うん。……私、どうしちゃったのかな?」
布団から目元だけを出して弱々しげに五祝成子がそう尋ねる。
「……強度のストレスによる一時的な失神が考えられる。
あと貧血も原因みたいだな」
俺はさっき診断してくれた保険医の女医先生が告げた言葉をそのままに伝えた。
先生は今、職員室に行っていて保健室は俺と五祝成子の二人だけなのだった。
「私、確かにちょっと貧血気味なんだ。
でも今までそんなことなかったわ」
「だから極度のストレスなんだろう?
ミスコンの決勝での緊張が耐えられなかったんだろうな」
「う、うん」
そう答えた五祝成子だが、顔色はだいぶ良くなったようだった。
「……優勝はあの子だったわね」
「ああ、そうだな。……気になるのか?」
「ううん。私は決勝まで行ったのだって驚きよ。だから全然」
「そうか」
俺は立ったままだったので、空いている椅子を引き寄せて座る。
「みんなに迷惑かけちゃったわ」
「仕方ないだろ? 気にすんな」
「う、うん」
そう答える五祝成子だが、やはり元気がない。
もちろんストレスで倒れたからだろうが、それ以外にも原因がありそうだと俺は思った。
「そう言えば、お前の一発芸、最高だったな」
「一発芸? ああ、変装のことね?」
「ああ。まさかあの手を使うとは思わなかった」
「とっさだったのよ。
だって事前になんにも教えてくれないんだもの。キッチンでも用意してくれれば料理を作ったのにな」
「だろうな」
俺がそう答えると五祝成子は笑顔を見せた。
心なしか元気になったようだった。
「ねえ、訊いていい?」
「なんだ?」
「……どっちに入れたのよ?」
俺は面食らう。
なんだっていきなりにそんな質問をするんだ。
「とぼけないで。私かあの子かどっちかよ」
「べ、別にいいだろ?」
「良くないわよ」
ベッドの中から五祝成子が俺をにらんだ。
俺はしばらく熟考する。そして答えた。
「俺は自分に正直にした。……俺にとって驚きをくれた方に入れた」
「それじゃ全然わかんないわよ」
五祝成子は不満顔になった。
ほっぺたをプウと膨らませている。
そしてしばらくそうして黙っていたが、やがてなにかに気がついたようで俺に向き直った。
「……そう言えば、ダメになっちゃったわね」
「ん? なにがだ?」
「デート。……あの子としてあげて」
「東雲とか?」
「そう。私、負けちゃったし」
俺はなにも言えなかった。
俺は、五祝成子に東雲からもミスコンの結果次第ではデートの約束をしているとは言ってない。
だが五祝成子のことだ。
予感がしたとか推測したとかで、なんとなくわかっていたのかもしれない。
……これは逃げられそうにないな。
俺は覚悟を決めた。そして口を開きかけたときである。
「あら? 元気そうね」
保険医の女医先生が戻ってきた。
俺と五祝成子は途端に居住まいを正す。
別になにをしていた訳ではないのだが、なんとなく俺たちの会話が気まずい感じに思えたからだ。
まさか聞かれたとは思わないが、用心に越したことなない。
「はい。ご迷惑おかけしました」
五祝成子が保険医の先生にそう答えた。
「もうちょっと横になっていた方がいいわ」
そう言った保険医の先生だったが、途端になにかを思い出したかのような表情になる。
「あら、いけない。忘れていたわ。お客さんがいるのよ」
そう言って先生は一度閉めかけた保健室のドアを、再び開けたのであった。
「……し、失礼しますっ」
そう言って入ってきたのは驚いたことに東雲明香里だった。
「ど、どうしたんだ?」
俺は思わず尋ねる。
今は放課後になるはずだ。だとすると部室に行っていると思ったからだ。
だが東雲はまだ制服姿だった。
「……え、えーと。
副将に用があるんじゃないんですっ。……五祝さんに」
東雲は居心地が悪そうに俯いた。
その態度にミスコンの優勝者と言った雰囲気はまったくなかった。
「私?」
五祝成子もそれを察知したようで、上半身をベッドがら起こしてそう答えた。
「はいっ」
そう返事した東雲は申し訳なさそうに一歩一歩近づいてきた。
「あ、俺、席外そうか?」
なんとなくただならぬ気配を察した俺はそう言って椅子から腰を上げかけた。
だが、そんな俺を東雲は制した。
「いいんですっ。副将もいてくださいっ」
「わ、わかった」
俺は再び椅子に座り直した。
そしてもうひとつの空いている椅子をたぐり寄せ、東雲に勧めた。
「ありがとうございますっ。
……え、えーと」
そう言った東雲は背中に隠していたなにかを取り出した。
「これっ。渡すように頼まれましたっ」
見るとそれは筒に入った賞状らしきものと、お祝い用の封筒だった。
おそらく生徒会からだろうとは想像できた。
「なにかしら?」
五祝成子は受け取り、筒を開けた。
そして無言になる。
「ど、どうしたんだ?」
俺は尋ねた。
すると五祝成子が複雑そうな表情で俺に賞状を差し出す。
「……準優勝?
ってことはお前は準ミスなのか?」
賞状は五祝成子を第一回のミスコンの準ミスとして表彰するものだった。
そして封筒の中身は図書カードだった。
「みたいね」
「良かったじゃないか」
「……信じられない。
さっきも言った通り私は決勝まで行ったのだけで驚きだから」
すると黙っていた東雲が口を開いた。
「それっ、私も同じなんですっ。
……決して謙遜とかじゃなくて、ホントにホントに同じなんですっ」
なんだか哀願するような感じだった。
「えと。
……どういうことかしら?」
五祝成子はふつうに尋ねたんだと思う。
つまり他意はなく素朴な疑問として質問したんだろう。
だけど五祝成子の独特のオーラはそれを相手によっては詰問されたと捉えられてしまうことがある。
俺は五祝成子を知っているから大丈夫だが、東雲明香里はそうじゃなかった。
「ひくっ……」
怯えた表情を浮かべて東雲は一瞬飛び上がった。
「あ、怖がらなくていいと思うぞ。
別に責めてる訳じゃなさそうだからな」
俺はフォローした。いや、してしまった。
それが気にくわないのか五祝成子が俺をにらむ。
……逆効果だったかも知れないな、と俺は後悔した。
「……ま、いいわ。
東雲さん? 私、別に怒ってないから、話をしてくれるかしら?」
驚いた。五祝成子が笑顔を浮かべて話しかけたからだった。
「はい。……私、ホントに決勝まで行ってびっくりなんですっ。
乗り気じゃなかったし……。応募したのも剣道部のみんなが応援してくれるって言うからでしたっ」
俺は頷いた。
事実、東雲は本気で遠慮していた。
だけど権藤の強い押しがあったので、渋々納得したのを覚えている。
「それに私、そのときは五祝さんが参加しているなんて全然知らなかったんですっ。
……知ってたら止めてます。負けちゃうかも知れないから……」
「でも、あなたは勝ったわ」
五祝成子が笑顔で言う。
その顔に皮肉や嫌みは含まれていなかった。
五祝成子としても決勝まで行けたのがラッキーなことで、
その後の結果はどうでも良かったと言うのは、やはり本当なのかも知れない。
「……はい。でも、ほんのちょっとの差でしたっ」
「ちょっとの差?」
俺はつい口を挟んでしまった。
用があるのは俺じゃなくて五祝成子だと言っていたのを、つい忘れてしまったのだ。
だがそんな俺を東雲は抗議するような視線ではなくて、深く頷く態度で接してくれた。
「はいっ。
……後で生徒会の人から教わったんですが、私と五祝さんの差はたった一票だったそうですっ」
「たった一票? 本当か?」
俺はまたまた口を挟んでしまった。
心底驚いたからである。
つまり俺だけじゃなくて、ほんのあと一人が五祝成子に入れていれば、
立場が逆になっていたと言うことだ。
「そうなんですっ。
だからあと一票が動いていれば勝ったのは私じゃなくて、五祝さんだったんですっ」
「……そうだったの?」
五祝成子が驚いた様子で口を開いた。
「はいっ。ちなみに大沢先生との差もたった二票だったそうですっ。
……だから私が勝ったなんてのはおかしいんですっ」
そこまで言った東雲は申し訳なさそうな顔になり、
背後で無言のまま立ち尽くしている保険医の先生を見た。
「……あら? 私はお邪魔虫のようね。
いいわ、ちょっと席を外してあげるわ」
保険医の先生はなにを思ったのか、
うれしそうな顔をすると鼻歌を歌いながら保健室を出て行った。
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