第19話 そして、五祝成子の本名が衆人環視のもとに明かされる。

 


 五祝成子の話は続く。

 だがここから見ても顔色が悪くて今にも倒れそうな程だった。




「……そ、それに……、

 私は今までみんなに黙っていた。……違います。欺していたことがあります」




 一瞬会場が静まったが、五祝成子の言葉でまたざわめきが寄せる波のように広がった。




「それは私の名前です。

 ……私の本当の名前はじゃありません。……と言います。

 ……私はと言う名前が嫌いでした。だから嘘の名前を名乗っていたのです」




 すさまじいざわめきになった。

 会場が割れんばかりのどよめきの場と化したのだ。

 それはもちろん憶測や想像と言ったたぐいの喧噪だ。




「い、五祝、……? って言うのか? 本当は?」




 権藤が俺を見た。

 俺は仕方なく頷いた。




 だが内心は驚愕で頭の中が真っ白になりそうな感じだったのだ。

 あの五祝成子しげこが大勢の前で話をしていること、

 そしてずっと隠してきたことをカミングアウトしたことだ。




「ど、どうして隠してたんだ?」




「今、本人が言ったろ。嫌いだったんだ」




「どうして?」




「……まだ話は続いているぞ」




 俺が答えると権藤が、ああ、と言って舞台を見上げた。




「…………で、でもシゲコは良い名前だと言ってくれた人がいました。

 そしてその人は自分の殻を破らなきゃダメだと言ってくれたんです。

 ……だ、だからこの場所で告白しました。……だ、だからごめんなさい」




 そこまで言うと五祝成子はその長い髪を垂らして直角九十度で頭を下げた。

 そして下げ続けた。




 会場は水を打ったかのように、しんと静まった。




 五祝成子はしばらくすると頭を上げた。

 そして頭上を見上げて大きく深呼吸すると、

 行きとは逆にすがすがしい態度ですたすたと舞台袖へと姿を消したのだ。




 そして、しばらくすると誰かともなく拍手が起こり、そしてそれは体育館全体へと広がったのだ。




「……これは難しいな。みんながどう判断するか正直俺でも読めない」




 権藤が鉛筆を片手に持ったまま、そうつぶやいた。

 周りを見回すとそれはみんな同じようで、

 拍手が収まった会場で誰もが無言で考え込んでいる雰囲気だったのだ。




 やがて会場のざわめきが去った。




 そして生徒会長が再び壇上に現れて解散を告げた。

 それからすぐにミスコンは一時休憩に入った。むろん集計のためだ。




「マークシートだから集計は早いんだろうな」




 俺は会場を出ながら権藤に話しかけた。




「ああ。これで過半数を獲得している候補者がいれば即決定とか言ってたな」




 権藤はそう言った。




「じゃあ、だれか一人に投票するっていう約束はなしになるのか?」




 俺は俺を除く剣道部員全員が東雲明香里に投票すると決定した話を思い出して言う。




「即決定ならばな。だけど決選投票になったら一人の候補者だけを投票するシステムらしいぞ。

 だから俺たちはそのとき明香里ちゃんに入れる」




「なるほどな」




 納得した。

 だとすると決選投票になったら、

 俺は五祝成子か東雲明香里のどちらかを選ばなきゃならない訳だ。




「ん。俺はちょっとトイレに行ってくる」




 権藤は俺にそう告げると男子トイレに向かって走って行った。




「さて、どうするか」




 俺は一人になったので、行く当てもなくぶらぶらすることにした。

 集計が終わるまで一時間あるからだ。




 そして何気なしに校舎を見上げた。空は高く雲がのんびり浮かんでいる。




「あ」




 俺は視界の隅に五祝成子を見つけた。

 ヤツはいつの間にか屋上に登っていたようだったのだ。




「……行くか」




 俺は校舎に入り階段を登る。

 そして屋上へとつながる鉄の重い扉を開けたのであった。




「お疲れ様」




 俺は手すりに身体を預けて空を見ていた五祝成子しげこの背に声をかけた。




「……来たの?」




「ああ。下にいたら姿が見えたからな」




 すると五祝成子が振り返った。俺はそして驚く。




「泣いているのか?」




「うん」




 五祝成子は涙を拭いていた。




「どうしたんだ?」




「私、もうダメかも……」




 そう言って俯く。




「なぜだ? 自己紹介、俺は悪くなかったと思うぞ」




「ダメよ。変な告白しちゃったから、とっても恥ずかしいのよ。

 もう教室に帰りたくない。きっとみんな変な目で見るわ」




「そうか?」




 俺はそう答えた。




「別に変でもなんでもない。新しい五祝として見るだけだろうが」




「新しい私?」




 五祝成子が尋ねる。




「ああ。そのためにカミングアウトしたんだろう? 

 もし変な目で見るヤツがいても、お前は今まで通りにいればいいんだ」




「そ、そうかな?」




「そうさ」




 俺はそう答えると手すりに背をもたれた。

 澄み切った大空が気持ち良く感じられるのであった。




「……でも、私、たぶん落選するよ。

 だってあんな変な自己紹介したの私だけだし」




「それもいいじゃないか」




 俺は答えた。これは俺の本心だった。

 確かに五祝成子が言ったように万人受けする自己紹介ではなかったのは事実だ。

 そしてそれが原因で落選するかも知れない。でも、大事なのは別のところにある気がしたのだ。




「大事なのは殻を破ったこと。

 お前はあんな大勢の前で自分の殻を見事に破ったじゃないか」




「……そ、そうかな」




 そう答えた五祝成子はやっと笑顔を見せたのであった。




 それから五祝成子は去って行った。




「候補者は早めに集まらなきゃならないんだって」




 そう言って俺に背を向けて屋上から姿を消したのであった。




 それから俺は行く当てもなく校舎から外に出た。

 そしてぶらぶら歩いていると部室に来てしまっていた。




 部室は体育館脇の格技場にある。

 どうやら俺は無意識にいつもの習慣でここに来てしまったようだった。




「あれ? 副将、どうしたんですかっ?」




 俺が部室に入ると先客がいた。

 東雲明香里だった。




「お前こそ、なんでここにいるんだ? 

 候補者は早めに集まらなきゃならないんじゃないのか?」




「そうなんですけど……」




 どうにも歯切れが悪い返答だった。




「ん? もしかして心配なのか?」




「はい……」




 東雲にいつもの明るさがなかった。

 なんだかしょんぼりした感じでいつもの花のような華やかさではなくて、

 日陰にうつむいて咲く一輪の草花って言った感じだったのだ。




「私、やっぱり落ちると思います」




「ミスコンか? それはないと思うな」




「ホ、ホントですかっ?」




 俯いた顔を上げた東雲は涙目だった。




「だ、だって、

 あんなにかわいい女の子がいっぱいいたんですよっ。私なんか全然ですっ」




「そんなことないだろう? 

 そりゃ美少女と呼ばれるような女子ばかりだったが、

 お前がかすんで見える程の子はいなかったと思うぞ」




「そ、それ、

 嘘言ってませんかっ?」




 なんだか東雲は必死だった。

 よっぽど不安だったに違いない。だからこんな誰もいない部室でひとり落ち込んでいたのだろう。




「嘘なんか言ってどうすんだ? 

 俺は思ったまま言っただけだ。

 ……それにお前の自己紹介も良かったぞ。謙虚で自然体だって権藤も褒めていた」




「主将もですかっ?」




「ああ。やつにも好印象に映ったようだ」




「な、なら大丈夫かなっ?」




「ああ。……それに仮にダメだったとしても落ち込む必要はないだろう? 

 やれるだけやったんだし、

 他人の物欲しそうな審査なんてお前の価値を決めるものじゃないと思うぞ」




「えへへ。

 ……そ、そうですよねっ?」




「ああ」




 でもまだどこか不安な顔つきが残っている。




「で、でも、

 落ちたら応援してくれたみなさんに申し訳なくて……」




「それも気にすることない。大事なのか結果じゃなくて、過程だろ? 

 お前ががんばった。それを剣道部が応援した。

 それだけでいいじゃないか? そもそもこれは剣道の試合でもなんでもない。

 お前の目標とは違うだろうが」




「そ、そうですよねっ」




 今度は本当の笑顔になった。

 そして溜まっていた涙を全部拭き取った。




「そ、そうしたら、ひとつだけお願いを聞いてくれますか?」




「ん? なんだ?」




 すると東雲はその大きな目を伏せて床をじっと見た。

 俺はそこになにか落ちているかと思ったがそこにはなにも見当たらない。




「も、もしもですっ」




「ああ」




「も、もしも、私が決勝まで行けてですね?」




「ああ」




「……い、五祝さんに勝ったなら、デ、デートしてくれませんかっ?」




「は、はあ?」




 俺は面食らった。

 意外な展開に思考がついて行けないのだ。それでも俺はなんとか我を取り戻す。




「デートって、俺と試合で勝ったらじゃないのか?」




 俺はいつぞやの約束を思い出す。

 すると東雲は、真っ赤な目を大きく見開く。そして俺を見つめた。




「そ、そうなんですけど。……ダメですか?」




「……ダメって言うよりも、なぜ五祝なんだ?」




 俺は疑問をそのまま口にした。




「……決して五祝さんが嫌いとかじゃないんですっ。

 だ、だけど私、副将が約束してくれたら、きっとがんばれるって思うんですっ」




「……わかった」




 結果的に言うと俺は頷いてしまった。

 なんて優柔不断なんだろうと嫌悪感もある。

 だが、それ以上に、

 俺の返答如何では、辞退する可能性がある東雲を放っておけない気がしたのだ。



 

 俺は剣道部のみんなが東雲を応援しているのを知っている。

 そしてそれ以外にも拍手してくれた大勢のヤツらがいたこともわかっている。




 そんな大勢の声援を、

 たった俺ひとりの進退で結論を出してはならないような気がしたのだ。




 東雲は立ち上がった。




「私、行きますっ」




「ああ。後は天に任せるだけだ」




「はいっ」




 東雲はいつもの元気さを取り戻したようだった。

 軽い足取りで部室のドアを開けて出て行ったからだ。




「……これで、良かったんだろうか?」




 俺は東雲が去った部室で考え込んだ。

 さっきは屋上で五祝成子を励まして、今度は東雲だ。




 二人とも涙なんか浮かべて落ち込んでいたから、

 ガラにもなく激励してしまった自分がなんだか不思議に思えたし、

 その両方にいい顔をしようとした自分に嫌悪も感じる。




 ……ま、俺もミスコンのお陰で変になっちまったようだな。

 俺は首を振って変な感じと嫌悪感を振り落とそうとした。




 そのときだった。

 校内方法が鳴り、全員が体育館に集合するようアナウンスがあったのだ。




「いよいよだな……」




 俺は部室のドアを開けて体育館へと向かうのであった。




 そしてミスコン会場に俺は入った。もちろん体育館のことだ。




「なんか、熱気がすごいぞ」




 俺は席に着くと隣の権藤に話しかける。




「ああ、とにかく結果発表だからな。俺もドキドキしてきたぞ」




 そう言う。だがそれは俺も同じだった。

 卑怯かも知れないが、五祝成子も東雲明香里も落ちて欲しくない心境だったのだ。




 やがて全員が集まったのか、体育館の照明が落とされて壇上にスポットライトが点灯する。

 とたんに喧噪がわき上がった。




「いよいよだな」




「……ああ」




 俺は返事をするが、

 なんだか口の中が乾いて唇が上顎に張り付いた感じで上手くしゃべれなかった。




 やがて壇上に生徒会長が現れた。そしてなんの演出か蝶ネクタイ姿の登場だった。




「さあ、いよいよ結果発表ですっ!」




 ドロドロドロというドラムの低い演出音が鳴った。

 それはこの場に相応しいもので、俺は固唾を飲み込んで息を殺す。

 手にはじっとりと汗が浮かんでいた。




「まず、投票の結果ですが、残念ながら過半数に達した候補者はいませんでした」




 会場がどよめく。




「そのため、上位二名での決選投票となりますが、……ここでもハプニングが起こりました」




 体育館の騒々しさが増した。

 なにが起こったのかみんな憶測する声が飛び交い、

 それがうねりとなって会場を揺るがしているのだ。




「まずは最高点の候補者から……」




 生徒会長がもったいぶって言葉を止めた。

 とたんに会場は静けさが広がった。俺は吐き気にも似た息苦しさを感じている。




「東雲明香里さんっ!」




 体育館は巨人がその手でかき回したかのような騒ぎとなった。

 もう手が付けられないような騒ぎで壇上にいる生徒会長が耳を塞いだほどだった。




「やっぱりな」




 俺がそう言うと権藤は当然だと言わんばかりの態度で頷いた。




「そりゃ、我らの明香里ちゃんだからな。

 知名度は抜群。そしてかわいくて性格もいい。問題なしだろう」




 確かにそうだと思った。

 だが改めて発表されるとそれはそれで安堵と驚きを感じる。




 生徒会長の発表は続く。




「そして次に得点を集めた候補者ですが、同点で二名いますっ!」




 再び静寂が支配する。




「大沢裕美先生っ!」




 うおおっ、と言う感嘆の声が響き渡る。

 納得と驚きの声が同数で混じっている雰囲気だ。




「……ううむ。裕美ちゃん先生が来たか」




「あ、ああ……」




 俺は、納得はしたが、胸が苦しくなってきた。

 あと一人残っているのがヤツだと思いたい気持ちが持ち上ってきたからだ。




「そして、……五祝成子しげこさんっ!」




 半端じゃないどよめきが無数の生徒たちから上がった。

 そのほとんどが驚愕だと言わんばかりに思えるのは俺の逆恨みか?

 だが、俺はそこでやっと深い呼吸ができた。




 ……上出来じゃないか! 俺は思った。

 カミングアウトの自己紹介だろうとなんだろうと、みんなが評価してくれたのは間違いない。




「五祝さんか。……やつ、キレイだもんな。

 性格は大変だが美貌は間違いなく一級品だからな」




 権藤がぽつりと言った。

 その顔はある程度は納得している風に見えた。




「……ま、とにかくとしては剣崎はホッとしただろう?」




「俺か? ……ま、まあな」




 俺は適当にごまかした。

 だが、本当は心底安堵していたのだ。

 そして気がつくと自分でも気がつかなかったのだが、俺は額に汗を浮かべていたのがわかる。




 ……五祝成子も東雲もこれ以上のプレッシャーに耐えたんだな。




 俺は今、この場にいない二人を祝福してやりたい気分だった。




 その後、生徒会長から更なる発表があった。




「決選投票の候補者には自己アピールをして頂きます。

 なにか即興で得意な技を披露して頂く趣向です」




 またまた会場が騒がしくなる。




「自己アピールって、いったいなにをするつもりなんだ?」




 俺は権藤に尋ねた。




「さあな。……楽器でも弾いたりするんじゃないのか?」




「なるほどな。……でも東雲って楽器できるのか?」




 俺は疑問に思って尋ねる。

 今までそんなことは聞いたことがないからだ。




「俺が知るか。俺よりもお前の方が明香里ちゃんを知ってるだろ?」




「う、うむ」




 俺は返答に詰まる。

 楽器が弾けるとは聞いたことはない。




 知っているのは悩み事があるときは走り回ることくらいだ。

 だからと言って壇上でぐるぐる走り回るなんて、芸の無いことはしないだろう。




「ところで五祝は楽器できるのか?」




「……知らん」




 俺はまたまた返答に困る。

 五祝成子が得意なのは料理だ。

 それならものすごくよく知っているが、まさかガスコンロもない壇上で料理もないだろう。




 ……考えたら、俺は五祝成子も東雲明香里も知らないんだな。




 そんなことを改めて思う。




 そしてそのときだった。

 いったん明るくなっていた会場が再び暗闇に包まれたのだ。

 そしていきなり壇上にスポットライトが照らされた。




「おおっ!」




 そんなどよめきが広がった。

 見るとそこには三人の候補者が立っていた。

 右から裕美ちゃん先生、東雲明香里、そして五祝成子だった。




「ううむ。こうして改めて見ると美人揃いだな」




 権藤が感服したように唸る。

 が、俺は別の視線で見ていた。



 裕美ちゃん先生は教師だけあって、大勢に前で立つのは慣れているようで、

 いつものニコニコスマイルだった。

 多少は緊張しているのかも知れないが、見た目にはそれはわからない。




 そして東雲明香里だ。

 東雲もやはり笑顔だがその顔つきは堅い。やはりかなり緊張しているのだろう。

 ときおり明香里ちゃんと呼び声がかかると、

 いちいちそちらの方角に視線を向けて愛想を振りまくが、

 おそらく明るい壇上から暗い会場は見えないんじゃないかと思うのでサービス精神の表れだろう。




 俺は最後に五祝成子を見た。




 ……気の毒な程だった。

 顔は真っ青で緊張状態をすでに越えていて、たぶん今は恐怖に近い心境なんじゃないかと思う。

 だがその恐れが浮かんだ顔つきもやはり美人であると言わざるを得ない。

 なにか走り寄って肩を支えてやりたくなるようなか弱さを感じられるのだ。




「さあ、決選投票の候補者の三名が揃いました。

 それでは今からくじ引きをします。くじ引きの順番に従って自己アピールをして頂きます」




 生徒会長が司会を進める。

 そして番号が書かれた紙が三人に配られて、順番が決まった。




「一番目は大沢裕美先生、二番目は東雲明香里さん、そして最後は五祝成子さんです」




 会場が沸き返る。

 そんな中、生徒会の面々が会場で順序よく投票用紙を俺たちに配った。




「これにチェックを入れるんだな」




 俺は用紙を手にしてそう尋ねる。




「ああ、一番にチェックを入れると裕美ちゃん先生、

 二番目だと明香里ちゃん、そして三番目だと五祝って寸法だな」




 権藤がそう答えた。




 壇上を見ると候補者三人はいったん姿を消した。

 どうやら自己アピールの準備に入っているようだった。




 再び会場に照明が灯された。

 すると軽快な音楽が流れ一休憩と言うのがわかった。




 だがそれもすぐに終わりだった。

 それから程なくして会場の照明が消されたのである。そしてアナウンスが響き渡った。




「それでは一番最初の候補者、大沢裕美先生の登場ですっ!」




 会場が沸き立った。

 すると裕美ちゃん先生がスポットライトを浴びながら登場した。

 服装も最終選考に合わせて着替えたようで胸元が大きく開いた真っ赤なドレス姿だった。




「なんなんだ? あの格好は?」




 俺は驚いて権藤に話しかける。




「気合い入ってるな。まさか今日のために用意していたとかだろうな」




「すると本人は最初から決勝まで行けると思ってたことになるな」




 俺は苦笑する。

 確かに裕美ちゃん先生の美貌ならば、決勝に駒を進めるのは可能だが、

 その大胆さと言うか、自信というか、そういうものに感心したのだ。




 そして裕美ちゃん先生が壇上中央に来るとマイクを握った。




「改めまして、みなさんこんにちは。英語の大沢裕美です。

 私が得意なのはやはり英語なので、スピーチを行います」




 そこまで裕美ちゃん先生は言った。

 そしてその直後から英語で話し始めたのだ。それはたった今日本語で話した内容と同じだった。

 つまり日本語で話した内容をそっくり英語に訳しているのだ。




 おおっ、とどよめきが広がる。




「授業じゃありませんから、気楽に聞いてくださいね」




 そしてまた英語で同じ内容を繰り返す。更に裕美ちゃん先生は話を続けた。

 それは自分が英語を好きになったきっかけとか、初恋の話とか、そして失恋の話などだった。




「うまいな。英語の方は残念ながら完璧なヒヤリングできないけど、

 同時に話してくれるので気分だけはわかる」




 権藤が心底感嘆したようにつぶやく。

 だが俺も同じ気分だった。




 裕美ちゃん先生と言う身近な人の実話なので感情移入がしやすくて、つい聞き入ってしまう。

 そして同じ内容を英語でも話してくれるので、

 どこか異国にでもいるような錯覚も起こしてしまうのだ。




「……と、言う訳で現在は恋人募集中です。宜しくお願い致します」




 そこで先生の話は終わった。

 会場はすっかり裕美ちゃん先生のペースだった。

 拍手が幾重にも巻き起こり盛大に受け入れられたのがわかった。




 そして響き渡る拍手の中、

 先生は手を大きく振りながら晴れ晴れとした笑顔を見せて退場したのであった。




「……こりゃ、明香里ちゃんも五祝さんも厳しいな。

 こういう一発芸を持っているか持っていないかが決め手になりそうだ」




「う、うむ」




 俺は権藤の言葉に頷いた。確かに権藤の言うのは正しい。

 もうここまで来ると美貌のわずかな差などよりも、

 いかに会場を味方にするかが勝負の分かれ目だと思ったのだ。




 俺は五祝成子と東雲明香里を案じた。

 たった今、裕美ちゃん先生の自己アピールを舞台袖から見ていたに違いない。

 あの二人に先生を上回る一発芸があるとは到底思えないからだ。




「こりゃ、決まってしまったかもな……」




 俺は誰に言うともなくつぶやいてしまった。



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