第16話 そして俺は二股疑惑をかけられる。
そして翌朝。
俺は階下の会話に目を覚ました。時計を見るともう午前五時半だった。
五祝成子も古都葉ももう起きているらしい。
「先輩、コツを教えてくださいよ」
「コツなんてないわよ。ただ火加減と卵の表面を見て判断しているだけよ」
「それをコツって言うんですっ」
そんな会話が俺にも聞こえてきたのだ。
「……起きるか」
今朝も部活がある。
俺は眠気を振り払って身体を起こし着替えを済ませる。
「おはよう」
俺は階段を降りてそう口にした。そしてリビングへと入って行った。
「キャーっ」
「キャーっ」
すると突然の悲鳴だった。
「うわっ」
俺も思わず声を上げてしまった。
「な、なにしてんだっ!」
俺はそう叫んで目を覆う。
驚いたことに五祝成子と古都葉が下着姿でいたからだ。
二人とも寝間着を脱いでいる最中だったらしく、白い下着姿で立っていたのだ。
「も、もうなによっ。起きてるなら、そう言ってっ!」
古都葉が絶叫に近い声でそう怒鳴る。
「な、なに言ってんだっ。俺は挨拶して入ってきたぞ」
俺は弁明する。だが古都葉には通じない。
「妹の着替え覗くなんて、最低っ! 変態兄貴っ!」
俺はだんだん腹が立ってきた。目をつむったままで叫び返す。
「そもそも、料理の最中になんでこんなとこで着替えるんだ?
着替えるなら部屋で着替えりゃいいだろうがっ」
すると五祝成子の落ち着いた声が聞こえた。
「……ああ、恥ずかしかった。でももう目を開けていいわよ」
「あ、ああ」
俺は目を開けた。
そして五祝成子を見る。するとすでに服を着ていたヤツは背後の洗濯物を指さした。
「夕べ洗濯したから、なかなか乾かなかったのよ。だから今着替えていたの」
「なるほど」
俺は納得した。
確かに昨夜はパーティがあって、
その終わり頃抜け出した五祝成子が洗濯機を回していたのを覚えている。
「でも、お兄ちゃんは得しちゃったね。こんな美少女二人の下着姿を見ちゃったんだから。
……きっと今日は学校行っても興奮して授業どころじゃないよね?」
こんな憎らしいことを言うのは、もちろん古都葉だ。
「んな訳ないだろうが」
俺は言う。
だが実は古都葉の言葉は重みを持っていた。
その証拠に胸はまだドキドキしているし、脳裏にはしっかり残像が焼き付いている。
だが断言してもいいが、それは五祝成子の方だ。
間違っても妹を見て興奮するほど俺は変態じゃない。
それから食事になった。
朝食は俺が部屋で聞いた会話通りの目玉焼きだった。
「ん、うまいな」
俺はお世辞抜きに言う。
「えへへ。そう思う?」
なぜだか古都葉が得意気な顔になる。
「それは古都葉ちゃんが作った方よ。お兄ちゃんにぜひ食べてもらいたいんだってさ」
「むう、そうか」
俺は改めて目玉焼きを見る。
確かに腕を上げていた。これも五祝成子のなせる技だろう。
そして俺は朝食を食べ終えると通学バッグと防具を担いだ。
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい」
五祝成子がエプロン姿で見送ってくれる。
慣れたようでもなんだか照れくさい気持ちがある。
そのときだった。
「お兄ちゃん、待って」
古都葉が奥からドタバタと出てくる。
「どうしたんだ?」
「いっしょに行くのよ」
私服姿で古都葉が言う。
考えてみればこいつはもうこっちの中学から転校しているので制服を着る必要はない。
「なぜだ? 部活でも見学したいのか?」
「んー。そうとも言える」
なぜだか古都葉は意味深な笑顔を見せるのであった。
俺はバカだった。
家を出て十秒後にはそのことに気づかされることとなった。
「……いっしょに行くのか?」
俺は真横に並んで歩く古都葉に尋ねた。
「そうよ。なにか問題ある?」
「むう……」
俺は唸る。考える必要も無い。
もう間もなく
そしてその通りとなった。
「副将、おはようございますっ」
通りの角から東雲がぴょこんとその小さな身体を見せた。
今日は髪の毛をポニーテールにしていて、その尻尾も身体といっしょに跳ねての登場だった。
「ああ、おはよう」
俺は仕方なく、そう返事を返す。
「……ひょっとして、東雲さん?」
真横の古都葉がそう東雲に声をかけた。
「はいっ。そうですが……?」
東雲はちょっと怪訝そうな顔になった。
それも仕方ないだろう。いつもと違って俺が女連れだからだ。
「あ、私、妹です。
古都葉がそう言ってお辞儀をする。
すると東雲の表情がパッと明るくなった。
「あ、そうなんですかっ!
わ、私、東雲明香里と言いますっ。お兄さんにいつもお世話になっておりますっ」
そう言って東雲は直角九十度でぺこりとお辞儀をしたのだ。
ポニテの尻尾がピョンと跳ねた。
「あ、なにもそこまでしなくていいぞ」
俺はあわててそう声をかけたのであった。
「いつも兄といっしょに部活に行くんですか?」
「はいっ。家が近所なのでっ」
そう会話しながら俺たち三人は駅へと向かうのであった。
その間も古都葉と東雲は会話を交わし、時には笑い声も交えての楽しげな様子だった。
……杞憂だったか?
俺は少し安堵した。
俺が五祝成子と会話して、そして東雲と通学していることに、
古都葉は良からぬ感情を持っていないようだったからだ。
だが、そうではなかった。
「副将。ちょっと待っててくださいっ。
私、今朝、定期を忘れているのに気がついたんですっ。
スマホもチャージが足りないので切符買って来ますねっ」
そう言って東雲が券売機の方へと小走りに向かったときだった。
「……お兄ちゃん。二股かけているでしょ?」
「は? な、なんのことだ?」
俺は古都葉に問い返す。
「……どう考えても東雲さん、お兄ちゃんに惚れてるよ」
「な、なに言ってんだ?」
「とぼけないで。お兄ちゃんも東雲さんの気持ち知ってるんでしょ?」
我が妹ながらするどい指摘だった。
「……俺が二股? どういう意味だ?」
だが俺はとぼけた。すると古都葉がずいと俺の脇腹を指で押す。
「先輩と東雲さん、どっちを選ぶの?」
「……あのな、選ぶもなにも――」
「――俺は女嫌いだぞ、でしょ?」
俺の言葉に間髪入れずに古都葉がツッコミを入れる。
「……あ、ああ」
俺は仕方なく、そう台詞を引き取った。
「お兄ちゃん、変わったね」
「な、なにがだ?」
「全然女嫌いじゃないじゃん。って言うかむしろ女好き」
「んな訳ないだろうが」
俺はムキになって反論するが、自分でもまったく説得力がない状況だと悟る。
五祝成子、東雲明香里とこうも会話を重ねている自分の立場を客観的に見ればそれはむなしい。
「お待たせしましたっ」
すると東雲が戻ってきたので、俺と古都葉の会話は終わりになった。
「お兄ちゃん、考えたら私も切符買わなきゃダメだったんだ」
そう言うと古都葉が東雲と入れ替わりに販売機に向かった。
考えてみればヤツはすでに我が校の生徒じゃないんだし、
そもそも日本で暮らしていないんだから定期券とかを持っている訳がないし、
スマホに入っていたアプリなんかも使えなくなっているのだろう。
「副将、妹さんとなにを話していたんですかっ?」
東雲が上目遣いにそう尋ねてきた。
今日のポニーテールは決まっているな、なんてぼんやり東雲を見ていた俺は急に現実に戻される。
「あ、いや、なんでもない。……俺が変わったって話だ」
深く追求されたくない俺は適当な言葉でごまかす。だが東雲もただ者じゃなかった。
「そうですね。女嫌いって言っていたのに、私や五祝さんと話をしますもんねっ」
「……むう」
唸らざるを得ない。
どうして女ってヤツはこうも直感がするどいのか。
「基本的にはだ。俺は別に女を拒絶している訳じゃないんだ」
「それって、私は拒絶の対象じゃないってことですよねっ? ……えへへ」
……どうにでもしてくれって感じだった。
それから俺たちは、会話をしながら学校へと到着したのであった。
「あれっ? 古都葉ちゃん?」
部室前でのことである。
権藤が俺たちを見て驚きの声を上げた。権藤は俺とは親友なのでもちろん古都葉のことは知っている。
「権藤さん、おはようございます」
「わあ、日本に帰ってきたんだ」
「はい。でもちょっとの間です」
そう親しげな会話が古都葉と権藤の間で繰り広げられた。
「部活、見るの?」
「はい。せっかく着いて来ちゃったんですし」
そんなこんなで古都葉が道場の畳の上でちょこんと座った状態で朝練が行われたのであった。
そして部活が終わった。
「帰るのか?」
着替えを済ませた俺は古都葉に尋ねた。
「ううん。職員室に行ってみる」
「職員室? なぜだ?」
「だって、せっかく学校に来たんだもん。先生にも会いたいし」
そう言った古都葉は俺や権藤、東雲に手を振ると職員室の方角へと去って行くのであった。
「うーん、古都葉ちゃんも、やっぱりかわいい」
後ろ姿を見ながら権藤がそうつぶやいた。
「なんだ? そんな思いを持っていたのか?」
俺が冗談めかして権藤に尋ねるとヤツは真剣な顔になった。
「マジで言ってんのか? 古都葉ちゃんは美少女だぞ?」
「マジか?」
俺は虚を突かれた思いだった。
自分の妹を女性として見ていなかったからだ。
「顔はかわいい。性格もいい、そしてスタイルもいい。欠点ないだろ」
腕組みをしながら権藤がそう答える。
「そうですねっ。私も古都葉ちゃんのスタイルがうらやましいですっ」
東雲までそう言う始末だ。
……そうだったのか。
俺は考えさせられた。すると同時に今朝の下着姿が浮かんでしまった。
確かに古都葉も五祝成子に負けないボディラインを持っていたような気がする。
……いかん、いかん。
俺は首を左右に振る。
妹の下着姿を脳裏に浮かべるなんて人間失格だ。まったく。
「さあ、行くか」
権藤がそう言った。その言葉を合図に俺たち三人は教室へと向かうのであった。
「おはよう」
教室についた俺はいつもの通り、五祝成子に挨拶した。
ヤツは今日も文庫本を広げてなにやら読んでいた。
「おはよ」
小さいながらもしっかりと返事が返ってきた。
「古都葉は職員室に行ったぞ」
「職員室? 先生に挨拶でもするのかしら」
「そうみたいだぜ」
俺はそう答えて席に座る。
教室の中はホームルーム前の喧噪で満たされていた。今日もいつもと同じ一日が始まりそうだった。
そのときだった。
かすかな電子音が鳴った。見ると五祝成子がポケットを探っている。
「メールか?」
「みたいね」
そう答えた五祝成子が取り出した自分のスマホを見ていた。
するとヤツの顔がなぜだか険しく変化した。眉間に皺を寄せてなにやら難しい顔をしているのだ。
「どうしたんだ?」
俺は何気なく尋ねた。
するとヤツはスマホをしまった。
「……なんでもないっ」
とりつく島もない。けんもほろろの返事だった。
……どうしたんだ?
俺は態度が豹変した五祝成子に疑問を持った。
だがそれから俺がなにを尋ねてもまったく返事をしてくれないのであった。
休み時間のことである。
席を立った五祝成子の前を塞ぐように俺は立ちはだかった。
「いったいなにがあったんだ? 今朝のメールからお前、変だぞ」
「どうでもいいでしょ。どいてよ」
キツイ返事だった。
俺が言葉の勢いに気圧されて身を引くと五祝成子はつかつかと廊下に出てしまった。
「五祝さん、どうしたんですかっ?」
席が近い東雲が俺に尋ねてきた。
「知らん。今朝、メールが届いてから、あの態度なんだ」
「機嫌悪そうでしたよねっ」
「ああ」
「誰からのメールだったんでしょうねっ?」
「知らん」
俺はあのメールの内容が気になった。
誰から来たのかもわからないが、絶対にそこに書かれてあったことが原因に違いない。
それからしばらくしてのことだった。
長めの休み時間に俺のスマホに着信があったのだ。見ると五祝成子はやっぱり席を空けている。
「……ヤツからか?」
俺は画面を見た。すると違った。電話の相手は古都葉だった。
「なんだ?」
俺はぶっきらぼうに出た。
その理由は思い描いていた相手からの電話ではなくて、妹からだったからかも知れない。
だが、電話の相手はもっとぶっきらぼうだった。
『お兄ちゃんっ! ちょっと校門のところまで来てっ』
そこで電話はぶつりと切れた。
「なんだよ、まったく……」
俺は仕方なく教室を出た。
校舎の中は休み時間だけあって生徒たちが大勢、思い思いに過ごしている。
そんな中、俺は靴を履き替えて校門に向かった。
さすがに校門には古都葉以外の姿はなかった。
ただ校内で私服姿は珍しいからだろう、遠くから古都葉を注目している生徒がちらほら散見できた。
「なんだよ、まったく……」
俺は電話での応対とまったく同じ言葉を古都葉に向けた。
古都葉はぶすっとした顔で腕組みしている。
「お兄ちゃんっ、やっぱり二股っ」
「……へ? なんのことだ?」
俺は意味がわからずに尋ねる。
すると古都葉は腕をほどき右手の人差し指を俺に向けた。刺すような姿勢だ。
「先生に聞いたのよっ。……ミスコンの推薦人のこと」
「推薦人? ああ、……あっ!」
俺は気がついた。そして思わず叫んでしまった。
「あ、あれには理由があるんだ」
「理由ならなんでもあるわよ。でも問題は二股かけていたってこと」
そうなのだ。
俺は五祝成子だけじゃなくて、当初はその気はなかったのに、
結果的に東雲明香里までも推薦してしまったことを思い出したのだ。
「あ、あれは権藤に無理矢理だな……」
「他人のせいにしないっ。問題は結果よっ」
「う、うむ」
俺は情けないことに妹にやり込められてしまった。
「……ま、まあ、確かにそうだ。だが話は聞いてくれ」
俺は弁明した。
それは剣道部全体としては東雲を推薦したかったこと、
だが東雲の希望もあって、権藤にごり押しされた結果、
俺が筆頭の推薦人に名前を書かざるを得なかったことだ。
「……なるほどね。わかったわ」
「わかってくれたか」
俺は安堵のため息をついた。だが、古都葉の顔は難しいままだ。
「でもね、お兄ちゃんの性格が原因よ」
「俺の性格? どういうことだ?」
「優柔不断なとこ」
「は?」
ずばりの指摘だが、俺には自覚がなかった。
「だってそうでしょ? お兄ちゃんが権藤さん、
……ううん。東雲さんの前で、俺は五祝さんを推薦したから、これには署名できない、
って、はっきり言えばいいことでしょ?」
「……ぐっ」
ぐうの音も出なかった。
「結果的にお兄ちゃんは先輩と東雲さんを天秤にかけて、
二人の気持ちを踏みにじったことになるよ? そしてね……」
「ちょ、ちょっと待てっ」
俺は古都葉の言葉を遮った。
「さっきから、五祝が機嫌が悪いんだ。……ひょっとして、お前、ヤツにメールしたか?」
「したわよ。お兄ちゃんが東雲さんも推薦してたって」
「……む、むう」
俺は唸った。
なるほどな、と思った。だから五祝成子があんな態度を取ったのか。
「お前なあ……」
「私、悪くない。悪いのはお兄ちゃん」
こんな始末だ。
余計なことするなと怒鳴りたくなったが、考えてみればいつかはバレることなのだ。
今更、古都葉にあれこれ言っても仕方ない。
「それで先輩、どんな感じなの?」
「俺と口をきかない。休み時間はどっか行っている」
「先輩、よっぽど怒ってるのよ」
「だろうな。……だが、待て。なんで五祝はそんなに怒るんだ?」
すると古都葉が大げさにため息をつく。
「あきれた。……だってお兄ちゃんが二股かけていたからでしょ?」
「だからと言って怒る必要はあるのか?」
俺はあえて言った。
開き直ったと言ってもいい。なぜならば考えてみればこれは俺個人のことであり、
そもそも俺の行動を五祝成子があれこれ言うのは内政干渉と言ってもいいはずだ。
すると古都葉が大きく息をのんだ。
「……バッカじゃないの? だって先輩の気持ち考えたら、わかるでしょ?」
「五祝の気持ち? なんだそれ?」
俺はなんのことだかわからずにそう尋ねた。
「……お、お兄ちゃん、本当にわからないの? だって先輩は……」
なぜだかわからないが、そこまで言った古都葉が突然言葉を止めた。
「ん?」
「……な、なんでもない。それは私が言うことじゃない」
「なんだそれ?」
すると古都葉が時計を見る。
「もう休み時間終わるよ。私、どっかで時間つぶして、後で友達と会うから」
そう言って古都葉は俺にアカンベーを見せてから去って行った。
「なんなんだ?」
残された俺は呆然と立ち尽くした。
そのときだった。
「あ、やべえ」
チャイムが鳴った。
休み時間終了の合図だ。俺は仕方なく駆け足で教室へと戻ることとなったのだ。
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