第15話 そして古都葉のお膳立てで五祝成子を祝う。

 


 そして授業。

 やっぱり俺は身に入らなかった。

 途中、教師に質問されるが級友の助けを借りて乗り越える有様だ。




 そして昼休みになった。

 なんだかあっという間だった。




「……やっぱり、なにも話さないんだな?」




「……古都葉ちゃんが夕方にセッティングしてくれたでしょ? 

 なら、今は話さなくてもいいから」




 もはや日課となった屋上の昼食で五祝成子がそう返答した。




「そうか。……でも古都葉。どうして急に帰ってきたんだろうな?」




「他にも用事がいろいろあるって言ってたわ。でも、今日のことがメインみたい」




「そうか」




 俺はどうせ答えてくれないのだから、深く追求はしなかった。




 そして午後の授業になり、やがて一日の日程がすべて終えた。




「まあ、たまになら休んでも構わないけどな」




 権藤はそう気安く俺の休みを認めてくれた。

 そして俺は放課後の早い時間に珍しく下校することになったのだ。




「ただ今」




 電車を降りて歩いて帰宅した俺はそう言いながら玄関を開けた。




「うわっ! ……な、なんだ?」




 俺は家の中を見て驚いた。

 天井や壁にカラフルな横断幕が張られ、

 紙テープで作った輪っかやらカラーティッシュで作った造花が所狭しと飾られていたのである。




「な、なんなんだっ!」




 俺は靴を脱いで家に上がるとそう叫んだ。




「あ、お兄ちゃん。お帰りなさい」




 奥から古都葉の声がした。

 見るとやつはビニールなのかエナメルなのかよくわからないが、

 テカテカ素材のピンク一色のドレスを着ている。




「お帰りなさい、じゃない。これはなにごとなんだ?」




 俺が尋ねると古都葉はにっこりと笑顔を見せた。




「だってパーティだよ。お父さんもお母さんもいないんだから文句も言われないし。

 これくらいしたっていいでしょ?」




「パーティ? なんのお祝いなんだ?」




 俺はさっぱり見当が付かなくて、もう一回尋ねてみる。




「私じゃないわよ。あっち」




 そう言った古都葉は台所を指さした。

 すると料理の良い匂いがして、

 キッチンには背中が大きく開いた黒いドレス姿の五祝成子が俺に背を向けて立っていた。




「五祝。いったいその格好はなんだ?」




 すると五祝成子が振り返る。




「私はちょっと派手だと思ったのよ。

 でも、……古都葉ちゃんがこれくらいしてもいいからって言うのよ」




 そう答えた五祝成子は、はにかみ顔で頬に朱が差していた。




 ……うっ。これはキレイってやつだ。




 俺は不覚にも絶句して立ち尽くしてしまった。

それくらい黒のドレスとアップにした髪型が五祝成子に似合っていたのだ。




「な、なに? どうしたの?」




 五祝成子が俺にそう尋ねた。

 だが俺は開いた口がなかなかふさがらない。




「お、おう。な、なんでもない」




 素直にキレイだなんて言えないしな。




「着替えてくる」




 そう言い残すと俺は自室へと帰った。

 そして普段着に着替えを済ませて階下に降りた。

 すると作り終えた料理を並べる五祝成子と、ちょこんと椅子に座る古都葉の姿が見えた。




「……いったいなんのパーティなんだ?」




 俺は自分の席に着いた。

 目の前には五目寿司とハンバーグ、そして色鮮やかなサラダが置かれている。

 和洋折衷かなんだか知らないが、見た目はごっちゃごちゃだが食欲をそそるメニューではある。




「誕生日よ」




 古都葉が笑顔でそう言った。




「誕生日? 誰の?」




 俺は思わず問い返す。が、そこで考える。

 当然十月生まれの俺ではないし、

 古都葉は早生まれなので年明けにならないと誕生日は迎えない。

 

 と、すると……。




「お前か?」




 俺は消去方で残った五祝成子を見る。




「そ、そうよ」




 五祝成子はちょっと頬を染めてそう答えた。

 大人っぽい今日の格好で上気した肌を見せられると俺の頭はどうにかなりそうだった。




 そのときだった。




「じゃーん。これが今日のメインですっ」




 古都葉が隠していた皿を出した。

 するとそこには大きなケーキが乗っていた。

 白を基調としたクリームのケーキでオーソドックスだが、ちゃんと手作りのものだった。




「古都葉が作ったのか?」




「そうだよ。私だって料理クラブのメンバーだったんですからねっ」




 得意気な顔をする古都葉。

 確かに古都葉も料理は好きで今までずいぶんたくさん作ってくれていた。

 ……もっともシゲさんには味はかなわないが、それでも上手の部類に入るのは間違いない。




「今日は先輩の十五歳の誕生日です。先輩、おめでとうございます」




「そうだったのか」




 ……俺はそんなことは全然知らなかった。

 今まで五祝成子とはいろいろ話す機会があったが、誕生日のことは話をしていなかったしな。




「わあ、素敵なケーキね。古都葉ちゃんありがとう」




「いいんです。せめてものお祝いです」




 和やかな雰囲気が五祝成子と古都葉を包む。




「……するとお前。五祝の誕生日のためにわざわざ帰国したってことになるのか?」




「そうよ。だって先輩、誕生日楽しみにしてたんだよ」




「楽しみ?」




 俺はそう尋ねて思わず五祝成子を見てしまう。

 するとやつは上気した肌のまま目をそっと伏せた。




「先輩は、これまで誕生日をちゃんとお祝いしてもらったことが全然ないんですって」




「そ、そうなのか?」




 俺はつい言葉が口から出てしまう。




 ……だが、そこで思いが到る。

 言われてみれば五祝成子は家庭が円満じゃなかったはずだ。

 だとすると娘の誕生日なんかまったく祝う雰囲気じゃなかったのかも知れないな。




「べ、別に同情して欲しいって訳じゃないからね。勘違いしないでよね」




 俺が哀れみの視線でも浮かべていたのだろう。

 五祝成子が急に顔をこわばらせたかと思うとプイとそっぽを向いた。やれやれだ。




「先輩、せっかくの誕生日でしょ?」




 すると古都葉が絶妙のタイミングで言葉を挟む。




「……そ、そうね。せっかく祝ってもらってるんだから、こういうの止めるわ」




 五祝成子が深呼吸ひとつして笑顔を取り戻し、正面に向き直った。




「でも私のこと、からかったら承知しないんだから」




 俺はため息交じりに頷く。まったくやりづらいったらありゃしない。




「わかったよ。……でも、いきなり言われたから俺は用意してないぞ」




「なにが?」




 五祝成子が俺を見る。




「プレゼントだよ。誕生日なんだろ?」




 すると五祝成子がびっくりしたみたいに目をぱちくりさせた。




「へ? ……プレゼント?」




「プレゼントが欲しいんだろ? ふつうは」




「な、なによ、その言い方。……い、いらないわよ」




 五祝成子はそう言うと再びプイと横を向く。




「……なあ、古都葉? 俺、なんかマズイこと言ったか?」




 すると食事をしながら俺と五祝成子を交互に見ていた古都葉が口を開く。




「んー。悪いことは言ってないけど、先輩にはダメな言い方ね」




「ダメな言い方?」




 俺にはさっぱり訳がわからない。

 言い方の作法なんてあるのか?




「先輩にはね、もっと遠回しな言い方をしないと通じないのよ。ねえ、先輩っ?」




 そう言った古都葉は五祝成子を見た。すると五祝成子はこちらを向く。




「あのねえ、古都葉ちゃん? ……私はそんなにめんどくさい女かしら?」




「そうですね。先輩はちょっとめんどくさい性格かも知れませんよ?」




「そ、そうかしら?」




 古都葉の言葉に五祝成子はちょっと考え込む素振りを見せた。




 ……なんだかわからないが、五祝成子は古都葉に対しては素直らしい。

 って言うよりも古都葉の誘導が上手いのかもしれない。




「なら、言い方を変える。

 ……欲しいものあるのか? あったら俺でなんとかなるものなら用意するぞ」




 すると五祝成子が俺を真っ直ぐに見つめた。

 だがそれも一瞬で、すぐに目をそらす。




「……い、いらない」




「あー、そうじゃないじゃないですか。

 ダメですよ、先輩。この際だからはっきり言ったらどうですか?」




「うう。……いらないもん」




 真っ赤になった五祝成子が俯きながらも、そう強く宣言した。

 なんだか気まずい雰囲気になりそうだった。




「えへへ。やっぱりめんどくさい女かも知れないですよ?」




 だが古都葉の柔らかい諭し方が功を奏したようで、ぴりぴりとした空気にはならない。




「まあ、考えておいてくれよ」




 俺は無難だと思える言葉を告げた。

 すると五祝成子の箸を持つ手が止まる。




「……言ったもん。前に……」




「ふへ?」




 俺はなんのことだかわからずにマヌケな声を出してしまった。




「前に言った……?」




 俺は小声でつぶやき返してしまう。

 はて……? なんか欲しいと言われたことがあっただろうか?




 そしてしばらく考え込む。

 すると五祝成子だけじゃなくて、古都葉の視線までも俺に注がれる始末だった。




「ごめん。……憶えていない」




 俺は素直に謝った。

 でも瞬間的にマズイと思った。




 そうでなくても俺は忘れっぽいところがあるのだが、

 こういう場合は絶対に忘れてはいけないことくらいは、わかる。




「……はあ、ダメね。お兄ちゃん」




 古都葉が残念そうにため息をつく。

 俺はチラッと五祝成子を見た。するとヤツは首を小さく左右に振っていた。




「やっぱりね……」




 んな、こと言われてもな。




「……なんだったっけ? って言うか、いつ頃言われたっけ?」




 俺はどうにでもなれと言う感じで開き直ってみた。

 すると古都葉が絶妙のタイミングで口を挟んだ。




「ねえ、先輩。具体的に言ったんですか? 

 例えばアクセサリーが欲しいとか、服が欲しいとか?」




「……い、言ってないわ。そういう言い方はしなかったから」




「だとするとお兄ちゃんを庇う訳じゃありませんけど、伝わっていないかも知れませんよ?」




「そ、そうかしら?」




 五祝成子が、なるほどと言った雰囲気で納得顔になった。

 俺は正直ホッとした。これならなんとかなるかも知れない。




「なあ、じゃあここでちゃんと言い直してくれないか?」




「ここで?」




「ああ。ちゃんと憶えておくことにするからさ」




 すると五祝成子が急に下を向いた。




「先輩? どうしたんですか?」




「……イ、イヤ」




「は?」




 俺は問い返す。よく聞こえなかったからだ。




「イヤよ。……は、恥ずかしいから」




 今度はよく聞こえた。だがこれだと反応に困る。




「もしかして私がいるからですか?」




 古都葉が五祝成子に尋ねた。




「ち、違うの。いいのよ、古都葉ちゃんのせいじゃないから」




 五祝成子が頭を上げた。




「プ、プレゼントって言っても具体的に品物が欲しい訳じゃないの。

 ……以前に言ったのは、……デ、デートしようって言っただけなの」




「そうなんですかっ? うわあ、それっていいですねっ」




 なぜだか古都葉が急に舞い上がっていた。




「ねえ、お兄ちゃん。いいじゃない? デートしてあげて」




「……う」




 だが俺は返答に困っていた。急に思い出したのだ。




 ……確かに俺はデートしてもいいと返事をしたことがある。

 しかしそれは東雲明香里との試合に勝ったならの話だったと思う。

 だから俺は質問していた。




「それって条件付きじゃなかったか……?」




 俺は必死で記憶をたどる。

 確か夜のベランダでの発言で間違いなかったはずだ。




「条件? ねえ、お兄ちゃん、条件ってなに?」




 無邪気にも古都葉が尋ねてくる。

 俺は苦り切った顔になった。




「……し、東雲と試合して勝ったらデートするっていう内容だ」




「東雲? 東雲って?」




 そう言った古都葉が今度は五祝成子を見た。




「……て、転校してきた子。剣道部に入部したのよ」




「剣道部? でも、デートするって言うからには女子よね? 剣道部に女子が入部したの?」




 矢継ぎ早に古都葉が質問する。そして俺を見るので仕方なく俺は答える。




「スポーツの天才少女だ。水泳とか陸上でいくつも都大会の記録を持っている」




「ふーん」




 納得したのか納得できないのか不明だが、古都葉はそう返事した。




「東雲さんか、……明日会ってみよ」




「へ?」




 俺はマヌケな返事をしてしまう。




「あ、会うのか? 東雲と?」




「当然でしょ? こういうのは情報通としては絶対に会っておかなきゃならないわよ」




「そ、そうなのか……?」




 俺は正直言うと拒否したかった。

 だが古都葉は俺と似ているのか似ていないのかわからんが、

 一度口にしたら実行する性格なので、押し留めるのは不可能なのだ。



 ましてや情報通を自他とも認める古都葉のことだ。

 行動を止めることはできないだろうしな。




「ねえ、他にはなにか情報ないの?」




「じょ、情報ってなんだ?」




 俺は古都葉に問い返す。




「私が日本にいなくなってから、

 なにかおもしろいイベントが発生しなかったかどうかよ?」




「ない」




 俺は即答した。これ以上、古都葉にいろいろ口を突っ込んで欲しくないからだ。

 だが、……五祝成子が反応してしまった。




「ミスコンがあるのよ」




「ミスコン……、ですか?」




「そうよ。古都葉ちゃんがいれば入賞できたでしょうね」




「それは無理ですよ。だって先輩がいるじゃないですか? 

 ……あれ? ひょっとしてですけど先輩は出場するんですよね?」




「……う、うん」




 五祝成子が恥ずかしそうに赤くなってそうつぶやいた。

 そしてポツリポツリと事のあらましを説明した。




「……ふーん。じゃあ、お兄ちゃんが推薦人なんですね。えへへ。そうなんですか」




 なぜだか不明だが古都葉が楽しそうな顔になった。そして俺を見た。




「ねえ、お兄ちゃん。……ひょっとしてなんだけど、その東雲さんって言う人も出場するの?」




「ぶっ……!」




 俺は食べ物でむせた。あやうく口から飛び出すところだった。




「ゴホンゴホン。……す、する」




 俺は仕方なくそう返事した。

 すると五祝成子が息を飲むのがわかった。




「す、するんだ。あの子……」




「あ、ああ」




 俺はなんだが気まずくなった。

 これ以上詮索されたくはない気持ちがふつふつと沸いてくる。

 なので話題を変えようと口を開きかけたときだった。




「でもさ、さっきの話だけど、その東雲さんと試合で勝ったら先輩とデートなんでしょ?

 ってことはそれまでプレゼントはおあずけってことよね? 

 先輩はそれでいいの?」




 これだから古都葉は古都葉なのだ。

 せっかく話題が変わったのに蒸し返すのは困りものだ。




「い、いいのよ。……だ、だって約束しちゃたんだもん」




 五祝成子が消え入りそうな声でそう答えた。




「ふーん。ま、先輩がいいっていうんだから仕方ないわね」




 そして古都葉は俺をじろりと見る。表情はちょっと怖い。




「な、なんだよ?」




「別に」




「古都葉ちゃん、そうカリカリしなくてもいいわよ」




 五祝成子がそう取り直してくれた。

 すると古都葉も険しい表情を戻したのであった。




 それでデートの話は終わりになった。

 俺としてはホッとした気分もあるが、先々まで困り事を抱え込んだような感じで歯切れが悪い。




 それからだが、誕生パーティは盛り上がった。

 と、言うのも古都葉がミニコンポを引っ張り出してカラオケ大会にしちまったからだ。




 だが、歌っているのは主に古都葉で俺がつき合いで一曲。

 そして五祝成子に到ってはいつもの風呂場の鼻歌でも歌うのかと思ったら、

 そうではなくて、まったくマイクを持つことはなかった。





 だが、それでもそれなりに楽しんでいるように見えた。

 どうも人前で歌うのはまたちょっと違うらしい。




 そして夜も更けた。




「そろそろ寝るか?」




 俺は片付けを始めている五祝成子と古都葉の背中にそう発言した。




「そうだね。疲れちゃった」




 古都葉が振り返り言う。




「あ、そう言えば、古都葉、お前どうすんだ?」




「なにが?」




「寝るとこだよ。お前の部屋、もうないだろう?」




 そうなのだ。

 古都葉が以前に使っていた部屋は、今は五祝成子が使っているのだ。




「親父の部屋で寝るか?」




「イヤよ。お父さんの部屋なんて」




「じゃあ、どうすんだ?」




 すると洗い物をしていた五祝成子が手を止めて振り返る。




「古都葉ちゃん、一緒に寝る?」




「え? 先輩、いいんですか?」




「うん。私のベッド、ダブルだから女二人なら十分の広さよ」




「わあ、じゃあそうします。えへへ、楽しみだな」




 古都葉は五祝成子にそう提案されて本当に嬉しそうだった。

 二人で寝ることが、なんでそんなに楽しいのか俺にはさっぱりわからない。




「えへへ。お兄ちゃん、うらやましいでしょ?」




「なにがだ?」




 俺は真面目に答えた。本当に意味がわからないからだ。




「もう、朴念仁ね。いろいろおしゃべりできるから楽しいの」




「なるほどな」




 俺にはわからない価値観だが、

 きっと女同士のおしゃべりってのは当人たちにとってはよっぽど楽しいんだろうな。

 そんな風に理解した。




 そして片付けが終わった。

 俺も最後の方は少し手伝って食器を棚に戻したりした。




「じゃあ、おやすみ」




 俺は自室へと登って行った。

 部屋に戻った俺は着替えを済ませるとベランダに出た。




 空にはいつの間にか月が出ていた。

 辺りが月光でぼんやりと明るい。俺は手すりにもたれて今日の出来事をなんとなく振り返ってみる。




 ……誕生日だったんだ。




 改めて思い返してみても俺は五祝成子といっしょに暮らしている訳だが、

 あまりにもヤツのことを知らなすぎると思った。



 わかり始めて来たのはヤツが学校での近寄りがたい雰囲気とは違って、

 意外と話しやすいっていうことくらいで、

 ヤツに関するパーソナルな情報はかなり欠如していることに気がついたのだ。




 ……でも、それは俺だけが原因じゃないかもな。




 そう思う。

 それはヤツが秘密主義だからだ。




 女の子には秘密が必要とかなんとか言っていて、事肝心な部分はいつもはぐらかす。

 それも俺がヤツを理解できない重要なファクターでもあるのだ。




 俺はふと振り返る。

 ベランダは俺の部屋だけじゃなくて、五祝成子の部屋ともつながっている。

 きっと今頃女二人でベッドで秘密の話で盛り上がっているに違いない。




 ところが違った。




「うおっ」




 俺は小さくだが思わず声を漏らしてしまった。

 なぜならばいつの間にか俺の真横に五祝成子が立っていたからだ。




「い、いつの間に……」




「声かけたわよ。だけど君が物思いにふけっていて気がつかなかっただけ」




「そ、そうか」




 俺はそっと五祝成子を盗み見た。

 長い髪は、今はおろしていて夜風にサラサラと揺れている。

 そして格好はいつものスウェット上下と違って、襟のついた寝間着だった。




「服装が違うな」




「古都葉ちゃんがオーストラリアからパジャマを持って来るのを忘れたんだって。

 それで私の貸そうと思ってね。ついでだから私もこれにした訳」




「ふーん。なんだかイメージ違うな」




 俺は正直な感想を言った。

 スウェットだとダボダボしていて身体のラインが出ないが、

 細身の寝間着だとヤツのスレンダーなボディラインがしっかりとわかる。



 俺は女嫌いだが、女自体に興味がない訳ではないので、ちょっとドギマギしてしまう。

 だから視線を月に戻した。

 真夜中の月はまぶしいくらい白銀に輝いている。




「似合う?」




「……あ、ああ。

 それより古都葉とおしゃべりじゃないのか?」




「寝ちゃったのよ。

 古都葉ちゃん、やっぱり飛行機で八時間も揺られてきた疲れが残っていたのね」




「なるほどな」




「それより古都葉ちゃんって、やっぱりいい子ね」




「どうしたんだ? いきなり」




「ううん。

 ……わざわざ私の誕生日を憶えていて、それで帰ってきてくれたことを考えると感謝しかないわ」




「まあ、おせっかい焼きなだけだけどな」




「謙遜?」




「どうだか」




 身内が褒められるってのは、ちょっと嬉しい。

 だけど俺は照れもあってそっけなく答えた。




「ま、とにかくだ。……誕生日おめでとう。

 気がついたら俺はお前のこと、あんまり知らないんだよな。それについては済まないと思ってる」




「な、なによいきなり」




 五祝成子がちょっと変な声を出したので、俺は真横にいるヤツの顔を見る。




「ど、どうしたんだ?」




 俺は急に心配になった。

 なぜならば五祝成子が両手で顔を覆っていたからだ。




「……えへ。私、おかしいよね? なんで泣いているんだろ?」




 しばらく待って返ってきた返事はそんな感じだった。




「涙が出ちゃう。おかしいよ。……嬉しいはずなのに」




「……」




「ありがと」




「そ、そうか」




 俺はそう言って視線をそらしてしまった。

 そして再び夜空を見上げる。しんとした世界の中でいちばん明るいのが月だった。




「……っ」




 俺は一瞬、びくっと反応してしまった。

 なぜならば俺の背に五祝成子が抱きついたからだ。




「ど、どうしたんだ?」




「……背中、貸して」




「あ、ああ」




 街も人も眠っていた。見下ろす通りには誰もいない。

 そんな静寂の中で軽い嗚咽を繰り返し、五祝成子は身体を震わせていたのであった。




 そしてしばらくしてからだった。




「寝るね」




「ああ」




「今日はありがと」




「いいんだ。別に大したことした訳じゃないしな」




「ううん。背中、暖かかったよ」




「そ、そうか?」




 すると五祝成子はそれには返事をせずに、静かにガラス戸を開けて部屋に滑り込んでしまった。

 俺はそれを見送った後も、しばらく動けなかった。




 ……五祝成子はなぜ泣いたんだろう? 

 本人は嬉しかったと言っていた。だったら、なぜ泣く?




 俺は女心がわからずに、それからも十五分くらいじっと立ち尽くしていたのであった。



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