第17話 そして俺は、義務と責任の狭間で悩むことになる。

 


 教室に戻ると幸いなことに次の教科の先生がまだ来ていなかった。

 俺は遅刻を咎められることもなく自席へと着くことが出来た。




「……古都葉ちゃんに会ったんでしょ?」




 無言だった五祝成子が俺を見ずに話しかけてきた。




「あ、ああ」




「……ふん」




 するとヤツは鼻を鳴らしてそっぽを向く。




 ……参ったな。

 俺は苦虫をかみつぶしたような思いにさせられる。やっぱり相当機嫌が悪いようだ。

 それからも五祝成子は口をきかなかった。




 そして訪れた昼休み。

 俺は弁当箱を取り出した。

 もちろん五祝成子お手製の弁当だ。だが、作り主はさっさと教室を抜け出してしまっている。




「……仕方ない」




 俺はこれもすでに日課になっている屋上へと向かった。

 だが今日はあんまり、いや、かなり気乗りしない。その理由はもちろん五祝成子の態度だ。




「……まだ怒ってるのか?」




 俺が五祝成子以外誰もいない屋上で、隣に腰掛けながらそう尋ねた。




「怒ってるよ」




 五祝成子は俺を見向きもせずにそう言う。




「悪かった。理由は古都葉から聞いた」




「で?」




 俺は弁当の包みを開けた。

 中身は丁寧に醤油がつけられたのり弁だった。



 おかずには昨夜に食べたポテトサラダと今朝作ったのだろう、

 ウインナーの海苔巻きが入っていた。うまそうだった。




「俺の優柔不断が原因だと叱られた」




「わかってるんだ」




「ああ」




 俺はちょっと驚いた。

 きっと屋上に来ても五祝成子は一言も口をきかないと思っていたからだ。




「東雲の件はすまなかった。あれは剣道部での立場上やむを得なかったのが原因だ。

 ……違うな。やっぱり俺の優柔不断が原因だ」




「ふーん。でも東雲さん喜んでいたでしょ?」




「喜ぶ? あ、ああ」




 俺は思い出す。

 確かに東雲明香里は一生の記念にすると言っていたくらい喜んだのを思い出す。

 だがそれをそのまま伝える程、俺もバカじゃないつもりだ。




「で、君としてはどうなの?」




「どうって?」




 俺は意味がわからず問い返す。




「やっぱりバカ。……ふ、二股かけるつもりなの、ってこと?」




「あ、ああ。……俺としてはだな……」




 俺は言葉を慎重に選ぶことを考えた。

 いや、言葉だけじゃない。どっちを推薦するかを決めなければこの問題は解決しないはずだ。




「……」




 なかなか言葉が出なかった。

 俺は冷や汗が浮かぶのを感じる。




 安易な振る舞いはもう避けるべきなのだけはわかっているつもりだが、

 どっちかを選ぶと言うことは、

 選ばなかった方とのコミニュケーションを絶たなければならないような気がしてきたからだ。




「苦しいんでしょ?」




 五祝成子が突然口を開いた。




「へ?」




「私に対して責任もあるし、あの子に対して義理もある。

 だからなかなか決断できないんでしょ?」




「う、うむ」




 俺は唸った。

 これほど的確に俺の現在の心境をずばり言い当てるとは思わなかったからだ。




「……わかったわよ。いいわ、今回は許してあげる」




 五祝成子がやれやれと言った態度で俺にそうつぶやいた。




「ホ、ホントか?」




 俺は思わず聞き返す。




「ええ。

 ……だって考えてみれば君の部活の立場上のことも気持ちがわからないって訳じゃないし」




「む、むう」




 俺は空を見上げた。

 すると雲間から日が差した。上空は風が強いらしく雲がちぎれて流されているのがわかる。




「す、すまなかった」




「もう、いいって言ってるでしょ? 

 ……でもね、ミスコンの投票のときは、一票をどっちに入れるかはっきりしてよね」




「あ、ああ」




「そしてね、……もし、もしもよ?」




「なんだ?」




 俺が問い返すと、五祝成子が少しうつむいた。

 顔はなぜだか赤い。




「もしもね、私があの子に勝ったらね……」




「あの子? ……ああ、東雲か」




「うん。……勝ったら、……私と、デ、デートしてくれるかしら?」




「はあ?」




 俺は展開の意外さに、度肝を抜かれる。




「ミスコンとデートになんの関係があるんだ?」




 すると五祝成子はムッとした顔になる。




「いいの。関係なくても関係あるの」




 実に意味がわからない。

 すると俺の心中を察してくれたようで、五祝成子は口を開いた。




「これはね、意地とか、しがらみとか、感情とかが複雑に入り交じったことなのよ。

 君にはわからないことなの」




「はあ、左様ですか」




 俺は頷いた。

 そして改めて五祝成子を見る。するとヤツは勝ち気そうな笑顔を俺に見せていた。




「食べれば?」




「あ、ああ」




 俺は開いたまま手を付けずにいた弁当を食べ始める。




「おいしいでしょ?」




「ああ、うまい」




 なんだかわからないが、五祝成子に助けられた気分だった。

 最初は食欲がなかった俺だか、味がいいのか、それとも肩の荷が下りたからなのか、

 どんどん食が進む。

 実に気分のいい昼食だった。




 そこで俺は、ふとあることに気がついた。




「なあ、お前、以前に情報通って言ってたよな?」




「そうね? でもどうしたの?」




「俺、思ったんだけど、お前の情報源ってひょっとして古都葉か?」




 すると大空まで届くんじゃないかと思うくらいに五祝成子が笑い声を上げた。




「あはは……。ばれちゃった? そうよ」




「なるほどな。

 ……お前が俺のメールアドレスとか電話番号。

 ……いや、権藤のことまでも知っている謎はそれだったのか?」




「そうね。

 君は古都葉ちゃんに教えていたでしょ?」




「ああ」




 俺は妖術使いかと思っていた五祝成子の秘密がひとつわかった気分だった。

 古都葉はあれこれ俺に尋ねる性分で、俺の交友関係とか部活のこと、

 そしてクラスのことまでもかなり知っているのだ。




「……それとね、それ以外の情報は職員室なのよ」




「職員室?」




「私、暇があると職員室に行って、いろんな先生と雑談することが多いのよ。

 それから知ったこともあるわ」



 変な性格のヤツもいるものだと思った。

 俺なんぞ、呼び出しをされた時以外、絶対に近寄りたくないのが職員室だからだ。




「そうよ。例えばミスコンがあるってことを知ったのは先生たちの会話で知ったのよ」




「へえ……」




 確かに職員室ならば、

 生徒たちが知らない情報を事前に知ることも可能だろう。……なるほどな。




「あーあ、つまんないな」




 突然に五祝成子がそんなことを口にした。




「なにがつまんないんだ?」




「君に私の秘密がばれちゃったこと」




「別にいいだろう?」




「以前に話したでしょ? 女の子には秘密が必要なのよ」




 俺は苦笑する。




「また、秘密を作ればいいだろうが」




「そうね」




 笑顔が返ってきた。

 空の雲は去り、太陽がさんさんと俺たちを照らしていた。

 温かく過ごしやすい実に気持ちの良い昼休みだった。





 それから日が過ぎた。

 古都葉はオーストラリアに帰った。




「……お兄ちゃん、先輩を……。

 ううん、これはお兄ちゃんが決めることだけど、……決めた方を大事にしてね」




 と、俺にはさっぱり意味がわからない謎の言葉を残しての出国だった。




 そして一週間はあっという間に過ぎた。

 気がつけば、ミスコンの当日だった。

 その日は午前中だけの授業で午後は一大イベントに割かれている。




「おはよう」




 目覚めた俺は階下に降りると、すでに朝食の準備をしている五祝成子に声をかけた。




「おはよ」




 いつも通りの短い返事が五祝成子の背から告げられた。




「ん? 今日は朝からスパゲティなのか?」




 俺は茹でられてザルにあげられたパスタを見てそう言った。




「うん。賞味期限が近いから、今日はご飯じゃなくてスパゲティにしたのよ」




 そう答えた五祝成子はフライパンで茹で上がったパスタとキノコなどを混ぜ合わせ調理した。




「はい、召し上がれ」




 俺は湯気を立てているスパゲティにフォークを絡ませた。




「うん、うまい」




 流石は五祝成子だ。和食でも洋食でも完璧にうまいのだ。




「ねえ、お弁当もこのパスタでいい?」




「俺は全然構わない」




 尋ねられたので俺はそう返事をする。

 俺はあんまりグルメじゃないようで旨ければなんでもいいのだ。

 だから三食同じでも構わない性格なのだ。




「ふふ。君のそういうとこ、割とお気に入りだな」




「そうか? 俺は褒められたのか?」




「そうよ」




 五祝成子は頬杖をついて俺が食べるのを見ていた。

 心なしかなんだか嬉しそうに見えた。




「今日のミスコンだけど……」




「あ、それは言わないで。

 ちゃんと投票が終わってからしっかり教えてくれればいいから」




 俺の言葉を遮って五祝成子がそう言う。




「……そうか」




 実は俺の心の中では五祝成子に投票することが六割、七割決まっている。

 性格はめんどくさい。

 そして口うるさいが、なんのかんのと言っても同じ屋根の下で暮らしていると言うことは大きい。




 ……だが一抹の不安もある。




 俺は古都葉に優柔不断だと言われたことを思い出す。

 だからこの後、東雲明香里と会ったときにこの決意がぐらつくかも知らないと感じているのだ。




「そろそろ時間じゃないの?」




 俺がぼんやり考え事をしていると五祝成子がそう言った。




「あ、やべ」




 俺は時計を見てあわてて立ち上がる。

 そしてバッグと防具を持って玄関へと向かった。




「行ってきます」




「行ってらっしゃい」




 俺は五祝成子の言葉に見送られて家を出たのであった。




 そして部活が始まった。

 だが今朝は誰もが気合いが入っていない。




 一年生だけじゃなくて、ふだんならこんな雰囲気をしかり飛ばす権藤までも、

 東雲をぼおっとながめている始末だ。




「あのなあ……」




 たまりかねて俺が権藤の肩を叩く。




「悪い悪い。

 だが今日のコンテストで明香里ちゃんが選ばれるかと思うと感無量なんだ」




「まだ決まった訳じゃないだろ?」




 俺がそう言うと権藤がニヤリと笑う。




「決まったようなモンさ。

 ……ライバルはと言えば五祝さんだが、有名人の明香里ちゃんの方が有利だと俺は思うんだ」




「そうじゃなくて、一年や二年にもかわいい女の子がいるんじゃないか? って話だ」




「あり得ん」




「即答だな」




「ああ、……もちろん下級生にも美少女はいる。だが知名度が絶対的に違うからだ」




 なるほどな、と思った。

 きっと東雲は国会議員の選挙で言うタレント候補みたいなモンなんだろう。

 投票者にとってアイドルのような存在なのかも知れない。




「なに話しているんですかっ?」




 一稽古終えた東雲が俺たちのところにやって来た。

 額にはさわやかな汗が浮かんでいる。

 なるほどとはこういうヤツのことを言うのかも知れない。




「いや、今日のミスコンで明香里ちゃんが選ばれるだろうって話さ」




 権藤がニヤニヤ笑いでそう言う。

 目尻が下がりっぱなしなのはまるで愛しい孫娘でも見るじいさんみたいだ。




「ふえっ、ダメですよっ。私なんか絶対に選ばれませんっ!」




「そんなことないって、俺の事前の調査では圧倒的だったんだからな」




「事前の調査ってなんだ?」




 俺は権藤の言葉に反応してそう尋ねた。




「ああ、生徒会や各部活の部長たちとの話だ。

 男子ばかりの部活だけじゃなくて、女子ばかりの部活でも明香里ちゃんが人気だったんだ」




「へえ」




 俺は感心した。

 元々こういう話は好きなヤツだと思っていたけれど、

 ここまで権藤が熱心に調査しているなんて思わなかったからだ。




 ……いや、これは東雲への思いの現れかも知れないな。

 そんな風に考えた。




「イヤですっ。そんなのみんな主将に気を遣って、嘘を言ってるんだと思いますっ」




 そう言った東雲はきかん坊みたいに首をイヤイヤと左右に振る。

 あくまで現実を認めない様子だった。




「そうか? でも剣道部は全員明香里ちゃんに入れるのは間違いないんだけどな」




「ホ、ホントですかっ?」




 東雲はそう発言した権藤を見た後に、俺をちらりと見た。




「……な、なんだ?」




 俺は気まずくなって問い返す。




「でも副将が誰に入れるかわかりませんよっ」




「あ、そうか? そう言えばそうだな。……剣崎、お前どっちに入れるんだ?」




 余計なことに気がついた権藤が、これまた余計な質問をしてきた。




「……まだ考え中だ」




 俺はできるだけぶっきらぼうにそう答えた。




「ふーん。そっか、まだ希望があるんですねっ。えへへ」




 そう言った東雲はくるりと背を向けると、竹刀を構えて立ち稽古の列に戻って行った。




「お前、本当にまだ決めていないのか?」




 権藤が真剣なまなざしで言う。




「……ああ。悪いが俺には義務だけじゃなくて、責任もあるんでな」




 俺がそう言うと権藤は不思議そうな顔になるのであった。




「……まあ、どっちに入れるのかはお前の自由だ。後悔しないようにな」




 なんて格好つけた言葉を権藤は吐いた。




「ああ。……ま、とにかく部活に戻るぞ」




 俺はごまかすように活動中の部員たちの中に飛び込んだ。

 そして指示を出すと気合いを入れて稽古をしたのであった。



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