第11話 そして、告白される件。五祝成子の本名が明かされる件。


 

 空のあかね雲は風に流されて徐々に形を変えていった。




「……そう言えば千羽鶴。

 どうしてあれを五祝成子にプレゼントしたんだ?」




 俺は他に話題が浮かばないのもあったのだが、

 ちょっと疑問に思ってもいたので折り鶴の話をしてみた。




「あれは、勢いです」




「勢い?」




「はい。……五祝さんが最初に折ってくれたのでお返しにと思ったんですが、

 もう引っ込みがつかなくなって、できるだけたくさん折ろうと思っただけです」




「……そうだったのか」




「はい。……きっと周りの人たちは私がバカだと思ったでしょうね。

 まるでおもちゃを与えられた子供みたいにずっと折り紙を続けていて。

 ……でも私もバカだってこと、わかってたんですっ」




「……」




「でも、私、負けたくなかったんです。

 五祝さんとちゃんと話ができる関係になって、ちゃんと勝負したかったんです」




「負ける? 勝負? なんのことだ?」




 すると東雲はベンチから立ち上がり、また走り出した。そして一回りしてくるとまた戻ってきた。




「さっきからなにやってんだ?」




「リラックスのためです。

 私、ちょっと落ち込んだり、舞い上がってしまったりと、

 心が落ち着かないときに少し走るとリラックスできるんですっ」




「はあ。……ま、いいや。で、勝負ってなんだ? なにを五祝成子と競うんだ?」




 すると驚いたことに東雲は大きな目からいきなり涙をあふれさせた。

 そしてそれは止まることなく頬を伝わって行く。




「……お、俺、なにか悪いこと言ったか?」




 俺は動揺してしまい、あわてて取り繕うとしてしまう。




「あはは。……なんだか、心が苦しいです。少し走っただけじゃダメみたいですっ」




「また走るか?」




 すると東雲は突然俺の手を取った。柔らかくてとても小さな手だった。




「走りません。はっきり言います。――私、!」




 俺は時間が止まったかと思った。




 息をするのも思考するのもすべてが止まってしまい、ただ呆然と座ったまま東雲を見ていた。




「……ど、どういう意味だ? 俺なんか好きになっても仕方ないだろう?」




 俺はいきなりからからに乾いてしまった口でやっとそれだけを言えた。

 すると途端に呼吸が苦しくなり、心臓がどくどくと脈打っているのがわかる。




「仕方ないことなんて、ないですっ。

 副将は剣道も強いし、

 それよりなによりも私を特別扱いしないで話を真剣に聞いてくれるからいいんですっ」




「特別扱いってなんだ?」




 すると東雲は俺から少し視線をそらした。




「みんな私のことをスポーツ万能少女ってことで、対等に接してくれないんです。

 クラスメートだけじゃなくて、先生もそうなんです。


 でも……、私だってひとりの普通の女の子なんですっ。

 みんなと冗談も言いたいし、恋バナだってしたかったんですっ」




 俺は東雲が言わんとする意味がわかった。




 きっとみんな東雲に軽い気持ちで接することなんてしてなくて、

 腫れ物扱いでもするかようにしていたのかもしれない。

 だが、確かに俺は東雲を特別扱いしなかった。




 でもそれは東雲が言う程立派な理由じゃなくて、

 単に女嫌いだから本当なら接したくないのだけど立場上仕方なく接しなきゃならないので、

 ならば女として扱わないで男と同じように適当に接していただけの話なのだ。




「過大評価しすぎだ。俺はそんな偉い男じゃない。

 ……それよりもなにも俺とお前は知り合ってまだ一日しか経っていないんだぞ」




 正直逃げたい心境だった。

 俺は東雲に好かれようとして接してきた訳じゃなくて、

 むしろ邪険に扱っていたと言う方が正しいからだ。




 だが東雲の考えは違った。




「たった一日じゃダメなんですか?」




「……はいっ?」




「知り合って一日で好きになったらダメなんですか? 

 好きになるのに日数ってそんなに大事なんですか?」




「……あ、いや、そうじゃないかもしれないな」




「じゃあ、いいじゃないですか」




 東雲は涙の目で笑顔を俺に見せてくれた。




「私の気持ちは本気です。……えへへ。初恋なんですよっ」




 空はすでに光を失いつつあった。

 気がつけばベンチ脇にある水銀灯に明かりが灯っている。




 俺たちはそれからしばらく無言だった。




「帰るか?」




 俺はそう言うと東雲はこくんと頷いた。そして俺たちは立ち上がる。




「でも、負けない」




「……なんのことだ?」




「副将との次の試合です。ちゃんと憶えてくれていますよねっ? 

 私が勝ったらデートしてくれるんですよっ」




「あ、ああ」




 俺はそう返事をせざるを得なかった。




「……私、五祝さんにも負けたくないですっ。きっと仲良しになってみせます」




「仲良しになってどうすんだ?」




「仲良しになってから副将を奪うんです。

 ……ううん。違う。副将を振り向かせるんですっ」




「五祝成子は俺のことなんて、なんても思ってないかも知れないだろう?」




「違いますっ。これは断言できますっ」




 二歩、三歩先に歩き出した東雲が振り返り言う。とても強い口調だった。




「私にはわかるんですっ」




「お前が五祝成子のなにがわかるんだ?」




 ちょっといじわるな質問をしてしまったと思う。

 もしかしたら転校したての東雲の方が五祝成子を俺よりも知っているというのが、 

 悔しく感じられたからなのかも知れない。




「確かに私は転校してきたばっかりで、五祝さんをよく知りません。

 でも、わかるんですっ。……五祝さんは他の誰とも話をしませんっ。

 そして視線だって誰かを見ようとしていませんっ。でもっ、でもっ、副将にだけは違うんですっ」




「……」




「副将を見ているときの目は恋する乙女の目ですっ。

 間違いありませんっ。これは女の勘なんですっ」




 そこまで一気にしゃべった東雲だったが、目には再び涙が浮かんでいるのが見えた。




「副将はどう思ってるんですかっ?」




「え……?」




 不意の攻撃に俺は面食らう。そしてしばし考え込んでしまった。




「わからん。……俺はやっぱり女は苦手だし、ただ、お前と五祝成子だけはふつうにしゃべれる。

 今わかることはそれだけだ」




 俺は自分でも確認するようにそう告げた。すると東雲は涙顔のまま笑みを見せた。




「えへへ。……じゃあまだ勝負はついていないってことですねっ」




 そう答えた東雲は急に俺に背を向けた。




「今日はひとりで帰ります」




「え? 大丈夫なのか?」




「はいっ。副将の気持ちがわかったんで、ひとりで噛みしめたいんですっ」




 そう宣言した東雲はさすが陸上個人記録を持っているのが実感できるような走りで、

 俺の元を去って行く。

 あっという間に背中が見えなくなった。




「……帰るか」




 俺は急にひとりでいることを実感した。

 見上げると西の空にわずかに残った残照が見えた。そして東の空には一番星が瞬いていた。




 そして俺はとぼとぼと歩き出したのだ。




「……俺のことを好きだって? 東雲が? ……そして五祝成子が?」




 わからないことばかりだった。




 少なくともこの中学時代に俺は女を好きになるなんて考えなかったし、

 女が俺のことを好きになるなんて夢にも思わなかった。




「……あ、そうだった」




 俺は急に立ち止まる。

 東雲は去った。だが自宅に帰ると五祝成子がいることを思い出したのだ。




「まともに話ができるかな?」




 俺はつぶやく。

 今日の東雲の告白のこともそうだし、

 五祝成子が俺のことを好きかも知れないなんて話題もタブーだろう。




「なるようにしかならないか……」




 俺は自分に叱咤して足を進める。




 そして住宅街を抜け繁華街に入ったときだった。




「おおっ。剣崎じゃないか」




 俺は後ろからの声に振り返る。するとそこには私服姿の権藤が立っていたのだ。




「どうした? ずいぶん遅い帰りだな」




 権藤は楽な服装で手にはコンビニの袋を持っていた。

 そう言えばやつの家はこの近所だったはずだ。そしてその権藤は俺を不思議そうな目で見ていた。




「ああ。……ちょっとあってな」




「ふむ。……さっき俺をものすごい勢いで追い越して行ったヤツがいた。

 たぶん明香里ちゃんだ。関係あるのか?」




 どうやら隠し事をするのは無理なようだ。俺は仕方なく頷く。




「ああ。……ちょっと話がしたい。時間あるか?」




「構わん」




 俺と権藤はその後公園にいた。

 そこはさっきまで東雲といた公園で場所も同じベンチだった。




 見上げると空はすっかり暮れていた。

 そして水銀灯の周りには光に呼び寄せられた虫たちがぶんぶん飛び回っていた。




「……明香里ちゃんとなにかあったな?」




 ぽつりと権藤が問いかけてきた。俺は頷く。




「……恋愛の話だな。まったくうらやましい話だ」




「なぜ、わかる?」




「馬鹿なこと訊くな。

 男と女が夕暮れまでいっしょにいて、

 片方が駆け足で逃げ帰るのに恋愛話しか考えられないだろうが」




「……そ、そうだな」




 権藤の言うのはもっともだった。確かにそう言われればそれ以外には考えられない。




「東雲に告白された」




 俺は白状した。すると権藤の目が見る見る大きく見開かれた。




「マジか? ……出会ってばっかだろうが?」




「ああ。……人を好きになるのに時間は必要なのかと逆に訊かれた」




「なるほどな」




「で、どう答えたんだ? 

 ……ま、東雲が帰った時点でだいたい結果はわかったけどな。お前、女嫌いだし」




「俺はなにも答えてない」




「そうなのか?」




「ああ」




 俺は大きく息を吐いた。

 冬ではないのだから吐く息など見えるはずもないのだが、俺は吐いた息の辺りをじっと見つめた。




「じゃあ、振ってはないのか? ……まてよ。ははあ、わかった。三角関係ってことだな?」




 俺は驚いて権藤を見た。




「なぜ、わかる?」




「お前は五祝とも話す。そして五祝さんはお前としか話さない。

 このことは五祝成子って言う女からすれば異常なことだぞ。


 ……お前には言ってないが、クラスでは五祝がお前のことを好きだと思っている連中もいる。

 明香里ちゃんは、そのことにきっと気がついているんだろうな」




「そうか」




 俺はぽつりとしか返事できなかった。

 知ってない、わかってないのは俺だけと言うことがよーく理解できたからだ。




「食うか? もっとも溶けちまっているかもしれないが」




 権藤はコンビニの袋からアイスを出した。

 そして俺にひとつ差し出す。持つと確かに中身は溶けかかっていた。




「サンキュウ」




 俺はお礼を言って食い始めた。

 溶け出したアイスには味が感じられなかった。ただ冷たいとだけはわかった。




「ま、自分で結論を出すんだな」




 権藤はそれだけ言うと立ち上がった。




 そして俺と権藤は少し歩いた。




「剣崎、お前は五祝さんの方はどう思ってるんだ?」




「ど、どうって?」




「しらばっくれるんじゃねえよ。好きかどうかってことだ」




「……わからん」




「ほお、明香里ちゃんと同じか。……ま、少なくとも嫌いじゃないってことだな」




「そうなのか?」




 すると権藤は立ち止まり、俺に向き直る。




「少なくとも以前のお前だったら、どちらも嫌いと即座に答えていたはずだ。

 女嫌いなんだからな」




「……」




「だけど嫌いとは言わない。つまりそれだけお前の中に変化があったということだ」




「変化?」




「ああ。……ま、ゆっくり考えるんだな。あばよ」




 それだけ言うと権藤は去って行ってしまった。俺はまた一人残される形になる。




「変化か……」




 確かに権藤の言う通りだった。

 以前の俺ならば女がらみのことならば即却下だったに違いない。

 だが、俺は戸惑っていた。やはり俺の中で女に対する認識が変わったとしか思えない。




「かと言って、俺にはなにがなんだかわかんないんだよな」




 俺は途方に暮れて歩き出す。そして電車に乗り駅で降りた。

 その間、頭の中はぼおっとしていて、気がついたら自宅近くまで来ている始末だった。




「よしっ」




 俺は気合いを入れると自宅のドアを開けた。中にはシゲさんがいるはずだった。




「ただいま」




 俺は靴を脱いで家に上がる。だが返事がなかった。

 しかし台所に明かりはついているし、なんだか良い匂いもしている。




「……寝てるのか」




 俺が台所に入るとリビングに突っ伏して眠っている五祝成子がいた。

 側にはかつらやマスクが置いてあり、さっきまでシゲさんの姿をしていたのがわかった。




「おい、体調でも悪いのか?」




 俺は話しかけても気がつかない五祝成子が少し心配になり、肩を揺すった。

 すると五祝成子が、うーんと言って顔を上げた。




「あ、お帰り」




「大丈夫か?」




「大丈夫。寝てただけ」




「そうか」




 俺は五祝成子の真向かいに腰掛けた。

 だがやつはまだすっかり目覚めていないようで宙をぼんやり見ていた。

 その顔を見るとやはり五祝成子は美人だと思った。




 目、鼻、口、そしてもろもろのパーツ大きさ形、そして配置が完璧だ。

 でもこんな表情は初めて見るが悪くない。




「……夢見てた。小さい頃のことを思い出したみたい」




「そうか」




 俺が答えると五祝成子はコーヒーを二つ作って、

 ひとつは自分にそしてもう一つは俺の前に置いた。




「遅かったね。そのお詫びにちょっと話に付き合ってくれる?」




「別にいいぞ。いったい何の話なんだ?」




 俺はコーヒーをすすりながら尋ねた。すると五祝成子は遠くを見つめるような仕草を見せた。




「……ずーっと昔の話。私がまだ小学校三年生だった頃。

 私、学校の演劇大会でシンデレラの役になりたかったのよ」




「はあっ?」




 俺はいきなりな話について行けない。




「シンデレラ? なんでお前が?」




 すると五祝成子はちょっとむくれる顔になった。




「……私のこと意地悪な継母役ならぴったりだろうって思ったでしょ? 今?」




「……げほげほ」




 俺はむせた。図星だったからだ。




「い、いや、別にそう思ったわけじゃない」




 俺は必死で弁明した。




「ホントかしら? 

 ……ま、いいわ。で、私だって女の子なのよ。ちょっとはかわいい役をやりたいじゃない。

 せっかくの演劇なんだから」




「ま、まあ、わかった。それでどうなったんだ?」




 すると五祝成子はため息をつく。




「ダメよ。投票で負けちゃったのよ。そしてやった役が意地悪な継母」




「……」




 俺は笑いをこらえるのに必死だった。これほどぴったりなヤツはいないだろう。




「でね、私、泣いちゃったの。

 なんだが人格否定されたみたいで悔しくて悔しくて、大声でわんわん泣いちゃったわ」




「そうだったのか」




 俺は想像してみる。だがこの五祝成子が大声で泣くなんて頭にイメージできなかった。




「そしたらね、なぐさめてくれた男の子がいたのよ。別に意地悪な継母役でもいいじゃないか、って。

 その役を一生懸命やってみんなを見返してやれば良いって言ってくれたのよ。

 私、それ聞いてまた泣いちゃったの」




「なんで泣いたんだ?」




「嬉しくてよ。投票で負けた私にも、ちゃんと味方がいてくれるって思ったの」




「へえ、良いやつもいたもんだな」




「でしょ? ……でね、ちょっと恥ずかしいんだけど、

 私、そのときその男の子を好きになっちゃったのよ。たぶんきっと初恋だった」




「へえ、良い話だな」




 俺はそれを聞いてコーヒーをすする。




 俺にも似たような記憶があった。

 それはやはり小学校のときでシンデレラ役がやれないってわめいた女の記憶だ。




 それは俺が女嫌いになった原因のひとつになっている。

 でもそれはこの場では話さないつもりだった。

 せっかくの良い話なのだ。それを壊す必要はないだろう。




「で、その男とはどうなったんだ? その後付き合ったとか?」




「バカね。そんな訳ないでしょ? まだ小学校三年生だったのよ。

 ……それに私、その後転校してしまったし」




「……そうか。……えっ?」




 俺は気がついたら額から汗が流れていた。それは冷たい汗だった。




「……お前がそのとき通ってた小学校ってなんて名前だった?」




「学校の名前? 変なこと訊くのね? 山田やまだ小学校よ。ここから隣町だから割と近いわ」




「……さ、三年、何組だった?」




「どうしたのよ? えーと、確か五組だったわ」




 俺は決定的な事実に気がついてしまった。俺の記憶と一致するのだ。

 だとすると……、あのときの女が五祝成子の可能性が高い。だがちょっと疑問があった。




「……お前、イワイシゲコって知ってるか?」




 すると眼前の五祝成子の顔がサッと青くなった。そしてうつむいてしまったのである。




「ど、どうして、知ってるの……?」




「は?」




 見ると五祝成子は小さくなってうつむいたままだ。

 俺からだと形の良い唇がきつく結ばれているのしか見えない。




「どうして知ってるのって訊いてるのっ?」




 いきなり五祝成子が顔を上げた。

 すると青ざめたままだが目が驚愕しているのがわかった。




「……俺、そのときのお前をなぐさめた男を知っているかもしれないんだ」




「そ、そうなの?」




「ああ。で、その演劇大会の後、転校して行った女の名前がイワイシゲコって言うんだ」




「……それ、私のなの」




「はあっ?」




 俺は仰天した。

本名ってなんだっ!?

……って待てよ、ってことはこいつは今まで偽名を使っていたってことか?




「私の名前、ナルコじゃないの。本当はって読むのよ」




「な、なんで? どうして?」




 俺は断片的な質問しかできなかった。

 成子をシゲコって読むなんて知らなかった。

 いや、そんなことはどうでもいい。いったいなぜ偽名を使う必要がある?




「……恥ずかしいから」




 五祝成子は再びうつむいた。そして小さな唇がそう告げた。




「恥ずかしい? なぜ?」




「シゲコって、おばあさんの名前みたいでしょ? 

 だから転校したときからナルコって名乗ってたの」




「……そ、そうなのか」




 考えてみれば戸籍にふりがなはないし、本人がそう名乗れば他人はそうだと思うだろう。




「俺、別にシゲコって名前でもいいと思うけどな」




「……そ、それって取り繕っていない? 

 今、私が落ち込むからって、無理してそう言ってんじゃないかしら?」




「そんなことはない。イワイシゲコ。良い名前じゃないか」




「……あ、ありがと」




 そう言うと五祝成子は急に立ち上がった。そして一目散に二階へと走って行ってしまった。




「な、なんなんだ?」




 俺は意味がわからず一人取り残されてしまった。

 そして周りを見回す。夕食の準備はとうに出来ているようだ。

 俺は腹が減っているので途方に暮れてしまう。しかしまさか一人で食べる訳にもいかないだろう。




 そのときだった。

 俺のスマホが鳴った。相手を見ると五祝成子だった。俺はボタンを押す。




「どうした?」




「……あ、あのね。私、実は知ってた」




「なにをだ?」




「君があのとき慰めてくれた男の子だってこと」




「……そうだったのか」




「うん。だからいつかこの話をしたいって思ってた」




「……そうか」




「うん。……今はそれだけ」




 電話はぷつりと切れてしまった。

 俺は食事の件を言おうとしてたので、困ってしまう。

 そして仕方ないので二階へと登り始めたときだった。




「……!」




 俺は急に気がついたのだ。




 ……それって、つまり……。

 ……五祝成子の初恋の相手って、俺ってことか?




 足が止まってしまった。階段の途中で俺はただ立ち尽くしてしまったのだ。




「……うーむ」




 俺は唸る。

 これは困った。




 これだと東雲や権藤が言ったとおりだと考えてしまう。

 つまり、五祝成子は俺のことを好きってことなのか……?




 そのときだった。




「……なにやってんの?」




 頭上から声が振ってきた。もちろん五祝成子だ。

 やつはシゲさんのジャージ姿から着替えていてスウェットの上下になっていた。




「あー、……今、お前を呼びに行こうと思ってたとこだ」




「……あ、そう」




 そうそっけなく答えた五祝成子は俺の横を素通りして階下へと降りてしまった。



 俺は急に戸惑ってしまい、ポケットの中のスマホを取り出した。

 そこには確かに五祝成子からの着信が残っている。




 つまり俺とたった一分前に話した相手なのは間違いないのだが、

 俺には素通りして行った五祝成子が別人に思えてしまった。それほど態度が違ったのだ。




「あ、あのな、妙なこと訊くけど」




「なに?」




 台所で食事の支度を始めた五祝成子が返事をする。




「……俺とお前は一分前に電話で話したよな?」




「当たり前でしょ」




「……」




 俺は無言になってしまった。

 この態度の差はなんだ? 俺は仕方なく食卓へと向かう。

 そしてやつがよそってくれる食事の手をぼんやりと見ていた。




「私が態度を変えたから変に思ったんでしょ?」




「……ああ」




「言ったでしょ? 今はそれだけって」




「なるほど」




 そう言う意味だったのだ。

 俺が初恋の相手うんぬんの話は、今日はお終いってことらしいのだ。




 そして俺と五祝成子は食事を始めた。

 今日の料理は煮魚だった。味は満点なのだが、どうにも俺は箸が進まない。

 やはりいろんなことが気に掛かってしまっているのだ。




「……君は上の空。そんなに私の初恋話が気になるのかしら?」




「別に」




 俺は強がった。

 そしてそれを見抜かれぬように箸を進めてみる。だが効果はなかったようだった。




「その初恋が今も続いているんじゃないかとか思ってるんでしょ? 違うかしら?」




「ぶほっ……」




 俺はむせた。

 そして必死に口の中の物を押さえる。吐き出しそうだったがなんとかこらえた。




「あ、あのな」




「ふん、図星でしょ?」




 なぜか五祝成子は得意気な顔になった。




「だったら話してあげる。私が君をどう思ってるかを」




 俺は瞬時に全身が固まってしまった。

 そしてつばを飲み込んだ。喉がごくりとうなるのがわかった。



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