第4話 そして謎多いシゲさんから依頼されたのだった。



 見ると教室のみんなはすでに席に着いていた。

 そして、五祝成子も。

 

 

 

「よお、どこ行ってたんだ?」




 生徒会室から戻った権藤が俺に尋ねてきた。

 

 

 

「一階から屋上まで階段ダッシュ」




 すると権藤は目を丸くする。

 

 

 

「特訓か?」




「ああ、まあそんなとこだ」




 俺はそう答えて席に着く。

 そして視線はやっぱり五祝成子に送ってしまう。

 五祝成子は五時間目の教科に備えて教科書とノートを準備していた。

 

 

 

 そして始まる授業。

 だが俺はなんだかムシャクシャ感が止まらない。

 だから全然勉強は身に入らなくて時計を見て終業の時刻ばかり気にして放課後を迎えたような気がする。

 

 

 

 そして始まる部活。

 俺は素振りを適当に済ませてさっさと防具を身につけていた。

 このやり場のない気持ちを発散させるには激しいぶつかり合い稽古でもしなければ収まらないと思ったからだ。

 

 

 

 だが、そんなときだった。

 

 

 

「剣崎。ちょっといいか?」




 主将の権藤が俺を呼び止めた。

 見るとやつはまだ道着姿のままで竹刀すら持っていなかった。

 

 

 

「なんだよ?」




 返事をする俺の声はどこかきつかった。 

 だが権藤はそんな俺に対して穏やかな表情を見せた。

 

 

 

「まあ、面を取れよ。話がある」




 そう言うと同輩の三年生に稽古の指導を依頼して俺を部室へと引っ張っていったのだ。

 

 

 

「なんだよ?」




 俺はまたトゲがある言葉で問いかけてしまう。

 

 

 

「今日のお前、どこかヘンだ」




「ヘン? ……俺は別に」




「いや、違う。

 お前は昼休みの後からなにかヘンだった。午後の授業中も上の空だったろ?」

 

 

 

 俺はやっぱり権藤はあなどれないと思った。

 全然そんな素振りなんか見せていないつもりだったのに、

 こいつは俺の異変にちゃんと気がついていたのだった。

 

 

 

「このまま稽古させちゃ、下級生たちがつぶれちまうからな。

 ……だからお前を部室に連れてきたって訳だ」

 

 

 

「すまん」




 俺はこうなっては弁明のしようもないと覚悟して権藤に素直に謝った。

 

 

 

「いや、別に謝らなくてもいい。

 ……それよりお前、五祝さんとなにかあったのか?」

 

 

 

 ギクリとした。

 権藤は昼休みに生徒会室に呼ばれたので俺と五祝成子の経緯を知らないに違いないのに、

 いきなり核心を突いてきたので驚いたのだ。

 

 

 

「別にケンカした訳じゃないぞ」




 すると権藤は安心したような顔を見せる。

 

 

 

「そうじゃないのは俺もクラスのやつに聞いている。

 ……だが妙なことがあったらしいんだ」

 

 

 

「妙なこと?」




 俺は問い返した。

 

 

 

「うん。昼休みが終わった頃に五祝さんが帰ってきたんだけど、鼻歌を口ずさんでいたんだ」




「鼻歌?」




 俺は問い返す。

 すると権藤はその歌のサビの部分を歌った。

 正直言って音程が外れていたけど、それが俺には今いちばんヒットしている曲だとわかった。

 

 

 

「珍しいこともあるもんだと、ちょっとした話題になってな」




 確かに五祝成子が鼻歌を口ずさむなんて見たことも聞いたこともない。

 

 

 

「たまたま機嫌が良かったんじゃないか?」




 俺は単に思いついたことを口にしてみる。

 

 

 

「だけど、あの五祝さんだぜ。笑顔すら満足に見せたことがないんだからな。

 そりゃ俺たちはびっくりしてただただ驚いて見つめてしまったって訳なんだ」

 

 

 

「そうか」




 俺はそう言われても思い当たることもない。

 確かに昼休みに接触したクラスメートは俺だけだったかもしれないが、

 俺が五祝成子のご機嫌を向上させる気の利いた言葉を言った覚えもないしな。

 

 

 

「……いや、待てよ」




 俺はふと思い出した。

 五祝成子が口ずさんでいた曲と言われて急にピンと来たものがあったのだ。

 

 

 

 ……あれは確かシゲさんが風呂場で鼻歌を口ずさんでいた曲と同じだった。

 俺の周りで例え機嫌が良くても鼻歌を歌うヤツなんて他にいなかった。

 

 

 

 ――シゲさんと五祝成子。

 

 

 

 その二人がなにか共通点があるような気がしてきたのだ。

 ……考えてみれば昨日も今日も俺の弁当を届けてくれたのは五祝成子だ。

 

 

 

 苗字の読みは二人ともイワイ。

 だがシゲさんは成子とは違う。

 

 

 

 ……わからん。

 だが俺はそのときに急に二人に興味を持ったのは間違いない。

 ……シゲさんに尋ねてみる価値はあるな。そんな風に思ったのだった。

 

 

 

「おい、いったいどうしたんだ?」




 急に黙りこくった俺に権藤が話しかけてきた。

 

 

 

「ああ、いや、なんでもない。……すまなかった。部活はちゃんとやるよ」




「そうか。まあ、なにがあったのか知らないが、さっきまでのお前と今のお前とじゃ顔つきが違う。

 深くは訊かないが、大丈夫だろう」

 

 

 

 そう権藤は答えてくれた。

 そして俺と権藤は部活に戻った。その日は全学年の部員で総当たりの勝ち抜き戦を行った。

 

 

 

「……お前が部長やればいいんだよな。本当は」




 決勝で残った俺と権藤の試合の後に、権藤を俺に笑顔で告げた。

 俺は最初に面で一本取られたものの、後半に盛り返して結局は二本勝ちを収めたのであった。

 

 

 

「いや、部長はお前しかないだろう。俺には他の部活との折衝は無理だからな」




「まあ、それもあるか。……あ、そうだ。お前にだけ言っておきたいことがある」




 面を取り並んで正座した俺に権藤が手ぬぐいで汗を拭いながらそう言った。

 部活はまだ続いていて三位決定戦の試合が行われている。

 

 

 

 試合で中堅をいつも務めている同輩のヤツと、

 最近めきめき上達してきた将来の主将候補の二年生部員の対決だった。

 

 

 

「言っておきたいこと? なんだ?」




「ああ、今日の生徒会室での話し合いのことなんだ」




 激しくぶつかり合う三位決定戦を見る目を権藤に向けた。

 

 

 

「話し合い? 各部の部長が集まった話し合いのことか?」




「ああ。……明日転校生が来るらしいんだ」




 話がわからない。 

 三年生の五月に転校してくるなんて中途半端な時期と言えばそうだが、

 それと部長たちの会議の意味がわからない。

 

 

 

「いや、その転校生がちょっと変わっててな」




「変わってる?」




東雲しののめってやつらしいんだ」




 聞き慣れない苗字なので権藤は指で宙に東の雲と書いてくれる。

 

 

 

「へえ、それで東雲って読むんだ。で、そいつがどうしたんだ?」




「最初はテニス部に入るって話だったんだが、急に剣道部に入りたいって言い出したって言うんだ」




 俺はますます混乱してくる。

 東雲なにがしが何者か知らないが、どこの部活に入ろうが勝手だろうし、

 そんなことが議題に上るなんてますますわからない。

 

 

 

「混乱するのはわかる。俺も最初は何言ってんだ? って思って会議に参加していたくらいだからな」




「ああ」




 俺は頷く。

 そのときの権藤の気持ちがわかったからだ。権藤は話を続ける。

 

 

 

「そいつがいわゆるスポーツの天才らしいんだ。

 東京都の大会で陸上短距離新記録とテニスの個人優勝の実績を持っているんだ。だから会議がもめたんだ」

 

 

 

「なるほど」




 俺はだんだん話が見えてきた。

 スポーツ万能の東雲を巡ってテニス部や陸上部が勧誘したがったのだろう。

 

 

 

「で、結局どうなったんだ?」




 俺は回答が待ちきれなくて先回りして尋ねた。

 

 

 

「結局、剣道部に来ることになった。

 なによりも本人の希望だからな。こればっかりは仕方ないと結論が出た」

 

 

 

「へえ、そりゃ良かったな。スポーツ万能なら剣道も得意なんだろ?」




「いや、まったくの素人らしい。本人曰くやったことがないので入部してみたいって言うんだ」




 俺は驚いた。

 実績のある部活に行けば即レギュラーは間違いないだろう。だが剣道は未知数と言うのだ。

 

 

 

「じゃあレギュラーになれる可能性は低いじゃないか」




「ああ。俺もそう思う」




 俺は物好きもいるもんだと思った。

 まあ、本人が剣道をやりたいって言うなら入部は歓迎だ。別に断る理由もないしな。

 

 

 

「ところが問題がある」




 権藤がしかめっ面で俺を見た。

 

 

 

「問題? なにが問題なんだ? 道場も狭くはないし、ロッカーだって余ってる。

 もし防具が用意できないのなら予備のものを貸し出せばいいだろう?」

 

 

 

「……なんだ」




 権藤はぽつりと言った。

 

 

 

「はいっ?」




 俺は妙なトーンで返答してしまった。

 

 

 

「女子? 東雲ってやつは女なのか?」




 すると権藤は深く頷く。

 

 

 

「女だ。だから俺は困ってる」




「だよな」




 俺も深く相づちを打つ。

 このことは俺が女嫌いなこととは別の問題だ。剣道部には男しかいないからである。

 

 

 

「着替えの問題だけじゃないよな」




 俺が言うと権藤が頷く。

 

 

 

「そうなんだ。ちなみに着替えは柔道部の女子更衣室を借りることで話がついているんだけどな」




「そうか。柔道部には女子がいるからな。でもそれだけじゃ問題解決にはならないな」




 着替えの問題は大丈夫だとわかった。 

 だが他にも問題が思いつく。 

 これは剣道に限らずだと思うが戦う競技、つまり格闘技系はかなり本気で取り組む。

 

 

 

 つまり男の体格で男の力でぶつかり、男の力で竹刀で叩く。それが女子に耐えられるかも問題なのだ。

 

 

 

「女子に合わせた稽古ができるかも問題だし、試合のこともある。

 規定では男女混合の団体戦はない。だから東雲ってやつは個人戦しか参加できないんだ」

 

 

 

「なるほど、団体戦は五人だしな」




 そう言う問題もあった。考えたら問題は山積みだった。

 

 

 

「でも決まったことは仕方ない。俺は受け入れる」




「……わかった」




 俺は権藤の考えに同意した。

 元より主将、つまり部長が決めたことなのだ。俺たちにとやかく言う資格はない。

 

 

 

「まあ他にも問題が発生したら、明日考えよう」




 俺たちはそんなこんなで今日の部活を終えた。

 そして部室に戻ったときだった。俺は道着を脱いで制服に着替えようとしたときである。

 ふと目にした自分のスマホに着信履歴が残っているのを見つけたのだ。

 

 

 

「げ……」




 俺は画面を見つめた。そして言葉を失った。

 着信を残したのは誰あろう五祝成子だったのだ。ご丁寧に留守番電話に伝言まで入れているのがわかる。

 メールやソーシャル・ネットワークと違って留守電は生の声が入っているだけに、ちょっとビビる。

 

 

 

「ん? どうしたんだ?」




 すでに制服に着替えていた権藤が話しかけてきた。

 

 

 

「あ、いや、なんでもない。……シゲさんから電話があったようだ」




 俺はとっさにごまかした。

 五祝成子がどんなことを録音したのか確かめないうちに、権藤に話す気にはなれなかったからだ。

 

 

 

「悪いが今日は先に帰ってくれ。俺はたぶん買い物を言いつけられたと思うんだ」




 俺はとっさに思いついた割には説得力がある言い訳を口にする。

 

 

 

「そうか。ならお先」




 そして権藤や他の部員たちは口々に俺に挨拶をして出て行った。そして俺は一人になる。

 

 

 

「……いつの間に」




 俺は小さく唸った。

 なぜ俺の電話番号を知っているんだ? 

 いや、それ以前になぜ俺のスマホに五祝成子の電話番号が登録されているのか不明なのだ。

 着信履歴にはちゃんとが表示されている。

 これは登録されていることの証明だ。じゃなきゃ電話番号としての数字の羅列として表示されるからだ。

 

 

 

『……五祝さんは妖術使いだ……』




 先日、権藤が俺に言った言葉を思い出す。

 そう言えば教えたはずがないのに権藤の携帯にもメールが届いていたのだった。

 

 

 

 俺は改めて部室に誰もいないのを確かめた。

 そしてスマホを操作した。無論、留守電のメッセージを聞くためだ。

 

 

 

『………………』




 無言だった。かすかに息づかいは聞こえるがなにも音声は入っていない。

 

 

 

「な、なんなんだよっ」




 さんざん動揺させた上でのこの仕打っ!? 

 俺はスマホを叩きつけたい衝動にかられたが、もちろんそんな馬鹿な真似はしない。

 そして俺は仕方なく一人部室を後にしたのだった。

 

 

 

「今日はなんだか疲れたな」




 俺はいろいろあった一日を振り返りながら電車に揺られ駅へと到着し、そして帰宅した。

 

 

 

「ただいま」




 俺は玄関を開ける。すると今日も良い匂いがした。シゲさんが夕食の支度をしてくれているのだろう。

 

 

 

「お帰りなさい」




 シゲさんが手をタオルで拭きながら台所から出てきてくれた。

 

 

 

「今、帰りました」




「はい、お帰りなさい」




 俺が靴を脱いでいるとシゲさんが俺の通学バッグを持ってくれる。

 

 

 

「あ、重いからいいですよ」




 俺が返答するとシゲさんは首を振る。

 

 

 

「君のお部屋まで運ぼうなんて思っていませんから大丈夫です。それより今日のお弁当はどうでしたか?」




 俺はそのとき思い出した。

 

 

 

「あ、そう言えば今日も五祝成子に渡したんですね」




「ええ、今日も校門の前で会ったので」




「そうでしたか。……今日の弁当は満点でした」




 するとシゲさんはうきうきしたような仕草を見せた。

 

 

 

「本当ですかね? 昨日は七十五点と聞いてましたので」




 俺はドキッとする。シゲさんはいつの間に五祝成子に聞いたんだろう。今日の朝だろうか?

 

 

 

「いや、実は昨日も満点だったんです。でもなんだか恥ずかしくてちょっとだけ割り引いちゃったんですよ」




「私のお弁当では恥ずかしいですか?」




「あ、いや、そう言う意味じゃなくて。教室で五祝成子に手渡されたんで……」




 俺は歯切れが悪くそう答える。

 

 

 

「まさか照れてしまったんですか?」




「はい、……まあ、そんなところです」




 俺は正直に答えた。

 だがシゲさんはそんな俺を見て、ふふふと笑い声を出したのだった。

 

 

 

「あの子は良い子ですよ」




 そう言うのだった。

 

 

 

 それから俺は風呂に入った。

 シゲさんが夕食ができあがるのにまだ時間がかかると言ったからだった。

 

 

 

「……そう言えば、訊くの忘れたな」




 鼻歌の件だった。

 シゲさんがこの風呂場で口ずさんでいた歌と今日、五祝成子が教室でみんなに聞かせた歌が同じだったことを思い出したのだ。

 

 

 

 。偶然かもしれないけど読みが同じで二日も弁当の手渡しを依頼している。

 実はなにかの共通点があるんじゃないか尋ねてみようと思った件だ。

 

 

 

 それから俺は久しぶりにのんびりと夕食を食べていた。

 メニューはご飯と味噌汁と塩鮭だった。

 鮭は焼き加減がよくて箸がどんどん進む。

 

 

 

 そしてテレビではプロ野球中継をやっている。

 俺は特にひいきのチームはないが、これでも都民なので在京球団の方をなんとなく応援しながらの食事だった。

 

 

 

「ご馳走様」




 それからしばらくして俺はきっちり食べ終えて箸を置く。

 そして今が頃合いかな? と思いシゲさんに話しかけることにした。

 

 

 

「シゲさん、質問があるんですけど」




「なんでしょう?」




 シゲさんは今度は調味料を鍋に入れている。

 どうも明日の朝食か弁当の下ごしらえをしているに違いない。

 

 

 

「いきなりなんですけど、シゲさんは五祝成子と関係があるんですか?」




 俺は思いきって尋ねた。

 これは俺なりにかなり勇気のいる質問だった。いくら俺が形の上とは言えシゲさんの雇い主だとしても、

 この質問はプライベートなことに関する。

 

 

 

 だが危険でもある。もしこの問いに機嫌を悪くしてこの仕事を辞めるなんて言い出されたら困るからだ。

 でもなぜだかわからないが訊いたほうが絶対いいだろうな、と思ってしまったのだ。

 

 

 

「……なんでそんなことを訊くんです?」




 シゲさんは振り返らなかった。

 

 

 

「あ、いや。昨日も今日も弁当を手渡した相手が同じというのも偶然すぎますし、……それに」




「それに?」




「ほら、シゲさん風呂場で鼻歌を歌っていたでしょ?

 五祝成子も今日、教室で鼻歌を歌っていたらしいんですけど同じ曲なんですよ」

 

 

 

 するとシゲさんの手が止まった。

 俺はやっぱりなにかあるな、と思った。だがそのなにかはわからない。

 

 

 

「……偶然ですよ」




「偶然ですか?」




「ええ。……私、ちょっと部屋に行きます。洗い物はシンクに入れといてください」




 突然、そう言ってシゲさんはぱたぱたとスリッパを鳴らして二階に上がってしまった。

 俺はひとり残された形になってしまう。

 

 

 

「……やっぱり気に触ったのかな?」




 俺は後悔した。やっぱりこんな変なことは聞くべきじゃなかったのかもしれない。

 

 

 

「……でも、なにか引っかかるんだよな」




 俺はひとり言をつぶやく。そしてテレビを消してソファに寝転んだのだった。

 

 

 

 そのときだった。

 ルルルルルと呼び出し音が鳴った。俺のスマホだ。

 

 

 

「誰だろう?」




 俺は立ち上がるとテーブルの上に置きっぱなしのスマホを手に取ったのだった。

 

 

 

 ……げ。

 

 

 

 俺はドキリとした。

 画面に表示された相手は誰あろう五祝成子だったのだ。

 なんてタイミングでかかってくるんだ? やっぱりやつは妖術使いなのか?

 

 

 

「……もしもし」




 俺は応答ボタンを操作しながら電話に出た。

 

 

 

「……」




 やはり無言。夕方の留守番電話と同じだ。

 

 

 

「も、もしもし剣崎だけど」




 俺は喉が張り付きそうなほど口の中が乾いているのがわかった。

 耳に神経を集中しどんな小さな声でも拾おうとしていた。するとかすかに呼吸している音が聞こえる。

 

 

 

「もしもし。……私はイワイ、シ、……シゲです」




「え?」




 俺は驚いて耳から電話を離してしまう。そして画面を見るがやっぱり表示名は五祝成子だった。

 

 

 

「シ、シゲさんなんですか?」




「はい」




 確かに声はシゲさんだった。

 でも、どうして? なぜ? 俺の頭ン中で疑問符がいくつも回っている。

 

 

 

「い、今、二階から電話をかけているんですか?」




「はい」




「ど、どうしてそんなことするんですか?」




「……」




 シゲさんは無言になった。俺もしばらく黙っていた。すると数瞬ののち、シゲさんが話し始める。

「五祝成子とは仲良くしてください。

 ……できれば明日のお弁当、いっしょに食べてもらえませんか? 場所は……」

 

 

 

「屋上ですよね」




 するとシゲさんが息を飲むのがわかった。

 

 

 

「ど、どうして知っているんですか?」




「今日、昼休みに見かけたんです。

 俺、なんか五祝成子のことが気にかかって、姿を見つけて屋上まで行ってみたんですが、すれ違いでした」

 

 

 

「……そうだったんですか」




「そうなんです」




「……お願いがあります。

 今日、もう君とは会って話せないと思います。

 勝手ですが私が明日の料理を作っている間、台所には入らないでくれますか?」

 

 

 

「わかりました。俺、自分の部屋にこれから戻ります」




 俺がそう答えると電話がぶつりと切れた。

 

 

 

 俺は約束通り二階の自室へと戻った。

 するとしばらくすると隣室のドアが開いて階段を降りる音が聞こえた。シゲさんなのは間違いない。

 

 

 

「どういうことなんだろうな?」




 俺は疑問がいっぱいあった。だが約束は約束だ。

 俺はそういうことを守るのが日本男児だと思っている。

 そして夜は更けてその日はおしまいになったのだった。



 

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