第3話 そしてヤツはいつもひとりだった。

 


 そして夕方になり、俺たち剣道部は気合いの入った稽古をした。

 道場では実戦形式の試合を組んだ。

 

 

 

 俺たち三年生は夏の大会で最後になる。

 だから良い成績を残すために真剣に練習を繰り返していたのだった。

 

 

 

 それから、俺は帰宅した。

 するとシゲさんがいた。

 

 

 

 ま、家政婦なんだから、家にいるのは当然なのだが昨日までいた家族がいなくなっていて、

 その代わりに昨日まで知らなかった人物がふつうに家にいるのが不思議に思えた。

 

 

 

「ただいま」




 俺はそう言ってリビングに入る。

 するとシゲさんはお茶を飲んでいた。

 昨日と同じようなだぼだぼなジャージ姿で、髪の毛はザンバラ。そして分厚い眼鏡をかけている。

 

 

 

「あ、お帰りなさい」




 そう言ったシゲさんは立ち上がった。

 そして俺のためにお茶を入れてくれた。色がやや濃いめの日本茶だった。

 

 

 

「うまいっ」




 俺は感嘆のため息を漏らす。

 俺はお茶にはそれほどうるさくないのだが、それでも好みがある。

 ちゃんと香りがして味がしっかりしたのが好みなのだ。

 

 

 

 色が極端に薄くて色水みたいだったり、

 濃厚すぎて茶碗の底が見えないような濃縮水のようなお茶は遠慮したいと思っている。

 

 

 

 だから今、シゲさんが入れてくれたお茶はジャストピンのお茶だったのだ。

 そして好みは色だけじゃない。味もほどよく渋みがあって、

 ほのかに甘い日本茶独特のうまみが感じられたのだ。

 

 

 

「これは新しいお茶ですか?」




 俺はそう尋ねた。

 

 

 

「新しいお茶? ……いいえ、この家にあったいつものお茶ですよ」




 シゲさんはそう返事をする。

 そして俺はその返答に驚く。

 我が家にあったふつうのスーパーで買って来たお茶がこんなにも旨い味を持っていたなんて、

 新鮮な驚きだ。

 

 

 

 ……いつも入れてくれるお袋や古都葉の腕の問題なんだな。

 

 

 

 俺はそう結論した。

 ま、決して自分では入れない俺に他人のことをとやかく言える筋合いではないのだが、

 あまりにもシゲさんがパーフェクトなことで、俺はどこか舞い上がってしまっているようだった。

 

 

 

 それから俺がお茶を飲み終えるのを見届けると、シゲさんは洗い物を始めた。

 俺はそんなシゲさんの後ろ姿をぼんやり見ている。

 

 

 そしてそんなときだった。そういえば、と俺は思い出す。

 

 

 

 ――俺は女が苦手である。

 

 

 

 女はすぐ泣くし、わめくし、騒がしい。




 クラス会でシンデレラ役がやれないとわめく女もいたし、

 修学旅行で仲良しの友人と別のグループになったと言って怒り出す女もいた。




 宿題を忘れて班にめいわくをかけているにも関わらず、

 その教科の教師が嫌いだからしなかったと言い出す自分勝手な女もいたし、

 仲が悪い友人と同じ服だったことから、そいつの服を引き裂こうとした馬鹿なやつもいた。

 

 

 

 ……と俺は小学時代から数多く見てきた女の理不尽さの所業を思い出す。

 

 

 

 つまり自分の意見が通らないとすねるし、理屈よりも感情を優先においていて、

 常に打算で目先と自分だけの利益のことしか見ていないのが女なのだ。

 

 

 

 だから権藤が女に惚れて眠れなかったりする気持ちがわからない。

 いや、年頃なのだから異性に興味を持つのは理屈では理解できる。

 だが相手が相手だ。そこが理解しがたい。

 

 

 

『……なによ偉そうに』




 昼間、俺にそう告げた女のことを思い出す。

 いや、止めよう。

 俺は頭を振って記憶からそれを追い出した。

 

 

 

 でも、すべての女が嫌いと言う訳でもない。

 例外は俺のお袋や妹の古都葉だ。

 

 

 

 お袋や古都葉も女特有の理不尽さを主張するところもある。 

 でも肉親だから仕方ないとあきらめているところもあるし、それ以外に良い面も見せてくれるので平気なのだ。

 つまり慣れているからである。

 

 

 

 だけどシゲさんも平気なことに気がついた。

 それはもちろんシゲさんが中年の女性で大人であることも大きい。

 

 

 

 そして分をわきまえているのか、それとも元々の性質なのか、

 俺に対してあれこれ言わないことも好印象なのである。

 それに加えて料理がうまいのも高得点なのだ。

 

 

 

 そのときだった。

 

 

 

「君を見ていて思ったことがあります。……君は女の子が嫌いなんですか?」




 シゲさんにいきなり言われて俺はドキッとした。

 今俺が頭ン中で考えていたことを見透かされたような気がしたからだ。

 

 

 

「……嫌いかもしれません。でもすべての女が嫌いではないです」




「お母様とか妹さんですか?」




「ええ。それにシゲさんも平気です。これ本当です。でもなんでそんなことを訊くんですか?」




 俺は当然とも言える質問をした。

 すると洗い物を終えたシゲさんが手をタオルで拭きながら向き直った。

 

 

 

「昼間、女の子に会ったんですよ。お弁当を学校に届けたときに」




「はい。俺が忘れたからって渡してくれましたよ」




 俺はいきさつ抜きに事実だけ伝えた。

 するとシゲさんは俺をじっと見つめた。

 

 

 

「かわいい女の子でした」




「でしょうね」




 俺は返答する。

 だけど言葉には、ついトゲがある口調になってしまった。

 

 

 

「私が困っていたら声をかけてくれたんです」




「そうなんですか?」




 五祝いわい成子なるこの意外な一面を見た気がした。

 寄らば切るような雰囲気ぷんぷんのいつもの言動から似つかわしくないからだ。

 

 

 

「考えてみたら私は君が何組なのか知らなかったんですね。それで困っていたんです」




「ああ、なるほど」




 そう言えばそうだった。

 俺は念のために自分のクラスを改めて告げた。

 

 

 

「ええ、その女の子もそう言っていました。だから届けてもらえるかお願いしたのです」




「そうだったんですか」




 やっぱり意外すぎる一面だ。

 相手が困っている大人の女性だったので助ける気になったんだろうか? 

 

 

 

 俺は少なからず五祝成子に対する評価を改めた。

 だが、と言っても今までが最低だったのでほんのわずかばかりの浮上に過ぎないが……。

 

 

 

「話はそれだけです」




 シゲさんはそう言うと洗い終えた食器を拭きながら戸棚に戻し始めた。

 俺はなんとなくこのままこの場を離れるのが良くない気がしてきた。

 

 

 

「……そ、それで俺はなにをすればいいんですか?」




 つい、言葉が出た。

 深い意味はない。会話が止まったのでほんの気まぐれで口にしただけだった。

 だが、シゲさんは俺の言葉を聞くと振り返った。心なしが笑顔になっているような気がする。

 

 

 

「なんでもいいから……その女の子に話しかけてもらえませんか?」




「ええっ! お、俺が五祝成子にっ?」




 つい大声になってしまった。

 それも仕方がない。




 女嫌いの俺にとって同学年の一般女子にだって必要に迫られたときにしか会話をしないのに、

 よりによってあの五祝成子に話しかけるなんて無理難題ってやつ以外あり得ない。

 

 

 

「ダメでしょうかね? 

 ……別に大したことではないと思うんですがね。あの女の子は良い子だと思うんですけどね」

 

 

 

 シゲさんはそう言って片付けの作業を進める。

 

 

 

「か、考えておきます……」




 それが俺の精一杯だった。

 俺はこの場にいたらもっと上の要求をされるに違いないと思い、足早に廊下に出た。

 

 

 

 確かにひとり困っていた中年女性に声をかけた五祝成子は悪人ではないのかもしれない。

 でもだからと言ってこの俺にそんな要求をされても困るのだ。

 

 

 

 俺は階段を上がりながらそんなことを考えていた。

 

 

 

「風に当たるか」




 俺はベランダに出た。

 五月の風が俺を包む。気持ちいい時間だった。

 

 

 

 ふとシゲさんの部屋を見た。

 昨日はカーテンに長い髪姿のシゲさんらしき人物が写っていたのを思い出す。

 だが今夜はその影も現れなかった。 



 

 ……やっぱり昨日の俺は疲れていて幻を見たに違いないな。

 

 

 

 そこで俺はふいにさっきのシゲさんの言葉を思い出す。

 

 

 

『……良い子だと思うんですけどね……』




 シゲさんは五祝成子をそう評価した。

 そして俺に話しかけて欲しいと言った。

 

 

 

 いったいなぜなんだろう? 

 

 

 そんな風に思っているとあくびが出た。

 明日も朝練がある。俺は部屋へと戻って勉強の準備をしたのであった。

 

 


 ◇ ◇ ◇

 

 


 翌朝は寝坊せずに目が覚めた。

 階下に降りるともうすっかり朝食ができあがっていた。

 

 

 

 ご飯に味噌汁、目玉焼きにサラダと言った簡単なものだったが、味はさすがにシゲさんだった。

 俺は満足して出かけようとする。

 

 

 

「ん? シゲさん。俺の弁当はどこですか?」




 するとシゲさんは気まずそうな顔になる。

 

 

 

「すみません。実はまだなんです」




「そうなんですか。困ったな」




 俺は時計を見る。

 部活に間に合うにはそろそろ家を出ないと行けない。

 

 

 

「ではこうしましょう。君のクラスはわかっています。後で届けます」




「え。それはなんだか悪い気がします。昨日もわざわざ来てくれましたし」




「いいんですよ。学校の近くに公園がありますよね。あそこで散歩するのが好きなんです」




 確かに俺の学校の近くに大きな公園がある。

 足こぎボートが乗れる池があり、弁天様が祭られている社もあるし、

 ちょっとした動物公園もあって休日は行楽客で混み合う公園だ。

 

 

 

「そうですか。……なら、お願いします」




 俺はそう言って弁当を届けてもらうことにした。

 そして家を出た。

 

 

 

 今日は十分時間があるので駅まではのんびり歩き、電車に乗って学校に着く。

 すると校門の前で権藤に会った。

 

 

 

「よう、おはよう」




「ああ」




 俺は返答をする。

 権藤は昨日とは違い顔色が良い。昨夜はしっかり眠れた様子だった。

 

 

 

「実はお前に頼みたいことがある」




 権藤は部室までの道のりでそう俺に言った。

 

 

 

「なんだ?」




「……実は五祝さんのことなんだが」




「うん。五祝さんがどうしたんだ?」




 すると権藤は少し言葉を詰まらせた。

 そしてしばらく無言だったが待っていると口を開いた。

 

 

 

「やっぱりお前から話しかけてくれないか?」




「ど、どういうことだ?」




 俺は驚いて聞き返した。

 それはもちろんシゲさんにも言われていることと同じだからだ。

 

 

 

「うん。俺、思ったんだ。

 ……お前と五祝さんはなんのかんのと言っても唯一会話が成立しているからな。

 お前と俺はだいたいいっしょにいるから、

 そうすれば俺にも五祝さんと話ができる機会が来る気がするんだ」

 

 

 

「マジかよ」




「頼む」




 権藤は俺を拝むように見た。

 ……仕方ない。なにかの機会があればチャレンジしてみるか。

 

 

 

「……わかった。だが保証はできないぜ。

 昨日の会話だって弁当がらみだったんだ。そう何度もチャンスがあるとは思えないからな」

 

 

 

 すると権藤はそれでも構わないと言う。

 気長に接触の機会を待つと言うのだ。

 俺は仕方なく親友の頼みを聞くことになってしまったのであった。

 

 

 

 それから俺たちは部活で汗をかいた。

 俺も気合いが入っていたが権藤も俺に負けずやる気十分で互角の稽古をしたのであった。

 そして朝練も終わり、俺たちは教室へと入っていったのである。

 

 

 

「お、いるな」




 権藤の声に振り向くと五祝成子がいた。

 今日もひとりで教室の席に座り孤独な読書をしていたのである。




 その辺りには、誰をも寄せ付けぬ結界が張られているんじゃないかと思えるほど、

 誰一人近づいていない。

 

 

 

「なあ、剣崎。いい機会だから話しかけてくれよ」




 権藤が俺の袖を引っ張った。

 

 

 

「そ、そう言ってもな。いったいなにを話せばいいんだか」




 俺は正直な気持ちを言うと、もうすでに約束は守れそうにないと思い始めてしまった。

 ただでさえ五祝成子の席のぽっかりと人口密度が低い空間に立ち入っただけで目立ちそうなのだ。

 その上に声をかけるなんて正気の沙汰とは思えないからだ。

 

 

 

 だが、……権藤だけじゃなくて、シゲさんにも頼まれているんだよな。

 俺は覚悟を決めると一歩一歩と五祝成子に近づいていった。

 

 

 

 まいったな。……自分の心臓の音がやけに大きく感じられる。

 おまけに手のひらにはじっとりと汗がにじみ出て来るのもわかった。

 

 

 

「あ、あのさ……」




 俺は声をかけた。

 すると活字を見ていた五祝成子が顔を上げた。真っ直ぐに俺を見た。

 

 

 

 きれいな顔だとは思った。

 だけど俺には一切温かみのない氷の顔にも感じられる。

 

 

 

「なに?」




「あ、いや……」




「なにか用かしら?」




 本をパタンと閉じて五祝成子が尋ねてきた。

 冷たい声だった。キーンと耳の中に共鳴する気がする。

 

 

 

「あ、いや、……おはよ」




「……おはよ」




 するとクラスの中から、おお、というどよめきが起こった。

 会話が成立したことにびっくりしたのだろう。

 だが俺は額から汗がつつつと流れるのを感じている。つづきの言葉が浮かばないのだ。

 

 

 

「そうだった。そう言えば、剣崎つるぎざきくんに用事があったわ」




 五祝成子は机脇に引っかけてある自分の通学バッグの中に手を入れるとごそごそとなにかを探していた。

 

 

 

「はい、これ」




 弁当だった。

 昨日と同じくチェック柄のナフキンに包まれた弁当箱が俺の目の前にあったのだ。

 

 

 

「な、なんでお前がまた持ってんだよっ」




 思わず俺は叫んでしまう。

 予想だにしない出来事だったからだ。

 

 

 

「お前っ? 

 ……なんであんたにお前呼ばわりされなきゃならないのよっ!」




 五祝成子はやおら立ち上がり、両手を腰に当てて身を乗り出して俺に言う。

 もちろん口調は強い。

 

 

 

「シゲさんかっ? そうだな、シゲさんに頼まれたんだろ?」




 またしてもシゲさんが五祝成子に手渡したのだろうな。

 そうに違いない。じゃないと説明がつかないしな。

 

 

 

「はぐらかさないでっ! まずは私の質問に答えなさいっ!」




「うぐぐ……」




 俺は口ごもってしまう。

 そして視線を弁当に送る。俺の弁当は未だに五祝成子の手の内にある。

 なんとかアレだけは回収しなくちゃな。

 

 

 

「……すまん」




「ナンですってっ?」




 五祝成子は右手を自分の耳に当てて俺に問う。

 なんて陰険なやつだ。やっぱり性格悪いじゃねーか。どこがだ。

 俺は頭に血が上ってしまっている。

 

 

  だが、それとは別の俺が冷静になれとつぶやいている。

 

 

 

 ……どうする? ……どうする? ……どうする?

 

 

 

 謝っちゃえよ。

 そんな小声も周りから聞こえてくる。

 

 

 

「……えーと。五祝さん、ありがとう。今日もシゲさんから頼まれてくれたんですね?」




 屈辱だった。

 俺はうつむき加減になって結局そう口にしてしまう。

 やはり弁当があちらの手にあるうちは攻撃しようがないのだ。

 

 

 

「ホントかしら?」




「本当だってば」




「……そう。なら渡してもいいけど。……そうね、でも昼休みまで預かっておくわ」




「な、なんでそうなる?」




「早弁でもされたら嫌だからよ」




 そう五祝成子は宣言すると、プイと横を向いてしまう。

 

 

 

「……ぐぐ」




 図星だった。

 俺を含めて運動部のやつは確かに早弁をよくする。

 

 

 

 なんと言っても朝から運動をしているのだし、育ち盛りなのだから仕方がないだろう。

 俺はおあずけを命じられたイヌの気分になったのだった。

 

 

 

「おい、権藤。なにか言えよ」




 俺は傍らに呆然と立っている親友に声をかけてみた。

 

 

 

「……すまん。圧倒されてなにも言えない」




 そんな始末だった。

 よくこれでこんな女が好きになれるもんだとあきれてしまう。

 

 

 

 そのときだった。

 

 

 

「おお、なに騒いでるんだ?」




 ガラリと教室のドアが開き、担任のナイスガイの須藤先生が入ってきた。 

 ホームルームが始まるのであった。

 

 

 

「連絡がある。各部活の部長は昼休みに生徒会室に集まるように」




 差し障りのない定時連絡の後に須藤先生がそう告げた。

 

 

 

「だってよ」




 俺は権藤を見た。

 もちろん我が剣道部の主将が権藤だからだ。だかやつはふぬけだった。

 とろんとした間抜け面の視線の先を追うとやっぱり五祝成子の背中に届いていたのであった。

 

 

 

 そして一時間目の数学、二時間目の国語と順調に授業は進んでいった。

 俺は朝練の疲れから来る眠気と戦いながらこなしていく。

 そして三時間目だった。

 

 

 

「今日は実際に英語で会話をしてもらいます」




 英語の大沢おおさわ先生が元気はつらつにそう宣言した。

 大沢裕美ゆみ先生は新任の女性教師で、俺たちからは親しみを込めて裕美ちゃん先生と呼ばれている。

 

 

 

 裕美ちゃん先生はミニマムボディで美人である。だから人気者だ。 

 だが人気があるのはそれだけじゃなくて、気さくでかわいらしいからだ。

 だから俺たち生徒だけじゃなくて職員室でも同様でいつも男の教師たちに常に囲まれているらしいのだ。

 

 

 

「じゃあ、指名しますね。……えーと」




 嫌な予感がした。

 するとその予感は当たっていて指名されたのは五祝成子だった。

 五祝成子はすくっと立ち上がる。

 

 

 

「相手が必要ね。……えーと、じゃあ今度はキュートなボーイにしましょう」




 そして俺はやられたと思った。

 なぜならば裕美ちゃん先生が指さしたのが俺だったからだ。

 

 

 

「剣崎くん。指名されたのだから立ちなさい」




 俺は裕美ちゃん先生にうながされて立ち上がる。

 

 

 

「なにをすればいいんですか?」




 俺はちょっとばかしふて腐れてそう言った。

 すると裕美ちゃん先生は不敵な笑顔を浮かべた。

 

 

 

「そうね。……じゃあ五祝さんが質問して、剣崎くんが答える形ね。じゃあ、どうぞ」




 俺は五祝成子を見た。

 するとやつもまっすぐに俺を見つめている。

 

 

 

 ただし朝の弁当騒動のようなきつい目ではなくて微笑をたたえていた。

 やつもここで俺とやり合うつもりはないらしい。

 

 

 

「……大沢先生。なにを質問してもいいんですか?」




 五祝成子がそう裕美ちゃん先生に訊いた。

 すると裕美ちゃん先生はウインクしながら両肩を上げた。

 お好きにどうぞ、と言う仕草のようだった。

 

 

 

 すると五祝成子はその意図を察したようで、ふと考える仕草を見せた。

 そして気がつくとクラス中がしーんと静まりかえっているのがわかった。

 俺はなんだが嫌な予感がしてきたのであった。

 

 

  

 好きな動物はイヌと答えた。好きなスポーツはもちろん剣道だ。

 そして休日は主に剣道の稽古をして過ごす。

 

 

 

 ……不思議だった。

 

 

 

 五祝成子の英語での質問がすらすらとわかり、それに対して俺もよどみなく答えている。

 もしかしたら、一瞬俺の英語力が上がったんじゃないかと思ったが、そうではないようだ。

 

 

 

 たぶん、いや、間違いなく、五祝成子の発音が良いのである。

 それは英語特有の巻き舌の発音が良いと言うのじゃない。

 日本人にわかりやすい発音で理解しやすい簡単な単語を重ねて質問してくれるからなのだ。

 

 

 

 だが、俺がちゃんと答えているのは事実だ。

 その証拠に驚きは俺だけじゃないみたいで、

 クラスの連中も感心したり不思議がったりしている様子だった。

 

 

 

「五祝さん、そろそろ質問を終わりにして」




 裕美ちゃん先生がそう告げた。他の生徒にも順番を回したいのだろう。

 

 

 

 

「わかりました。では最後の質問です」




 五祝成子はそう言うと英語で質問をした。

 それをヒヤリングした俺は思わず肝を冷やした。

 内容は簡単だ。? と言うものだった。

 

 

 

 途端、クラス中が沸き返る。指を使ってヒューヒューと鳴らすやつまで出る始末だ。

 ……この野郎。完全に俺をからかっていやがるな、と思った。

 今朝の弁当騒動をまだ根に持っているのかも知れない。

 

 

 

 そこで俺は考えた。あからさまな嫌みにならない程度で差し障りのない答えを導き出す。

 私は

 

 

 

 無論、英語で答えた。するとクラスの連中はその返答にがっかりしたようで、ブーイングを始めたのだ。

 ふんっ。うるせいや。その手にはまるかってんだ。

 

 

 

 ところが質問はそれで終わりではなかった。

 五祝成子はニヤリとほくそ笑むととんでもない質問をしてきたのだ。

 

 

 

 

          

          

          

「……What?」




 俺は反射的に問い返してしまう。

 いや、質問の意味がわからないんじゃない。

 わかっているけど答えられる内容じゃないだろうと思ったのだ。

 

 

 

 考えてみろ。

 ここは教室だ。そして今は授業中だ。つまり公の場なのである。

 そこで俺が五祝成子を嫌いと言えるか? 俺は必死に回答を探す。もちろん頭ン中はフル回転だ。

 

 

 

 

 

 

 

 すると周りからホオッと感嘆の声が上がった。

 我ながらナイスな回答だ。俺は特に『あなたも』の『』を強調したのだ。

 

 

 

 すると五祝成子はフンッと鼻を鳴らすと椅子に座った。

 そして俺も同様の腰を下ろす。

 

 

 

「はい。素晴らしいやりとりでしたね」




 裕美ちゃん先生がそう締めくくった。

 

 

 

「いい英会話だったと思います。

 でもね、剣崎くん、女の子にはもっと思いやりのある答えで返事した方がいいわ。

 じゃないと私みたいにいい年して相手がいないことになるわよ」

 

 

 

 クラス中がどっと笑いに包まれたのであったのだが、俺は冷や汗ものだった。

 そしてこっそりと五祝成子を見ると瞑想でもしているのか目をつむっていたが、

 なぜか口元には微笑が浮かんでいたのであった。

 

 

 

 それから授業が終わるまで、

 女子が男子に質問する英会話が進められたが特筆すべき内容のものはなかったのであった。

 そして時間は進み四時間目も終わった。昼休みである。弁当タイムの始まりだった。

 

 

 

「剣崎、悪いが俺、生徒会室行かなくちゃ」




 権藤が俺にそう告げた。

 そう言えばホームルームのときに担任の須藤先生が連絡していたのを思い出す。

 

 

 

「わかった。じゃあ行って来い」




 俺は笑顔で親友を見送った。

 さて弁当だ。今日はひとりで食うか。……と、そこまで考えた俺はふと疑問がわき起こる。

 

 

 

「……げ」




 そうだった。俺の弁当は五祝成子の手にあるのだ。

 

 

 

 俺はクラス中を見渡す。

 みな仲良しグループでめいめいに机を並べてさっそく食べ始めている。

 そして五祝成子はと、思って席を見ると姿がないではないか!

 

 

 

「まさか逃げたか?」




 俺は必死で辺りをうかがった。

 すると教室のドアから廊下に出る五祝成子の後ろ姿が目に入った。

 

 

 

「ちっ」




 俺は駆け足で廊下に出た。

 すると五祝成子がいた。俺の足音に気がついたようで長い髪を翻して振り返ったのだ。

 

 

 

「待ってくれ。……俺の弁当」




 俺は哀願する感じで五祝成子に言った。

 するとやつも思い出したようで得心顔になった。

 

 

 

「そうだったわね。……私のバッグに入ってるから待ってて」




 そう言うのだ。 

 俺は教室に戻りかける五祝成子の背を追いながら歩き出す。

 

 

 

 そしてそのときだった。

 今から思えばなぜそのときそう思ったのかわからない。

 だが深く考えるよりも先に俺の口から言葉が漏れていた。

 

 

 

「お前、いつもひとりでどっかで弁当食べてるのか?」




 すると五祝成子は急に立ち止まる。

 

 

 

「また、お前って言ったわね」




 そしてきつい目で俺を見た。

 

 

 

「あ、ごめん」




「……まあ、いいわ。……そうね。私はいつもひとりで食べてるわ」




 そんな返答を返してきた。ふと思う。今俺は女と会話している。

 

 

 

「どこで食べてるんだ?」




 するとフンと鼻を鳴らした。

 

 

 

「どこで食べようと私の勝手でしょ! プライベートな問題よっ!」




 いきなりきつい返事が返ってきた。

 

 

 

「わかった。わかった。……すまん」




 俺が謝ると五祝成子は教室へ入り、自分のバッグから俺の弁当を取り出した。

 そして俺の手に渡す。

 

 

 

「ちゃんと味わって食べなさいよねっ」




「作った人のことも考えてだろう?」




 俺が先回りして答えると、五祝成子は無言で俺をにらんだ。

 そして足早に教室を出て行ってしまったのだ。

 俺はひとり残されてしまった。

 

 

 

「剣崎、いっしょに食おうぜ」




 俺が惚けていると仲がいい連中が声をかけてきたので、俺はその輪に交じることにした。

 俺はシゲさんお手製の弁当を開いた。

 

 

 

「おおっ」




 思わず声が漏れた。今日は鶏そぼろ弁当だった。

 四角い弁当を対角線に区切って黄色い卵と茶色い鶏そぼろが分けられている。

 卵はちょっと粒ぞろいの大きめ。鶏は細かいが味がしっかり染みていそうな感じだ。

 

 

 

 そしてちょっとうれしいのが中央に魚の切り身が乗っていることだ。

 どうも西京漬けらしい。

 

 

 

「うまいっ」




 俺は自然に声を出していた。

 そんな俺の弁当を周りの連中がのぞきこんでいる。

 俺はちょっと得意だった。

 

 

 

 そして味を堪能しながら会話をはずませて楽しく弁当を食べ終えたのであった。

 ふと時計が目に入る。

 

 

 

 昼休みはまだ十分に残っていた。

 いっしょに弁当を食べた連中はゲーム機を取り出してプレイし始める。俺もその輪に加わろうとした。

 

 

 

 そしてそのときだった。

 ……ふと、我に返ったのだ。俺は手渡されたゲーム機をぽとりと落としそうになる。

 

 

 

「ん? 剣崎、どうした?」




 俺は気がついたときには五祝成子の席を注目していた。

 そこにはまだやつは戻ってきていなかった。

 

 

 

 なぜかわからない。

 だけど猛烈にやつのことが気にかかったのだ。

 俺は大勢と弁当を食べた。そして今もゲームをみんなでやろうとしている。

 

 

 

 ……だけどやつはいつも一人なんだよな……。

 

 

 

 昼休みに五祝成子がこの教室にいない。

 毎日毎日。そんなことは当たり前過ぎて意識することもない風景になっていたこの出来事が、

 今は無性に気になっていたのだ。

 

 

 

「……悪い。返す」




 俺は戸惑い顔でゲーム機を受け取った友人を残して廊下に出た。

 そしてやみくもに走った。

 

 

 

 最初は空き教室を見た。

 そして木陰がある体育館脇にも向かってみた。だが、そこにも五祝成子の姿はなかった。

 

 

 

「どこにいるんだ? どこでひとりで弁当食ってんだ?」




 俺は再び走り出す。

 今度は上履きでの出入りが禁止されている中庭に出てみた。

 ベンチにも姿はなかったし、大きな岩陰にも隠れていなかった。

 

 

 

「……考えてみれば学校って広いんだよな」




 俺は今更ながら思う。その気になれば行方不明になれる場所なんて学校にはいくらでもあるのだ。

 

 

 

 そのときだった。

 雲間から日が差したまぶしさに俺は反射的に空を見上げてしまう。

 

 

 

「あ、……いた」




 屋上だった。

 屋上のフェンスに背を持たれて長い髪を初夏の風にたなびかせている五祝成子の姿を発見したのだ。

 

 

 

「くそ、間に合うか?」




 校舎の壁の大時計はすでに昼休み終了直前だった。

 俺は一気に昇降口を目指した。




 そして階段に到着すると二段抜かしで駆け上がる。

 そして四階を登り切り、屋上へ通じる鉄の扉に手をかけた。

 

 

 

「……いない? 間に合わなかったか……」




 そこには誰の姿もなかった。

 俺たちのクラスに通じる階段は他にもあるので五祝成子とは行き違いになったようだったのだ。

 俺はなんとなく打ちひしがれた気持ちで教室へと戻ったのだった。


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