第10話:僕は姫が分からない
さて。じゃあと去りたいが、別れた後はどっちへ行けばいいんだろう。教室? ややや、それでは完全に姫川を追いかけてきた人である。
となればこのままあっちへ……。あ、そういえば渡り廊下に行くんだった、そうだった。
しかし。その「じゃあ」を言うタイミングが分からない。
では、何か話題を振るべきか。
話が途切れてしまった時、雑談として相応しいテーマって、なに。共通の話題とか?
僕と姫川に共通していることなんて人間であること以外だと、……ばあちゃん? うぅん、そういえばと前置きして語れるトピックなんて浮かばない。
……姫川はなんとも思わないのだろうか。何も会話がない状態で僕と一緒にいるこの状況を。
あ、何も思われないか。一緒にいるという感覚すらないかもしれない。実際同じ場所にいるというだけで、一緒というわけでは……。
勝手に想像して、僕は地味にへこんだ。
何も言わずに去っても気付かれないかもな。そう行き着いた時、階段をおりてくる足音が響いた。
顔を向けて間もなく。現れたのは、
「うぉ、意外な組み合わせ」
クラスメイトの
カーディガンの袖を捲りながら短いスカートをひらひらさせて。桃谷は姫川ではなく僕の方へ近づくとニヤリ、いやぁな笑みを浮かべる。
「深山、姫川さんと仲いいんだ?」
「は、ハッ? べ、つに? そんなんじゃねぇけど……」
「あー、秘密の関係?」
「なに言っ」
「ダイジョブダイジョブ、あたし口かたいから」
肩につかない長さの髪を揺らしへったくそなウインクかまして僕の肩をぽんぽんと叩く。
絶妙にイラッとした。
「じゃあたし急ぐんで!」
「あっ桃谷……!」
振り返らず桃谷は廊下を駆けていった。現れて去るまで一分となかったかもしれない。
やがて足音は聞こえなくなった。
「深山って、友達いたんだね」
ぽつんと残された僕らの間に流れた沈黙を破ったのは、姫川のなんとも失礼な発言であった。
「べ、別に、友達というわけでは……」
「え? そうなの?」
「……しょ、小学校から知ってるだけ、というか」
桃谷とは、もう何年かな。存在を認識してからずっと同じクラスという腐れ縁だ。
男子とか女子とか、そういう意識をする前から顔見知りだから、僕が一番普通に接することのできる異性だとは思う。
だからといって普段、僕たちに会話があるわけじゃない。挨拶すらしない。今だって久々に話した。
でも――、友達と呼べるほど親しくないけど。僕は桃谷をいいやつだと思っている。
実際はどうか分からないけどな。僕がそう感じているだけだから。
ふいに去年の記憶が過った。
教室、机、嘲笑う口元――断片的に浮かぶ景色が僕の五感を引っ張っていく。
見えている視界よりも頭の景色の方が鮮明に。
聞こえている遠くの喧騒より自分の心臓の音の方がうるさい。
嫌な記憶ってどうして突然思い出されるんだろう。普段、僕のどこにも無いのに。どうして。
そんな僕を現実に引き戻したのは、
「私だけかと思ってた」
「……。ん?」
姫川の声だった。
瞬間、耳に喧騒が届き視界は目の前に存在する景色を映す。
頭にあったものはすっかり消えて、代わりにハテナが浮かんだ。
わたしだけかとおもってた?
多分、ちゃんと全ての音を拾ったと思うけど、意味が理解できなかった。
もしかしてその前にも何か言ったか? だとしてもやっぱり分からなくて僕は姫川を見る。
「……なにが?」
姫川の目は自分の足元に向いていた。
僕の問いかけに「んー」とつま先を廊下に擦り、キュキュと音が響く。
「私だけかと思ってたのー」
「や、だからなに、」
「深山と普通にしゃべるの」
「が……」
「あと、呼び捨てだった」
言いながら姫川は僕と腕一本分もない距離までやってきた。バッと僕に手の平を見せるように広げると、それをこちらへ伸ばす。
「えっ、な、なに」
その手は僕の肩に。突然ぽんぽんとされた。
思わず後ずさりすれば姫川は「むう」と口を尖らせる。
「なーんで桃谷さんは良くて私からは逃げるのか」
「は、はぁ?」
「桃谷さんにぽんぽんされてもそんなんしなかったじゃん」
え、えええ……? そうなる?
ああでも今のは、そう、なる……か。
桃谷に僕は無反応だった。イラッとしただけ。
それを比較対象とすれば、確かに僕の今の反応は過剰だったかもしれない。
だけどびっくりして。だって突然触ってくるから。
「深山って警戒心強いよね」
「……そんなことは」
「まだ私には心を許していない?」
「も、桃谷にも許しているつもりはないが」
「おばあちゃんだけかー」
「……」
姫川は「ならば仕方ない」と、ひとりうんうん頷いている。
あ、これはもしや。
「ねぇねぇ知ってる? とうもろこしの粒って偶数なんだよ」
「……はい?」
やっぱりだ。終わりやがった。
結局、何が言いたかったのか。
何を思ってあんなことを言い出したのか。
ついでに突然の豆知識披露についても、僕にはさっぱり分からない。
「深山、とうもろこしって言える?」
「とうろ……もろこし」
だけど。体を曲げてぶくくと笑う姫川がすごく楽しそうだから、まあいいかと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます