第6話:僕は姫と触れ合った


 会話が途切れて一瞬沈黙が流れる。これは帰るタイミングだ。「じゃあ」そう言おうと姫川さんへ改めて視線を向けて。


 僕は言えなかった。


 姫川さんの顔が俯いている。

 目線がどこにあるのかは見えないけど、両手で抱えたタッパーをぎゅっと握ったのは分かった。


 ……もしかして。まだ気にしている?


 そう思っては「じゃ帰る」とは言えなかった。

 だって僕らの立場が逆だったら。

 自分の思い込み(彼女の場合は周りに流された節があるけど)であんな風に言ってしまったら?

 例え姫川さんがどんなに「いいよ」と言ってきても僕はきっと後悔する。

 なんであんなこと言ったんだろう、と。布団の中でも引きずるかもしれない。


「……あああの、ひ、姫川さん?」


 自分に置き換えたら気にしないでねと言われたとて気にするんだけど。それでも伝えたかった。

 それだけ言って帰ろう。僕は自ら会話を切り出した。


 ――なのに。


「……ぅああ。かぼちゃだ!」


 姫川さんが俯き思いを寄せていたのはタッパーの中身。スッとひとつ掴んでぱくりと一口かじったのは僕が声をかけたのと同時だった。


「おいひいいいい」

「……」


 彼女の心はすっかり切り替わっていたのに、それを僕は。なんという恥ずかしい勘違いを。

 ああ危なかった。もし言葉をかけて「は?」とか言われたら、それこそ布団の中でも後悔する。なんてあんなこと言ったんだろう、と。


 でもまぁ、良かった。

 すっかり元気なら、それで。


 と、ここで疑問がひとつ浮かんで、僕はあれ? と首を捻った。


「……あ、あの、二個目?」

「へあ? ふん、ほうだけど」

「え、と……もしかして、晩ご飯の準備もう終わってた?」

「ううん、お米しかやってないよ。あ、お父さんに連絡しなきゃね。今日の晩ご飯、おばあちゃんがくれたよって」


 にこやかに言ってから気付いたらしい、「あ」と呟いた。しんと流れた静寂はカァとカラスの鳴き声が似合いそうな空間だった。

 しかし、


「……」

「あっ、また」

「おいひい」


 姫川さんはひょいっと手に残っていた欠片を口に放り込んだ。

 もぐもぐと、これまた幸せそうな笑顔で。あーあーもう、口の周り衣だらけだよこの人。


「よし、残りは晩ご飯の分!」


 パタン。タッパーの蓋を閉めて「うんうん」と満足げに頷くと、姫川さんの目が僕へ向けられる。


「深山くん。言わないでね」

「だ、だれに。なにを……」

「お父さんに、私が二個いったこと」

「い、言わないが」

「じゃあ、はい」


 姫川さんは立てた小指を差し出してきた。

 このポージングは……まさか。


「指切り」

「は、はぁ……!?」


 やっぱりだ! ゆ、指切りって、小指絡ませるアレだよね……!?

 いやいやいや、無理よ! 難易度高すぎる!


「そ、そんなことしなくても、言わないよ」

「いいからー、出して」

「え、えええ……」


 頭と心はどうしようどうしようと困惑しているけれど、さらに一歩詰められ僕は右手をそろりと出す。立てた小指が小さく震えた。


 だが、


「ふっふっふ、これで深山くんは私に逆らえないね」


 言わない約束の指切りだったはずが、何やら恐ろしい契約へ変わろうとしている。

 僕は差し出した手をぎゅっと拳にした。


「あー、グーしないで」

「……」

「もー指切りできないじゃん」

「……イヤダ」

「てか! 深山くん、指キレーだった気がする。もっかい見せて」

「!」


 姫川さんはためらいなく僕の拳に触れてきた。そしていとも簡単にそれを解し、僕の人差し指を自身の人差し指でなぞる。

 え、や、なぞっ……ぎゃあああ!


 姫川さんの人差し指の腹が、僕の人差し指の腹を、ぶにぶにぶにぶに。

 体温が急激に上がった気がする。首から上全部沸騰してない?

 離してくれ、と力を入れたいのに入らなくて。僕はされるがままだった。


「指長いんだねー。あ、切り傷? ハッ、意外と武闘派なのかい? 喧嘩はダメよ」


 喧嘩で指先を切るって、どんな喧嘩を想像しているんだろう。僕には全く絵が浮かばないんだが。猫と喧嘩とかだったらありえるのだろうか。

 だがまあ当然ながらそんな事実はないので、正直に答える。


「え、あ、そ、う。にわ、くさ、むしりで」


 ……ウウン、元々女子と流暢に楽しくお喋りできるタイプではないとしても、ここまで口が回らないとだいぶ情けない。

 いや、すべてはこの指のせいなんだけど。


 ようやく解放されたのは姫川さんの関心が別に移ったからだと思う。


「へえ! にわとりいるの?」

「……え? いないが」


 突然のにわとりトーク。


「?」

「?」


 どこからやってきたかわからない彼女の関心ごとはお互い首を傾げて、ふんわりとフェードアウトしていった。


「あ、じゃあ、そろそろ……帰る、ます」

「おばあちゃんにありがとうって言ってね! 私も言うけど!」

「あ、う、うん。言っとく」

「それと姫川でいいよ!」

「へ?」

「私のこと! 姫川でいいよ」

「あ、は、はあ……」



 *



 家に帰るとばあちゃんが「遅かったねぇ」とニコニコ笑うから、僕は気恥ずかしくなって洗面所へ逃げた。

 手を洗いながら人差し指に目が留まる。ぶわっと熱くなった顔をばしゃばしゃと洗った。


「ふぅ……」


 少しだけ冷えた気がしてふと思う。

 そういえば、姫川さんは僕にもそのノリをぶつけたと言っていたけど。それってつまり。

 僕とも関わろうとしてくれたってことなのかな。



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