第4話:姫に照れ隠しは通じない


「え、食べた」


 思わず言えば、姫川さんの顔がぎょっとしたものに変わる。


「私のじゃなかった……?」

「やっ、えと、あの、姫川さんのです」

「良かったー」


 僕の言葉に姫川さんはふにゃりと顔を崩す。なんてコロコロと表情が変わる人なんだろう、人狼とか絶対できないよ。ババ抜きも無理だな。


「えーえー、めっちゃ嬉しい。おばあちゃん、本当に用意してくれたんだ」

「え?」

「あ、この前ねスーパーで会ったの。その時ちょっと、……ドタバタ会議? してさぁ」


 井戸端会議、かな。


「ほら、うちお父さんと二人暮らしじゃん?」


 ほらと言われたが僕はもちろん知らない。

 でもそういえばお母さんの姿を見ていないな。お父さんの姿もしっかりとは見ていないけど。


 突っ込むつもりはない。

 人にはそれぞれ事情があるし。

 僕には関係のない話だ。


 でもその気持ちとは別に、胸のすみっこの方が少しチクとする。深い感情や思いがなくても、条件反射なのだろう。心がしんみり――、


 なんてことにはならなかった。


「ふぉんときにごひゃんほぱなしにゃって」

「なんて?」


 姫川さんは手にしていた残りを口に入れて、もぐもぐしながら何か言った。ていうかこの人コロッケ二口でいったな。

 さっぱりわからなかった言葉は、ごくんと飲み込んでから言い直すのかと思いきや、


「ん~~~~~っ、めっちゃ美味しい! 深山くん、いつもこんなん食べてんの?」


 さっきのは本当にさっぱりわからなかったけど、これが言い直したものでないことは分かった。

 姫川さんはぱぁぁっと満面の笑みだ。口の端に衣つけて。


 さっきなんて言ったの? と思わなくはないのだけど、それよりもばあちゃんの料理を褒めてもらえたことの方が僕にとっては大事だった。

 だけどそれを素直に「そうだろ」とは、まぁ、ちょっと言えない。「……ふ、普通では」と返す。


 すると、姫川さんの声が低くなった。


「あ? コロッケ作るのすっごい大変なんだが?」

「へ。あ、へぇ……」

「手間かかるんだよ。そこんとこ分かって食べな?」

「あ、はい。すいません……」


 たしなめられて、素直に同意するよりも恥ずかしくなる。

 だから「姫川さん料理するんだ」と、らしくないけど僕の方から話を広げた。


「いやね、私コロッケ好きなんだけど、お父さんきゃーきゃー大騒ぎだったもん。もうリクエストするのやめたかんね」


 あ、しないのか。見てる側。


「だからうちではコロッケは買って食べるものなんだよ」

「ま、まぁ、うちもそんな、たまにだ、コロッケ」

「そうなの? やっぱ大変だもんねぇ」

「……あ、しょ、商店街の肉屋、のやつ。うまいぞ」

「へえ! 今度買ってみる!」


 でもばあちゃんが作ったやつのが断然美味しいんだけど。……当然、言えやしないが。


 さて。もう用は済んだし会話も間が空いた。

 じゃあ。と言おうと僕が息を吸い込んだのと同時、姫川さんの口が動く。


「ね、あがってく?」


 なんで。


「お茶でも飲んでいきなよ~。もうちょっとしたらお父さん帰ってくるし」

「い、いえ。大丈夫……ス」

「あ、深山くんもこれからご飯? おばあちゃん待ってる?」

「……まぁ。はい」

「じゃあダメかぁ。残念」


 残念、とは。やれやれ、これだから陽の者は。

 お年頃とはいえ僕はしっかりと自分を律することができるからな、大丈夫だけれども。これが別の男子であればなんかちょっとそわっとしちゃうぞ。

 というか、特に律する必要性もないのだが。だって僕は恐怖のようなものを感じている。

 すごく不安な気分だ。早くばあちゃんの顔が見たい。


「ちょっとお話したかったんだけど」

「……。はい?」

「んー、やー、これはほら、立ち話でするやつではないかなあ」


 こっ、わ……こわ。何? 僕何かした?

 え、え、今ご飯持ってきた以外で何かしたっけ。


「……な、んですか、ね」

「あ。警戒してる?」


 そりゃそうだ。


「違う違う、悪い話じゃないよ」


 その言葉が既に悪い話の入り口なのでは。

 ハッ、もしかしてなにかの勧誘?


 しかし残念だな、僕はこう見えて疑わしいものはバッサリいける男である。

 うちにはおっとりばあちゃんがいるからな。おかげで「いりません! 結構です!」が言えるんだ。


 さぁ、なんでも来い。

 クラスメイトだろうとなんだろうと、僕はスパッと切ってやる! なんなら食い気味で!


「真剣に恋愛トークしたいなって」

「け、結構です! え、……はい?」


 グイッと一歩こちらへ身を寄せた姫川さんに負けじと足を踏み込んで言ったのに。

 勧誘でもないし、距離は近くなったしで、かぁっと顔が熱くなる。

 踏み込んだ足を下げて、もう一歩ついでに後退した。


 え、なに。恋愛トーク? なんで?


「ふっふっふ。深山くん、キミは今、恋をしてますね?」

「は……?」


 僕が? 誰に?

 姫川さんは口元に立てた手の平を添えると声を潜めた。


「この前のリップクリームさん、好きなんでしょ」


 さして身長差のない僕らの顔が近付くのはなんて容易い。姫川さんは僕の耳に顔を寄せる。

 ついでに後退したというのに。意味はなかった。



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