第3話:いざ姫の家へ


 宿題を終わらせリビングに下りると、漂う香りに腹がぎゅるっとなった。今日は揚げ物かな。


「洸ちゃん、姫川さんのおうちに届けてくれる?」

「ん、何を持ってくの?」

「これだよ」


 ばあちゃんに手招きされダイニングテーブルへ。見れば蓋のされていないタッパーが二つあって、コロッケと切り干し大根が別々に詰められていた。

 ……のだけど、まさか。


「こ、これ姫川さんとこに?」

「まだご飯食べてないと思うから、急いでねぇ」

「え、このことあっちは知ってるの?」


 僕と同じ高さにあるばあちゃんの顔がきょとんとしている。言葉にするなら「それがなあに?」といったところだろうか。


「や、ほら、こういうのは相手が気を遣うよ。他人が作ったもの嫌がる人もいるし」


 極力柔らかく言いたかったが、結局ストレートに伝えてしまった気がする。僕はばあちゃんがしょんぼりするのは見たくないんだ。

 なのにああもう。ばあちゃんの垂れた目尻が更に垂れてしまった。眉もしょんぼり!


「や、あのね、なんていうか、こういうのはさ事前に」

「コロッケ、駄目?」


 そっちかぁ……。ばあちゃんのしょんぼり眉はそっちだったかぁ……。ウゥン。


「いや、それがダメというか……」

「洸ちゃんが大好きな切り干し大根も駄目?」


 メニュー云々じゃないんだよ、ばあちゃん。

 でもまぁ、コロッケの付け合わせと考えれば切り干し大根はアレかもだけど、副菜ならばいいのではないだろうか。


 ……違う違う。そうじゃなくって。


「かぼちゃのコロッケも入れたよ」

「……」

「洸ちゃん好きなやつ」

「…………」

「別のがいいかねぇ……」



 *



 ばあちゃんに弱い僕は「いってくる!」と家を出た。だってばあちゃんの眉が。うう。


 どうしよう、どうしよう。

 絶対姫川さんびっくりするよ。


 のろのろ歩いたというのに、僕はもうアパートの敷地内にいた。近い、近すぎる。

 ばあちゃんから聞いた部屋は一階、一番左端。あっという間に扉の前までたどり着いてしまった。ほんと近い、近すぎる。


 どうしよう、いらんとか言われたら……。

 いや、そうなっても仕方ない。姫川さんは何も悪くない。

 とはいってもばあちゃんが傷つくのは嫌だ。その時は僕が全部食べよう。

 あーでもそんなことしたらまた用意するかもしれない。うーんうーん……。


 いや、もうグダグダ考えてもどうにもならない。ここまで来たんだ。よし、と頷く。

 すると次に襲ってくるのは訪問への緊張。

 渡すということはつまり、そう。ピンポーンと押さなければならないのだ。


 同級生の家、しかも女子。

 ハードルが高すぎる。一階なのに。

 一言目はなんだ、なんといえばいい。


 すぅはぁ深呼吸。ちらりと左に僕の家が見えた。

 塀の向こうは庭か、まじで近すぎだな。


「……、よし。いこう」


 ええいままよ。僕は扉の横にあるインターホンを鳴らした。


「わっ深山くんだ! こんばんはー」

「あ、こんばんは……」


 すぐに出てきた姫川さんは制服姿だった。シャツの袖を肘辺りまで捲って、前髪をピンで留めている。すごいな、おでこまで綺麗な形とは。


「どうしたのどうしたの」

「え、あー……」

「遊びきた?」

「ゃ、違います……」

「入る? 入る?」

「……」


 何でこんなウェルカムなの、この人。

 そうか、人を招くのに慣れているのか。さすが違う世界の人。


「え、っと、……あの」

「うん」

「……」


 な、なんて切り出せばいいんだ……?

 一言目が全く浮かばない。用件を伝えるだけなのに、その一言目が。

 これつまらないものですが?

 違うな、挨拶回りじゃないんだから。

 多く作りすぎちゃって?

 ややや、僕が作ったみたいに言うな。


 ぐるぐる考えている僕を姫川さんは急かしたりしなかった。僕の言葉をちゃんと待ってくれている。

 だけど嗅覚が反応したらしい。


「んー? 深山くんイイ匂いするね」

「……え? なにも、つけてない、けど」

「違う。おいしい匂い」

「……」


 グッジョブ嗅覚! 今だ!


「これっ……、うちのばあちゃんが、もってけって」

「えっ!」

「あ、中身はコロッケと切り干し大根で。あ、切り干し大根って知らないかもしれないけど、なんかしなしなしてるやつで味しみてて」

「早口。おいしいよね、切り干し大根」

「や、他人の家で作ったものとかまじでアレかもしんないんで、アレなんだけど」

「アレ?」

「無理にとは言わないんで。勝手にばあちゃんがしたことだから、全然あの、いいんだけどっ。でも、良かったら!」


 俯いてびゅっと紙袋を差し出した。

 だって姫川さんの反応なんて見れない。

 もし「うげ」みたいな顔してたらどうしよう。そう考えると僕の首は動かなかった。


 だけどそれは杞憂だった。すぐに僕の手は軽くなる。顔をあげると姫川さんは紙袋の中を覗き込んでいた。

 静かにタッパーがひとつ取り出される。紙袋のカサッという音がやけに響いた気がした。


 心臓が痛い。どうしよう、キモいって思われたら。

 僕のことは全然いいんだけど。でも、でもばあちゃんのことは――


「うっ…………んまぁぁぁぁ!」


 またも杞憂、だった?

 姫川さんは蓋を開けるとコロッケを掴んで、ばくっとかぶりつく。

 僕の心配や不安は何だったのか。それは全く迷いもためらいもないように思った。

 そして一口がでかかった。



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