第2話:僕らは違う世界の住人


 学校から家までの二十分。どうしようとちょっとしたパニックになったのも一瞬で。

 歩き出せば姫川さんがあれやこれやと喋ってくれて、何か話題をと考える時間もなかった。


 姫川さんは僕が返しやすいよう疑問形で話を振ってくれたり、聞いているだけで成立する一人語りを始めたりと、とにかくずっと口を動かしていた。

 女子と一緒に帰るという状況への緊張は家に着くまであったけどしんどさはなく、帰宅した僕は謎のやりきった気分であった。

 何もしていないくせにだ。


 その反省は夕食の時間に突然始まる。


こうちゃん、新しいクラスはどうだった?」

「んー……知ってる人もいたよ。あ、姫川さんが一緒だった」 


 僕の前に座りにこにこと聞いてくるばあちゃんに答えて、ふと思い出した。教室を出る前、クラスメイトに囲まれている席を見たことを。

 あれはきっと姫川さんだったんだろうな。自己紹介で転校生であることに触れたらしい(僕は全く記憶にない)から。


 もぐもぐとハンバーグを頬張り、ごくん。喉に流して僕はようやく気付く。……転校生? と。

 そうだ、学年があがるタイミングとはいえ転校生なんだ。

 ということは、とてつもなく疲れていたのでは。

 そんな人に僕は、帰宅中まで気を使わせてしまったのか?


「転校してきて不安だろうから、知ってる子が一緒で安心してるね、きっと」

「や……、知ってるってほどじゃないし」


 安心どころかイライラさせてたかもしれないよ、ばあちゃん。

 うぐぅ、胃がキリキリする。


 もうちょっと、話を広げるとかそういう努力をすべきだったかもしれない。会話ってのはある種共同作業だろう? なのに僕は。


 脳内に『おいこら陰キャ、喋れよ』と舌打ちをする姫川さんが現れた。これは被害妄想ではない。

 そう思われて当然だから。


「仲良くなれるといいねぇ」

「……いやいや、姫川さんと僕じゃ住む世界が違うから」

「洸ちゃんは面白いこと言うねえ、お隣さんだから同じ世界に住んでるよ」

「や、じゃなくて、なんていうか」


 ばあちゃんはいつも僕の話を「うんうん」と聞いてくれる。だけど今回ばかりはうまく説明できる気がしなくて。にこにこと微笑むばあちゃんに「善処します」と言うしかなかった。

 僕はばあちゃんに弱いんだ。


 でも、まあ。もしかしたらまた一緒に帰る日があるかもしれない。なんせお隣さんだから。さっき互いの家に着いた時、「まじで隣じゃん」と改めて思ったものな。

 偶然一緒になる可能性は大いにある。

 その時は、もう少し頑張ろう。



 ***



「姫、次移動だよー。行こ」

「音楽室って遠い? トイレ無理?」

「結構あるよねー、待ってるから行っといれ~」

「お?」


 教室の後方から聞こえてくるきゃいきゃいした女子+姫川さんの声。

 姫というのは姫川さんのことだ。

 初日に「前の学校でなんて呼ばれてたの?」という話になったらしく、二日目でその愛称は広まり、数日が経過した今ではクラスのほとんどがその名で彼女を呼んでいる。


 姫川だから姫、ということだろうが、僕だったらそんなあだ名、嫌すぎる。

 だってそのワードには連想されるイメージがあるじゃないか。とびっきりキラキラした感じのが。

 僕の苗字がもし八王子とかであだ名『王子』になったら――、あぁ無理ですう……。


 まぁでも自ら言ったわけだし、姫川さんは何とも思わないんだろう。

 うん、やっぱり僕とは違う世界に住んでるよ、ばあちゃん。


 さて僕も向かおう。忘れ物がないか確認して廊下に出る。

 特に一緒に行く人はいない。

 まだね、まだ数日だから。人間関係の構築はゆっくりしたいタイプなんだ、僕は。


「えーっ、まじでー!?」

「まじまじ! 朝めっちゃびっくりした」


 大層元気な女子の後ろを歩く僕の足元にコロコロと何かが転がってきた。

 リップクリーム? 拾ってから僕はハッとする。


 やばい。勝手に触ってしまった。


 僕は自分がどう見られているか自覚している。

 いや、正確には僕個人ではない。陰キャといわれる属性の人間をどう見ているか、だ。

 女子ってのは気軽にキモいと口にする。もうそれは「かわいい」と同等レベルだ、正反対なのに。

 お手軽に人間を菌へ変え、いいね感覚で犯罪者扱いする者もいるのだ。

 どうしよう、盗んだとか思われたら。


 あ、ちょっと待って。うちのクラスじゃないな、手ぶらだ。ならば陽の雰囲気でさらりと「落としたよ」と渡すか。

 ……できるわけがない、一瞬でもそんな空気出せるならそれはもう陽である。

 あ、ちょっと待って。よく見たら一年の時同じクラスだった女子がいるではないか。

 彼女に何かされたわけではないが、僕への印象がいいわけがない。最悪だ、何で拾ったりしたんだろう、僕のバカやろう……。


 しかし、長時間この手にあるのはどうだろう。僕の体温が残ってしまう。それこそキモいのでは?

 渡すなら急がなきゃ。……え、渡さないパターンあるの? あ、窓んとこにそっと置いとく的な?


「深山くん、どうしたの?」


 足を止めグダグダ考えること、きっと数秒。

 後ろから僕を呼ぶ声がして、振り返るとそこには姫川さんがいた。


 助かった!


「あ、あああ、の。ひ、めかわさん。これ、あの、そこの人たちの誰かの落とし物で」

「うん?」

「そ、の。わ、わたしてもらえない、か」

「え? いいけど。自分で行けば――」

「あ、ありがと……。よろ、く、……しゃす」


 ペコと頭を下げて僕は廊下を走った。

 前の女子を抜いて階段に差し掛かった時、姫川さんを待っているらしきクラスメイトらがいた。それもダッシュで背景にする。


 同性、しかも姫川さんの手からなら、落とした女子も嫌な気持ちにならないだろう。

 ハッピーに解決した!

 階段を上り終え、僕はゆっくり音楽室へ向かう。

 その足取りはとっても軽かった。



 この後この件をキッカケに、僕との関係が変化していくのだが、この時の僕は知る由もない。




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