(三)-1
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俊輔を連れて目的地らしい大きな料亭に入り、大久保は同行の薩摩藩士らに先に大広間に行っているよう促した。
「大久保さあはほんのこてお人が良かのお」「子供好きじゃでの、一蔵さは」
明らかに揶揄を含んだ声々を背中で聴きながら、大久保は中居に徳利を持ってこさせ、俊輔を六畳ほどの小部屋に連れ込んだ。対座の体勢になり、「ちと、沁みっぞ」と言いながら、酒を含ませた手拭いで俊輔の顔の傷口を拭った。
傷口に酒が沁みるのは激しい痛みをもたらしたが、殴られている時にもなかった涙が滲んだのはそれが原因ではなかった。正確には、長年ため込んできたものが、その痛みを突破口にして噴出した。
「痛かろうが、傷口を洗うにはこれが一番じゃ」
大久保の言葉に相槌を打つこともなく、俊輔は先刻の大久保の態度について考えていた。
薩摩の権威を振りかざし頭ごなしに説教して、あの場から俊輔を引きはがすこともできなくはなかっただろう。しかしそれでは、今後も長州藩の中で生きていかねばならない俊輔の立場が悪くなる。
かといって過剰にへりくだるのは薩摩の名折れだし、今の薩長の微妙な均衡状態にも悪い影響を与えかねない。どちらにも抵触することなく穏当に解決する方法を、瞬時にその場で考え出したのだ。ふたたび大久保の声が聴こえてきた。
「ところで、百姓あがりと言われちょったが……」
俊輔は目を開けた。ひどく暗い目つきになっているであろうことを自覚しながら、
「本当の事です。私の家は、もとは周防のしがない水飲み百姓です。父が出稼ぎで奉公していた先が藩の足軽の家で、人物を見込まれてそこの養子になったので」
大久保は子供のように目を見張った。色んな顔を見せる人だ、という思いがちらと俊輔の頭の中をかすめた。
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