第7話 北へ

 正午に始まった魔力鑑定の儀式。

 時間の経過とともに、太陽が徐々に西へと沈み始める。

  

 アルセウスの軽い威嚇もあり、以降儀式の間に私語を発する者はなく、魔力鑑定の儀は粛々と進められた。


 儀式は長丁場となっており、すでに3時間が過ぎていた。


 本来であれば、魔力鑑定はこれほど仰々しく行う必要はない。

 魔力特性に反応する『鑑定の宝玉』に魔力を垂らすことで、誰でも鑑定が可能である。

 勿論宝玉が貴重なのは言うまでもないが、大帝国にとってはその程度。


 ――ではなぜ『魔力鑑定の儀』が必要なのか?


 それは、魔力特性を活性化させる必要があるからである。


 本来、魔力特性は自然の変質によるもの。その時期は人によってまちまちである。

 10歳に魔力特性を発現する者もいれば、13、14になっても発現しない者もいる。


 しかし、大帝国ではそれでは困る。発現の時期が不定では諸侯の足並みがそろわない恐れが生じる。


 大帝国は広大故、諸侯が一堂に会することは稀であるといえる。それこそ、予め決まっていた祭典でなければ参列できない貴族も多い。


 そんな中、皇子の魔力鑑定という一大行事が不定期となってしまっては出遅れる貴族も必ず生まれ、不満も生じる。

 そこを防ぐために、大帝国では決まった時期に魔力鑑定の儀式を執り行う。

 仮に未覚醒だとしてもその場で起こす決まりとなっているのだ。


 アルセウスの魔力は未覚醒だったため、覚醒させるために大きな儀式が必要となった。


 そしてそれらもようやく終わり、いよいよ魔力鑑定の時。

 エルウッドの言葉に、一同が耳を書か向けていた。


 そして――


「アルセウス殿下の御魔力は――『月』でございます」


 ――そう言い放たれた。


 祭儀の間は水を打ったように一瞬静まり返り、すぐさま動揺に包まれた。


「月、ですと?」

「あまり聞きませんね。どういった魔力ですか?」

「はて、私も初耳故」

「『太陽』ではないのか? あとしたら、は何なのだ?」

「『月』……どこかで耳にしたような……」

「れ、歴史の奥に葬り去られた、あれのこのでは、ないだろうか?」

「っ!? のあれか!?」

「シィ! 声が大きいですぞ!!」

「しかし、だとしたら不味いことになりましたな」

「『嗜血帝』の再来、か……」


 先ほどまで静まり返り返っていた殿堂は、今や騒音の嵐。

 諸侯は口々に好き勝手なことを言っているが、それを咎める側も衝撃で言葉が出ないようだった。


 それほどまでに『月』という魔力は特別で、忌々しいものだった。

 だが、そんな鑑定を受けたアルセウス本人はすべてがどうでも良かった。


 なぜなら――


「「「っ!!?」」」


 突然一斉に、諸侯たちは口を閉ざした。

 彼らの視線は、全てアルセウスに集中していた。

 強制的に、集中を奪われたのだ。


「なるほど。これが、俺の……」


 ――強制精神操作


 そんな凶悪な力が『月』の魔力にはあった。

 そのことを諸侯たちは瞬時に理解し、戦慄した。


「っう」


 突然アルセウスが頭を押さえる。

 すると、諸侯たちへの魔力の影響も失われる。

 しかし、恐怖だけは残り続けた。


 一方アルセウスも、尋常ではない頭痛に侵されていた。まるで脳内に蛆虫が這いまわっているような。


(クソが、軽く慣らしただけでこれか……)


 だが、倒れるわけにはいかない。諸侯に弱みを見せるわけにはいかないのだ。

 そう思い、アルセウスは壇上を降り、皇帝へ一礼するとその場を去ってしまった。

 

 それを止める者は、誰もいなかった。


 

 ◆


 翌朝。


「……クソみたいな気分だな」


 一晩経っても、アルセウスの頭痛は治まることはなかった。

 まるで二日酔いのような鈍い痛みにアルセウスは苛まれていた。

 周囲の小さな音も頭に響くため、いつもより寝覚めが悪い。


(……鍛練あるのみ、か)


 ――月の魔力の副作用


 月の魔力は一方通行ではなく、双方向にパスが繋がっている。

 他者の精神を強制する際に、同時に他者からも情報は流れ込んでくる。 

 その膨大な情報を脳が処理しきれず、頭痛という形で表れている。


 ベッドから立ち上がり、窓辺まで足を運ぶアルセウス。


 天気は快晴。晴れ渡る空を見ると、多少頭痛も和らぐ。


 ぼんやり庭を眺めていると、一人の庭師がやってくる。

 若手というわけではないが、ベテランというほど年を取っていない。

 しかし、アルセウスにとっては初めて見る顔だ。

 そのはずだ。


 着任して間もないのか、庭園で少し迷った様子を見せる。

 その後も、不慣れさを見せながら庭を整える。

 しかしある瞬間、誤って切ってはいけない枝を切り落としてしまう。

 その後彼は遅れてやってきたベテランにひどく叱られていた。


 そんな日常の一幕。

 だが、アルセウスには違う風に映っていた。


「やっぱ、気のせいじゃねぇな」


 ――既視感


 デジャブとも呼ばれるその現象は、脳の認知性メカニズムの誤作動によって生じると言われている。


 しかし、アルセウスには明確にその場面を見たという記憶がある。

 それも何度も。


「記憶が、戻った、のか?」


 本人が戸惑うほどの僅かな変化。

 だが、それは確かに生じていた。


「このタイミングだ。『月』の魔力関係してない訳がねぇ」


 精神を操る魔力だ。

 記憶を操ることも難しいことではない。

 いずれにせよ、より魔力を巧みに操ることができれば、アルセウスの記憶喪失も改善されるだろう。


 コンコン。


「入れ」


 ノックが響いたことで、アルセウスは反射的に入室を許可する。

 扉を開け部屋へ入ってきたのは、いつもアルセウスの世話をしているメイドだった。


「いつもよりずいぶん早いな。どうした?」

「あ、そ、その……こ、皇帝陛下がお呼びです」

「父上が? 分かった。すぐに向かうと伝えてくれ」


 メイドは一例をして、すぐさまこの場を去った。

 昨日の今日だ。魔力関連の話で間違いないだろう。


(嗜血帝、か……ちゃんと調べる必要がありそうだ)



 ◆


「はい? 今なんと?」

「二度も言わせるな。北方へ行き、ウラノス辺境伯と共に四君主『万軍の主君』の軍勢を退けよ」


 二度聞いても、アルセウスには信じられなかった。


 ――ソル=アステーラ大帝国北部


 それは、竜が支配する土地『竜域』と唯一陸でつながった大陸の関門。

 大陸進出を目論む竜を阻む人類の盾。


 現在大帝国が抱える四つの戦線のうち、最も過酷である。

 生存率は僅か2割。

 貴族でも3割を切るほど。


 敵は、最強を謳われる竜種。それも、神の名を冠する四君主の一人『万軍の主君』の軍勢。


 そこへ、皇帝は皇太子を送り込もうとしていた。


「なぜ俺ですか? それになんでこのタイミング? 『万軍の主君』とウラノス辺境伯の小競り合いなんて、今に始まったことじゃないでしょ?」


 多少のイラつきと共に、アルセウスは父・レオンハート帝に反抗する。


「近頃、『竜域』が騒がしい。あのウラノス辺境伯すら手を焼くほどらしい」

「それで? 答えになってませんよ、それ」

「そう急くな。黙って聞け。はぁ……辺境伯からは再三援軍を強請られた。だが、今の帝国にはそんな余裕はない。南のエレミア、西のインカンタール。海を隔てた東にはメルカーティアと大連邦。とてもじゃないが、北方へ送るほどの精鋭はない」


 有象無象を援軍として送ろうが、1ヶ月も経たずに全滅するだろう。

 送るなら精鋭だが、生憎今は殆ど出払っている。

 帝都には『七星』が三人いるが、全員要職についているため無暗に動かせない。


「それ、威張る以外知らねぇ外務省庁の馬鹿どもだのせいでしょ? あんな強腰外交で上手くいくわけねぇ。俺は前々からエレミアとは戦争すべきじゃないって言ってるのに、一向に和平が進まねぇし」

「それは今は関係ないことだ」

「あっそ」


 アルセウスとて、そんなことを今さら言ったところでどうにもならないことは分かっている。

 故に簡単に引き下がった。


「……皇族が身を切らなければ、臣下はついて来ない」

「……つまり、俺はスケープゴートだと?」


 レオンハート帝の言い分はこうだ。


『精鋭を送る余裕はない。でもウラノス辺境伯を納得させなければならない。ならば、皇族が犠牲になるほかない』


「済まないと思っている」

「殿下。ご決断を」


 今まで皇帝の傍で黙っていた左宰相も、ここぞとばかりに畳みかける。

 左宰相の名はカダーベル侯爵。

 国の重鎮にしては歳は若く、40半ば程度。

 左宰相の位についてまだ日は浅いが、既に貴族院の末席に身を置いている。

 ゆくゆくは皇帝に次ぐこの国の権力者となるだろう。


 そして彼は、でもある。


 彼がここにいるということは、アルセウスを北方へ送ることは貴族院の意思。

 色々と言い訳を考えてきたようだが、要するにアルセウスを消したいらしい。


 そのことに、アルセウスも当然気づいている。


「……牙を抜かれた獅子ほど見っともないものはありません。貴族の飼い猫に成り下がりましたか。老いたな、父上」

「殿下!! 陛下に何という無礼を!!――」

「構わん。死地に送られるのだ。多少取り乱すのは仕方ない」


 レオンハート帝が手を上げ、左宰相を制する。


「だが、お前がどれだけ吠えようと、この決定は覆らん」

「……一つだけお聞きしても?」

「なんだ?」

「シリウスが『太陽』で間違いありませんか?」

「十中八九、シリウスだろう。シエルの可能性もゼロではないが」

「……そうですか」


 アルセウスの2つ下の弟シリウス。

 アルセウスの3つ下の妹シエル。

 そのどちらかが、『太陽』の魔力を秘めているという。


 ――なぜそれが分かったか。


 その魔力は、文字通り『太陽』に呼応するからだ。


 数日前に観測された、日輪の揺らぎ。

 一瞬だが、二つの太陽が重なっていたことが分かった。

 それは、『太陽』の魔力に呼応した際に生じる現象。


 アルセウスが『月』である以上、残された二人のどちらかが『太陽』の魔力に覚醒したのだろう。

 年齢的に可能性が高いのは――兄であるシリウスのほうだろう。


(なるほど。俺は用済みってわけか)


「もう一つ、よろしいですか?」

「ほう? 一つだけではなかったのか?」

「けち臭いこと言うなよ父上。仮にも皇帝でしょ?」

「どうだかな。猫というのは太古の昔からケチで有名だからな」

「拗ねんなよ大人げねぇ」

「くっくっく。宰相、下がれ」


 下がるよう命じられたカダーベル侯爵。


「しかし……」

「長くは話さん。下がれ」

「……御心のままに」


 カダーベル侯爵が退室すると、レオンハート帝は少しだけ父親の顔を見せる。


「それで、あと一つとは何だ?」

「大したことじゃありません。ただの確認です。――皇太子は、俺ですよね」

「あぁ、それは間違いない。少なくとも、今はシリウスを立てるつもりはない」

「ならよかったです。失礼します」


 それだけを残して、アルセウスはその場を去る。

 しかし、何か思い出したのか、振り返りレオンハート帝を見つめる。


「俺は死なない。必ず戻ってくる。それだけ、肝に銘じておいてください」

「…………」


 僅かな沈黙。

 直後、レオンハート帝は口元を綻ばせる。


「はて、どうかな。老いた獅子は物忘れが激しいからな」

「ッチ、そんだけ根に持てるなら大丈夫そうだ。それじゃあ父上、達者で」


 今生の別れではない。

 それは、両者ともに分かっていた。

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