第5話 追放者
菖蒲の花が咲く仲夏の頃。晴れ渡る日の晴嵐が草原を駆ける。
光陰矢の如し。
アルセウスとオルビアが出会って、すでに三年の月日が流れた。
未だに週に一度の逢瀬は続いており、現在の戦績はアルセウスの362勝278敗19引き分け。
じわじわと戦績が追いつかれ始めているが、近頃はアルセウスの勝率はそれほど悪くはない。
サナトスから剣を習いたての頃は10回に1回勝てるかどうかだったが、今では3回に1回は勝てるほどとなっている。
どうも、サナトスの剣はアルセウスによく馴染むようだ。
そのことについて、アルセウスはサナトスにこう尋ねたことがある。
◆
『おいサナトス。お前の流派の名はなんだ?』
『名前ですか? 名などございません。そもそも流派と呼べるようなものでもありませんので』
『我流ってわけか? ッチ、クソ天才が』
『いえ、我流というわけでは……名がないのは、この剣が未完ゆえでございます。私としましては、是非とも殿下に完成していただきたく存じます』
そんな不思議な会話が、アルセウスとサナトスの間に繰り広げられた。
◆
サナトスの剣はグランディア流とは異なり、決まった技がまだいない。
ただ、無数の型によって構成されている。
言われて見れば、確かに未完の剣技のように思える。
その場で感覚とセンスを頼りに技を選び、繰り出すのがグランディア流。
故に、相手によってそのスタイルは変幻自在である。
対するサナトスの剣は、ありとあらゆる場面を想定して事前に型に落とし込むもの。
どんな相手だろうと自身のペースを強制する。
地道で、泥臭い剣。
天才サナトスの印象とは真逆といえるかもしれない。不思議に思うも、アルセウスはそれ以上追及しなかった。
「ふわぁ、いい天気~」
隣で寝転がる少女の声で、アルセウスは思考の海から抜け出す。
今日という日も、二人は手合わせをしていた。
直近の勝負ではアルセウスが勝利したため、若干上機嫌である。
寝転がるオルビアに対し、アルセウスは大樹に背を寄せていた。
頬杖をつきどこかを見つめるも、結局視線はオルビアに引き寄せられる。
――自身でも不思議と思えるほど、彼女から視線が離れない。
そんな風に他人事のように考えていると、急にオルビアが起き上がり、金色の瞳でアルセウスをじっと見つめる
「……んだよ」
「あんさ、前々から思ってたんだけど――アルって顔がいいよね」
「は、はぁ? なんだ急に」
「いやぁ、昔はあんまり思わなかったんだけどさ。童顔だったし。でもなんか最近の成長が目覚ましいっていうか……うん、顔面がいいわ」
「は、はぁ……ど、どうも」
あまりそっち方面で褒められることがなかったため、アルセウスは咄嗟の反応に困った。
「いいなぁ。私もそんな顔に生まれたかったなぁ」
「……お前マジ鏡見てこい」
「ふぇ?」
あまり人の容姿に関心がないアルセウス。
それでも、オルビアは容姿端麗であることは分かる。
無表情でいると、紫の胡蝶蘭のような高貴さで人を寄せ付けない。しかし一度笑えば牡丹の花が如く人の心に溶け込む。
そんな美しさ。
「アル、モテるでしょ?」
「誰にだよ。そもそも、ここ数年お前としか会ってねぇんだぞ」
「え? アルってぼっちなの!?」
「おい言い方考えろよ? 下手したら自爆だからな?」
「っくぅ……も、猛省します」
そう。ボッチはお互い様なのだ。
だが、それでも他の友人は必要ないと思えるほど、二人の仲は深まっていた。
◆
――ヨナムは奴隷だった。
しかし、彼も生まれつき奴隷だったわけではない。
訳あり、実の両親からスラム街に捨てられた幼児。
それがヨナムである。
すぐに命を落とすと思われた幼子だが、なんの因果かスラム街の年長者に拾われ育てられた。
ヨナムという名もその際に与えられたもの。
その後四つになるまで、ヨナムはスラム街で過ごしてきた。
しかし、五歳になる頃。
人攫い、奴隷狩りが流行した。
スラム街の人間は保身のため、あっさりヨナムを裏切り売り飛ばした。
所詮は気まぐれで育てられた孤児。
なんの情もなかったのだろう。
しかし、それは幼いヨナムにとってはあまり残酷すぎる現実だった。
実の親に捨てられ、育ての親に売り飛ばされる。
これだけでも悲惨な人生といえるが、ヨナムにとっての悲劇はそれからだった。
体力もなく小食だったヨナム。
同年代と比べてもなお小柄。
奴隷にしては顔立ちが端麗な部類だったが、薄汚れたせいでそれに気づくものはいない。
買い手がつかないまま二年が経過した。
いわゆる売れ残りである。
売れ残った奴隷がどうなるかは、今更語るまでもない。
「オラァ!! キビキビ動かんかい、この役立たずが!!」
処分されるか、死ぬまでこき使われるか。
ヨナムの場合は、幸いにも後者だった。
荷台に貨物を積もうと持ち上げる。
しかし、足元の小さな段差に躓き転んでしまう。
そこへヨナムの主人たる奴隷商の男が鞭を振るう。
これが日常だった。
「ッチ、売れ残りが。一文の金にもならねぇくせに、ただ飯ばっか食いやがって。その荷物、積み終わるまで、晩飯はやらんからな!! 分かったか!」
そう男は吐き捨てる。
「ッチ、あんのジジィほら吹きやがって。珍しい能力があるとかなんとか言ってたくせに……オラァ、さっさと立ちやがれ!!」
そう言って再び男は鞭を振るう。
いつもなら鞭打ちを嫌がりすぐに立ち上がるが、今日のヨナムはそうではなかった。
すでに体が限界だったヨナムには立ち上がる余力などなく、ただ殴られるほかなかった。
『ヨナム、大丈夫!? しっかりして、このままじゃあ死んじゃうよ!!』
「僕は……平気」
『ムゥ、この毛むじゃら!! ヨナムから手を放せ!!』
『そうだそうだ!! ハナセ!!』
『ヨナム、もう逃げよう!! ボクたちがいる森までおいで!!』
「……ムリだよ」
奴隷商の男は騙されたと思っているようだが、ヨナムに特殊な力があるのは確かだ。
ぼやけるヨナムの視界には、いくつもの光の玉が浮かんでいた。
それらは、ヨナムにしか見えない妖精――白妖精・リョースアールヴァルである。
魔法ではない、理を外れた力である。
「みんな……ごめん」
『しっかりしてヨナム!!』
『っあ、誰か来た!!』
『すごいオーラ! すごい天命! きっと偉い人だよ!!』
『世界の加護だ!! ヨナムと同じ、世界の加護だよ!!』
いつになく妖精たちが騒ぐので、一体何事かとヨナムは首を僅かに傾かせる。
するとそこには、銀の髪と青い虹彩をした年上の少年が自分を見下ろしていた。
一瞬、目が合う。
「あん? んだよ坊主。見世物んじゃねぇぞ。消えろ」
「……久々に勝っていい気分だったってのに、台無しだクソが。胸糞悪いもん見せやがって」
「はあ?」
「奴隷法違反だろ、それ。奴隷をぞんざいに扱って死なせでもしたら、お前もただではすまねぇぞ」
「っく、ぐはははは。何を言い出すかと思えば……いいか坊主? お勉強はしてるみてぇだが、大人の世界ってのはそんなもんクソの役にも立たねんだよ。法律なんざ飾りだ飾り。結局は世の中は権力がものを言うんだよ!!」
「……つまり、お前にはその権力があると?」
「あぁ、当然だ。うちの商会は大貴族様に守られてんだよ!! こんな奴隷の餓鬼一人のために、貴族様の不興を買う馬鹿は居ねぇんだよ」
少し辺りを見回すと周囲には既に人が集まっておいた。
そこには衛兵も混じっていた。
それでも止めに入る様子がないというのは、男の言う通り権力を恐れているのだろう。
「はぁ……」
「どうだ、少しは勉強になったか坊主?」
その問いに、少年は応えない。
代わりに、荷台まで静かに足を進める。
そして、一閃。
荷を固定していた紐を断ち切った。
すると当然、積みあがった荷物は荷台ゴロゴロと落下する。
「は?」
男が状況を飲み込むのに、しばしの時間を要した。
「テメェこのガキ!! 何しやがんだ!!」
そう怒り出した男は、少年の胸倉をつかみ、拳を振るいあげる。
しかし、少年は動かない。
――刹那、血の花びらが舞う。
「ぐ、ぐわあああぁあ!! う、腕がああ!!」
「遅くなってしまい、申し訳ございません」
その言葉と共に現れたのは、平服姿のサナトスであった。
男の腕の腱だけを切り裂く見事な剣技。
「いいや、良いタイミングだ。てかちょっと早い」
のたうち回る男を見下ろし少年――アルセウスはそういう。
「て、テメェらこんなことして、ただで済むと思うなよ!!」
「済むに決まってんだろ。使い古された遠吠えしやがって」
そういう男を鼻で笑い飛ばすアルセウス。するとそこへ、衛兵たちが割り込む。
「ちょっと君たち!!」
「何をする!?」
今までは傍観を貫いていたのに今更と、アルセウスは思うが、彼らを責めていても仕方ないだろう。
「一部始終を見ていたが、これは何の真似かね!!」
強気に出る衛兵。彼らも奴隷商の裏にいる貴族が誰かは知っているのだろう。
しかし今回は、相手が悪い。
「おや、一部を見ていたのなら話が早い。現場審問を行いますので、嘘偽りなく素直に答えるように。あ、申し遅れましたが私、紅鏡騎士団のサナトスと申します」
「こ、紅鏡騎士団!?」
「サナっ!? 第一師団長様!? こ、これは、とんだ失礼を!」
今更頭を下げる衛兵たち。
「そういうのは結構ですので……ではお聞きします。一部始終を見ていたと仰いましたが、あなた方は何をしていましたか?」
「そ、それは……」
「…………」
「聞き方を変えます。こちらのお方の身に危険が及び兼ねない状況で、あなた方は何故止めに入らなかったのですか?」
「そ、それは、その……商人の方も、その、本気で、というわけではないでしょうし」
「は、はい。そ、それに、やんちゃした子供には躾も必要と言いますか……」
「そうですか。よくわかりました」
そう言ってサナトスは振り返り、商人を見下ろす。
「仮の罪状を言い渡します。奴隷への不当な暴力による『奴隷保護法違反』。帝国皇太子アルセウス・ソル・へーリオス殿下への『不敬罪』。そして何より、殿下の御身を傷つけようとしたその行為は『大逆罪』に当たります」
「「「お、皇太子殿下!?」」」
その名を聞いた途端、衛兵含み野次馬の群衆も一斉に膝をついた。
宮中でのアルセウスの評価など、世間一般は知る由もない。
知っているとしても、当人の前で敬意を表さない理由にはならない。
本来、大帝国の皇太子とはそれほどに尊い存在なのだ。
「彼の身柄を拘束しなさい。そしてあなた方は、明日騎士団本部に出頭するように」
そう言って、サナトスはアルセウスの下へ向かう。
「ま、待ってくれよ。知らなかったんだ、おれは!! 皇太子殿下だって知らなかったんだよ!! だから許してくれよ!! こ、こんなの、あんまりだろ!? なぁ! おい!! 聞いてんのか!?」
そう男はわめくが、サナトスもアルセウスも取り合わない。
結局、騒ぎながらも男は連行された。
「一応『不敬罪』も込みで処理しましたが、よろしかったので? あの男の言う通りこの場合不敬に当たるかどうかは微妙な線かと思いますが」
「どっちでもいいさ。どの道、皇族に手出したのは『大逆罪』に当たるからな。むしろ一発殴らせたほうが良かったかもしれねぇな」
「それは容認できかねます。私の首が飛びますので」
「はいはい」
「それで、こちらの奴隷はどうなさいますか?」
「拾って帰るしかねぇだろ。ほっといたら死んじまうからな」
「仰せのままに」
その一連のやり取りを、ヨナムは見ていた。
『良かったねヨナム!!』
『助かった助かった』
『ざまあみろってんだ、あの毛むくじゃら!!』
妖精たちは騒ぐ。
しかし、ヨナムはそれどころではなかった。
世界が彼の肉体に、変化をもたらそうとしていた。
消えゆく意識と引き換えに、ヨナムの体には巨大な力が宿り始めた。彼に必要なものを、世界が選定したのだ。
――三度目の覚醒。
ヨナムはアルセウス、オルビアに続く、三人目のエトランゼである。
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