第4話 敗北の味
アルセウスとオルビアが出会って丁度一週間。
今日という日も、オルビアは屋敷を抜け出し丘へと走った。
ここ数日、『紅雨』のクローディアに師事をすることで、オルビアの剣は格段の上達した。
毎日の修行が楽しみで仕方がないという様子で、今日もクローディアは大樹へと向かった。
しかし、そこにはクローディアの姿はどこにもなかった。
代わりに――
「っあ!!」
――アルセウスの姿があった。
「……よぉ」
「よぉっ、じゃなーい!! おらぁ!」
「うっわあっぶねぇ、何しやがる!」
アルセウスの姿を見た途端走り出したオルビアは、すかさず飛び蹴りを放った。
「あの日はよくも約束をすっぽかしてくれたなぁ! 私がどれだけ寂しい思いをしたか……」
「何言ってんだお前。約束って何だ?」
「こらそこ、惚けない!! 次の日も来るって約束だったでしょ?」
そんな約束はしていない。
「してねぇよそんな約束。気が向いたらって言ったろ」
「そんなはず……あ、あれぇ? そうだっけ? うん? ……そ、そう言われるとそんな気が、しなくもなくもないかも?」
「クソ冤罪じゃねぇか。蹴られ損かよ」
「う、うぅ、ごめんよ」
自身の勘違いに気づき、しゅんとなるオルビア。そして何より、その勘違いを一週間も引きずったという恥ずかしさがオルビアをそうさせる。
「だってぇ……寂しかったんだもん」
頬を膨らませ、口をとがらせたオルビアが駄々を捏ねる。
自分でも子供っぽくて恥ずかしいと思ったが、それ以上に安堵が強かった。
この世界に来て初めての同年代の友人に、オルビアは自分が思っている以上に執着していたのかもしれない。
急にしおらしくなったオルビア。
そうさせてしまったことにアルセウスは一抹の罪悪感を感じる。
「はぁ、俺も暇じゃねぇからさ。でも……週に一回ぐらいは、こっちに来てやる」
「ほんとぉ? やったぁ!!」
今度こそ約束を取り付けたと、オルビアは笑顔の花を咲かせ、剣を抱えながら飛び跳ねる。
オルビアの笑顔に、アルセウスは少しほっとした様子でぼやく。
「これで良家の令嬢とか、世も末だな」
◆
合流したアルセウスとオルビア。
二人は早速剣を構え、試合った。
幾度も剣を重ねた結果――
「はぁ、はぁ、はぁ……つっよ。マジかぁ」
――アルセウスの9勝0敗。
当然の結果といえる。剣を習い始めた一週間の素人と、何度も回帰を重ねた少年では天と地ほどの差がある。
「掠りもしなかった……」
「そりゃそうだ。こんなド素人に掠らせてたまるかよ」
「ぬぅ! ムカつくぅ。もう一回もう一回ぃ!!」
「ガキかよ。いやまあ……ガキなんだけどさ」
「ガキじゃない!」
「今日はもう無理だ。時間がねぇ。また来週相手してやるから、今日は我慢しろ」
「むぅ…………分かった。我慢する。私大人だから」
「根に持つんじゃねぇ。そういうとこがガキなんだよ」
「ガキいうな!」
剣を収め、帰ろうとするアルセウス。しかし、その手は僅かに震えていた。
(マジかよ。一週間でもここまでくるのか、化け物め。これ以上打ち合ったら腕が持ってかれそうだ)
時間がないのも事実だが、それ以上にアルセウスの体力が限界に近づいていた。それもそのはず。
毎日剣を振るってきたオルビアと、時を無駄にしてきたアルセウスとでは、基礎能力からして段違いである。
半年間ただ剣を振り続けたオルビアの努力は、無駄ではなかったということだ。
(日頃の運動不足が祟るな。まずは基礎訓練か……)
オルビアの成長は目覚ましいが、アルセウスから見ればまだまだ隙は多い。
剣筋は格段に良くなったが、足捌き、呼吸、視線、フェイント、経験。それらにおいてはアルセウスの方に分がある。
だが、そのアドバンテージもいつまで持つか分からない。
内に秘めたる焦燥を隠しながら、アルセウスは帰路に着く。
そんなアルセウスを、しかしオルビアは呼び止める。
「あ、ちょっと待って。お互い名前もまだでしょ? 私オルビア。そっちは?」
「……アル」
「アル? それだけ?」
「あぁ」
「そう? まあいいや。じゃあバイバイ、アル! また来週。今度はすっぽかしちゃダメだからね」
「いや、前回のあれは冤罪だろ。司法仕事しろ」
だが、この空間における法はオルビアである。
それ故アルセウスのぼやきは、オルビアには届かないのであった。
◆
稲の苗が生長し始める晩春頃。行く春を追いかけるように牡丹の華が咲き散って行く。
この季節になっても、クローディアは相変わらず頻繁にオルビアのもとを訪れ、指導を行った。
ただし指導と言っても、型を見せオルビアの誤りを修正する程度。
しかし、オルビアにはそれで十分だった。
だがまだ、一度もアルセウスには勝てていない。
◆
大暑極まる女郎花月。酷暑が襲う季節であっても、二人の手合わせの障害にはなり得なかった。
この頃にもなると篠突く雨が時折二人を襲う。
しかし、どちらも一歩も引かないず、雨中で打ち合う。
そして翌日は仲良く風邪にうなされ、オルビアはクローディアに、アルセウスはサナトスに怒られるのが慣例となった。
それでもやはり、オルビアは一度もアルセウスには勝てない。
◆
残暑が鳴りを潜め始める寒露の時期。雁が来たから飛来し、菊の花が咲き始める。青々とした草原もすっかり様変わりした。
この頃になると、クローディアが顔を出すことは少なくなり、オルビアが1人で鍛練をすることが増えた。
なぜなら、オルビアは既にグランディア流の八つの技を身に着けていたのだ。
常人が10年かかる道程を僅か半年で走破したその才能は、まさに異常というほかない。
だがそれでも、アルセウスの背中は依然はるか遠くにあった。
◆
霜枯れる果ての月。熊は穴倉に籠り、オオジカが角を落とす。今年は一段と、冬が厳しい。
時折雪が降ることもあるが、それでも二人は歩みを止めない。
逃げるアルセウスを、オルビアは追いかける。
二人が出会って間もなく一年が過ぎようとしていたが、二人は依然と喧嘩ばかり。
昼が短いということもあり、手合わせの回数は次第に減っていた。しかし、それは日照時間のせいだけではないことを、アルセウスだけは知っていた。
すぐそこまで、オルビアは迫っていた。
次第に、オルビアとの手合わせが億劫になったアルセウス。
だが、そのことをおくびにも出さなかった。
せめても意地か。すべてを諦めた達観か。
それでもまだ一度も、アルセウスは負けていない。
◆
雪が溶け、ウグイスが鳴く。二度目の春である。
じきに草木が芽吹き始める大地を踏みしめるアルセウスの足取りは、しかし生命の息吹とは程遠い陰鬱を孕んでいた。
感覚でわかる。今日が、その日だと。
――やりたくない。
――負けたくない。
――失いたくない。
様々な思いがアルセウスの胸中をかき乱し、歩みを縛り付ける鎖となっていた。
オルビアとどんなやり取りをしたのかすらも覚えていない。
気づけば、剣を構えていた。
真剣な眼差しでこちらを見つめるオルビア。
その目すら、よく見れずにいた。
――始まってしまった。
一手目はやはり、『霧時雨』だった。
避けるか、受け止めるか。
刹那の思考と共に、避けきれないと判断し、受け止める。
それに連なるように、左右左右と連撃を放つオルビア。
捌くので精いっぱい。とても反撃などできるはずがない。
どれほど時間過ぎたのだろうか。
間違いなく今までで一番の長丁場だろう。
今となっては早く終わってくれとしか願えない自分が情けないで仕方がない。
無尽蔵の体力に押し切られ、足元が僅から綻ぶ。
それをオルビアが見逃すはずがなく、さらなる猛攻を仕掛ける。
手元のゆるみを悟ったオルビアはくるっと剣を返す。
――グランディア流・参式 霜柱
手元の剣は宙を舞い、首元にはオルビアの剣が突きつけられていた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
互いの息切れ。だが、そんな音はもはやどうでもいい。
「よっしゃあああ!! 初勝利!!」
歓声を上げながら飛び跳ねるオルビア。
彼女らしいファーストリアクション。
しかし、いつもなら愛らしいと思えるその挙動の全ても、今はただただ憎い。
憎悪にも似た苛立ちが、しかし行く場を失いアルセウスの心中を蝕む。
足から力が抜け、アルセウスは地面にどっと腰を落とす。
力なく地面に倒れ込み、天を仰ぐ。
木漏れ日が目を突き刺す。それを遮るように、手の甲を目に押し当てる。
しかしその瞬間、手の甲などではとても抑え切れられないほどの何かが零れだした。
「ダッセェ」
――何度回帰した。何年生きてきた。
――子供相手にムキになるな。見っともない。
――止まれ。泣くんじゃねぇ。
――これ以上、ダセェところを見せるな。
いつの間にか、アルセウスの傍に来ていたオルビア。清々しい表情を浮かべているが、生憎アルセウスには見えない。
「……お前の、勝ちだ」
「…………」
何とか絞り出したアルセウスの言葉に、オルビアは反応を示さない。そのこともまた、アルセウスの心臓を握りつぶす。
春風が吹く。それに導かれるように、オルビアはアルセウスの頭側に移動し、腰をかける。
その目線は、アルセウスの手に向けられていた。そこには、いくつもの剣ダコができていた。
一年やそこらで出来るようなものじゃない。しかしアルセウスはそれを一年間で作り上げた。そこには、文字通り血がにじむほどの努力があったのだと、オルビアは思った。
「ごめん」
オルビアはそう切り出す。
「私、アルは天才だと思ってた」
「…………」
「私より年下なのに、剣の扱いは私よりずっと上手だし、物知りだから。きっと、一目見れば何でも覚えちゃうし、やればすぐに出来るんだろうな、って」
「……ゃめろ」
「生まれてこのかた努力したことないだろうなって思って、ちょっとムカついていた」
「……やめ、ろ」
「でも違うんだよね? アルだっていっぱい頑張ってきたのに。私、才能だって決めつけて。だから、ごめ――」
「やめろぉ!!」
擦り切れそうな声で、アルセウスは咆える。
「ア、アル? どうした――」
「謝るな! 憐れむな!……頼む。こんな俺を、見ないでくれ……俺をこれ以上惨めにしないでくれ」
「…………」
地面に膝をつけ、小さく丸まって懇願するアルセウスに、オルビアは言葉を失った。
「努力した? 頑張った? そんな言い訳並べたところで、屑は屑! 凡人は凡人だ!! 結果を伴わない努力などただの徒労!! その徒労にも意味はあった、無駄じゃなかったって。そんな気色悪い欺瞞と私欲で満ちた言葉――それが努力だ!! 凡夫が作った体のいい言葉に過ぎないんだよ。本物の天才はそんなまやかしには頼らない!!
それは、アルセウスの魂の叫びだった。
天に高らかと輝く月には、スッポンの気持ちなど分かろうはずもない。アルセウスはそういうと、再び力なく項垂れる。
「はは、ダセェだろ、俺。背伸びしたって所詮この程度……もう、やめにしよう。俺じゃあ、もうお前の相手は――」
そこまで口走ったアルセウスの胸倉をオルビアはつかみ上げる。
そして――
「ふんぬ!!」
――思いっきり頭突きをかました。
「いってぇえ!! 何しやが――」
「バーカ! ボケナス! えーと、あとはあとは、アホ!!」
「は? 何言って――」
「298回。何のことか分かる?」
「急に何を――」
「まあ、分からないでしょうね! 貴方のような? 本物の? 天才は? 私の気持ちなんてわかるはずもない? えぇ、そうでしょうとも。これはね、私があんたにぼっこぼこされた回数!! 298回の恨みがたまってるのに、たった一回負けてぐらいで勝ち逃げしようとすんな!!」
再度胸倉を引き寄せ、頭突きをかますオルビア。
「憐れむなだって? いいよぉ? じゃあとことん貶してやろうじゃん。馬鹿、アホ、脳無し、馬鹿、えーと」
「語彙力……」
「あん? あーあと、なんだっけ? 俺を見るないでくれ? ふーんだ。嫌だね。ずっと見てやる。どこに居ようと、どんな時だろうと一番近くで見てやる。とことん醜態を晒しやがれってんだ」
「いや、それストーカー……」
無言の頭突き。
「どこに居ようが、私はその『気色悪い欺瞞と私欲に満ちた最低な言葉』を言いにいってやる。だから、心置きなく『頑張れ』」
「……最低な言葉とまでは言ってねぇよ」
言いたいことはすべていったと言わんばかりに、オルビアはアルセウスを開放し、大の字に倒れ込む。
「ふぅ、よしスッキリしたぁ!」
「……ばかすが殴りやがって、石頭が」
「私だって痛かったんだからお相子様でしょ」
「俺は受動的にぶたれたんだから相子ではねぇだろ。ったく」
そう言ってアルセウスも倒れ込む。二人して大樹の下で空を見上げる。
「空、あおーい」
「……あぁ、頭打ちすぎて知能にまで影響が出たか。嘆かわしい」
「よし、その喧嘩買った」
「やめとけ。今はそんな気分じゃねぇ」
「吹っ掛けといてそれはなくない? こっちは後300回分残ってるんだから」
「勘弁してくれ。死ぬ」
「死なないように細心の注意は払うよ?」
「微塵も信用ならねぇ」
いつもの調子を取り戻したアルセウスの顔は清々しいものだった。
まるで憑き物が落ちたかのような。
天上の月がスッポンの気持ちを理解できないように、スッポンもまた月の気持ちは理解できないのだ。
◆
翌日。朝一からサナトスを訪ねたアルセウス。
「サナトス、お前の剣を教えろ」
いきなり傲慢な物言いから入るアルセウス。しかし、サナトスどこか意外そうで、どこか嬉しそうだった。
「おや、よろしいのですか? グランディア流を捨てるのは死ぬも同然と仰っていたのではありませんか?」
「あぁ、だからちゃんと死んで来た。ぶっ殺された。恥も外聞クソくらえだ」
「それはようごさいましたね。良い出会いがあったようで」
「黙れ。最初からそのつもりだったろ狸が」
「はて、何の話でしょうか?」
「御託に付き合うつもりはねぇ。時間が惜しい。さっさと始めろ」
この日。アルセウス・ソル・へーリオスは死んだ。
これがアルセウスにとっての本当のリスタートである。
「ちなみに殿下。私は狸より狐の方が好きです」
「黙れ殺すぞ」
――――――
あとがき
ここまでお読みいただきありがとうございます。
4話分にしては中々のボリュームだったのではないでしょうか?
やたら長い導入のように思われたかもしれませんが、序章はもう少し続きます。
ですが、キリがいいので本日の更新はここまでです。
明日以降は17:00前後に更新しますので、是非☆☆☆とフォローをしてお待ちいただけると嬉しいです!!
コメント・レビューは大歓迎です! 質問等でも構いませんので、是非!!
(正直設定を作り込んでいくと、どこを説明したか分からなくなるので)
では、また次の回でお会いしましょう!
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