第3話 秀才の懊悩


 アルセウス・ソル・へーリオス。


 ソール=アステーラ大帝国の皇太子であり、後に第113代皇帝として即位する男。

 大陸最強、戦神、天下無双と最強の名を欲しいがままにする男。


 誰もがいう。

 ――彼は天才だと。


 恵まれた才能。恵まれた血筋。恵まれた環境。

 すべてを兼ね備えたがゆえに、彼は最強に至ったのだと。


 

 ◆

 


「恐れながら申し上げます。殿下に剣の才はございません」

「あぁ? んだ、藪から棒に」


 皇太子として修練に励んでいたアルセウスに突如、そんな言葉が浴びせかけられる。


「言葉通りの意でございます。殿下にその剣は向いておりません」

「んなもん、とうの昔に……思い知らされてんだ。今だって……」


 現在、アルセウスは教育係を務める騎士と手合わせの最中である。

 

 全身に汗が染みわたり、今にも滴り落ちるアルセウス。

 忙しなく繰り返される呼吸から、彼の限界が近いことがわかる。

 

 対する相手の騎士は一滴の汗も、寸分の呼吸の乱れも見られない。

 実力差は、火を見るよりも明らか。


 騎士の名は――サナトス。皇帝直下紅鏡騎士団第一師団長である。


 ――紅鏡騎士団こうきょうきしだん


 ソル=アステーラ大帝国の武の象徴『銀夜の七星』。

 その1人『海王星』を総司令にもつ、帝国最強の武力集団。


 一人一人がBランク冒険者以上の実力でありながら、その数は十万を超える。

 大陸全ての冒険者をかき集めても、その数には届かない。

 そんな十万もの騎士の頂点の立つのが、彼らの師団長たち。その地位だけで、彼らの実力は推して知るべき。


 そしてサナトスは平民の出でありながら、20代前半でその地位をもぎ取った正真正銘の天才である。


「で、何が言いたい? お前の才能自慢か?」


 アルセウスの嫌味に、しかしサナトスは応じない。


「グランディア流は大衆剣術ではありますが、極めるには独特のセンスが必要です。その御歳でこれほどの技量をお持ちなのは天晴れですが、殿下の才では頂には立てません」

「うっせぇ。だからって、これを捨てれたら俺は死んだも同然だろ」

「おや? 今の今まで死んだも同然の生き方をされてきたお方の言葉とは思えませんね」

「……ほぅ? 喧嘩売ってんのか、お前」

「いえ、ただ純粋な気になります。『ごくつぶし皇子』とまで呼ばれた貴方が、なぜ今になってやる気を見せたのかを」

「…………」


 そう問われ、アルセウスは思わず黙り込んでしまった。そんな彼の脳内に浮かんだのは、ある少女の姿だった。

 少し前までは知りもしなかった、今となってはもう忘れられそうにないその姿を。


 

 ◆


 ――昔からずっと、剣より本が好きだった。

 

 今となっては、誰も知れないであろうアルセウスの1度目の人生。


 自身が回帰者であることも知らなかった頃。

 大帝国の皇子としての周りの期待に振り回されるばかりのアルセウス。

 世継ぎとして相応しい才能はなく、性格も内気で気弱であった。

 だが、周囲はそんな彼を許しはしない。


『殿下!! 大帝国の皇子ともあろうお方が、なぜ膝をついておられるのですか?! さあ、お立ちください!! まだ鍛錬は終わっておりません!』


『殿下、計算ミスです。はぁ……何度同じ間違いをすれば気が済むのですか』


『アルセウス殿下。紳士たるもの、常に冷静かつ優雅に女性をエスコートしなければなりません。下を向いている場合ではないのですよ。それでは社交界の笑い者になりましょう』


 ――運動は昔から大っ嫌いだった。

 ――算術より文学の方が好き。

 ――女性も人付き合いも、苦手。一人でいる方が気楽。


 だが、見合った才能がなくとも、他者の期待は容赦なくアルセウスに襲いかかる。


 周囲の期待に応えたい。

 でも、失望されるのが怖い。


 相反する感情が、アルセウスを追い詰める。

 いつしか、アルセウスは周囲の視線に恐怖を感じるようになった。

 そしてついに、アルセウスは外へ出ることをやめた。


 ――はぁ、明日世界終わんないかなぁ。


 毎日そんなことを思いながら、窓辺から外の世界を眺める。

 そうしていると、いつの間にか『ごくつぶし皇子』と呼ばれるようになった。

 

 程なくして、アルセウスは悔恨と苦痛の中でその短い1度目の生涯を遂げた。

 それこそ、『竜殺しの反逆者と斜陽の帝国』の本筋となる物語が始まる前に。


 ――だが、アルセウスは回帰者だ。

 死と共にすぐさま2度目の人生が始まる。

 2度目のチャンスを手に入れたアルセウスは当然困惑し、高揚した。2度目の人生では「ごくつぶし皇子」の汚名を返上すべく、地位、武功、名声を積み立てた。


 しかしその後、ソール=アステーラ大帝国は革命に倒れた。

 アルセウスもその最中に命を落とした。

 さらに2度、3度と回帰を重ねたが、死の運命は避けられなかった。それどころか、状況は悪化するばかり。


 死ぬ度に、アルセウスは決心する。


 ――次こそ、次こそは、と。


 来たる11回目の人生。

 しかしアルセウスを待ち受けていたのは、記憶の一部喪失と言い表しようのない虚無感だった。

 10回目の人生における記憶はなく、感情だけはアルセウスの中に残った。

 まるで、原因がなく結果のみが突きつけられているような。


 ――記憶も情報もねぇ。今回じゃあ無理だ


 故に、アルセウスは足掻くことをやめた。

 11回目の人生が始まって早半年、「ごくつぶし皇子」からいつの間にか「放蕩皇子」への変貌を遂げていた。


 誰もが帝国の次の世代はお終いだと、そう思っていた。


 ――アルセウスがあの少女と出会うまでは。


 夕日に照らされ光る、まるでも炎のような赤髪。

 先端に行くにつれ徐々に金色に変化するその姿はさながら獅子のたてがみのよう。

 脇目も振らず一生懸命剣を振るその姿は、アルセウスの目にしかと刻まれてしまった。


 ――オルビア・アウローラ


 名前すらまだ知らないその少女は、アルセウスを少しばかり変えた。

 アルセウスはその少女に――どうしようもなく嫉妬してしまった。

 

 眩しいほどの才能。

 真っすぐ努力できる稟質ひんしつ

 結果に驕らない精神性。

 

 自分にないすべてを持つ少女に、アルセウスどうしようもなく劣等感を抱いてしまった。

 今はアルセウスの方が実力は上かもしれないが、それもすぐ抜かされるだろう。

 

 アルセウスもそれは分かっていた。

 だが、せめてそれを少しでも先延ばしにしたい。自分に言い訳ができるように。少しでも惨めな自分が遠退くように。


 そう思い、剣を取る。


 これが、分不相応な地位に生まれてしまった秀才の懊悩である。

 


 ◆


(今回の人生はどうも奇妙な点が多すぎる。記憶のこともそうだが、今までの人生であんなガキに会ったことはねぇ)


 アルセウスの記憶喪失非常に特殊なものだった。

 具体的に言えば、10歳までのことはすべて覚えている。しかし、


 10歳から先の記憶も、死にまつわるものはすべて消されている。

 まるで誰かが、意図的ににアルセウスに死因を隠しているような。


(サナトスだってそうだ。これまでの10回で、こいつが俺の指導をしたことはねぇ。俺の記憶がただしければ、こいつは俺が回帰する前のしてるはず)


 なのに今、サナトスはふてぶてしい顔でアルセウスの前に立っている。


「クッソムカつく」

「はい? 私の顔が、ですか?」

「何もかもだボケ」


(やめだやめ!! 分かんないことをうだうだ考えたってしょうがねぇ。俺はただーー)


 

 ◆


 

 一方オルビア・アウローラといえば、今日という今日も素振りを続けていた。

 アルセウスに見せられた技を再現するように。


 だが、そんな彼女の背後から密かに近づく人物がいた。

 不審者である。

 しかし、オルビアはそれに気づかない。

 

 突然、不審者はオルビアに手を伸ばす。

 素振りするオルビアを止めるように、その手をがっしりと掴んだ。

 

「うわぁ、びっくりした!! え? 誰? え?」


 突然の出来事にオルビアは喫驚し、戦慄する。

 まるで空中から湧いて出たかのような気配の無さ。

 どれほど力を入れてもびくともしない腕。

 何より、大音量で危険信号を鳴らす自身の本能。


 一瞬で、オルビアは悟る。


 ――勝てる相手じゃない


 人さらいか。盗賊か。奴隷商か。


 いづれにせよ、オルビアの待ち受けている未来は悲惨なものになるだろう。

 帝都近郊は警備も厳しく、おまけに公爵邸のすぐそばということもあり、オルビアも油断していた。


(やばっ)


 これから起こるであろうことに身構えていると、意外にもオルビアを掴む手はすんなり離れた。


「え?」


 ここでようやく、オルビアは不審者の顔を直視が出来た。

 不審者の正体はなんと、目に包帯を巻いた美しい女性であった。

 

 女性は風でなびく白い髪を鬱陶しそうに払い、懐から取り出した髪紐で後ろで一まとめにする。

 

 未だに状況を呑み込めずに、目をパチパチとさせるオルビアを他所に、女性は腰の剣を抜いた。


「え、えぇ!? ちょ、ちょっと待って!」


 その剣を向けられると思ったオルビアは慌てふためく。

 しかし、女性はそれに構わず剣を振り上げる。


 一閃。


 思わず目を瞑ってしまったオルビア。

 しかし、数秒後体のどこにも痛みがないことに気づき、おずおずと目を開ける。

 すると、包帯の女性は頬を膨らませ、不機嫌さをあらわにしていた。


 直後、もう一度剣を振り上げ、一閃。


「ほぇ?」


 今度は瞑らなかったオルビアの目には、その美しい軌道が刻まれていた。


 ――グランディア流・壱式 霧時雨


 間違いなくオルビアが知るその技だ。その技のはずだが、アルセウスが見せてそれとは、別物だと思えるほど次元が違っていた。

 洗練された、研ぎ澄まされた、精巧で完成された『一』のひと振り。

 オルビアはその美しさに目を奪われていた。


 そして、自身が握る模造剣に目を向ける。


 振り上げ、ひと振り。違う。そうじゃない。

 振り上げて、もう一度。やはり違う。もう一度。


 気づけばオルビアは、素振りに夢中になっていた。

 不審者のことはとうに忘れており、ただそのひと振りを再現するために剣を振るった。

 

 気が付けば、陽は沈みかけていた。

 恐るべき集中力。

 

 そんなオルビアを、不審者の女性はただ見守っていた。


「あ、やばっ、もうこんな時間」


 息を切らしながら、オルビアは西に目を向ける。

 ここでようやくオルビアは、女性のことを思い出す。


「あ、あの……えっと、その」


 何を言えばいいか分からず、オルビアは右往左往する。


 オルビアの困惑を悟ったのか、女性は無言で踵を返す。髪紐を外しながら何処かへ去ってしまった。


「あ……えっと、あ、ありがとうございました!」


 なんだか良くわからなかったが、女性はオルビアに剣を教えたかったのだろう。オルビアはそう感じていた。

 

 陽は沈みかけ。

 急いで邸宅へ走るオルビア。

 しかし、その脳内はすべてあのひと振りに支配されていた。


(すごかったなぁ、あの人。綺麗なひと振り。あんなに強かったら、もっと有名になっててもおかしく……ない……のに)


 帰路の途中で、気づく。


「っあ!!」


(白い髪、両目に包帯、剣……これってまさか、紅雨のクローディア?)


 ――紅雨のクローディア


 『大陸十傑』の1人に数えられる女傑であり、その二つ名はひと度剣を握れば紅の雨が降ることから名付けらえた。


 そして何より――


(バカバカバカバカ!! なんで気づかなかったの私!! 『紅雨』って言ったら――じゃない!!)


 自身の鈍さに少しばかり懊悩するも、それ以上の高揚がオルビアを支配していた。


 ソル=アステーラ大帝国の『七星』と並び称される『十傑』。それほどの人物に剣を教わるほどの幸運など、もう二度と訪れないだろう。

 

 ◆


 翌日。


 オルビアがいつもの場所へ向かうと、そこには既にクローディアが腕を組み、仁王立ちしていた。


「…………」


 その日も、そのさらに次の日も。

 クローディアはオルビアに剣を教えるために姿を現すのだった。


(十傑って、暇なの?)


 

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