第2話 破滅の未来


『君とはこれで最後だ。オルビア』

『……それは、どういう、意味でしょうか?』


 シリウス殿下の声色が、ひどく冷たいものだった。

 

 私の声は、どんな風に聞こえていたのだろう。

 動揺が伝わらないよう懸命に言葉を絞り出したが、きっとそれでも震えていただろう。

 

 もう随分と昔のことなのに。

 ふとした瞬間に全てを思い出してしまう。

 殿下の眼差しも、惨めな私の抵抗も、一言一句全て。


『それは、君が一番よく分かっているはずだ。オルビア』

『……わかりません』


 そう答える他なかった。

 私があの方の傍に立つあの憎たらしい女に負けたなどとは、決して認められなかった。


『最後まで言わなければ分からないか』


 もう、殿下の顔すら見れずにいた。

 私は、どこで間違えたのだろうか。

 未来の国母として、日々は努力を重ねてきたつもり。

 

 ――本当は勉強なんか大っ嫌い。

 ――外で遊んでいたい。

 ――甘い物を好きなだけ食べたい。

 ――お人形遊び、してみたいなぁ。

 ――馬車から見えた街の景色。

 ――一度でいいから、自分の足で歩いてみたい。

 

 私は、自分のすべてを殺し、国に尽くしてきた。

 だというのに、あんな脳の足りない女にすべてを奪われた。

 いわれのない罪を被せられた。

 認められるはずがなかった。


『オルビア・アウローラ。この瞬間をもって、君との婚約は白紙に戻させてもらう。疾くとこの場を去り給え』


 それからの記憶はない。

 実家に戻された私は、別邸に軟禁され療養という形で社交界から身を引いた。


 ――あれから、何年が経ったのだろうか。


 人は死が近づくと、走馬灯を見るらしい。

 脳が過去の記憶や経験から、危機を脱する手段を模索するんだとか。

 

 思い出のフラッシュバック。

 だというのに、私は最後の最後まであの瞬間だけが脳裏を支配する。

 きっと私の人生は、それだけ虚しかったということだろう。


 屋敷は業火に包まれ、父も母も血の海に沈んだ。

 

 私自身も、炎に身を包まれる。

 熱い。痛い。苦しい。

 喉の奥、鼻の奥が焼かれ息ができない。

 次第に皮膚の神経が焼き切られ、痛覚という概念が失われた。


 ――どうせこれが結末なら、もっと好きなように生きればよかった。


 『竜殺しの反逆者と斜陽の帝国』――悪役令嬢の破滅


 

 ◆

 

 ソール=アステーラ大帝国帝都の郊外。

 アウローラ公爵が所有する別邸。

 

 ソール=アステーラ大帝国で3つしかない公爵家が所有する邸宅ということもあり、その広さは並みのそれではない。

 

 そんな屋敷からさらに外れたある芝原。

 南下するにつれ徐々に傾き、小さな丘を形成していた。

 

 丘そのものはさほど高くなく、公爵邸を一望できる程度。

 しかし、丘の上には天を突き刺すような大樹がそびえ立っていた。


 無数の瑞枝に生える蒼々した木葉は、僅かな木漏れ日を地面にもたらす。草原を吹く春風にかき乱され、影が揺らめく。


 そんな大樹の下で、一人の少女が一心不乱に剣を振るっていた。

 

「っふ!!」


 ――オルビア・アウローラ。


 アウローラ公爵家の次女にして、皇太子の元婚約者候補。

 まだ齢六つの少女だが、現在別邸にて謹慎を言い渡されている。

 

 その理由は言わずもがな、彼女が皇太子の婚約者候補となったわけど同じである。


 反省をするまで本邸には戻さない、という父から言い渡されて半年が過ぎるが、彼女にはまるで反省する意思はなかった。

 彼女は自身の判断は間違っていないと確信しているからである。


(最悪。本当に最悪すぎる。まさか、天空竜フレイヤの討伐から3カ月も経ってたなんて。これじゃあ、ロキの行方すら……)


 ――天空竜フレイヤ。


 『竜殺しの反逆者と斜陽の帝国』の主人公ロキ、その育ての親である。

 そして、幼いロキを残し人間に討伐された悲しき竜でもある。


 天空竜フレイヤを目の前で殺され、幼きに日のロキは人間への復讐を誓う。

 そこから物語が始まっていた。

 そして、そのフレイヤ討伐にはアウローラ公爵家も騎士団を派遣している。


(フレイヤの討伐にアウローラ家が関わってる以上、私含め一族はみんなロキの復讐対象。ロキはきっと逃がしてくれない。それは読者の私が一番よく分かってる)


「っは!!」


(だったら私が生き残る方法は一つだけ。そのためにも、確固たる地位と――力がいる!)


 一心不乱に模造剣を振るう彼女。

 やがてひと段落つき、大木の陰で一息つく。


「はぁ。にしてもこれ、やり方あってるかなぁ? 誰かに聞けたらいいんだけど……でも、お父様は許さないだろうなぁ……はぁ」


 二千年の歴史を誇るソール=アステーラ大帝国。

 その長い歴史ゆえ、謀反が起こったことも一度や二度ではない。

 故に一部例外を除き、貴族の武力保持を皇家は厳しく取り締まっている。

 とりわけ皇族にルーツを持つ公爵家は、政治における強力な発言権と引き換えに、軍への関わりを強く禁じられている。


 そのため、公爵令嬢が剣を習いたいなどと言い出しても、父である公爵が許す筈がない。

 

 2度のため息とともに、オルビアは立ち上がる。


「嘆いたって仕方なし! やることやらなきゃ」


 自分にそう言い聞かせ、オルビアは再び剣を握る。

 そして、再び素振りを始める。

 すると、一陣の突風が吹き荒れる。


「っあ」


 突然の風に驚き、オルビアの上体が揺れる。そして、それは運悪く剣を振り下ろす瞬間であった。

 風に引っ張られるように斜め下へ振るわれたオルビアの剣は、大樹へ激突する。


 トン!


 ジーンとした鈍い痛みが剣を通し、オルビアの手に伝わる。


「いたたた――え?」


 突然、木葉の隙間をすり抜けていた木漏れ日が遮られる。


 ドン!


 直後、鈍い衝突音と共に何かがオルビアを下敷きに落下する。


「「いったぁ~」」


 思わず声を上げるオルビアだが、その声と重なるように幼い男子の声が響く。


「いってぇ。急に何しやがる」


 樹上から落下した少年は、そうぼやきながら頭にできたたんこぶをさする。


「ご、ごめぇん……ってか、誰?」


 反射的に謝ってしまったオルビアだが、よくよく考えるとこんな郊外に人がいること自体おかしなこと。それも、自分と歳が近い少年が。


「あぁ? そっちこそ誰だよ」


 オルビアの質問に、やや不機嫌な表情で少年はそう返す。


(うーん、身なりそれなりだけど口が悪いかなぁ)


 少年の格好は一般的な貴族男子そのもの。ただし、襟裳のボタンは乱暴に開かれ、裾の所々が土埃で汚れていた。

 そんな格好であるにもかかわらず、少年から上品さが感じられのは、その美しく手入れされた銀髪と澄んだ湖のような青い瞳のおかげであろう。


(どっかの貴族のドラ息子とか?)


 少年の雰囲気から、オルビアは総合的な判断を下す。

 なんにせよ、互いの第一印象はそれほどいいものではないらしい。

 

「ったく、こんなとこで棒きれ振り回しやがって。チャンバラならよそでやれ」

「チャ、チャンバラじゃないし! れっきとした訓練だし!!」


 初対面であるはずの二人だが、なぜか自然と言葉が出てしまう。


「そっちこそこんなとこで何してたわけ?」

「は? 見りゃ分かんだろ昼寝だ」

「ひ、昼寝? ……今午前中だけど?」

「午前だって立派な昼だろうが」

「いや、そうかもしれないけど、そういうんじゃなくて……ってか、いつまで上に乗ってるわけ? いい加減退いてよ」


 落下直後の体勢であるため、少年はオルビアに跨るような形で乗っていた。


「あ? あぁ、わりぃ」

 

 そう言って、少年は素直に謝罪し、馬乗りの姿勢から降る。

 首を振り服装を確認すると、裾の汚れを払う。

 立ち上がってすぐ土埃をはたきおとすあたり、れっきとした貴族子弟ということだろう。


 一方、オルビアも同様に立ち上がり、背面の土を払い落とす。


「もぅ、嫁入り前の令嬢を押し倒すなんて。お嫁に行けなくなったらどうしてくれるの」

「ッチ、ガキがマセたこと言いやがって」

「そっちの方が子供でしょ」

「大体、昼間からこんなとこで棒きれ振り回す令嬢がどこに居る。夢を見るにはまだ早ぇぞ」

「こんな真っ昼間から夢なんて見るわけないでしょ? あんたじゃあるまいし」

「よし、喧嘩だな。買ってやるよ」

「オウオウ、いいですとも。やってやろうじゃねぇの? てめぇどこ中だ? あぁ?」

「急に柄悪いなオイ。令嬢どころかチンピラだろ、お前」


 姿勢が変わっても態度か変わらず。

 二人がやいやいと言い合っている間にも時は流れる。

 いつの間にか、二人は大樹を背もたれに地面に腰かけていた。


「はぁ、なんかどっと疲れた気がする」

「誰のせいよ、まったく」

「少なくとも俺のせいじゃねぇ」

「あんたさぁ、良心が痛まないわけ」

「あぁ? 痛むわけねぇだろ」

「それもそっか」

「……おい、今馬鹿にしたな?」

「してませんけどぉ?」


 僅かな沈黙が広がる。刹那、青嵐が千草を吹き抜け、二人の会話を断ち切るように草木がざわめく。


 すると、少年の方はさっと立ち上がり、大樹に手をかける。


「まあいい。チャンバラの邪魔して悪かったな」

「だからチャンバラじゃない――って、何してるの?」


 ざらつく樹皮に足をかける少年を、オルビアは思わず呼び止める。

 振り返った少年は、怪訝な表情を浮かべる。


「あぁ? 昼寝の続きだけど」


 何を当たり前な、と言わんばかりに木に登り始める少年。


「ちょちょちょ」

「んだよ」


 今度は上着の裾を掴み、物理的に少年を止めるオルビア。


「暇なんでしょ? だったら練習に付き合ってよ。相手がいなくて困ってるんだから」

「はあ? なんで俺が」

「どうせ寝る以外することないんでしょ?」

「人間にとっての睡眠の重要性を説いてやろうか?」

「昼寝と睡眠を一緒にすんな! いいから付き合って」

「断る。俺様は動くのが嫌いなんだ!」


 オルビアは袖口や裾をひっ張りながら、少年が木に登ることを阻止する。

 一方、少年ははあれやこれやと場所を変えながら登木を試みる。

 そんな一進一退攻防を続けること数分。どちらも引くつもりはないようだ。


「むぅ! こうなったら意地でも邪魔をしてやる!」


 そう言って、オルビアは少年から手を離す。するこ、今度は大樹を揺らし始めた。


「っな!? 卑怯な!」

「登っても叩き落としてやるんだからぁ!!」


 オルビアのお転婆な作戦に、少年の方が折れほかなかった。


「っく!! 分かった、分かったから揺らすな! 一回だけ相手してやる。これでいいだろ!」

「ふふん。えっへん」


 ぐったりと肩を落とす少年。そんな少年を見て、オルビアは勝ち誇ったように胸を張る。


「クッソむかつく。無い胸で威張るんじゃねぇ」

「いっつも一言余計なんだよ。まあなんでもいいよ、相手になってくれるなら。私の予備の剣貸すから、はい構えて」

「はぁ……」

 

 練習相手が出来たことで浮足立っているオルビアは、少年に模造剣を渡す。それでも嫌々といった様子だったので、無理やり模造剣を握らせる。


 しかし剣を握った途端、少年の雰囲気が変わる。


「っ!」


 オルビアもその雰囲気の変化に気づき、一瞬身構える。

 両者一定の距離を取り、剣を構える。


「行くぞ」


 先に動いたのは少年の方。巧みな足捌きで距離を縮め、剣を振り下ろす。


 ――グランディア流・壱式 霧時雨


 ただの上段からの真向切りのようにも見えるが、僅かに剣先遅れてやってくる。

 先の先に見せかけた後の先であり、弐式以降に繋ぐ変幻自在の技。


「っう」


 急に詰め寄られ、思わず打ち返すような形で剣を差し出してしまったオルビア。


 ――グランディア流・参式 霜柱


 オルビアの剣を巻き取るような形で、少年は剣を切り上げる。

 次の瞬間、オルビアの首元には少年の剣が突きつけられていた。

 巻き取られたオルビアの剣は宙を舞い、自由落下に従い地面に突き刺さる。


 決着は、一瞬のうちに決まった。


「ほぇ」


「はい俺の勝ち。もういいだろ」


 そう言って少年は剣を投げ捨て、再度木に足をかける。

 そこで、ようやく状況を飲み込んだオルビアはたまらず尋ねる。


「ね、ねぇ! 今の、何?」

「グランディア流。帝都で流行りの流派だけど?」

「どうやったの! その、こう……ぶわっとして、ぐわんとしたヤツ!」

「ぶわ? ぐわ? 良くわからんが、そこまで教える義理はねぇ。自分で考えるこった」

「あ、うん。確かに、そうかも。うん、ありがとう」


 その会話を最後に、少年は大樹の上へと登っていく。

 残されたオルビアは、少年の動きを脳内に浮かべ、再び剣を振るうのだった。


 ◆


 どれほど時が過ぎたのだろうか。少なくとも、東に傾いていた太陽が西に沈んでいこうとするほどの時間が経過した。


 目を覚ました少年――皇太子・アルセウスは地面を見下ろした。すると、そこには未だに剣を振り続けるオルビアの姿があった。


「へぇ、根性あるじゃん」


 そう評したもの束の間。

 次の瞬間、アルセウスは自身の目を疑った。


 なぜなら、そこにはグランディア流の技を見事に再現したオルビアの姿があったのだ。


 グランディア流・壱式――霧時雨

 グランディア流・弐式――小夜嵐

 グランディア流・参式――霜柱


 アルセウスが見せていないグランディア流・弐式――小夜嵐までもが再現されていた。


 否。それはもはや再現ではない。


「ッチ」


 アルセウスのその舌打ちは、完全に無意識なものだった。


 ――苛立ち


 そんな自身の感情に気づいたアルセウスは、一層不機嫌そうに大樹から飛び降りる。

 その着地場所は、オルビアのすぐそばだった。


「うわぁ、びっくりしたぁ!! ちょっ、降りるなら一声かけてよ」

「…………別に」

「え、何? 良く聞こえなかったんだけど」


 オルビアの声掛けを無視するように、アルセウスは歩き出す。


「ちょっと、どこ行くの?」

「……帰る」

「え? うわぁ、本当だもうこんな時間」


 時間すら忘れるほど見事な集中力。その集中力も、アルセウスを苛立たせる。


「ねぇ。明日も来るの?」


 一刻も早くこの場から去りたいアルセウスだが、オルビアの言葉に思わず足を止める。


「……気が向いたらな」

「むぅ。どうせ暇なんでしょ?」

「俺だって……色々あんだよ」


 その言葉を最後に、アルセウスは足早にその場を去っていった。

 残されたオルビアはアルセウスを背を見送り、不貞腐れたように地面を蹴った。


「むぅ。何怒ってんのもぅ。意味わかんない」


 アルセウスに貸した剣を拾い上げると、あることに気づく。


「あ、名前聞きそびれた……ていうか、『竜殺し』にあんな登場人物いたかな?」


 あれほど目立つ容姿なら何かしらの描写があってもおかしくはない。しかし、オルビアの知る限る銀髪青眼のキャラクターは一人もいない。

 不思議に思いながらも、オルビアは屋敷へと急いだ。別邸であっても、公爵家の門限は厳しいのだ。


 紆余曲折あり、現皇太子アルセウスとアウローラ公爵令嬢オルビアは邂逅を果たした。

 しかしそんな二人を、二つ人影が陰から観察していたことはまだ誰も知れない。


 ◆


 翌日。いつもの場所へ剣を携えて向かうオルビア。

 しかしそこには、アルセウスの姿はどこにもなかった。


「……こんな美少女との約束、すっぽかす? 普通?」


 別に約束したわけではないが、オルビアの脳内ではそう変換されていた。

 そんなアルセウスへのうっ憤を糧に、本日もオルビアの修行は捗るのだった。


 

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