第18話 さよなら

 悠奈は何も言葉を返さなかった。彼の母が、生きている人間の中で一番の被害者だ。どうか聞いてほしいとばかりに、病院の中庭にあるベンチに少し距離を開けて座り、彼との話を口にした。


「あの子は昔から、意志が弱い子だった。吹奏楽部に入って、一年もしないうちに辞めると思ってた。辞めたけど、あの子にしては頑張ってた」


 頭の中で走馬燈が駆け巡っているのだろう。風に揺れる小さな四つ葉だけを見つめ、唇を噛みしめる。


「あの子は喜んでたよ。自分が顧問になれるって。弱いくせに、リーダーになりたいって言ってたんだから。でも、あの顔は本気だったよ、きっと」


 仕方なく、ではなかった。パートリーダーになれなかったことも、陰でずっと悔やんでいたと聞いた時、自分が後輩で無力を当然だと思っていたことを悔やんだ。


「金賞代表、頑張ってね。それがあの子にとって、一番の報いだから」


 無理な笑顔を向け、前を向こうとする背中がそう語っていた。今すぐにでも、生き返ってほしい。無理な願いは、そう簡単に捨てられなかった。

 この日の夜、悠奈は風呂から上がったばかりの湿った髪を水色のタオルで覆い、勉強机に向かって広げた一冊のピンクのノートの最後のページに、ボールペンで綴った。


 今日、先輩が死んだ。先輩は私達のために、めんどくさそうでも、どんなに嫌そうな顔をしても、付き合ってくれた。今日も、付き合ってくれるはずだった。私は、許さない。絶対、許さない。消えてしまえ、消えてしまえ、消え


 手の力が抜けきり、顔を机上に伏せた。朝に気づけば、書き記した文字が涙で滲んで読めなくなっていた。まるで僅かな関係が流され、跡形もなく消えるままに。

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