第13話 強気の代償

 先輩、と声が出る前に久慈が「どこ行くの?」と立ち止まり、膝に手をついて顔が上げられない悠奈の様子を伺う。引き返してください、と声にしたくてもまた、あの時と同じ胸の詰まったような感覚が邪魔をする。しかし、顔だけでも久慈に現状を訴えようと見せると、久慈は「わかった」と呟いた。そして、何故か足は第二音楽室に向かい始める。


「待ってください!」


 何もわかっていない彼に、驚きのあまり声を封じていた喉の壁が打ち砕かれた。止めようと追いかけるが、足に力が入らなかった。今はあの女と会わせてはいけない。クリスマスコンサートを中止にしたいといったのも、音楽会が終わってからというのも、三年生、いや、宮木には見られたくないからじゃないのか。そんなことを振り返るうちに、久慈は準備室の扉に手をかけていた。


「やっぱりか」


 扉を開けた久慈は、話を止めて自分に冷たい視線を送る宮木と目を少し大きく、口を僅かに開いて驚きの表情を浮かべる柳瀬の姿を見て、溜息を吐いた。そして、黙ったまま扉のそばにあるバリトンサックスのケースを開き、自分が持ち込んでいた巾着袋を取り、付近の棚に置いた教本……は既に持ち去られていた。


「柳瀬さん、ここにあった分厚い本知らない?」

「いや、知らないです。去年はずっと、置きっ放しだったんですけどね」

「ふーん」


 久慈は事情を知っていながらも、さらに詳しい事情を知る柳瀬に軽い口調で問い、少し目を背けた宮木の顔に視線を送る。


「見んな気色悪い」


 疑いの視線に気づいている宮木は、追っ払おうと舌打ちした。すると、久慈は言う事を聞く素振りだけ見せ、扉に背中から凭れて誰も入れないよう全体重で負荷をかける。体重55キロの力ではそう簡単に壊れない横開けの扉だ。彼にとって、何も怖くなかった。悠奈は訪れた現実に恐怖しかなく、扉に持たれる久慈の黒い背中だけを震えながら見つめることしかできない。


「柳瀬さん、部長だったらそいつを出禁にすることぐらい簡単だよ」


 この助言に対し、柳瀬は少し俯きながら「でも」と微かに聞かせる。間髪を入れず、彼は「じゃあ、俺が消そうか?」とニヤけた。宮木は「はぁ?」と言いつつ、体に揺れがあった。一方的に毒を直接吐いていた女子の弱点だ。


「十分だと思うよ。同じパートの人間蹴落として、性懲りもなく俺の友達にも同じことして、終いにはお前に影響された後輩女子が同期男子に同じことして、退部に追い込んだ。だったら、こいつも同じ処分受けるのが当然じゃない?」


 勝手なこと言うな、と宮木は「出ていけ」と弱気な声で訴える。どうして地獄に陥れたはずの打たれ弱い男子が、一年経つだけでここまで刃向かえるようになるのか、理解ができない。


「引退したんなら大人しく引っ込んどけや、銀賞女」


 顔を顰めて言い返しの如く暴言を吐いた久慈は、扉をゆっくりと開いて、破裂しそうな音を放たせるような勢いで閉めた。

 自分の聞かせたことのない言葉を聞いてしまっていた悠奈と目が合うと、小さく頷いた。


「会わせたくなかったんだよね」

「その、ごめんなさい」


 核心を突かれ、戸惑いながらもまた頭を下げてしまう。もう謝られるのは懲り懲りだ。嘆きながらも、三階の中央階段付近の廊下まで手招きで誘った。緊張から解放されたのか、久慈は大きく溜息を吐いてグラウンドが見える窓を背凭れにした。


「本当にわかってたんですか?」

「わかってなかった。入っていたから、びっくりした」


 だから言ったのに、と思ってもそのことは何も伝わっていなかっただろう。必要のない隠し事だった。

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