第11話 一年後の再交渉
放課後、久慈は悠奈が独りぼっちの三年二組の教室に来る時を待つ。その場で用件を伝えられるのかと思いきや、悠奈は大きな声で言った。
放課後、帰らないで待っていてください。
本当は帰ってお気に入りの釣りゲームを家でのんびりとしたかったが、胸を詰まらせてまでお願いされると、申し訳なくなりゲームへの意欲が削がれる。窓から薄く肌色に染まる夕空を眺め、肘をついて待つ。
「すいません、待たせてしまって」
悠奈が息を切らしながら扉を開くと、久慈は「いいよ、そんなに慌てなくて」と背筋を伸ばし、正面を向いて腕を膝に向かってまっすぐついた。悠奈は座って聞く姿勢を堂々と見せる彼の側に寄り、黙って頭を下げた。
「お願いします、私達の指導者になってください」
絶対に呆れられる。わかっているが、勢いに任せて口走った。激しいまま治まらない心臓の打つ音が、ずっと彼女の耳に走っている。
「あいつ、そこまで酷くなってんのか」
久慈はずっと悠奈の整った頭のてっぺんを近距離で見つめながら、呟いた。悠奈は首を上げて「え?」と口が小さく唖然としたまま、久慈の冷静な無表情を見つめた。てっきり、無理、で括られると思っていただけに、頭が白くなりそうだ。
「藪先生に相談した?」
「いや、してませんけど」
もう一人の顧問である藪は、数ヶ月に一度かのペースで顔を見せず、顧問であることを悠奈含め、全員が忘れていたであろう。
「一応顧問だから、相談したらって言いたいけど、あの人はあの人で、あのおっさんがそんなことしない、なんて言いそうだな」
教師界の上下関係を考えると、歳が二十近く離れた関係では久慈の言う通りの展開が高確率になるだろう。隠蔽だ。呆れて、溜息を小さく吐いた。
「でも、何で俺なの? まだ俺の同期は三年だからほかにいるだろ。それに、コンクールまで世話してくれって言われても無理だよ」
リーダーミーティングで想定された解答がそのまま返された。ですよね、と声を漏らす悠奈だが、続けて提案を投げかける。
「今年中でいいです。明日、新しい顧問を探してもらえないか私達で校長に話します。だから、引き受けてもらえませんか」
曲がった腰のまま、もう一度深く頭を下げた。これでも駄目なら、諦めるしかない。悠奈は瞑った目に力を入れ、見えもしない神に祈りを込める。
「わかった、音楽会終わってから今年一杯ならいいよ。その代わり、クリスマスコンサートは中止にしてくれ。指揮を振る姿なんてあいつらには見られたくない。それでいいなら、引き受ける」
二ヶ月弱の期間だが、次なる一手を考えるには十分な猶予だ。
「構いません。金賞代表を取ることが私達の目的ですから」
「よし、それならいい」
久慈はあの時と違った笑みを浮かべ、長時間座ったことから生じる尻の痛みに声を出す。大丈夫ですか、と悠奈の心配にも淡々と答え、紺の通学用鞄を右肩に背負ってゆっくりと先に教室から出ていった。悠奈は、一人で拳を握りしめて喜んだ。
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