第36話 クソガキ

 何度か目をしばたたかせるとヒューゴは唇を歪める。

「どうも飲み過ぎたらしい。見えるはずのないものが見えるぜ」

「ヒューゴ……。久しぶりだな」

「ああ、うん。まあ、なんだ。とりあえず入れよ」

 ヒューゴはのそのそと家の中に戻っていった。

 俺の中を色々な悔恨が駆け巡る。


「邪魔するよ」

 中に入ると一気に気温が下がった。

 分厚い壁が日射しと熱を防いでいるらしい。

 薄暗さに目が慣れると殺風景な室内の様子が目に入る。

 家具と言えるようなものはほとんどない。

 折り畳み式のマットレスがあるほかは粗末なローテーブルがあるきりだった。


 ローテーブルの上には酒瓶が林立し、汚れたグラスに半分ほど液体が入っている。

 奥の部屋からヒューゴがグラスと炭酸水のボトルを持ってやってきた。

「本当は再会を祝してビールでもありゃいいんだがな。リックはあまり強いのはやらないんだろ?」

「そうだね」

 ヒューゴはバネで押さえている栓をバチンと開けるとグラスに炭酸水を注ぐ。

「その辺に適当に座ってくれ」

 

 一応、床の上にゴミが溢れて座る場所がないということはなかった。

 床に座った俺にヒューゴはグラスを渡してくる。

 そして、ヒューゴ自身はローテーブルの上に置いてあった汚れたグラスを手に持った。

「懐かしき相棒との再会に」

 それに合わせると俺は炭酸水を口に含む。

 ぬるいが弾ける水のお陰で少しはしゃきっとした。


「それで、どうした? わざわざ俺に会いに来てくれたのか?」

「そうだよ」

 俺はポケットからグリュースファルの衣料品店で入手した勲章を取りだした。

 裏にはHとRの文字が彫りつけられている。

 俺とヒューゴが大活躍したときに授与されたものだった。

「これ、あんたのだろ?」

 勲章を手にしたヒューゴは無感動に勲章に視線を向ける。


 ああ、こんなヒューゴの姿なんて見たくなかった。

 ヒューゴはいつでもふざけていて、俺を厄介ごとに巻き込んで、下らないことばかりをしていて、それでいて輝いていたっていうのに。

「これを届けに来たのか?」

「盗まれたんじゃないかと思ったんだよ」

「そうか。どこで見つけた?」

「グリュースファル」


 ようやくヒューゴの顔に感情のようなものが浮かぶ。

「あんな掃き溜めに行くとはリックも悪い子になっちまったな」

「うるさいな。そういうあんたのこのザマは何だよ」

 ヒューゴは伸びた顎髭をざらりと撫でた。

 空いたグラスを眺めてため息をつく。

「酒が切れちまった。何か買いに行ってくる」

 ヒューゴは立ちあがりながら、もう帰れという雰囲気を出していた。


「じゃあ、俺も一緒に行く」

 俺が後ろについて歩き始めると、ヒューゴは肩を竦めるだけで文句は言わない。

 ああ、いつも、こんな感じだったな。

 ヒューゴが前を行き俺が背後をカバーする。

 ただ、似ているのはそこまでだった。

 以前のように背後の俺を気にする気配は微塵も見せていない。


 薄汚れた印象のヒューゴは坂道を下り始める。

 坂の先に見える陽光を浴びてキラキラと煌めく海面との落差がキツい。

 海沿いの道の1本手前で道を折れる。

 派手な格好をした男女が屯しているのが見え、ヒューゴの姿に気が付くと馬鹿声を張り上げた。

「よう、おっさん。まだ生きてたのか?」

「さっさとくたばればいいのに」

「何が楽しくて生きてんだか」

 ギャハハと笑い声をあげる。


 カランと空き容器がヒューゴの足元で跳ねた。

 反応しないヒューゴの相手を止めて今度は俺に絡んでくる。

「何だ? 見慣れねえ顔だな」

「おっさんの隠し子か?」

「いや、おっさんの愛人かもしれないぜ」

「そいつはいいや」

 ふう。

 俺はクソガキどもの方に1歩踏み出す。


「お、やるのか?」

 ガキたちはパチンと音をさせて折り畳みナイフを取り出し身構えた。

「やめろ」

 振り返りもせずにヒューゴが言う。

 もちろん、俺は聞くつもりは無かった。

「うるせえ。あんたがどれだけしょぼくれようが知ったこっちゃねえ。だが、俺は売られた喧嘩は買うぜ」


 クソガキどもに近寄ると1人がナイフをを振りかざして突っ込んでくる。

 振り下ろされる腕をかわし腰の捻りを加えた右肘を無防備な首筋に叩き込んだ。

 横に吹っ飛ぶ男の後ろの奴の顎には肘打ちの回転力を乗せた後ろ回し蹴りが刺さる。

 そいつはボウリングの1番ピンよろしく仲間を巻き込んで吹っ飛んだ。

 地面に転がった男たちと棒立ちしたままの女2人は呆然としている。


「かかって来いよ! 銃後の甘ちゃんの中にも少しは骨のある奴はいるんだろう?」

 挑発するが誰も向かってこない。

 ようやく、このバカタレどもも自分たちが相手にしているのが、一般人相手にも遠慮する気のない帰還兵だということに気付いたらしい。

「け、警察を!」

 女の1人が情報端末を取り出した。

「呼びたきゃ呼べ。その時は田舎のヘボ警察に戦争ってものを教えてやる」


「おい、それぐらいにしておけ」

 後ろから気だるげな声がかかる。

「うるせえなあ」

「これ以上暴れられると俺に迷惑なんだが。まあ、子供相手にムキになるな」

 俺は大きく息を吐き出した。

「クソガキの躾をするのは大人の仕事だろーが」

「いいから、行くぞ」


 ヒューゴの声色に変化を感じる。

 ちょっとだけ昔を想い出させてくれた。

 フン。

 鼻をならしてガキどもを睨みつけると、歩き出していたヒューゴの後を追いかける。


「まだ、食料品店は遠いのか?」

「まあな」

「そこの飯屋にしようぜ。もう歩くのも面倒くせえ」

「配給切符じゃ飲食店で食事はできない」

「俺が奢る」

 中に入るとエプロンをつけた太ったオヤジが出迎えた。


「やあ、ヒューゴ、悪いが……」

「金は俺が払う。文句はねえだろ」

 俺は前に出ると情報端末で1クレジット分を前払いする。

 隅っこのテーブルに座った。

「ビールを2杯。それと、料理を適当に」

 注文を済ませるとヒューゴと向き合う。

「で、何があった?」

 先ほどの戦いの余韻と興奮に乗る形で質問を発した。

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