第16話 グリュースファル市内

 船腹にある乗下船用ハッチの内側の扉がスライドして閉まる。

 俺は惑星に比べれば弱い重力を感じながら横に立つミリアムに声をかけた。

「ま、そんなに緊張するな。短い時間にしちゃいい出来だ。見習い中の商船事務員と見えなくもない」

 全身をすっぽりと覆うデザートローブのフードまで被っているので目に入るのはゴーグルとごついフィルターを備えたマスクだけである。

「分かりました。船長」

 聞こえてくる声も音声変換機が組み込んであり、ガラガラとした声質のものだった。

 ほとんどゴミ同然のレスピレーターをちゃちゃっと直して変声機を組み込んだミリアムの腕は大したものである。


 ハッチの外側の扉が開いてボーディングデッキの通路に出た。

 後ろで扉が閉まる。

 15メートルほどのデッキを進み、3回扉を通り抜けるたびに重力が強くなって、最後の扉の先に入国審査デスクがあった。

 審査といっても手数料を払うだけである。

 2人分10クレジットを情報端末から送信した。

 どこにでも居そうな中年女性が事務的に言う。

「ようこそ。グリュースファルへ」

 宙港内でクレジットを現地通貨に両替した。

 グリュースファル内では情報端末を持っていない者もいるので現地通貨の所持は必須である。


 ターミナル内はそれなりの数の人間が居た。

 テラ人類以外の異星人の姿もチラホラと見える。

 宙港を出ると夜を模した景色が広がっていた。

 照明用の電力を節約するという意味もあるが、不夜城という雰囲気を醸し出すためでもある。

 電動カートに乗車した。

 旧式のドロイドに行き先を告げ、料金が表示されるので、代用硬貨トークンをスロットに投入する。

 人がジョギングするスピードでカートは走り出した。

 ミリアムは物珍しそうに左右の景色を眺めている。


 途中で明るい青色の光に彩られたエリアに通りかかった。

 空中にあられもない姿の女性の映像が浮かび上がる。

 路上にも極小の布地しか身につけていないかボディペイントをしただけの女性が客引きをし、鼻の下を伸ばした男にしなだれかかっていた。

 比較的数は多くないが男性の客引きもおり、剣呑な雰囲気をたたえた女性に媚を売っている。

 ミリアムは視線をまっすぐ前へと戻していた。

 横から見ても色付きのゴーグルの奥の瞳がどんな感情を閃かせているのかは分からない。

 まあ、電動カートに乗っているので面倒な客引きが寄ってこないだけ多少は心も平穏だろう。


 次いで赤い顔をした酔っぱらいが屯する飲み屋街と煌々と灯りが点くカジノの建物を通り過ぎ、電動カートはガラス張りの建物の前に止まった。

 電動カートを下りて建物の中に入っていく。

 馬鹿でかい吹き抜けのホールの中は閑散としていた。

 壁面や空中のサイネージに様々な取引情報が表示されている。

 取引市場のスケジュールを確認すると、食料品のオークションは約8時間後となっていた。

 エンジュリウムの購入も休止中となっており、一番早くて3時間後となっている。

 常に夜という演出がされているグリュースファルであるが、どうも今は便宜上深夜時間帯のようだった。

 取引場が開場するまでの間にカジノや風俗店で金を落としていってくれということなのだろう。


 サイネージに次々と表示される色々な物品の直近の売値と買値を目で追った。

 婚約破棄の慰謝料があるので入国料を払った残りのクレジットで当面必要なエンジュリウムの購入はできそうである。

 アガルタベリー・ゼリーは過去7日間で取引が成立していなかった。

 売り物情報に10キログラムとの文字が流れてくる。

 おそらくこれが俺の所有しているものだろう。


 テラ人類のボディガードを連れたきちんとした身なりのターフ人が俺に話しかけてくる。

「アガルタベリー・ゼリーで久々の出物があるようだね。君も参加するのかな?」

 俺より頭2つ分以上背が高く横幅もあり威圧感は十分だった。

 思わずレーザーガンに手が伸びそうになるのを自制する。

 さすが犯罪者まがいの集団が闊歩するグリュースファルだけあって、種族の壁よりも金儲けの方が気になるのが集まっているらしい。

 ある意味では健全である。


「どうかなあ。ちょっと投機的すぎる気もするけど、価格次第かな」

「キロ単価をどう見る?」

「想像もつかない。直近の取引が成立していないんじゃね」

「私は500にはなると思ってる」

「そこまで上がったら手が出ないな。全量じゃなくて分割で出てくりゃ別だけど。それじゃ、ちょっと喉を潤してくるんで。失礼」


 ホールを出て併設の飲食店が集まっているところに向かった。

 ほとんどが閉まっていたが軽食と飲み物を売っている店だけは営業している。

 外に出ればもっと安くて美味い店もあるのだろうが、トラブルに遭う可能性が比較にならないほど上昇することが容易に想像できた。

 各種ビタミン配合のどろりとしたプロテイン飲料を2つ買う。

 合成肉のソーセージを使ったホットドッグもあったのだが、マスクをしているミリアムは食べられないのでやめておいた。

 飲料ならばストローを使ってマスクをしたままでも飲むことができる。


 人が少ないイートインコーナーの隅っこに陣取った。

 俺が飲料のストローを口にしようとするとミリアムが止める。

「船長。ちょっと待って」

 その後、なにやらぼそぼそと呟いていた。

 俺が渡した容器からひと口すすり、さらに俺の容器も取り上げるとそれも口にする。


「大丈夫。どっちも無害よ。麻薬類は混入されていないね。もっともビタミン類も配合されていないけど」

「無害なら良心的なのかもな」

 返してくれた容器のストローを使って粘性の強い飲料を吸い上げた。

 そこまで初心じゃないので浮かれはしない。

 それでも間接キスという事実は変わらなかった。

 ミリアムを観察する。

 俺が口を付けたのを飲むんじゃないからそれほど気にしないのかな。


「それでこれからどうするの? 随分とモニターとにらめっこしてたけど」

「ハイパードライブに使うエンジュリウムを買うのに必要最低限の量を買うだけの金額は持っている。だけどそれを使ったら手持ちが苦しい。だから、アガルタベリー・ゼリーを少し売ろうと思う。その取引まであと8時間弱もあるんだ」

「ウバルリーに有害という理由で禁止されているものを売るというのはあまり賛成したくないけど……」

「そこは目をつぶってくれ。金がないことにはどうしようもできない」

「分かった。それで取引までここでおしゃべりでもしてる?」

 予想外に時間が余ったことで俺もどうすべきかちょっと迷っていた。

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