ルシーフェは勝手に失恋する


 雲をも切り裂く勢いで、ルシーフェは大空を飛び続けていた。


 ブベルゼが転移してから、どれくらいの時間が経つ?

 十……いや、二十分は過ぎただろう。

 一秒でも早く、あの学園へ向かわなければならない。

 正直、焦りすぎていた。おかげで、ルシーフェは地図も魔導案内板ナビも持たずに出てきてしまった。

 漠然とした記憶のみを頼りにあそこまでたどり着く必要がある。


 かなり、近くまで来ているはずだが……。


 ドッゴオォーんッ!


 凄まじいまでの轟音が、比較的、近い場所で鳴り響いた。

 な、何だ? 一体……。


 音の聞こえて来た方角を、ルシーフェは見る。

 平地の一角から、灰色の噴煙が空高く立ち昇っていた。

 恐らく、あの学園のある辺りである。噴煙のすぐ隣に、校舎や寮などとおぼしき建物群も見える。


 ……ワイズは無事なのか?


 兄の身を案じるよりも、まず真っ先にその事がルシーフェの頭をよぎった。

 猛烈なる勢いで、噴煙の方へ向けて飛んだ。


 ◇


 床にぽつんと落ちているゲイボルグは、すでに棘が刃の中に収まった状態である。

 ワイズはそれを拾い上げると、リーファの手を引いてともに講堂から駆け出た。

 校庭の真ん中くらいまで、やって来る。


「ワールドイズノットマイン」


 講堂は完全に砂塵に包まれており、もはやその姿を確認する事ができない。

 校庭のそこかしこに、大小の石片やガラスの破片が散乱しており、今もそれらは上空から降り注ぎ続けている。


 ブベルゼのヤツ……どうやら自爆したらしい。とんでもない置き土産を残してくれたものだ。

 ともかく、これで一安心ではあるけど。


「がう」


 リーファが空を見上げながら小さく吠える。

 ワイズは、視線を上へ向けた。


 青空の雲の切れ間に、黒い人影が浮かんでいるのが見えた。大きな翼を生やしたシルエットから、それが何者であるかは一目了然である。

 ルシーフェ!

 彼女は、ゆっくりとワイズらの前に降り立つ。


(……くっ、一難去ってまた一難か)


 ルシーフェは、立ち上る噴煙とワイズたちとを交互に見やる。

 そこで、ワイズが手にする槍の先端に、血痕が付着している事に気づく。必然的に、ある推察へとたどり着く。


「……き、貴様、兄上を?」


 咄嗟に、ワイズはゲイボルグをかまえた。戦闘に発展する事が不可避に思えたからだ。

 果たして、ブベルゼを倒したのと同じ手が、ルシーフェ相手にも通用するだろうか?


 ただ、ルシーフェには戦うつもりは皆無だった。


 はっきり言って、ブベルゼが好きではなかった。そもそも義理の兄だ。血は繋がっておらず、外見は似ても似つかない。粗野で横暴な性格のブベルゼを有体に言えば嫌っていた。

 それでも、一応は兄だ。ワイズは、憎むべき仇にあたるはず。

 なのに、憤怒の感情がまるで湧いてこない。

 代わりにルシーフェの内に湧き上がるのは、どこか誇らしい気持ち。

 ワイズが、ブベルゼを倒すほどの力を持っている事に感動すらしている。

 なぜ……。


 ようやく、ルシーフェにはわかった。

 自分がこんな気持ちになる理由が。


「ワイズ。き、貴様に告げたい事があるッ」

「な、何だ?」


 ゲイボルグを強く握りしめて、ワイズは臨戦態勢を取る。

 ルシーフェの顔は赤く染まっている。


(……う、すっごく怒っている)


 ワイズはそれをそう解釈してしまった。


「わ、我は、貴様が、す……」

「ワイズうーッ!」


 そう叫びながら、エリイが彼のもとへ勢いよく駆けてきてきた。

 校門の方からは、他のクラスメートたちも続々とこちらへやって来るのが見えた。

 ワイズに飛びついて抱きつくエリイ。


「よかったあ、無事で」


 エリイは涙を流しながらも、笑みを浮かべる。


「ああ、けどまだ危険は完全に去っては……」

「うわあああッ!」

「きやあーッ」


 いく人かの生徒が、叫び声や悲鳴を上げた。

 そこでようやく、エリイもルシーフェの存在に気づく。

 みな、ルシーフェを見て顔をこわばらせ、身体を硬直させた。

 慌てて、校門の方へ引き返す者もあった。 

 ただ、当のルシーフェは、茫然自失としたような顔でその場に立ち尽くしている。

 彼女は頭の中で軽いパニックを起こしていた。


 は、は、ハグ? だ、男女でハグ……。


 ルシーフェにとってそれは、ただの友人同士の異性ではあり得ない行為という認識だった。

 顔を伏せて彼女はつぶやく様に言う。


「そ、そうだったのか、ワイズ」

「えっ?」

「貴様には、すでにそういう相手が……」


 語尾はもはや消え入りそうだった。


「な、何? よく聞こえない」


 ルシーフェは、くるりとワイズらに背を向けて言い放つ。


「お別れだ、ワイズ」

「はあ?」

「もう我と貴様が会う事もないだろう」


 ワイズは思い切り、眉毛を寄せる。


「えっと、なんの為にここへ……」


 翼を広げて飛び立とうとするルシーフェを、サーニャが呼び止める。


「待ってください」


 自らの足首にある刻印をサーニャは指さす。


「こ、これ、消してもらえませんか?」

「……」

「もう必要ないはずですよね」

「そうだな」


 ルシーフェは、指をパチンと鳴らす。

 生徒らそれぞれの身体にある刻印は、スッと消えた。そこかしこから、「おお」という感嘆の声や安堵のため息が聞こえてきた。


「さらばだ」


 背を向けたままそう告げると、ルシーフェは羽ばたき、大空へ飛び立っていった。


「一体、何だったんだ?」


 ワイズは思い切り首を傾げる。

 他のみんなも、ひたすら戸惑うほかなかった。

 あまりにも何もなくルシーフェが去っていったので、逆に不安や疑念を抱く者らもあった。


 誰にも知る由のないことではある。

 空を飛び続けるルシーフェの瞳からは、大粒の涙がこぼれ続けていた。

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