ルシーフェは興奮が抑えきれない


 そう感じていたのは、ワイズだけではなかったようだ。


「こ、この声って……」


 ぽつりとノンがつぶやくと、エリイが頷く。


「あの魔族の女性だよ」


 ワイズはエリイを見て問い掛ける。


「みんな、ルシーフェに会ったの?」

「……う、うん」


 あまり突っ込んだ質問は、【誓約】があるからやめておくべきだろう。

 クラスのみんなに誓約を施したのは、ブベルゼではなくルシーフェなのかもしれない。どちらであるかは、大きな問題ではないけど。


 幻獣は鳥の首を伸ばすようにして、ワイズの方へ顔を寄せてくる。


「……あ、会いたかったぞおぉーッ!」

「へ?」


 これ、本当にルシーフェだろうか?

 その口ぶりや雰囲気から、どこか別人のような印象を受ける。声は、確かにそれっぽいけれど。

 他のクラスメートたちもワイズと同様に感じているらしく、怪訝そうな顔で幻獣を見ていた。


 どうやら、幻獣の側もそんな空気を感じ取ったらしい。


「こ、こほん」


 まるで居住まいを正す様な素振りをしてから、咳払いをひとつする。

 それらしい口ぶりに戻って言う。


「貴様ら、よくワイズを見つけ出したな」

「発見してここへ連れて来たのは俺さまだッ!」


 ヴィクターが得意そうな顔で、幻獣の前へと躍り出た。その主張には、間違いなく誇張か含まれているが。

 ルシーフェらしき声は、ヴィクターの発言はスルーしてこう続けた。


「今から、我はそちらへゆく」


 その言葉を残して、幻獣は煙の様に消えた。

 教室が、ざわめく。


「……い、今から?」

「どうする」

「ここにいたら危なくない?」


 確かに、今のうちに避難しておいた方が安全かもしれない。 


「けど、これ……」


 サーニャが自らの足首を見る。

 生徒らそれぞれの身体には、まだ【刻印】が残されたままだった。

 先程の強い発光は収まっているが、それらは依然ぼんやりと白い光を放っていた。

 この場から去ってしまうと刻印を消してもらう機会を失うかもしれない。


「私は、ここにいるよ」


 エリイは、ワイズを見て力強く言った。


 ヴィクターにも立ち去る気はなかった。是が非でも刻印を除去してもらわねばならない。

 

 結局、全員がこのまま教室に残ってルシーフェを待つ選択をした。




 その時、ルシーフェは魔王宮内にある自らの執務室で書類と向き合っていた。


 ワイズがあの教室へ連れ戻されたら、即座に彼女へ念により伝達される仕組みになっている。

 さらに、自動的にあの場に出現する幻獣グリフォンを通じて教室の様子も確認できた。


 遠隔視ではあるが、数週間ぶりにワイズの姿を目にした。

 様々な感情がルシーフェの中から溢れ出てくる。

 喜び、安堵、興奮……。


「おお、ワイズッ!」


 身体が燃える様に熱くなる。抑えきれない強い思いが、自然と口から漏れ出た。


「……あ、会いたかったぞおぉーッ!」


 ワイズが、どこか訝しそうな顔をこちらへ向けていた。周りにいるクラスメートたちも同じ様な表情を浮かべていた。


 ……うん、客観的に見れば、我の言動がヘンである事は間違いない。

 咳払いをひとつして、ルシーフェは自らを落ち着かせる。


「今から、我はそちらへゆく」


 ルシーフェは、机の抽斗から転移石テレポストーンを取り出す。瞬時にあの教室へ移動できるよう予め設定セットされている。

 これを砕けば、次の瞬間にはワイズのいる所へゆける……。


 ルシーフェは、それを床に叩きつけようと手を振り上げるが、直前で止めた。

 部屋の隅に立て掛けられた、鏡に映る自らの姿を見る。いつもの純白のドレス姿である。


 ……この服で、大丈夫だろうか?


 ただそこで、仮に着替えるにしても、ルシーフェはこれと全く同じデザインの服しか持っていない事に気づく。

 とりあえず、【清浄クリーン】の魔法だけでもかけておく事にしよう。

 宮殿内にはそれを使えるものらが、常に待機している部屋がある。

 ルシーフェはそこへ向かい、丹念に自らの服と身体に【清浄クリーン】を施させてから執務室へ戻った。

 改めて、転移石テレポストーンを握りしめる。

 けど、そこでまた砕くのを躊躇う。


 髪型、このままで平気かな? それに、メイクももう少しちゃんと……。


 いや、さすがにこれ以上は、ワイズを待たせられない。

 転移石テレポストーンを持つ手をルシーフェは高く振り上げた。


「ルシーフェ」


 開け放ったままの執務室の扉の外に、ブベルゼがこちらを見て佇んでいた。


「ヨウヤク、見ツケタヨウダナ」

「えっ?」

「アノ贄ドモヲ」

「な、なぜそれを……」


 その時、小さな黒い影が、彼女の眼の前を通過するのが見えた。

 蝿の魔虫……。

 その小さな虫はブベルゼのもとへ飛んでいく。

 兄の顔に、ニヤリとした笑いが浮かぶ。


「も、もしや……そいつでずっと我の事を?」

「監視シテイタ」


 ぜ、全然、気づかなかった。

 ブベルゼが大きく息を吸い込んだ。

 ま、まずい……。


 号砲のごとく凄まじい叫び声が、ブベルゼの口から発せられる。

 ルシーフェには逃げる事はおろか、耳を塞ぐのも間に合わなかった。それをした所で、焼け石に水なのだが。


 ブベルゼの【叫びシャウト】。

 それを聴いた者は、一定時間、行動の自由を奪われる。 

 いかにルシーフェといえど、この至近距離で聴かされれば、数秒間はまるで動けなくなる。


「ソレハ、何ダ?」


 ブベルゼはルシーフェが右手に握りしめているものを指し示す。

 よ、よせ……と思うが、なすすべもなく、ルシーフェサは手の中のものを奪い取られてしまう。

 すぐにそれが転移石テレポストーンであると理解して、ブベルゼはニヤリと笑う。


「コレヲ用イタ先ニ、贄ドモガイルノダナ?」

「……や、やめろ」


 ようやく動ける様になったルシーフェが、転移石テレポストーンを取り戻すべく、ブベルゼに詰め寄る。

 が、ブベルゼが強く握りしめた拳の中で、その石は粉々に砕けた。

 ブベルゼの足下にきらめく魔法陣が現れ、放たれる強い光に飲み込まれるように、その巨躯があっという間に消失する。


 ……ど、どうする?

 転移石テレポストーンは、あれひとつしか用意していなかった。

 となれば、自力であそこへ、ワイズのもとへ向かわねばならない。


 ルシーフェは、弾丸の様に執務室から飛び出していった。

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