ヴィクターは何もわかっていない
その馬車は外見もさることながら、内部の装飾もやたらと豪奢であった。
革張りのシートは座り心地が最高であり、揺れも極めてわずかに抑えられている。
ワイズの対面に座るヴィクターが、他意ありげな視線を向けてくる。
「本来なら、お前みたいな庶民は一生乗れない高級車だ」
「……そうだな」
相手にするのも面倒なので、ワイズは適当に流す事にした。
「クラスメートに感謝しろよ」
贄に選ばれたおかげで、お前はこの馬車に乗る事ができた。
ヴィクターは、暗にそう言いたいのだろう。
エリイが、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
(さすがに、今の発言は聞き流せない)
ワイズは、隣に寄り添うリーファの手をそっと握りしめる。
彼が何かつぶやいた、と思った次の瞬間である。
「えっ?」
車内から、ワイズとリーファの姿が消えていた。
「おい、止めろッ!」
隊長が、即座に前方の御者に大声で命じる。
「ちくしょおッ」
停車した馬車から、ヴィクターが一目散に駆け下りていく。
他のみなも、それに続いて外へ出た。
幌馬車も停まっており、兵士たちが続々と下りてきて辺りへ散っていく。
エリイは、自分たちが乗っていた車体に自らの掌を押し当てる。
「
車内は完全な無人。つまり、ワイズは自らとリーファを不可視化した訳ではないようだ。
そういえば、ワイズから彼のスキルについて聞くつもりだった。
ヴィクターのいる前で、それを尋ねる訳にはいかないだろうけど。
「おい、あそこだッ!」
兵士のひとりの声に反応して、みなが彼の指差す方を見る。
草原の中に、佇むふたつの人影があった。
それらがワイズとリーファであるのは、遠目からでもわかる。
誰よりも先に、ヴィクターがふたりのもとへ駆け寄った。
「てめえ、逃げられると思うなよッ!」
額に青筋を浮かべて声を荒げるヴィクターに対して、ワイズは涼しい顔でこう返す。
「何を言っているんだ? その気になれば、ぼくはいつだって逃げられる」
今だって、そのまま何処かへ去る事もできたのに、あえてこうして待っていたのだ。
「そうしないのは、エリイがいるからだ。お前のためじゃない」
ヴィクターは青筋をさらに浮き立たせ、肩をわなわなと震わせる。
抑えきれない憤怒をぶつける様に、ワイズの胸ぐらを掴んだ。
「ざけんなッ! お前なんぞ、この俺さまが本気だせば……」
傍らで様子を窺っていた隊長が割って入る。
「立場がおわかりでないようだ」
「そうだ、お前ごときが俺に向かって……」
さらにヒートアップしかけるヴィクターを、隊長は冷徹な口ぶりで窘める。
「違いますよ」
「あ?」
「立場がわかっていないのはあなたの方です。ヴィクター」
思い切り、ヴィクターは眼を見張る。
「あなたは、ワイズ殿にお願い事をしている立場のはずです。先程の言動は、明らかに非礼と言わざるをえない」
毅然とした態度で言い放つ隊長。
ヴィクターは、怒りの矛先を、今度はその隊長へと向ける。
彼の胸ぐらを掴んで怒鳴りつけた。
「お前、誰に向かって言ってんだッ!」
「勘違いしないでもらいたい」
隊長はいとも簡単に、ヴィクターの腕を振り解いでそのまま捻り上げる。
「うげええッ」
「私はあくまでもあなたの父君に仕える身。あなたの配下になったおぼえはない」
「ッ!」
「ここにいる兵、みながそうです」
取り囲む兵たちは、どこか冷ややかな視線をヴィクターへと向けていた。
そこでヴィクターは、ようやく気づく。
この場に、本当の意味での自分の味方はいない。
「ワイズ殿に謝罪すべきです」
「く……」
ヴィクターは、握りしめた両方の拳を震わせる。
「だ、誰が……」
キッとワイズを睨みつけるヴィクター。
「だ、誰が謝るかよッ! 俺さまが、こんなド平民の無能相手に……」
隊長は、ハアと諦めの表情でため息を漏らす。
「よろしい。けど、お二方は、もう同じ馬車には同乗すべきではないでしょう」
「当然だッ!」
隊長は、そばにいる兵のひとりに問い掛ける。
「おい、そっちにはまだ空きはあるか?」
「はい。あと一人くらいであれば」
「けっ」
ワイズを睨みつけてから高級馬車の方へ歩を進めるヴィクターを、隊長が呼び止める。
「何をしているんです?」
「あ?」
「あなたがあちらに乗るんです」
平然とした態度で、幌馬車を指差す隊長。
「ば、バカいうなッ、なんで俺があんなのに……」
「連れていけ」
兵士たちは、手足をジタバタさせるヴィクターを無理矢理に幌馬車の方へ引っ張っていく。
「よせ、やめろおーッ!」
抵抗も虚しく、ヴィクターは兵士たちにより幌の中へと押し込まれた。
隊長は、ワイズに向き直って言う。
「すまなかった。私から詫びよう」
「いえ……それより、大丈夫なんですか?」
さすがにちょっと心配になり、ワイズは幌馬車を指さしてきく。
「ああ、問題ない」
魔族の刻印。その一件で、ヴィクターが後継者となる目は完全に潰えたと隊長は見ている。
仮に刻印を除去できたとしても、一度でも魔族か印を捺されたという過去は消し去れない。
それに加え、ここ数日の我々に対する傲慢かつ傲岸不遜な態度の数々。
兵からの尊敬と信頼がなければ、領地を治める事などできない。ヴィクターはそれが全く理解できていないようだ。
もし、伯爵が彼を跡目に選ぶようであれば、我々の方がバロウズ家を見限るだろう。
まあ、そんな愚を犯すバロウズ伯爵ではないだろうが。
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