初めて名前を呼んでくれた


 書き終えた手紙を、筒に詰めて封をする。


「クルックー」


 伝令鳥は、ぼくの手を離れると勢いよく飛び立って行った。

 あっという間に青空の黒い点となり、やがて見えなくなる。


 何度見ても、その圧倒的ともいえる飛行速度に驚かされる。


 あの伝令鳥は、アリッサさんのいるオーハスとこの町を、早ければ三時間くらいで往復してくれた。

 馬車であれば、軽く一週間は要する距離である。


「もう出発するぞ」

「あ、はい」


 御者の男性に促されてぼくは、すぐ傍らに停まっている馬車へと乗り込んだ。


 ここへやって来た時、乗客はぼくとリーファのふたりきりだった。

 今、走り出したこの馬車の客車には、ぼくの他に見知らぬ乗客が五人いる。リーファの姿はないけれど。


 エリイと会う上で、慎重に考慮しなければならないのは、どこで落ち合うかである。

 当然、人目のある場所は避けるべきだろう。誰がぼくを探しているかもわからない。


(今、思い返すと、ザックスも誓約魔法の影響下にあったのかもしれないな)


 あいつの奇異なる行動の数々も、そうであれば説明がつく気がする。


 だとすれば、他にもぼくを探す事を【誓約】により強制されている人がいる可能性が高い。

 ザックスとエリイだけが捜索者として選び出されるのは、あまりに不自然である。


 もしかしたら、ヤツらは、ぼくと少しでも関わりのあった人たちに片っ端から【誓約】を施して捜索させているのかもしれない。


「おい、何だありゃ?」


 乗客のひとりが、馬車の外を見ながら訝しそうな声を発した。


 ぼくもそちらへ視線を向ける。


 この馬車が走る街道は、やや蛇行気味に町の方へとずっと長く伸びていた。

 その周辺には、青々とした草地が延々と広がっている。


 草地の中を、何かが、猛然とこちらへ向けて駆けてくるのが見えた。


(動物……いや、魔獣か?)


 あまり大きな身体の持ち主ではない。むしろ、小柄な部類だろう。

 すごい速さで、どんどん、ぼくらの乗る馬車へと接近してくる。

 走行中の馬車に追いついてくるのだから、相当なスピードだ。さらに、その小柄な何者かは馬車との間を詰めてくる。


 そこで、ようやく気づく。

 ……ひと?

 接近してくるそれは、人間らしい。


 茶色くてもこもこの外套をまとい、空色の長い髪が風に乱れて舞っている……。


 思わず、ぼくは車体から身を乗り出す。


「リーファッ!」


 こちらに気づいたリーファは、さらに加速して馬車のすぐ後ろまで近づいてくる。


「あうッ」

「お前、何してるんだよッ?」

「わいずッ!」

「バカッ、あの森で待っていろと言っただろ」

「わいずうーッ」


 叫びながら、リーファは跳んだ。

 宙を、二度、三度と蹴って、更に高くへ。

 【宙歩スカイウォーク】だ。

 それを見た他の乗客たちから、おおーッと歓声が上がる。


 リーファは、そのままぼくのいる客車の中へ飛び込んでくる。

 ぼくは彼女を抱きとめるも、勢いに負けて床に押し倒されてしまった。


「あうッ!」


 リーファは、くしゃくしゃにさせた顔でぼくを見下ろす。その青い瞳からは、ポロポロと涙がこぼれ出した。


「どうして、追い掛けてきたりしたんだよ?」

「ううぅ」

「お前は、あの森にいた方が安全なんだ」


 あるいは、そもそも最初から発見されないままの方が良かったのかもしれない。

 ずっと森の中で暮らし続けていた方が、リーファにとっては幸せだったのでは……。

 そうすれば、少なくとも魔族の贄に選ばれるなんて事態は起こり得なかったはずだ。


「ほら、ホワたちの所へ戻れ」


 リーファは、激しく首を振る。

 瞳に溢れた涙が飛び散るほどに。


「ぼくと一緒に来たいのか?」

「きたい」

「……どうしてもか?」

「とおしても」


 フウ……ぼくはため息をつき、身を起こす。


「わかったよ」

「あう」

「その代わり、ぼくのそばからけして離れるなよ」

「がうッ!」


 いつもの様に、リーファはぼくのお腹に頭をこすりつけてきた。


 その時、馬車が突然停まった。

 御者の男が、慌てた様子で後部へとやって来て、ぼくらを見る。

 他の乗客たちを眺めてから、再びぼくらを見ると呆れた顔をする。何が起きたのか、大体を理解したらしい。

 彼はため息をついて、ぼくへ問い掛ける。


「そのお嬢ちゃんも乗っていくつもりかい?」

「は、はい。すいません」


 御者の男性は、掌をこちらへ差し出した。


「ならば、その子の運賃もいただこうか」


 リーファのぶんのお金も払う事で、何とか彼女の乗車も認めてもらえた。

 再び、馬車は何事もなかったかの様に走行を始める。


 こちらの肩に寄り添ってくるリーファを見て、ぼくは言う。


「そういや、お前、さっきぼくの名前を呼んでいたな」

「あう」


 たぶん、初めてだ。リーファが、ぼくの名を口にしたのは。

 こちらの言葉も、だいぶ理解するようになってきたようである。


(やはり、リーファは人間なのか……)


 もう彼女は、完全には狼の生活に戻る事はできないのかもしれない。


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