もふもふたちに頼みたい事


 リーファは、遠吠えの様な声を発する。


「あおおぉーんッ!」


 その響きは、鬱蒼としたヤブの奥へと吸い込まれていく。


 ぼくらがいるのは、〈境界の森〉のかなり深くまで分け入って来た所である。

 このヤブの向こうには、先日、ぼくらが訪れた「彼ら」の巣穴が存在する。


 ただ、リーファの呼び掛けに対する応答は一切なかった。

 遠く近く、虫の音や、鳥のさえずりが聴こえてくるのみだ。


「……がう?」


 リーファが不思議そうな顔で首を傾げる。


(あれ、場所を間違えたのかな?)


 ……カサッ。


 ぼくらの背後で、草の揺れる微かな音がする。

 それに反応して、ぼくらが振り向いたのとほぼ同時だった。

 茂みを掻き分けて、大きな二つの影がバッと勢いよく飛び出して来る。


 二頭の白狼ホワイトウルフたちだ。


 突如、獰猛な大型の魔獣に、背後から襲い掛かられる。

 ぼくらが「詰んだ」場面に見えるかもしれない。


 けど、リーファはうれしそうに、自分の倍以上はある大きな狼の魔獣に自ら飛びついていく。

 彼らは、ただぼくらを驚かせたかったようだ。小さないたずらをしたのだろう。


 一昨日、出会ったこの二匹、どうやら雄と雌の組み合わせのようだった。


 はじめに遭遇した身体が大きい方が雄で、矢を受けて弱っていた小さめの個体が雌だ。


 夫婦かなとも思ったけど、大人の白狼ホワイトウルフにしてはちょっとサイズが小さ過ぎる。

 なので、兄妹ではないかと推察している。


 一応、名前もつけた。

 兄と思われる雄が「ホワ」、妹らしき雌が「イト」。

 ……あくまで一応、仮の名前だから。


 リーファはすっかり、二匹と仲良しだ。

 ホワの背に乗っかり、全身でもふもふしている。まさしく、至福の表情で。


「ガルぅ?」


 イトが、こちらを見て首を傾げている。


「こいつが気になる?」


 ぼくは、自らの頭上を指す。

 灰色に赤い斑の鳥が、そこに留まっている。

 一昨日、ぼくのもとへやって来た伝令鳥だ。


 この鳥は、往復便らしい。

 ぼくが返事を書いて筒に封入するまで、ずっとぼくのそばから離れようとしない。

 おかげで、こいつのいる時は動物禁止の飲食店などには入れず、ちょっと不便ではある。


 既に、この鳥を介して、アリッサさんとは何度か手紙のやり取りを行っている。

 今は、ぼくのターンだ。


 アリッサさんからの最初の手紙には、まずこう記されていた。


『エリイ・クールズが、キミに会いたがっている』


 それだけなら、ぼくにとって嬉しい報告である。

 ただ、文章はこう続けられていた。


『彼女は何者かの誓約の影響下にある』


 ぼくはしばし、呆然とさせられた。


 誓約の内容までは、アリッサさんにも読み取れなかったらしい。

 ただ、エリイは誓約により、ぼくを探す事を強いられている可能性が高いという。


 で、あるならば、エリイに【誓約】を課したのが誰であるか、ぼくには容易に推察できた。


 ブベルゼとルシーフェ。

 あの魔族の兄妹以外にありえない。


 そもそも、誓約魔法などという極めて高度な魔法の使い手が他にはそう思いつかない。


 だとすれば、ぼくのせいでエリイの身を危険に晒してしまった事になる。

 即座に、エリイのもとへ駆けつけたかった。


 けど、ひとつ大きな問題がある。

 リーファをどうするか。


 ぼくがエリイのもとへ戻るとなれば、相応のリスクを覚悟しなければならない。

 再び、あの魔族兄妹と対峙する事態さえ想定すべきだろう。


(そこにリーファを連れていくのは、やっぱり危険だよな)


 彼女もまた、ヤツらの贄である事に変わりはないのだから。


 けど、リーファを見知らぬ土地でひとりきりにするのはあまりに心配である。


「なあ、この前の『お礼』の話なんだけど」


 ぼくはイトに話しかける。


「リーファの事をしばらくお願いできないかな?」


 狼の言葉が話せる訳ではないから、どこまで思いが通じているかはわからない。


「ただ、一緒にいてあげてくれればいいんだ」


 リーファはもうかなり強い。自分の身くらいは守れるはずだ。

 それに、ゴブリンが激減して、この森もだいぶ危険ではなくなった。

 けど、ひとりきりでは寂しいはず。そばにいてくれる友だちが必要だ。


「お願いできないかな?」


 イトは、ゆっくりと首を縦に振った。

 ぼくはその頭をなでた。


 ホワと戯れているリーファを見やる。


「リーファッ」


 ぼくが呼び掛けると、リーファはホワの背中からぴょんと飛び降りてこちらへやって来る。


「しばらく、ぼくはここを離れなきゃならない」

「あう?」

「お前はぼくが戻るまで、ここでホワとイトと一緒にいてくれ」


 リーファは悲しげな顔をしてみせる。


「安心しろ、必ず戻ってくるから」


 ぼくはリーファの頭を撫でる。ただ、リーファの表情は変わらなかった。


「じゃあ、行ってくる」


 手を振りながら踵を返すと、ぼくは森の中を歩き出した。


 しばらくして振り向くと、リーファがぼくのすぐ後ろを歩いていた。


「ついてきちゃダメだ」

「あうぅ」

「ホワたちのもとへ戻れ」


 今にも泣き出しそうな顔を、リーファはしてみせる。


 このままだと、森の外までついて来てしまいそうだ。

 少し可愛そうだけど、リーファのためを思えばこそである。ここに残る方が、彼女にとっては良いに決まっている。


 ぼくは心を鬼にして唱える。


「ワールドイズマイン」


 静寂に包まれた森を、ぼくは、ひとりで歩き出した。




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