ヴィクターは腹をくくる
ちらりと、ヴィクターは大テーブルの上座を見やった。
そこには、厳しい表情のバロウズ伯爵が無言で鎮座している。
この館の主であり、ヴィクターの父親だ。
今、大広間にいるのは、彼らふたりきり。張り詰めた緊張感が場を支配していた。
ヴィクターは、自らの右腕、肘の下辺りを見やった。袖の下には、いまいましき黒い鉤爪の痕がくっきりと刻印されている。
誓約の一つ目、二つ目は難なく遵守できる。
問題は、三つ目だ。
『ワイズ・ブルームーンを全身全霊でもって捜索せねばならない』
恣意的で、抽象的な内容である。
何をもって全身全霊と呼ぶのか、そもそも誰がそれを判断するのか?
どうやら、本人の心理次第であるらしいとヴィクターは悟った。
別に、四六時中、具体的な捜索の行動を取り続ける必要はないようだ。
ワイズを発見するという強い意志さえ持ち続けていれば、一応は誓約に従っているとみなされるようである。
一方、ワイズの捜索を放棄しようと考えると、途端に右肘辺りに違和感を覚え、やがて痛みだす。
(ワイズの故郷へ行けば、何らかの手掛かりが得られるかもしれない)
それは誰もが、まず思いつく事だろう。ヴィクターも例外ではなかった。
ただ、ヴィクターはそんなヒマなどないと、その案を即座に切って捨てようとした。
(誰があんな無能な平民の為に、貴重な時間を無駄に……い、痛えッ)
ヴィクターの右腕が、千切れそうな程に痛みだした。
(わかった、行く。いぐからあー)
剣士にとって、命の次に大切な利き腕である。みすみす失ってたまるかッ!
「出かけねばならい場所がある。しばらく、剣技の鍛錬も休みたい」
ヴィクターは、父親にそう申し出た。
当然、理由を問われたが、誓約のせいで何も答えられない。
ワケは聞かぬ、お前の好きにせよ。などと言ってくれるバロウズ伯爵ではなかった。
その不可解すぎる態度に疑念を持ち、お抱えの鑑定士に息子を視させた。
あっさり、ヴィクターが【誓約】の影響下にある事が露呈した。
この場合、ヴィクターが誓約について自ら打ち明けた訳ではないので、誓約に反した事にはならずに済むようだ。
誓約の内容までは、いかに有能な鑑定士でも読み解く事ができなかった。【鑑定】に対する強い隠蔽効果が施されているようだ。
老齢の執事が広間へ入室してきて、バロウズ伯爵に何やら耳打ちする。
「よし、入れろ」
執事に誘われ、白い祭服に身を包んだ初老の男が大広間へ入ってくる。
外貌から、その人物が高位の聖職者であると誰の目からも推察できた。
王国内でも稀有な存在、高度な「治癒術」の使い手であると、執事の口から説明される。
伯爵から目配せを受けた治癒術士は、ヴィクターに向き直る。
無言のまま、ヴィクターの服の右袖をめくりあげていく。
肘のすぐ下を掴む黒い爪痕を見て、治癒術士は大きく目を見張り、顔を強張らせた。
すぐに表情を平常に戻すと、バロウズ伯爵を見やりゆっくりと頷く。
「魔族による刻印の特徴が、著しいかと」
バロウズ伯爵は、深く息をつく。
「消せるのか?」
「やってみましょう」
治癒術士は、ヴィクターの右腕に自らの両掌をかざす。ぼんやりとした白い光が、鉤爪の痕を包み込んだ。
治癒術士の眉間に深くしわが寄る。
より一層、光は輝きを増す。
(聖なる光、黒き刻印を浄化せよ……)
次の瞬間、ヴィクターの右腕を覆っていた光の塊はガラスの様に砕け散った。
治癒術士は、強い力で押された様に後ずさる。
漆黒の鉤爪の痕は、ヴィクターの腕にくっきりと残されたままである。
「くっ」
治癒術士は、再度、刻印に手をかざそうとする。
ヴィクターの腕に激痛が走った。
もの凄い力で、鋭い爪が皮膚に深く食い込んでくる感覚に襲われた。
「よせ、今すぐやめろおッ!」
ヴィクターの必死な叫びに、治癒術士は慌ててその手を引っ込める。
刻印を消そうと試みるのは、ワイズの捜索を放棄する意志の発露に他ならない。
無理に術を行使し続ければ、ヴィクターは右腕を失うだろう。
「私にムリならば、王国内にこれを消せる使い手はおらぬかと」
治癒術士の言葉にバロウズ伯爵は、深く嘆息を漏らして言う。
「もうよい、出ていけ」
ヴィクターは、治癒術士に向かって吐き捨てる。
「そうだッ、この役立たずが。お前なんぞ……」
「違うッ!」
バロウズ伯爵がヴィクターの言葉を遮り、厳しい顔で言い放つ。
「お前に言ったのだ、ヴィクター」
「ッ!」
これ以上ないくらいにヴィクターは己の両目を見開いた。
「魔族の刻印を身体にもつ者が、神聖なるわが邸宅にいてよいはずがなかろう」
「お、俺は何も悪くない。ぜんぶあの無能……ワイズブルームーンのせいなんだッ」
「どういう事だ?」
「あいつがおとなしく贄に……うげえッ!」
ヴィクターは、右肘を押さえながら床の上でのたうち回る。
バロウズ伯爵は、その様子にまたも嘆息する。
「とにかく、その汚らわしい印を消し去るまで、この館へ足を踏み入れてはならないッ!」
席を立って広間から去ろうとするバロウズ伯爵を、ヴィクターは縋る様に呼び止める。
「まってくれ、ならば俺からも頼みがッ」
立ち止まり、息子をふり返る伯爵。
「何だ?」
「兵を貸してくれ」
「……」
「そうすれば、必ず刻印は消せ……つッ!」
ヴィクターの顔が痛苦に歪む。
わすわかでも誓約に関する事柄に言及すると、刻印は敏感に反応した。
バロウズ伯爵は、意見を請う様に治癒術士を見やった。
「おそらく、ご子息は誓約の形でもって、魔族より何らかの任を与えられているものかと」
「どんな?」
「それを話す事は、誓約で禁じられておるのでしょう。私どもには、知りようもありませぬ」
「任を達成すれば、刻印は消えると?」
「あるいは」
しばしの黙考の後、伯爵は厳かな顔で頷く。
「よかろう」
ヴィクターの顔に、勝利を確信したかの様な笑みが浮かぶ。
治癒術士は、そんな彼を、ごく冷ややかな目で見ていた。
仮に、ヴィクターが魔族が提示したであろう任務をこなせたとして、彼らが刻印を消してくれる保証はない。
へたをすれば、ヴィクターの魂は一生涯、魔族に囚われ続けるだろう。
当然、そのような者に、爵位を継ぐ資格などないとみなされるはずだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます