ヤツらの縄張りへ


「お前、ゴブリンてわかるか?」


 ぼくとリーファは〈境界の森〉のごく浅い領域、整備された林道を歩いていた。

 一見すると、静かで平和そうな森である。

 けど、この奥には危険で凶暴な『ヤツら』が潜んでいるらしい。それも夥しい数が。


「ごぶ……きらい」


 本当に嫌いなんだなと思わせる顔を、リーファはしてみせる。

 一応、あの魔獣を知ってはいるようだ。


 昨夜、ぼくらはアルゲーナの宿屋で一泊した。ちなみに宿泊客はぼくらだけだった。


 今朝、宿を出発する前、部屋で待機しているようぼくはリーファの説得を試みた。

 何せ、リーファがこの森へ来るリスクは、ぼくよりも段違いに大きい。

 けど、いくら言い聞かせても無駄だった。


 リーファは、狼が群れの長にでもつき従うみたいに、ぼくの後をついてきた。


「この森にはな、お前の嫌いなそのゴブリンがたあーくさんいるんだぞ」

「あうぅ」


 このままもう少し進めば、ゴブリンたちの縄張りへと踏み込むだろう。


「イヤなら今からでも町へ戻れ。ここから先は、ぼくひとりで行くから」

「んー」


 リーファはぶるぶると激しく首を振った。

 ぼくはため息を漏らす。


「なら、ぼくから離れるなよ」

「あう」


 リーファはぼくの腕を掴み、ぴったりと身体をくっつけてくる。


 はじまりは、およそ一年ほど前に遡る。


 ひとりの女戦士が、ある依頼クエストを遂行するため〈境界の森〉の奥深くへと潜った。

 が、それきり彼女は戻らなかった。


 殊更、珍しい事ではない。

 冒険者は常に命の危険と隣り合わせの職業である。依頼クエストの遂行中に行方のわからなくなった者など、過去に数え切れない程いるはずだ。


 その直後より〈境界の森〉で、やたら強くてかつ好戦的なゴブリンが頻出するようになった。


 ゴブリンは、異種間で交配する魔獣である。

 相手は亜人種の雌であれば、概ねにおいて交尾が可能だ。人族やエルフ、ドワーフだろうとおこまいなしである。

 交雑の結果、孕まされた女性からは、必ずゴブリンの子供が生まれてくる。


 ゴブリンの生態については、未解明な点も多いが、子のゴブリンは母親の性質を少なからず受け継ぐと言われている。

 例えば魔術に優れた母親からであれば、魔法が使えるゴブリン、即ちメイジゴブリンが生まれる可能性が高くなる。


 やたら強くて極めて好戦的。

 森で失踪した女戦士の性質そのものだった。


 単に強いのみならず、各種の武器を巧みに使いこなす点が厄介であった。

 それでもそこまで強力なゴブリンが生まれるのは極めて異例。恐らくイレギュラー的に誕生した変異種、ハイゴブリンと呼ばれる類だろう。


 アルゲーナで活動する冒険者らで討伐隊が結成され、〈境界の森〉のゴブリン退治へ赴いた事も、過去に幾度かあったようだ。

 が、いずれもあえなく返り討ちに遭った。


 その都度、多くの武器がゴブリンたちに強奪されてしまった。

 彼らはより強力に武装化し、個体数も増やす。

 まさしく、悪循環である。

 瞬く間に、〈境界の森〉はゴブリンたちの天下となった。

 

 林道からそれて、ぼくらは木々の間の縫うけもの道を慎重に歩き進んだ。

 迷わないよう、樹木の幹にナイフで印を刻みつけながら。

 恐らく、ぼくらが今いるこの辺りは、既にゴブリンたちの縄張りテリトリー内である可能性が高い。


 強いとはいえ、所詮はゴブリン。

 レベル上げをするには、うってつけの相手だろう。


「がう」


 ぼくのすぐ隣で、リーファが小さく吠えた。


「……ごぶ、か?」

「あう」


 ぼくは耳をすまして、全方位へと警戒の眼差しを向ける。

 ……ガサッ。

 背後で、微かに枝葉の揺れる音がした。


 ぼくが振り向いた時、既にそこには小柄な魔獣が佇んでいた。


 全身が緑色で、その双眸は血の様に赤い。

 背丈はぼくよりもずっと低く、まるで子供だ。

 けど、油断は一切禁物。

 手には銀色に輝くレイピアを構えている。


 その全身から、こちらへの強い敵意が発散されているのを感じた。


 ゴブリンは、素早い動作で高く跳躍してぼくらへ飛びかかってきた。

 咄嗟にぼくは左側へ飛び退く。

 リーファはぼくとは反対側へ右へ避けていた。

 ゴブリンは、ぼくらを引き裂く様にふたりの間へ着地する。


(……まずいぞ)


 ぼくとリーファの間が大きく離れてしまった。


 慌てて、ぼくはリーファのもとへ駆け寄ろうとする。

 が、ゴブリンの方が俊敏さではぼくよりもずっと上回った。

 再び、小さな魔獣は高く跳躍する。レイピアの剣先が、リーファの頭部へ迫る。


 ぴょんと飛び跳ねて、それを避けたリーファは空中に着地した。

 【宙歩スカイウォーク】である。

 そのまま跳ね続け、彼女はどんどん高所へと昇っていく。

 あっという間に、ゴブリンの跳躍ではとても届かない高さにまで到達する。


 (……ぼくの助けなんて必要ないかも)


 考えてみれば、リーファの基礎的なステイタス値ほぼくよりも全然高いのである。


「グルう……」


 唸り声に反応してぼくは振り向く。

 新手のゴブリンが、茂みをかき分けて躍り出てくる。

 さらに、別のヤブからもう一匹。

 それぞれ、手斧と短剣ダガーを装備している。


(人の心配ばかりしている場合じゃないかもな)


 二体のゴブリンは、ほぼ同時に跳躍してこちらへ飛びかかってきた。

 ぼくはすかさず唱える。


「ワールドイズマイン」


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