マヌケな追跡者
やっぱり、ないみたいだ。
大通りの路肩に設置された掲示板の前で、ぼくは首を傾げていた。
凶悪ヅラをした指名手配犯の似顔絵は、きのうと変わらない顔ぶれである。相変わらずぼくとリーファの似顔絵は見当たらない。
ぼくらが逃げ出してから、三日目。未だ手配書が届いていないとは、やはり考えにくい。
恐らく、贄が逃走した件は世間に対して完全に伏せられている。箝口令でも敷かれているのかもしれない。
(もはや、こそこそ逃げ回る必要もないのか?)
そんな希望的観測が頭をよぎった瞬間だった。
「見つけたぞ、ワイズ・ブルームーンッ!」
突然に名前を呼ばれ、振り向いたぼくは眼を見張らずにいられなかった。
「ざ、ザックス?」
道の真ん中に佇むザックスも、こちらを見て驚きを隠せない顔をしていた。
「まさか、こんな近くにいるとはな」
やはり、迂闊すぎたかもしれない。
何せ、この町は学園から馬車でなら数時間で来られる距離にある。
教師や学園の関係者も頻繁に訪れており、うっかり出くわしてもおかしくはなかった。
こちらへ駆け寄ってきたザックスは、ぼくを指さして声を荒らげた。
「今すぐ、学園へ戻れッ!」
「ぼくが素直に応じると思いますか?」
ため息混じりでぼくは言う。
今、学園へ戻れば、今度こそ魔族の贄とされてしまうかもしれない。
それがわかっているのに応じるバカはいない。
「ならば、力づくで連れていくのみだ」
ザックスは、腰の鞘から長剣を抜く。
「お、おい……」
本気かよ。
朝とはいえ、大きな町である。通りにはそれなりに人の往来がある。
「お前の様な無能は、おとなしく餌にでもなって人類の役に立てばよかったのだ」
案の定、周囲の人々はざわめき、小さな悲鳴も聴こえてきた。
とりあえず、場所を変えた方がよさそうだ。
ぼくはリーファの手を握る。
「ワールドイズマイン」
辺りから人が消えて、完全な静寂に包まれた。
ぼくは目の前に落ちているザックスの身につけていたものの中から、長剣とその鞘を拾い上げる。
リーファの手を引き、すぐ近くの路地の入口まで駆けて移動した。
「ワールドイズノットマイン」
ザックスは、辺りをきょろきょろと見ている。
突然に消えたぼくらを探しているのだろう。
次いで自らの右手を見やると、今度は足下へ視線を走らせた。
いきなり剣がなくなって、慌てふためいているようだ。
「こっちだ」
そう呼び掛ると、ザックスが振り向く。
ぼくらを見て、思い切り眼を見張った。
野次馬たちからも、驚嘆や戸惑いの声が上がっている。
ザックスは憤怒に顔を染めると、こちらへ駆け寄ってきた。
ぼくはリーファの手を掴んで、路地の中へと引き込んだ。
「ワールドイズマイン」
さらに……。
「
路地へと駆け込んできたザックスの幻影は、一旦立ち尽くす。
塀や建物の陰を注意深く窺い見ながら、ザックスは細い路地を奥へと進んでいく。
ぼくらが、どこかに隠れていると考えているのだろう。
ぼくは、その後をついていった。
やがて、ザックスの幻影は細い道の行き止まりまでたどり着く。
袋小路で立ち尽くすザックスの幻影。そのすぐ背後にぼくは立った。
「ワールドイズノットマイン」
隙を与えず、長剣の刃をザックスの首筋にそっと触れさせる。
「動くな」
いくら剣術の達人とはいえ、この状態からではなすすべもないだろう。
ザックスに両手を上げさせ、ゆっくりとこちらへ向き直るよう命じる。
その顔は青ざめ、酷く強張っていた。
「いくつか、聞きたい事がある」
「な、何だ?」
「学園のみんなは、ぼくらが逃げた事を知っているのか?」
「……恐らく、知らぬだろう」
「なぜ?」
「そ、そんな事は魔族に聞けッ」
つまり、ぼくらが逃げた件が伏せられているのは、魔族の意向なのか?
「どうして、あんたがぼくを探している?」
考えてみれば、平日の朝早い時間帯にザックスがこの町にいるのは不自然だ。今日だって授業があるはずなのに。
ぼくらを探す為、あえてやってここへ来たと考えるべきだろう。
「す、好きで探している訳じゃ……痛あッ!」
急にザックスは、抓られでもしたみたいに顔を歪ませ自らの右手首を押さえる。
「手、どうかしたのか?」
「な、何でもない」
焦燥感も甚だしく、ザックスは右手を自らの背後へ隠す。
それは、右手に何かあると、自ら認めているのと同じである。
その時、ぼくらへと誰かの声が飛んでくる。
「おいッ、何をしている?」
路地に佇んでこちらを不安げな顔で窺い見ているのは、木箱を抱えた労働者風の若い男だ。
ザックスが、すかさず大声を発する。
「た、助けてくれ。強盗だッ」
……は?
ぼくは、思い切り眉根を寄せたくなる。
「今、自警団を呼んでくる」
男は踵を返すと、木箱を置いて路地を駆け出す。
「なぜ、うそをつく?」
「そ、それは……」
ザックスは顔をこわばらせ、言葉に詰まる。
本当の事を告げた方が、相手も事態がより深刻であると理解するだろう。自警団どころか、衛兵が駆けつけてもおかしくはない。
「ぼくらが逃げ出した贄だと教えた方が……」
「やめろおーッ!」
ザックスは叫ぶように、ぼくの言葉を遮った。
その気迫に、ぼくはのけ反りそうになる。
「そ、その話はするな」
……さっぱり理解できない。
なぜ、ザックスが、そこまで必死にぼくらが贄である事実を隠そうとするのだろう?
次の瞬間、ザックスは思い切りこちらへ体当たりしてきた。
油断していたぼくは、その場で尻もちをついてしまう。
ザックスは、ぼくから剣を奪い返そうともせず、そのまま走り去っていく。
(……なんで、あいつがぼくから逃げるんだ?)
立場がまるきり逆になっている。
「いでええぇーッ!」
突如、ザックスは立ち止まり、叫び声を上げる。
今度は何だ? 忙しい奴である。
顔を酷く歪ませたザックスは、自らの右手首を押さえていた。
やはり、あの手には何かある様だ。
「わかった。捕まえる。ちゃんとあいつをつかまえるからッ!」
ザックスは懇請する様に叫ぶ。
(だ、誰に言っているんだよ?)
こちらを向いたザックスは、自棄になった様に突進してきた。
「うおおおおおおーッ!」
これ以上、
ぼくはリーファの手を握りしめて唱える。
「ワールドイズマイン」
路地は静けさに包まれた。
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