逃走成功


 リーファは不思議そうな顔で、辺りをキョロキョロと見回している。

 彼女自身、何が起きているのか理解できていないようだ。


 ともかく、ぼくは【重ね合わせスーパーポジション】を発動する。

 ブベルゼの幻影が地団駄を踏んでおり、またも辺りは土煙に包まれている。


 ぼくはリーファの手を引いて、アリーナの反対側まで移動してきた。


 なぜだ?

 これまで、他人が〈ぼくの世界〉へ入ってこられた例なんて一度もない。


(リーファだけが特別なのか?)


 いや、それは違うはずだ。先程まで、何度もこの場で【世界はぼくのものワールドイズマイン】を発動している。

 なぜ、今回に限って彼女は……。


 改めてリーファを見て、ぼくはハッとする。

 今も彼女は、ぼくの右手をしっかりと握りしめたままだ。

 もしかしたら……。


 ぼくは、いったん彼女から手を離した。


「ワールドイズノットマイン」


 ブベルゼは、剣幕で何やらルシーフェに捲し立てている。妹の方も、負けずに強い口ぶりで反論している様子である。

 どうやら、兄妹で揉めているらしい。

 今のうちなら色々と試せそうだ。


「ワールドイズマイン」


 〈ぼくの世界〉へ来られたのは、ぼくだけ。

 リーファの姿はない。


「ワールドイズノットマイン」


 ぼくはリーファの手首を掴む。


「ワールドイズマイン」


 やっぱりだ。

 リーファは〈ぼくの世界〉へ来ている。


 恐らく、ぼくが手を触れた状態でこのスキルを用いると、その相手も〈こちらの世界〉へ連れてこられる。初めて知る効果だ。

 これまで誰にもぼくのスキルについて話した事がないのだから、当然ではあるけど。


 もっと早く、この効果を把握できていれば……。

 いや、今さら悔いても始まらない。

 これからどうすべきか、考えるべきだ。


「よし、リーファ」

「あう」

「ぼくと一緒ここから出るぞ」

「でうぞッ」


 はじめて、彼女と意思の疎通ができたような気がした。


 ぼくらが入って来た鉄扉を持ち上げようと試みるが、びくともしなかった。単に重いというだけでなく、完全にロックされているらしい。


「ワールドイズノットマイン」


 似ていない魔族兄妹は、相変わらず口論に夢中のようだった。


「きょうだいゲンカは、それくらいにしておいたらどうだ?」


 ふたりは同時にこちらを見た。妙なくらいシンクロした動作である。

 やはり、兄妹なのか?


 ぼくは、あえて挑発的な口ぶりを意識しつつ言い放った。


「ぼくらはそろそろ、ここからおサラバさせてもらうよ」


 ブベルゼとルシーフェは、互いの顔を見合わせてから、こちらへ駆け寄ってくる。


 ぼくは右手で、隣にいるリーファの左手を握りしめる。

 さて、根競べを始めようか。


「ワールドイズマイン」


 1、2、3……。


 チートな【世界はぼくのものワールドイズマイン】だけど、ひとつ欠点がある。

 MPの消費量がエグい。一秒につき1P。

 通常、スキルや魔法は発動時に一度の消費だけで済む。が、ぼくの【世界はぼくのものワールドイズマイン】は使用中常にMPを消費し続ける。

 ぼくの最大MPは約500。ここまでで既にかなり減っているだろうから、残りは400前後だろう。

 時間にして、およそ六分強。


 とりあえず、二分ほど待つ事にするか。それで、扉が開けられる気配がなげれば、別の手を考えよう。


 【重ね合わせスーパーポジション】を発動。


 ちなみに、これの消費MPはわずか1である。


 ブベルゼの幻影が、乱暴に鉄扉をドンドン拳で殴りつけている。

 それに応じる様に、扉がせり上がり始める。


(……あっさり開けるのかよ)


 肩透かしを食らった気分だ。けど、おかげで助かった。


「ワールドイズノットマイン」


 ぼくらの姿を見て、ルシーフェが眼を見張る。


「と、扉を閉じろッ!」


 慌ててルシーフェはそう命じる。

 けど、もう遅い。


「ワールドイズマイン」


 すでに〈あちらの世界〉では鉄扉は閉まり始めているのかもしれない。

 けれど、こちらの世界の扉は開いたままである。

 両者は完全に切り離された世界なのだ。


「行くぞ、リーファ」

「あうッ」


 ぼくとリーファは、扉の向こうへと駆け出した。


重ね合わせスーパーポジション


 あたふたと動き回る兵士たちの幻影をすり抜けて、ぼくらは通路を走り抜ける。

 突き当たり、建物の通用口までやって来た。

 こちらの扉は、内側から閂が嵌められているのみのようだ。

 ただ、太くて二メートルくらいある木製の閂はかなり重い。一人で持ち上げるのは、ちょっと厳しいかも。

 ふと、閂が軽くなるのを感じた。

 見ると、リーファが担ぎ上げるのを手伝ってくれている。


「お前……結構、力持ちなんだな」

「あううぅ」


 ふたりがかりで閂を外して床に下ろすと、大きな扉を押し開ける。

 ぼくらは、外へと飛び出した。


 すぐ目の前に広がる林の中へと駆け込んだ。少し奥まで分け入り、大きな樹木の陰で立ち止まる。


「ワールドイズノットマイン」


 何とか、脱出する事ができた。

 緊張感から開放されたせいか、どっと疲労感に襲われる。思わずそばの樹木に寄りかかった。


 やや遠くから、何やら叫び合っている男たちの声が聞こえてくる。兵士たちが、ぼくらを捜索しているのだろう。


 これでぼくたちは、いわばお尋ね者になってしまった訳だ。

 リーファは相変わらず、キョトンとした顔をしている。


「お前、わかってるのか? ぼくたちは、えらい事をやらかしたのかもしれないんだぞ」

「あう」


 緊張感がまるでない声を発するリーファに、ぼくは思わず笑ってしまう。

 つられた様に、彼女もくちびるの端を少し上げた。笑ったのかな? 単にそう見えただけかもしれない。


 けど笑ったのだとすれば、初めてだ。リーファの笑顔を見たのは。





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