スキル発動
1、2、3……。
頭の中で、無意識的にカウントを取り始める。
何も聞こえてこない。人の声や鳥のさえずり、虫の音さえも。
完全なる静寂。
目の前から、ブベルゼの姿は消えた。
アリーナには、ぼく以外に誰もいない。
地面には、灰色のチュニックやベルトのみが落ちている。
ブベルゼが身につけていたものである。
観客席も全くの無人となっていた。人々がいたはずの座席には、各々が着用していた衣服やアクセサリーのみが残されている。
今、〈この世界〉には、ぼくしかいない。
ひとつ、息をついてから唱える。
「
〈この世界〉に、〈もといた世界〉にいる人々の姿が幻影となって現れる。
ブベルゼは周囲を見回して、何やら叫んでいるらしい。
音声までは聴こえないから内容は不明だが、酷く憤っているのは表情から伝わる。
観客席の人々は、いずれも驚愕や戸惑いの顔でアリーナを眺め回している。
彼らからすれば、ぼくが突然に消えた訳だから当然の反応だろう。
……13、14、15。
ぼくは、ブベルゼのいる反対側の壁沿いまで走って来た。
「ワールドイズノットマイン」
〈もといた世界〉に、ぼくは戻ってくる。
ブベルゼはまだこちらに気づいていない。
「おい、あそこだッ!」
客席の誰かが発した大声に反応して、場内にいる人々(と魔族)の視線が一斉にぼくへと向く。
ブベルゼがこちらへ歩みよってきて、思い切り顔を顰めつつ聞いてくる。
「オマエ、スキルヲ用イタノカ?」
ぼくが返答せずにいると、ブベルゼは苛立ちも露に観客席に向けて大声で問う。
「コノ者ハ、ドンナスキルヲ持ツノダ?」
人々の間で、ざわめきが巻き起こる。
役人らしき男たちが数人、大急ぎで学園長らのもとへ駆け寄る姿が見えた。
顔面蒼白となったザックスが、彼らに何やら必死な様子で訴え始める。
フリージア学園長が、厳しい表情でこちらを見ていた。
目が合ったぼくは、思わず顔をそらしてしまう。
「ダカラ嫌イナノダ、スキルトイウモノハ」
そう吐き捨てたブベルゼは、こちらへにじり寄ろうとする。
「まて、兄上ッ」
声のした方を見ると、女の魔族が黒い翼でもってこちらへ飛んできていた。
ブベルゼのすぐ横に着地する。
(兄上?)
この二人、兄妹なのか……に、似てねー。
「邪魔ヲスルナ、ルシーフェ」
「この者に訊きたい事がある」
ルシーフェと呼ばれた女は、ぼくへ視線を向けて問い掛けてくる。
「今のは、貴様のスキルか?」
ブベルゼのそれとは異なり、なまりのない流暢な人語である。
「さあね」
「【転移】……いや、【隠密】系のスキルか?」
「どちらもハズレだ」
この女、どうやらぼくのスキルに興味を示しているらしい。
その表情から、好奇心がにじみ出ているのが伝わってくる。
「スキルナド、ドウデモヨイ」
対照的に、ブベルゼは酷く不機嫌そうだ。
「まて、この者のスキルについて、もう少し調べたい」
「知ラヌ。コレ以上待テヌ、今スグ喰ウ」
「ちっ」
ルシーフェは、いまいましげに舌打ちする。
ブベルゼは、ぼくへと向き直る。
突如、大口を開けてこちらへ飛び掛かってきた。
「ワールドイズマインッ」
ぼくは移動しつつ、【
ブベルゼの幻影が、苛立たしそうに地面を踏みしめている。土ぼこりが夥しく舞う。
対してルシーフェはその場でじっとしており、目を閉じている。くちびるが微かに動いているのがわかった。たぶん、詠唱している。
恐らく、【索敵】の魔法でも用いてぼくを探すつもりなのだろう。
(ムダだけど)
ぼくは今、〈そちらの世界〉には存在しないのだから。
ふたりから大きく距離を取り、ぼくは唱える。
「ワールドイズノットマイン」
真っ先に、ルシーフェがぼくの方を見た。やはり【索敵】を用いていたようだ。
ブベルゼや観客たちもぼくの存在に気づく。
「おい、お前ッ」
怒気を孕んだ声がぼくへ飛んでくる。
見ると、ザックスが観覧席の最前列におりこちらを睨みつけている。さらに、ぼくを指さして糾弾してくる。
「スキルの隠蔽は重大な規律違反、罪深い行為だぞッ!」
「ならばリーファの件は罪ではないんですか?」
「何だと?」
「彼女をうちへ転校させたのは、贄に選ばせる為でしょう?」
「な……」
「その為に、リーファを利用したんだッ」
「お待ちなさいッ!」
厳しい口ぶりで割り込んできたのは、フリージア学園長だった。
ザックスの数段上に佇んでおり、冷徹そうな眼差しでこちらを見下ろしている。
「聞き捨てなりません。彼女の転校と贄の件は無関係です」
「そんな話、信じられると思いますか?」
「信じなくとも事実です。その証拠にあなたたちのクラスが『贄の候補』になったと知る前に、彼女は我が校へ来ていました」
……確かに、タイミングから考えればそうなる。
『贄の候補』に選ばれた事は、当日の朝に学園側へ通知されるらしい。事前通告では生徒らが逃走する恐れ等があるからだ。
その後で、リーファを呼び寄せるのはさすがに無理だろう。制服の準備等もあるから、もっと以前に転校は決まっていたと考えるべきだ。
つまり、本当に彼女の転校と贄の件は無関係?
(まさか、そんな偶然があるわけ……)
ブベルゼが、ぼくのすぐ目の前に立っていてこちらを見下ろしていた。
「オマエハ、後回シダ」
くるりと踵を返して歩き出すブベルゼ。
その巨躯が足音を轟かせて向かう先には、怯えた顔のリーファがぽつんと佇んでいる。
ちっ、そうくるか……。
「ワールドイズマインッ!」
ぼくは一直線に、リーファがいる地点まで全力疾走する。
「ワールドイズノットマイン」
ヤツからすれば突然現れたであろうぼくに、ブベルゼは一瞬、眼を見張る。が、すぐにその顔に嘲弄の笑みを浮かべる。
「ドウセ、オマエダケ逃ゲルノダロウ? スキルヲ使ッテ」
リーファがぼくの手を掴んでくる。
「あうぅ」
ぼくはその手を握り返す。
そのまま走り出すも、あっさりとブベルゼに回り込まれてしまう。
相変わらず素早い。
醜い豚ヅラが、ぼくらを見下ろしてくる。
涎がぼくのすぐ足下へと滴り落ちた。
(どうすれば、彼女を助けられる?)
もはや、考えている暇もない。
ブベルゼが巨大な口を開けて、こちらへ襲いかかってきた。
恐怖心のあまり、ぼくは目を閉じる。
「わ、ワールドイズマインッ」
……残酷すぎる静寂。
何もできなかった。
【世界はぼくのもの】なのに……。
「あう」
え?
聞き覚えのある声が、ぼくの耳に届く。
おそるおそる、目を開けた。
すぐ隣に、リーファが佇んでいる。
見回すと、彼女以外には誰もいない。アリーナにも、観客席にも。
「お前、一体どうやって……」
「とおやって?」
リーファは、キョトンとした顔で首を傾げた。
はじめてだ。
〈ぼくの世界〉に誰かが入って来たのは。
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