投票


 屋上へと続く階段の踊り場で、ぼくは地べたに腰を下ろしていた。


 基本、屋上への立ち入りは禁止とされているのでここへは人がまず来ない。常に静かで、ぼくのお気に入りの場所だ。

 投票が開始される時刻まで、この場で暇を潰す事にした。


 けど、こんな日に限って、心地よい静寂をぶち壊す不快な話し声が階下から聴こえてきた。


「これで女子の贄は決定すね」


 ゾルキである。へつらう様な口ぶりから、話し相手にも察しがつく。


「男子も、だろ?」


 やはり、ヴィクターだ。ゾルキが敬語を使うのは彼に対してくらいである。


「そうスね」

「ほとんどのヤツらが、あの無能に投票するさ」

「けど、金貨三枚てのはちょっと多すぎたんじゃないスか?」

「貧乏人どもには、それくらいが丁度いい」


 ぼくは、眉を顰めたくなる。


(何の話だ?)


 金貨って、もしやヴィクターのヤツ……。


「けど、ツいてなさすぎスよね。こんな日に転校してくるとか」

「バカ。あえてそうさせたに、決まっているだろ」


 ヴィクターのその指摘については、ぼくも同意せざるをえない。

 きっと他の皆も薄々、察してはいるだろう。

 誰だって、なるべくはクラスメートの名前なんて投票用紙には書きたくないはず。


 つまり贄に選ばれるべく、あえて今朝、リーファはこのクラスへ……。


「あ」

「どうしました?」

「いや……行こうぜ」

「そ、そうすね」


 ヴィクターたちの口ぶりは、どこか気まずそうだった。二人分の足音が遠ざかっていく。


(一体、何があったんだ?)


 疑問に思っていると、誰かが階段を上がってくる音が聞こえた。

 ぼくは警戒しつつ階下を窺う。


 現れた人物に、ぼくは眼を見張る。


「リーファ?」


 透き通る様なコバルトブルーの瞳が、こちらを見上げていた。


 ぼくのいる踊り場まで上がってくると、リーファはしゃがみ込んで、両手を床につく。

 上目遣いで、こちらをじいーっと見つめてきた。


「な、何か用か?」


 するとリーファは突然、ぼくのお腹に自らの頭をを擦り付けてきた。


「ちょ……何するんだよ?」


 びっくりしたぼくは、思わず立ち上がって彼女から離れる。


 リーファはキョトンとした顔で、こちらを見上げてきた。なぜぼくがそんな反応を示すのか、理解できていない様な表情である。

 近寄ってくると、今度はぼくのわき腹に頭を擦り付ける。


「よせって、くすぐったいから」


 もしかして、ぼく、懐かれている?


「お前、これまで何処にいたんだ?」


 問い掛けると、リーファは首を傾げる。


「森で保護されてから今日までだよ」

「あう」

「言葉は、誰に教わったんだ?」

「がう」


 ダメだ。ろくに意思疎通もままならい。


 恐らく、朝の挨拶は、あの台詞だけを繰り返し練習させられて覚えたのだろう。

 言葉もまともに話せないのに、学園生活など送れるはずがない。

 やはりヴィクターの推察する通り、彼女がうちへやって来たのは……。


 昼休みの終了を告げるチャイムが鳴る。


「ほら、教室へ戻るぞ」

「……あう」


 リーファは、これから何が行われるのかも理解できていないだろうけど。


 投票は、記名の上で行われる。


 予め各生徒の氏名が印字された紙が、それぞれのもとへ配布される。

 その紙に男子は男子生徒の、女子は女子生徒の氏名を一人だけ記す。

 自らの名を書く事も、可である。

 ちなみに白票を投じると、本人への一票とみなされる。クラスに存在しない者の氏名を記した場合なども同様だ。


 すぐに投票を済ます者もいれば、なかなか記せずに悩んでいる様子の生徒もいる。


 エリイを、ちらりと見やる。彼女は後者のようである。


 隣を見ると、リーファはペンすら手にしてはいない。退屈そうに、足をブラブラさせていた。

 そもそも、彼女は他の生徒の名前も知らない。それ以前に文字すら書けないだろう。


 リーファのもうひとつ隣のドイルが、用紙を手に席を立った。ふいに、ぼくと目が合う。

 ドイルは途端に気まずそうな顔をして、目をそらした。


(ヴィクターから何か受け取ったのか?)


 ぼくは、彼にそう問い掛けたい衝動に駆られる。

 聞いた所で、本当の事など答えはしないだろうけれど。


 時間が来ると、問答無用で各自の投票用紙は回収される。

 すぐに別室にて開票作業が行われる。それが済めば、即、結果の発表である。


 教室の黒板に、ノーマ先生により二人の名前が記された。


 男子、ワイズ・ブルームーン

 女子、リーファ


 まさしく予想通りの結果といえた。


 ちなみに得票数や、二位以下の氏名などは一切知らされる事はない。

 僅差なのか、断トツだったのかもわからない。別に知りたくもないけれど。


 ぼくらのいる前で、あからさまに喜ぶ人はさすがにいなかった。

 けど、皆の顔からは明らかな安堵の色が読み取れる。


「ねえ、エリイ。もう帰ろう」


 ノンがそう声をかけても、エリイは抜け殻みたいにそこを動こうとしない。


 もはや教室内に残るのは彼女たち二人と、ぼくとリーファのみである。 


 エリイはけしてぼくの方を見ようとはしない。 

 斜め後ろから窺い見ると、その顔はまるで感情を失ってしまっているかのようだ。


 ノンが、半ば強引にエリイを席から立たせる。

 ぼくを彼女の視界に入れないよう配慮しつつ、エリイを教室の外へと連れ出した。


 ドアが閉じられると同時に、エリイのむせび泣く声が聞こえてきた。


(そんなに泣かなくてもいいよ)


 ぼくは魔族どもの生贄になるつもりなんて、さらさらなかった。


 大丈夫、【世界はぼくのもの】だから。


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