転校生


 樹海の奥地で、ひとりの少女が保護された。


 そんな記事を新聞で目にしたのは、たしか二か月くらい前である。


 発見者であるハンターたちは、当初、その少女を新種の魔獣と勘違いしたらしい。

 毛髪は地面に届くほど伸び放題、裸に近い格好で森の中を四つん這いで駆け回っていた。

 ハンターたちが近づくと、唸り声を上げて威嚇してきたという。


 よく見るとそれは人間だった。


 人族の少女で、外見から年齢は十代前半と推定されている。

 保護された彼女は、人語を全く理解しなかったらしい。その振る舞いは獣そのもので、特に狼のそれを思わせた。


 恐らく、少女は何らかの理由で嬰児のうちに樹海に捨てられ、付近に棲息する狼の魔獣により育てられたのだろう。

 識者らによるそんな推察が、記事中では述べられていた。


 『魔狼少女』などと呼ばれ、一時期は大いに話題となっていた存在だ。


 彼女が本当にその魔狼少女だとすれば、なぜぼくらのクラスへ?


(しかも、ぼくらが『贄の候補』に選ばれたこのタイミングで……)


 投票が行われる時間まで、ぼくらは教室での自習を命じられた。

 ちなみに、学園の他の生徒たちはすでに全員帰宅させられたようだ。


 こんな状況で勉強をしても、まともに頭に入ってくるはずもない。

 ただ気を紛らわせたいのか、熱心に教科書やノートと向き合っている生徒もいる。


 リーファは席に座り、落ち着きなく辺りを窺い見ていた。


 みな、彼女の存在が、すごく気に掛かってはいるはずだ。

 けど、積極的に関わろうとする者はいない。何が投票に影響するかもわからない。

 今は、誰もが空気の様な存在になるべく心がけているのだろう。


 リーファは時折、頭をブルブルさせたり、頬を自らの肩や腕に擦り付けるなどしている。


(まさしく、犬か狼を思わす仕草だ)


 ふと彼女が、ぼくの方へ視線を向けた。

 コバルトブルーの大きな瞳が、こちらをじいーっと見つめてくる。

 思わず、ぼくは目を逸らしてしまった。


 何となく、いづらさを覚えたぼくは、教室を後にする。


 図書室へ来てみたが、鍵がかかっており中へは入れなかった。どうやら閉鎖されているようだ。


(今、学園内にはぼくらしかいないのだから、当然か……)


 この日は、学園内のあらゆる施設が閉じられていた。食堂も、例外ではなかった。

 昼食は、教室で全員にパンとミルク、鶏肉のスープが配られた。

 大半の生徒は食欲がなさそうだ。

 スプーンを持つ手が重そうで、全く手をつけていない者もいる。

 いつものランチタイムの賑わいは、そこにはまるでなかった。


 リーファはスープの皿に顔を近づけ、くんくんと匂いを嗅いでいる。

 さらに、舌を伸ばして湯気立つスープを直接ぺろっと舐めた。


「あうッ」


 すごく熱かったはずだ。

 リーファは舌を出して、外気で冷ましていた。

 エリイが、心配げな顔でそんなリーファを見ている。

 彼女の性格からすれば、困っている子を放ってはおけないのだろう。


(今は、目立つ行動を取るべきではないけど……)


 エリイが椅子を引いて立ち上がろうとした。


 ぼくは彼女の動作を制する様に、勢いよく席を立った。

 エリイは驚いた顔でこちらを見た。ぼくは小さく頷いてから、隣の席へと歩み寄る。


「これを使えばいいんだよ」


 スプーンを手に取りリーファに握らせた。

 彼女は、どうしてよいかわからなそうな顔でスプーンを見つめている。

 ぼくはリーファの右手に自らの手を添えて動かしてやり、皿からスープをすくい取る。

 それに、幾度かフーっと息を吹きかけた。


「こうすれば、熱くないだろ」


 リーファは躊躇いつつ、スプーンを「はむッ」と咥える。

 彼女は驚いた様に眼を見張る。 


「うまいか?」

「んまッ!」

「ほら、自分でやってみろ」


 リーファはたどたどしくも、スプーンを動かしスープをすくい取る。


 ぼくのマネをしてか、スプーンに、ふーっと何度か息を吹きかけていた。

 それを口に咥えた彼女は、またもその青い瞳を大きく見開く。


(やればできるじゃないか)


 リーファは夢中で、スープをすすり始める。


 ぼくが席へ戻ると、エリイが申し訳無さそうな顔でこちらを見ていた。


 気にする必要なんてない。

 今さらぼくが何をしたところて、皆の見る目なんて変わりしない。端から、無能者だと思われているのだから。


 ……本当は違うけどね。

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