無能のふり


 廊下を急いでいたぼくは、立ち止まらざるをえなかった。

 手前の床で、ふたりの男子生徒が柔術の真似事に興じていたせいだ。


 今朝、ぼくは寝坊をしてしまった。目覚ましアラームのかけ忘れという凡ミスが原因。

 朝ごはんも抜きで寮を飛び出してきた。おかげで、遅刻は免れそうだったのに……。


 恐らくふたりとも上級生、お世辞にもガラが良さそうには見えない。

 こちらの存在に気づくと動きを止める。立ち上がって、ぼくの行く手を塞いだ。


「何か、用か?」


 渦巻きみたいな奇抜なヘアスタイルのヤツが、剣呑な口ぶりで問い掛けてくる。王都で流行している髪型だろうけど、明らかな校則違反だ。


「通りたいんですけど」

「てゆーかお前、一年の無能だろ?」

「……」

「なんでお前なんぞのために、俺たちがどく必要があるんだ?」

「でないと、遅刻してしまうので」

「知らねーよッ!」


 校舎二階にある教室へ行くには、彼らの背後にある階段を使わねばならない。

 階段はもう一箇所あるが、廊下を反対側の端まで移動しなければならない。遅刻確定だ。


「そんなに通りたけりゃあ、力ずくでどかしてみろよ」


 もう一人の坊主頭で図体のでかいヤツが、指を鳴らすベタな威嚇をしてくる。

 無論、朝っぱらから乱闘騒ぎなど起こすつもりはない。

 ぼくは踵を返して、歩き出す。


「二度とそのツラ見せんなよ、無能がッ」


 渦巻きヘアが、ぼくの背中に向けて吐き捨てる様に言った。

 ちらりと窺い見ると、ふたりはまたも柔術ごっこを始めている。端から始業時間に間に合うつもりはないらしい。

 ぼくは遅刻する気なんてないけど。


「ワールドイズマイン」


 小声でそうつぶやいてから、ぼくは再び踵を返す。誰もいない廊下を走り出した。

 途中、床に落ちている制服の山から、ズボンをつまみ上げる。渦巻きヘアが履いていたものだ。


 階段を踊り場まで駆け上がった所で、今度は普通の声音で唱える。


「ワールドイズノットマイン」


 程なく、階下で笑い声が轟く。


「……ぶはははははッ」

「あ?」

「何だよ、そりゃ?」

「へ、俺のズボンは?」


 ぼくは、うずまきヘアの慌てふためく様を思い浮かべて、思わず噴き出す。

 ズボンをその場に投げ捨て、教室へと急いだ。


 父さんと交わした、スキルにまつわる約束。


 けして、他人に話してはならない。

 使用してもならない。


 前者については六年間、頑なに守り続けている。学園に通う年齢となった現在に至るまで。

 けど、後者の約束はあっさりと破ってしまった。

 だって、試してみたくなるのは当然のはずだ。せっかく授かった、世界にひとつだけのスキルなのだから。



 教室に入ると、担任のノーマ先生はまだ来ていなかった。

 ホっと安堵の息がぼくの口から漏れ出る。小言を食らわずに済んだ。

 ぼくの席は、窓際の最後列である。


「ラッキーだったね」


 着席するなり、斜め前の席のエリイがこちらを振り向き笑顔を見せる。

 彼女もこの学園の生徒だ。偶々クラスも同じであり、こうして席も近い。

 幼い頃は長く伸ばしていた金色の髪は、今では肩までのセミロングにしている。

 背も伸びて、身体つきも女性らしさを帯びつつあった。制服の胸元が窮屈そうだ。

 蒼く澄んだその瞳だけは相変わらずだけど。


「先生、おそくない?」

「珍しいよね」

「嵐でもくるのかな」


 教室のそこかしこから、そんな風につぶやき合う声が聞こえてくる。

 確かに、妙だ。

 すでに始業時間を五分も過ぎている。せっかちな性格のノーマ先生は、いつもなら五分前には教室へ来ているはずである。


 ぼくは何気なく窓の外へ目を向けた。

 校門前に、大型の幌付き馬車が二台並んで停められている。

 何だろう?

 そう思った矢先、一方の馬車の荷台から人が飛び出してきた。

 軽鎧姿で長槍を携えている。

 ……兵士?

 さらに全く同じ装備の者たちが、次々と出てきて地面に降り立つと、方々へ駆けていく。

 もう一方の幌馬車からも同様に、続々と。


 すぐに、他の生徒たちも外の異変に気づく。


「おい、見ろよッ!」


 男子生徒の誰かが、大声を発した。

 それを合図に、教室内の生徒たちが波の様に窓際へ移動してくる。


 兵士らは、総勢三十人ほど。機敏な動作で、校舎を取り囲む様に整列する。全員、こちら側を向いて立っている。

 つまり彼らの目的は、外敵からこの学園を守る事ではない。


「これって、もしかして……」


 恐らく大半の生徒が事態を理解したのだろう。


「ねえ、うちのクラスじゃないよね?」


 泣きそうな声でそう訴えるのは、メガネを掛けた女子生徒、ノンだ。


「だいじょうぶだよ、きっと」


 エリイがそういって彼女を慰める。

 頼むから、他のクラスであってほしい。

 この場にいる全員の切なる願いだろう。


 教室のドアが開いた。

 入ってきたのは白髪交じりの初老の男性、ノーマ先生だ。彼の様子は、生徒らの願望を打ち砕くのに十分であった。

 ノーマ先生は真面目で厳格な教師である。誰ひとり席についていない今の教室内の状況を考えれば、怒声が飛んでもおかしくない。

 けど、先生は無言のまま教壇に立つ。その表情は強張り、酷く緊張した様子だ。


 生徒たちも、黙って各々の席についた。


 ノーマ先生は絞り出す様な声で言った。


「みなさん……お、おめでとう」


 ノンが、「いやあッ」と悲鳴を上げて机に突っ伏す。

 フースは「は、はは……」と、なぜか薄ら笑いを浮かべている。現実が受け止められないのかもしれない。


 ノーマ先生は皆が一番聞きたくなかった言葉を告げた。


「わがクラスが、本年の『贄の候補』だ」

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