第5話 ミーコと過ごす夜。

 食事もあらかた済んで、アレほどあった料理はもちろん、ケーキもきれいに平らげてしまった。

ミーコだけじゃなく、俺もメグミもお腹一杯だ。久しぶりに大満足の楽しい夕食だった。

「もう、たべられないニャ」

 ミーコは、膨れたお腹をたぬきのようにポンポン叩きながら言うので、みんな笑ってしまった。

「あたい、みんなとおなじものをたべるのがゆめだったニャ」

 何を言い出すのかと思って、みんながミーコに注目する。

「あたいは、ネコだから、いつもたべるのは、カリカリとネコかんだった二ャ。あたいは、ごしゅじんさまたちとおなじものをたべたかったニャ。でも、カリカリもネコかんも、だいすきニャ」

 ミーコの言いたいことが、だいたいわかってきた。

ミーコは、ネコだから、人間とおなじものは食べられない。いくら家族同然と言っても、ネコはネコ、人は人で健康上の理由から、食べるものが違う。

家族の一員と言葉では言っても、食べるものは違う。

ミーコは、それが言いたいのだろう。家族の一員と言ってるのに、食べるものが違う。ネコのミーコには、それがわからないのだ。

なんだか、悔しくなって、胸の奥がズキンときた。

「だから、あたいは、いま、とってもしあわせニャ。みんなとおなじものがたべられて、あたいは、うれしいにゃ。ゆめがかなったニャ」

 俺は、目の奥が熱くなって、涙が出そうだった。

「ミーコちゃん、今日からは、あたしたちと同じものを食べていいのよ。これからは、お腹一杯、食べてもいいのよ」

 メグミは、不意に立ち上がると、後ろからミーコを抱きしめて、そう言った。

その目には、うっすら光るものが見えた。

「よし、それじゃ、今度、みんなで寿司でも食べに行くか」

 父さんが張り切った声を出した。それが、俺には、とてもうれしかった。

昼間にハンバーガーを食べていたミーコの顔を思い出す。初めて食べた人間の食べ物の感動をミーコは素直に表現していた。俺にとっては、いつものことで、いつでも食べられるものでも、ミーコにとっては感激していたのだろう。

「いいわね。ミーコちゃん、お魚好きだもんね。お寿司って、おいしいのよ」

 母さんもうれしそうに言った。

「どうせ、回るお寿司でしょ」

 メグミが半分からかうように言うと、父さんは、首を横に振った。

「ちゃんと、回らないお寿司だよ」

「やった。ミーコちゃん、よかったね。おいしいお寿司が食べられるわよ」

 メグミが喜んでいた。でも、ミーコには、お寿司というのがよくわからないらしい。

「おすしってどんなたべものニャ?」

「ミーコは、魚は好きだろ」

「うん、だいすきニャ」

「ご飯も好きだろ」

「だいすきニャ」

「ご飯の上に、魚が乗ってるんだよ」

「ウニャ!」

 ミーコは、急に眼を開いてうれしそうな顔をして俺を見た。

「これよ」

 メグミが、スマホの画像で、寿司を見せてやった。

「ウニャニャ! おいしそうニャ。食べてみたいニャ」

 やっとミーコにも寿司というのがわかったらしく、家族の顔を見てニコニコする。

「それじゃ、今度の休みにみんなで行くか。もちろん、ミーコもいっしょだぞ」

「パパさん、ありがとうニャ。あたい、うれしいニャ」

 ミーコは、椅子の上で両手をパタパタ上げて喜んでいた。

家族全員で同じものを食べる。それが、本当の家族だ。一人だけ違うものを食べるなんて、家族とは言えない。

今日から、文字通りミーコは俺たちの家族の一員になった。それが、俺は、うれしかった。

「それじゃ、ミーコちゃん、お風呂入ろう」

「おふろってなんニャ? もう、たべられないニャ」

「違うわよ。ミーコちゃんもシャワーで体を洗ってもらってたでしょ」

 メグミが言うと、ミーコは、少し考えてから思い出したらしく、パッと顔を明るくした。ミーコの風呂担当は、俺だった。月に何度か、俺は、ミーコをシャワーで体を洗ってやっていた。ネコは、水が苦手というが、ミーコは、シャンプーの時もおとなしくて、嫌がることはなかった。

「おふろは、だいすきニャ」

「それじゃ、あたしと入ろうか」

 メグミが言うと、ミーコは、なぜか、首を横に振った。

「ごしゅじんさまとはいるニャ」

「えっ!」

 思わず俺は、口にしてしまった。ネコの時ならともかく、人間になったミーコと風呂には入れないだろう。

いくら子供とはいえ、女の子には変わりない。それは、まずい。

「あのね、ミーコちゃん。あなたは、もう、人間でしょ。それに、女の子だから、ケイタとは入れないのよ」

 母さんが優しく言ってくれて、俺は、内心ホッとした。

「ウニュ~・・・でも、あたいは、ごしゅじんさまがいいニャ」

「ねぇ、ミーコちゃん。女は、女同士、お風呂に入ろうよ。お風呂の中で、もっとお話し聞かせて」

 メグミは、そう言って、ミーコを誘った。

「そうだな。ミーコは、メグミと入ってきな」

「でも・・・」

「いいか、ミーコ。女は、女同士の方がいいと思うぞ。きっと、お風呂の中でも遊んでくれると思うけどな」

「ウニャ。それなら、メグミちゃんとはいるニャ」

 ミーコがそう言ってくれて安心した。俺もまだ子供だけど、ミーコの扱いには気を使う。ミーコにわかるように言葉を選ぶのは頭を使うけど、それが俺には、ちょっとうれしかった。

「ミーコちゃん、おいで」

 メグミに手を引かれて、二人は、浴室に消えていった。

食事も終わり、ホッとした俺は、大きく息をついていた。

「ケイタ、これから、しっかり、ミーコの面倒を見ろよ」

「あの子くらいの年の子は、大変だから、お母さんもフォローするけど、ケイタは御主人様なんだからね」

「わかってる」

 俺は、父さんと母さんに言われて、改めて責任の重大さを身に染みた。


 母さんは、夕食の後片付けをして、父さんは、リビングでテレビを見ながら新聞を読んでいる。

俺は、明日からのことをぼんやり考えていると、風呂場から二人の賑やかな声が聞こえてきた。風呂場から声が聞こえるなんて、今まではなかったことだ。

それにしても、いつまでたっても風呂から出てこない。中で何をしてるんだろう?

そんなことを思っていると、ようやく風呂場の扉が開いた音がした。

「お兄ちゃん、ミーコちゃん、上がるから、タオルで体を拭いてあげて」

 メグミの声を聞いて、俺は、すぐに浴室の棚からバスタオルを手にした。

すると、風呂場の戸が開いて、ミーコが飛び出してきた。

「ごしゅじんさま、おふろ、たのしかったニャ」

 お湯でビショビショのまま俺に抱きついてきたので、慌ててタオルで体を覆った。

「待て待て、体を拭いてからにしろ」

 俺は、ミーコの体をタオルで優しく吹いた。でも、この時、気が付いた。

ミーコは、裸だぞ。俺が、ミーコの体を拭いていいのか?

一瞬、その手が止まった。でも、ミーコは、俺には何の抵抗することもなく、お風呂がよほど楽しかったのか相変わらずニコニコしている。

「手をあげて」

 そう言うと、ミーコは、言われるとおり両手を上にあげる。

俺は、ミーコの濡れた身体を拭き上げた。

「ケイタ、ミーコちゃんの着替えよ。ちゃんと、着せてあげなさい。それと、髪も拭いてあげないと、風邪をひくからね」

 母さんに言われて、俺は、黙って頷いた。

俺は、買ったばかりの小さなパンツをミーコに履かせた。お尻にネコのイラストが付いているパンツだ。

そして、フルーツの絵が描いてある小さなパジャマを着せて、髪をタオルで拭いてやった。

「ケイタ、そんなに乱暴にしちゃダメよ。ミーコちゃんの髪は、柔らかいんだから、もっと優しく拭いてあげないとダメよ」

 見かねた母さんが、俺に代わって、ミーコの髪を拭いてくれた。

「ママさん、ありがとうニャ」

「お風呂は楽しかった?」

「楽しかったニャ。メグミちゃんと、いっぱいおはなししたニャ」

「そう、よかったわね。後で、どんなお話ししたのか、聞かせてね」

「うん」

 ミーコは、満面の笑みでそう言った。その後、母さんに髪を櫛でとかせしてもらうと、俺の横にきた。俺は、ミーコを抱き上げて、専用の小さな椅子に座らせた。

母さんは、ミルクをコップに注いで、ミーコに飲ませてくれた。

「ミルクは、おいしいニャ」

 ミーコは、ミルクが大好きなのだ。昼間も、ミルクシェークを一生懸命啜っていた。あとから、メグミが髪を拭きながらお風呂から出てきた。

「お兄ちゃん、お風呂空いたから、入ってきたら」

「う、うん」

 俺は、そう言ったけど、まだ、風呂に入ろうとは思わなかった。

もう少し、ミーコのそばにいたかったし、メグミと風呂でどんな話をしたのか、聞いてみたかった。

「なぁ、メグミ、ちょっと聞きたいんだけど」

「なに?」

 メグミは、冷蔵庫から冷たいお茶を出して、飲みながら振り向いた。

「あのさ、その、ミーコに・・・」

「なによ、ハッキリ言ってよ」

「だからさ、いっしょに風呂に入ったんだろ」

「そうよ」

「だったら、裸を見たよな」

「ハァ? お兄ちゃん、なに考えてるのよ」

 メグミは、思いっきり顔をしかめて俺を睨みつける。

「イヤ、そういうんじゃなくて・・・」

「だから、なによ?」

「ミーコのお尻にさ、その、シッポって、あったかって・・・」

「ブッ・・・」

 メグミは、お茶を盛大に噴出して、大笑いした。

「あはは・・・お兄ちゃん、そんなこと、気にしてたの?」

「だって、それって、重要だろ」

「バカみたい。あるわけないじゃん。きれいで、小さなお尻だったわよ」

 メグミは、零れたお茶をふきんで拭きながら、軽い調子で言った。

「ホントか?」

「ホントよ。ウソだと思うなら、ミーコちゃんのお尻を触ってみれば」

「バ、バカ、そんなこと、出来るわけないだろ」

「そうよね。それって、セクハラだもんね」

 そう言って、メグミは、リビングでミルクを飲んでいるミーコのところに行った。

「メグミちゃん、また、おふろにはいるニャ」

「いいわよ。また、明日ね」

 そう言うと、ミーコは、嬉しそうに頷いた。

とにかく、ミーコのお尻にシッポがないことがわかって、ホッとした。

ネコだから、人間になっても、シッポがあったら、どうしようと思った。

「ケイタ、お風呂に入ってらっしゃい」

 母さんが、後がつかえているからと言われて、渋々風呂に入ることにした。

俺は、浴槽に体を沈めて、これからのことを考えていた。

ミーコとどうやって接すればいいのか? ミーコは、もうネコではない。一人の人間だ。しかも、子供で、可愛い女の子だ。小さな子供の扱い方なんて知らない俺は、どうやったらいいのか見当もつかない。

男の子でもないので、乱暴に扱いわけにはいかない。でも、ミーコは、俺に一番懐いている。

「どうしたらいいんだろう・・・」

 気が付くと、独り言のように呟いていた。

風呂から上がると、ミーコは、メグミに絵本を読んでもらっていた。

「ごしゅじんさま、えほんて、おもしろいにゃ」

「そうか、よかったな」

 俺は、濡れた髪を拭きながら言った。

メグミに絵本を読んでもらいながら、時には笑ったり、喜んだりしていた。

「それで、どんな絵本を読んでるんだ?」

「迷子の子ネコちゃんよ。あたしが昔、ママに読んでもらって、大好きだった話よ」

 なんか俺にも読んでもらった記憶があった。楽しい内容だった。

ミーコには、ピッタリだろう。

「ハイ、おしまい」

 メグミはそう言うと、ミーコは、嬉しそうにパチパチと拍手をした。

「おもしろかったニャ。メグミちゃん、ありがとうニャ」

「どういたしまして。また、違う絵本を読んであげるからね」

「うん、楽しみにしてるニャ」

 メグミとも仲良くなっているようで、こうしてみると、ちょっと年が離れた姉妹という感じだ。

「くあぁ~・・・」

 ミーコが大きなあくびをした。どうやら、眠くなったようだ。

「ミーコちゃん、そろそろ寝なさい」

 母さんが気を聞かせてミーコに言った。

すると、ミーコは、立ち上がると、俺の足にしがみ付いて上目遣いに俺を見ながらこう言った。

「ごしゅじんさまとねるニャ」

「えっ!」

 俺は、一瞬、たじろいでしまった。確かにミーコとは、毎日いっしょに寝ていた。

でも、それは、ネコだった頃の話で、今は、かなり状況が違う。男の子ならまだしも、女の子ではいっしょに寝るのは、いかがなものかと思う。

「ミーコは、女の子だから、メグミと寝たほうがいいんじゃないか」

 俺は、その場にしゃがんで、ミーコと同じ目線にして言った。

しかし、ミーコは、首を横に振っていった。

「あたいは、ごしゅじんさまとねるニャ。まいにち、いっしょにねてたニャ」

 これは、困ったぞ。ミーコは、ネコでも今は人間の女の子だ。

「いいじゃない。いつもいっしょに寝てたんだから、気にしないで、いっしょに寝てあげなよ」

「でも・・・」

 メグミがあっさり言うけど、俺としては、気にしてしまう。

「ごしゅじんさま、あたいといっしょにねてくれないにゃ?」

 ミーコが悲しそうな顔をすると、反対できる雰囲気ではない。

「ケイタ、いっしょに寝てあげたら。ミーコちゃんは、子供なのよ。意識することないでしょ」

「ミーコが可哀想だろ。いっしょに寝てあげなさい」

 母さんも父さんも、そういうけど、俺としては、微妙な感じがする。

「よかったね。お兄ちゃんがいっしょに寝てくれるって」

「ウニャ~、よかったニャ」

 ミーコは、メグミに言われて、俺の返事も待たずに喜んでいる。

「明日は、学校でしょ。ケイタもメグミも、早く寝なさい」

「ハ~イ」

 母さんに言われて、メグミもあくびをしながら二階に上がっていった。

「パパ、ママ、お休みなさい」

「ハイ、おやすみ」

 メグミが階段を上がっていくのを見て、ミーコも後について行った。

「パパさん、ママさん、おやすみなさいニャ」

 そう言って、ミーコは、ペコリとお辞儀をした。

「ハイ、おやすみ」

 父さんと母さんも、同じようにお休みの挨拶をする。

そして、トテトテと小走りに階段を上がっていく。

「ほら、何してんだ。ミーコが階段から落ちたら危ないだろ」

 父さんに言われて、俺も慌てて寝る前の挨拶をして、ミーコの後を追った。

「ミーコ、手を繋いで」

 小さなミーコにとっては、階段を上り下りするのも大変なのだ。

ネコの頃は、簡単にできたことも、人間の子供になれば、段差は危ない。

俺は、小さな足を大きく上げて一段ずつ登っていくのを支えながら登っていく。

「フニャ~、人間は、階段を昇るのは、大変ニャ」

 階段を昇るのも一苦労らしい。

「それじゃ、ミーコちゃん、おやすみ」

「おやすみなさいニャ、メグミちゃん」

 メグミは、階段の上でミーコが来るのを待っていたらしい。

二人がお休みの挨拶をして、それぞれの部屋に入っていく。

二階は、俺とメグミは、向かい合わせで部屋があった。

 部屋に入った俺は、一度、部屋の電気をつける。俺の部屋の中は、机と制服や私服が入ったクローゼットにタオルや下着などがある小さなタンスと、マンガと教科書類が混じった本棚があるだけだった。

他には、ベッドがあるのみで、シンプルな部屋だ。

「それじゃ、寝るか」

 そう言って、ベッドに入る。先に、ミーコをベッドに寝かせた。

落ちないように、壁側にミーコを寝かせて、隣に俺が寝るようにした。

「大丈夫か?」

「だいじょうぶニャ」

 ミーコは、ふとんの中に潜っているのは、ネコの頃の習慣なのだろう。

「ミーコ、顔を出さないと、苦しいだろ」

 そう言うと、ミーコは、もぞもぞ動いて、ふとんの中から顔を出した。

そして、俺の腕に小さな頭を乗せるようにして、俺に抱かれるように横になった。

「ごしゅじんさまとねるときが、いちばんきもちいいニャ」

 確かにミーコの顔を見ると、気持ちよさそうだった。

小さなあくびをすると、ミーコは、目を閉じる。

「ごしゅじんさま、おやすみなさいニャ」

「はい、おやすみ」

 俺は、そう言って、ミーコの頭を優しく撫でた。

すると、あっという間に、ミーコは、小さな寝息を立てて寝てしまった。

ミーコの寝顔を見ていると、ホントに癒される。ネコの頃のミーコとは、また、違う感じがした。

ミーコの寝顔を見ながら、部屋の電気を消すと、俺もすぐに眠くなった。

今日一日は、驚くようなことの連続だった。朝からのことを思うと、長い一日だった。

明日から、ミーコとの生活は、どうなるんだろう?

そんなことを考えているうちに、俺は、眠りに落ちていった。


 翌日、目が覚めて、ふとんを捲ったが、そこには、ミーコはいなかった。

もしかして、ミーコが人間になったのは、夢だったか?

ミーコは、ネコに戻ってしまったのかと思うと、一瞬にして目が覚めた。

そして、ベッドから急いで起きると、階段を駆け下りた。

「ミーコ!」

 俺は、一階に駆け降りると、そこには、またしても想定外の光景が目に入った。

「あっ、ごしゅじんさま、おはようニャ」

「ミーコ・・・」

 そこには、着替えたミーコが、母さんと朝食の準備をしていた。

よかった・・・ 夢じゃなかったんだ。ミーコは、人間の女の子の姿をしていてホッとした。

「ケイタ、何してんの。ミーコちゃんがおはようって言ったのよ。挨拶くらいしなさい。それでも、御主人様なの?」

 母さんに言われて、ハッとした。

「お、おはよう、ミーコ」

「おはようございますニャ」

 朝からミーコは、元気一杯だった。

「ミーコちゃん、お皿を運んでね。気を付けるのよ」

「ハイニャ」

 ミーコは、楽しそうに朝食の準備をしている。

「ケイタも、顔を洗って、歯を磨いてきなさい」

 母さんに言われて、俺は洗面所に向かった。すると、あくびをしながら、メグミが洗面所から出てきた。

「おはよう、お兄ちゃん」

「おはよう・・・」

 メグミは、すっきりした顔で洗面所から出てくると、テーブルに座った。

父さんもトイレから新聞を持って出てきた。

「父さん、おはよう」

「おはよう。ケイタが一番遅いのか。ミーコなんて、早くから起きてたぞ」

 そうなのか・・・ ミーコは、ネコの時から、我が家で一番の早起きだった。

人間になってからも、ミーコは、朝が早いらしい。

これじゃ、格好付かないので、急いで顔を洗って歯を磨き、寝癖が付いた髪を整えた。

 朝食の用意ができているテーブルに向かうと、メグミがミーコの髪を直して、赤いリボンを付けているところだった。

「ほら、出来た。可愛いわよ、ミーコちゃん」

「メグミちゃん、ありがとニャ」

 ミーコは、鏡の前でリボンを見ながら嬉しそうだった。

「学校に行くんでしょ。早く食べちゃいなさい」

 俺とメグミは、学校に行く時間が迫っていた。父さんと母さんは、少しゆっくりしてから出かけるのだ。

俺たちは、いつもの席に座る。でも、今日からは、メグミと俺の間に、子供用のいすに座ったミーコがいる。

今日の朝食は、パンだった。まだ、箸を上手に使えないミーコのために、箸を使わずに食べられるように母さんが気を利かせたようだ。

それでも、初めて見るパンに、ミーコは、目をキラキラさせている。

「ハイ、これは、ミーコちゃんの分。バターは、ケイタにぬってもらいなさい。ミーコちゃんは、卵も好きでしょ」

「だいすきニャ」

 ミーコは、卵も好きだった。スクランブルエッグなら、スプーンで食べられる。

俺は、パンにバターをぬって、ミーコの皿に置いた。

「それじゃ、いただきます」

「いただきます」

 みんなで手を合わせて食事が始まる。俺たちは、コーヒーだけど、ミーコには、ぬるめのホットミルクだ。

ミーコは、パンを一口齧ると、目を大きく見開いてこういった。

「おいしいニャ」

 ミーコは、相変わらず、ウニャウニャ言いながら、パンをモグモグさせている。

「玉子も食べてね。ハムもあるから、ゆっくり食べなさい」

 ミーコは、母さんの声も聞こえないのか、スプーンで卵を救って、口に運んでいる。

「ムニュムニュ・・・玉子は、おいしいニャ」

 朝からうれしそうなミーコだった。

もちろん、俺たちも同じようにパンを食べたり、卵を食べる。

「ミーコ、サラダも食べなきゃダメだぞ」

 俺は、そう言って、野菜サラダをミーコのお皿に取り分けた。

「ウニュ~、あたい、やさいは、あまりすきじゃないニャ」

「好き嫌い言わない。野菜は、体にいいんだから、少しは食べるの」

「ウニュ・・・」

 ミーコは、イヤそうな顔をしながらも、俺に言われたので、イヤイヤでもサラダの中から、レタスを一口食べる。

「ウニャウニャ・・・アニャ! おいしいニャ。これは、おいしいニャ」

 ネコが食べる野菜と言えば、ウチでもネコ草を与えている。ミーコは、ネコ草も食べるけど、いうほど食べない。基本的に、ネコは、野菜は好きな食べ物ではない。

 でも、今、食べているのは、人間用の野菜サラダだ。ネコ草ではない。

ドレッシングが付いて、トマトやレタス、キュウリなど、どれも新鮮でおいしい。

「ムニャムニャ、おいしいニャ」

 ミーコは、どれも夢中で食べている。ホットミルクをゴクゴク飲むと、口の周りが白いひげができる。

「ミーコ、口を拭いて」

 俺は、ナプキンでミーコの口元を拭いてやる。

「お兄ちゃんて、ミーコちゃんのママみたいね」

「そんなんじゃないよ」

 俺は、照れ隠しにメグミから言われて、つい剥きになって言い返した。

でも、悪い気はしなかった。ミーコの世話ができることが、俺は、うれしかった。

「ごしゅじんさま、パンもたまごもハムもやさいも、とってもとっても、おいしいニャ」

「そうか、よかったな。一杯食べな」

「ミーコちゃん、ミルクも飲む」

「ウニャ、のみたいニャ」

 ミーコは、ミルクのお代わりもした。パンを一枚と、卵とハムもきれいに平らげて、お腹一杯になったミーコは、朝からうれしそうだった。

「ママさん、おいしかったニャ。ごちそうさまニャ」

「ハイ、きれいに食べたわね」

「ミーコは、いい子だな」

 父さんと母さんに褒められたミーコは、目を細めて笑っている。

「ほら、アンタたちも、早く食べないと、学校に遅れるわよ」

「いけない・・・」

 メグミは、そう言うと、コーヒーを流し込むと、急いで立ち上がった。

俺も時計を見て、慌てて食事を済ませた。

 その後、母さんは、後片付けをして、俺たちは、制服に着替えてカバンを持って学校に行く。

「ミーコ、俺たちは、学校に行くから、また、帰ってきたら、遊ぼうな」

「はやくかえってくるニャ」

 俺は、ミーコに言い聞かせるように言った。

「帰ってきたら、遊ぼうね」

「まってるニャ」

 メグミに言われて、ニコニコ笑っているミーコだった。

「父さん、昼間は、ミーコをどうするの?」

 それが一番心配だった。昼間は、俺とメグミは学校だし、父さんと母さんは仕事に行く。

ミーコは、一人になってしまう。家の中に一人で閉じ込めておくのは可哀想だ。

だからと言って、一人で外に出してしまうのは、危険ではないのか?

もしも、事件や事故にでもあったら、ミーコはどうなる?

すると、父さんが言った。

「いいかい、ミーコ、よく聞きなさい。ケイタもメグミもお父さんもお母さんも、学校と仕事に行かなきゃいけない。ミーコは、一人でお留守番できるか?」

「できるニャ。あたい、ひとりでもだいじょうぶニャ」

「よしよし、偉いな、ミーコ。それじゃな、これは、家の玄関のカギだ。これがあれば、外に遊びに行ってもいいよ」

 そう言って、カギを付けた紐を首にかけた。

「鍵の開け方は、わかるな?」

「わかるにゃ。きのう、れんしゅうしたニャ」

「それなら、安心だな。それと、知らない人には、気を付けなさい。いいね」

「ハイニャ」

 なにより、それが一番心配だ。ミーコのような小さな女の子が一人で歩いていたら、声をかけてくる人もいるかもしれない。

「知らない人について行ってはいけないよ。わかったね」

「わかったニャ」

 ミーコは、父さんに言われて、元気よく返事をした。でも、ホントにわかっているのか、俺は不安だった。

「ミーコ、人間の中には、悪い人間もいる。いじめられたり、ケガをしないように気を付けるんだぞ」

 俺は、ミーコにしつこいくらいに言い聞かせた。

「だいじょうぶにゃ、あたいにも、ともだちがいるから、いっしょにあそんでるニャ」

「友だち?」

 ミーコにも友だちがいるのか? イヤ、いるだろう。ネコの頃は、外に自由で遊びに行っていたからネコの友だちがいるかもしれない。俺が知らないだけなのだ。

でも、どんな友達なのか気になる。いじわるなオスネコだったり、乱暴なノラネコだったりそれはそれで、飼い主として気になる。

「ミーコちゃん、これは、お昼のお弁当ね。お腹が空いたら、食べていいわよ」

「ウニャニャ! ママさん、ありがとニャ」

 母さんは、ミーコのために、お昼ご飯も用意してくれたらしい。

小さなお弁当箱が入った、ピンクのポーチをミーコは、大事そうに胸に抱いている。

「よかったな、ミーコ」

「うん、おひるがたのしみニャ」

 そう言って、ミーコは、うれしそうに微笑んだ。

「お兄ちゃん、学校に遅れるよ」

 メグミに言われて、俺は、後ろ髪を引かれる思いで靴を履いて、玄関から外に出た。

「それじゃな」

「ごしゅじんさま、メグミちゃん、いってらっしゃいニャ」

 俺は、母さんとミーコに見送られて学校に向かった。

それでも、俺は、何度も振り向いてミーコを見返す。ミーコは、俺たちが見えなくなるまで、手を振ってくれていた。

俺は、その後も、何度も何度も振り向きながら歩いた。

「お兄ちゃん、急がないと、遅刻するわよ」

「わかってるよ」

 わかってるけど、学校に向かう足が遅くなる。

「お兄ちゃんてば、ミーコちゃんには、甘々ね。過保護すぎるわよ」

「うるさいな。ミーコにもしものことがあったら、どうするんだよ」

「心配し過ぎよ」

 メグミは、遅い俺の袖を引っ張りながら、学校に急いだ。


 学校に近くなると、クラスの友だちといっしょになる。

「ケイタ、おはよう」

「おはよう」

 俺は、友達とあいさつしながら校門を潜った。

昇降口で靴を履き替えるところでメグミと別れる。一年生のメグミの教室は一階で、三年生の俺は三階だ。

俺は、階段を昇って、三階の自分の教室に入り、自分の席に着いた。

仲のいい友達が集まって、それぞれおしゃべりが始まる。いつもの光景だった。

それでも、俺の頭の中は、ミーコがどうしているか、そのことばかり考えていた。

「ケイタ、どうしたんだ?」

「えっ・・・ イヤ、別に」

「なんか、今日は、元気ないけど、なんかあったのか?」

「なんでもないって」

 そう言われても、俺は、それしか言えない。ミーコのことは、友達にもないしょだ。

担任の先生が教室に入ってきた。一時間目の授業が始まる。

一時間目は、国語だった。俺は、国語は得意科目だ。

でも、今日は、授業どころではない。いまごろ、ミーコはなにをしているのか思うと、授業に集中できない。

 事実、何度か先生に注意されることもあった。

俺にしては珍しい。自分で言うのもなんだが、俺は優等生だ。

テストは、いつもいい点数だし、先生の信頼もあった。学年の成績でも上位だし、エスカレーター式とはいえ大学にも希望の獣医学部に入れるだろうと先生も言っていた。なのに、授業に集中できない自分が信じられなかった。

 その反対に、体育は苦手であまり得意ではなかった。体育の授業が一番憂鬱なのだ。だから、クラブ活動は、当然のように文化部だった。それでも、美術部や吹奏楽部のような音楽や芸術にも、それほど興味がないので、入る気にはなれなかった。

それでも、大学進学の時の内申書があるので、何かしら部活動には所属していないと心証が悪い。

そこで、俺は、創作部に入ることにした。創作部というのは、人数も少ないうえ、いわゆる幽霊部員が多い。

俺も幽霊部員の一人だけど・・・ たまに顔を出しても、しばらく雑談して、すぐに解散だ。部活動をしているより、ウチに帰って、勉強している方が楽しかった。

 逆に、メグミは、成績はそこそこだけど、スポーツ万能で、男子からも女子からも人気がある存在だった。

陸上部の女子短距離のエースで、高校に入学してから、インターハイで優勝している。そのうえ、生徒会の副会長もこなしているから、やることなすこと、俺とは正反対だった。別に、俺自身が暗いとか、陰気とかそんなことは思っていない。

俺にも仲がいい友達はいるし、クラスの女子たちとも、普通に話もできる。

 午前中の授業は、いつも通り淡々と進んでいったが、今日の俺は、先生の話は右から左に通り過ぎて行く感じで、なにも頭に入っていなかった。

 昼休みになって、各自、仲がいい人同士で集まって、弁当を食べる。

俺も数人の男子たちと、弁当を広げた。それでも、今日の俺は、なんだか上の空だった。話しかけられても、気が付かなったり、生返事をするばかりだった。

「今頃、ミーコは、どうしてるのかな?」

「えっ? ケイタ、いま、なんて言った?」

 俺は、独り言で言ったつもりで、声が出てしまったらしい。

「なんでもない、何でもないから」

 俺は、慌てて否定して、弁当を食べる。

「なんか、怪しくない? もしかして、ケイタ、誰かを好きになったとか?」

「ないない」

「秘密にしておくから言えよ」

「なんでもないって」

 俺は、しつこく追及してくる友だちに言い返した。

その時だった、同じ窓際で弁当を食べていた女子たちの声が聞こえてきた。

「ねぇ、あの子、なんなの?」

「誰かの妹さんじゃない」

「なんか、泣いてるっぽいけど、大丈夫かしら?」

 ザワザワしてきた女子たちに交じって、男子たちも窓の外に目を向け始めた。

「おい、ケイタ、なんか、チビの女の子が泣いてるみたいだぜ」

 そう言われても、俺は、それどころじゃない。今は、ミーコのことで頭が一杯だった。

「いいから、見てみろよ。あの子、誰だろうな?」

 俺は、面倒臭そうに窓の外を見て、思わず椅子から立ち上がった。

「ミーコ!」

 思わずそう口走っていた。遠くからでも見間違えるはずがない。アレはミーコに違いない。俺は、椅子を倒して、教室から飛び出した。

「おい、ケイタ、どこに行くんだ・・・」

 友達の声を背中で聞きながら、教室を飛び出した俺は、一目散に外に出た。

三階からの階段を三段飛ばしに降りていくと、一階でメグミと鉢合わせした。

「お兄ちゃん」

「メグミ」

「ミーコちゃんよね」

「うん」

 俺たちは、靴を履き替えるのも忘れて、上履きのまま外に飛び出すと、校門に向かって走り出した。

「ごしゅじんさまぁ・・・ ウニャ~ん、ウニャ~ン」

 走りながら見ると、ミーコに間違いなかった。

ミーコが泣いている。俺は、全速力でミーコのそばに行った。

「ミーコ!」

「ごしゅじんさまぁ・・・」

 ミーコが門の隙間から手を伸ばす。俺は、重たい正門をメグミと開けた。

すると、ミーコは、泣きながら俺に抱きついてきた。

「ウニャ~ン、ウニャ~ン」

「どうした、ミーコ?」

「ちょっと、お兄ちゃん、ミーコちゃん、ケガしてるよ」

「なにっ!」

 俺は、抱きついているミーコを離して全身を見ると、ボロボロだった。

服のあちこちが破れて、膝から血が出ている。髪も乱れて、赤いリボンが髪から外れてブラブラしている。

母さんが作ってくれた弁当が入った袋も汚れて紐が千切れていた。

小さな目から、大粒の涙がボロボロ零れて、顔も泥だらけだ。

メグミがハンカチで涙を拭っている。

「ミーコ、どうしたんだ? なにがあった。泣いてちゃ、わからないだろ」

「ウニャ~・・・ おおきないぬにおいかけられて、ころんだニャ」

「なんだって! どこの犬だ?」

「わかんない、おおきなくろいいぬだったニャ」

 ミーコは、メグミに顔を拭ってもらっても、次から次へと涙が溢れて止まらない。

「もう、大丈夫だぞ。俺もメグミもいるからな。もう、大丈夫だ」

 俺は、ミーコを力一杯抱きしめて、ボサボサの髪を優しく撫でた。

「ごしゅじんさま、こわかったニャ」

「よしよし、もう、大丈夫だから、安心しろ」 

 俺は、そう言って、ミーコを安心させた。

「それより、ミーコちゃん、ケガしてるよ」

「よし、保健室に・・・」

 そこまで、言って、ハッとした。ミーコは、人間だけど、中身はネコだ。それに、ミーコのことは秘密だ。

保健室で手当てするのはいいが、保健室の先生になんて説明する?

小さな子供だけに、親に連絡することになるだろう。俺たちとの関係も説明しないといけない。どうしたらいい・・・ でも、ミーコのケガが心配だ。

「お兄ちゃん、パパの病院に連れて行って」

「そうか! よし、ミーコ、もう、大丈夫だぞ」

 俺は、そう言って、ミーコを背中におぶった。

父さんの動物病院なら大丈夫だ。父さんなら、ミーコを見てくれるだろう。学校から病院までは、走れば10分もかからない。ミーコのためなら、心臓が壊れても走ってやろうと思った。

「お兄ちゃん、ミーコちゃんのこと頼むわね。先生には、あたしがうまくごまかしておくから」

「ありがとうメグミ。頼むぞ」

 そう言うと、俺は、ミーコをおぶって走り出した。

ケガをしているミーコをあまり揺らさないように、注意しながら父さんの病院まで走った。

「ミーコ、もう、大丈夫だから泣くな」

「ごしゅじんさまのせなかは、あったかいニャ」

 そう言って、ミーコは、俺の背中にもたれかかった。

「ごしゅじんさま、だいすきニャ」

 耳元で言われると、俺は、ミーコをこんな目に合わせたやつを許せなかった。

こんな小さな女の子に、犬をけしかけるなんて、絶対に許せない。

俺は、息を切らして、父さんの動物病院に向かった。


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