第4話 犯人検挙
ここは、とある住宅街。辺りの家々はまだ明かりを灯し、賑やかな声が聞こえてくる。しかし、その声の主は大人と画面の中でバカ騒ぎしているタレントだ。十時を回った現在では、子どもたちは既に夢の中にいるか、歯磨きなどの入眠準備を行っていた。
そんな中、道を歩く人影が一つ、点いたり消えたりを繰り返す街灯に照らされていた。人影は大きなレジ袋を手に下げ、何度もそれに視線を落としながら歩いていた。加えて、頻りに首や体を捻った。夜道だからだろうか、周囲を警戒しているように見える。
そこに、一台の車が通りすがった。車はどこにでもある一般的に流通している軽自動車だったが、どうも様子がおかしい。先ほどの人影が道の端によっても、一向に抜かそうとしない。遂には人影の動きに合わせ、停車までした。ライトが消灯し、運転席の扉が僅かに音をたてたような気がした。それを見た人影は、持っていたレジ袋をかなぐり捨てて、一心不乱に走り始めた。様子のおかしい軽自動車は、レジ袋を踏みつけて走行し、その後を追う。辺りに、ガラス瓶が割れるような音が響いた。
人影は、何度も車の方を振り返りながら走る。その車が、偶々あの場所で停車しただけの、自分とは何も関係がない車だと願いながら。しかしライトが消えたまま走るその車は、道路の砂利を踏みしめる音をたてながら、一定距離を保ってずっとついてくる。明らかに異様。その目的が自分の命であることを、人影は確信した。
いったい誰がこんなことをするのか。なぜ自分が狙われなければならないのか。そんな疑問に気を奪われていると、人影は足がもつれて転んでしまった。自分では、冷静に行動しているつもりだった。しかし、そうではなかった。歩き慣れたこの道で、自宅まで後ほんの数十メートルというところで転ぶほど、動揺していたのだ。
車は人影の進路を妨害するように回り込んでから停車し、運転席の扉を開いた。そこから降りてきた男の手が、街灯に照らされて輝く。ナイフだ。刃渡りが十五センチはあろうかという、サバイバルナイフを持っている。
殺される。
人影がそう確信したその時、どこからともなくパトカーのサイレンが聞こえてきた。ナイフを持った運転手はそれでも構わず人影の方に向かうが、暗がりから飛び出してきた何者かによって取り押さえられた。
「午後十時十七分。緑山輝和、殺人未遂の現行犯で逮捕する」
そう叫んだのは、青坂署の朝倉常長だった。取り押さえられた緑山は、頭を何度も地面に打ち付けて唸り声をあげていた。
「緑山くん……君が……」
転んだまま動けなかった人影がそう呟くと、後ろから突然肩を抱かれた。振り返るとそこには、何時ぞやか朝倉と一緒に聞き込みに来た、その上司の智恵藍の姿があった。
「お怪我はありませんか、大勝負さん。彼がこんなことをした原因、心当たりがありますよね」
大勝負は、何も答えることができなかった。
翌朝。青坂署の取調室では、朝倉による緑山への取り調べが行われていた。緑山は非常に素直に質問に答え、一連の色命会関係者殺害事件の犯人は自分であると認めた。
「どうしてこんなことしたんだ」
「それを分かったから、私が犯人だって気付いたんじゃないですか?」
「妹さんのことか」
「やっぱりバレてるんだ。いやー、日本の警察は優秀だなぁ……その優秀さ、もっと早く発揮してくれたら、こんなことにはならなかったのに」
緑山は焦点の合わない目で、取調室の天井を見上げた。
「私たち兄妹が色命会に出会ったのは、三年前のことでした。その頃はまだ宗教法人ではなかったので、大学で心理学を学んでいた妹は何の警戒もすることなく、集まりに参加していました。最新の心理学が学べる。名立たる名門大学で教授を務めたような人たちと、たくさん交流することができる。あんなに目を輝かせて話す妹は、初めて見ました。だから私も興味を持って、妹に付き添うにようになったんです。そして、そこで学んだことを生活にどんどん取り入れた。リビングは壁紙を緑色に、書斎は青色に、筋トレやヨガをする部屋は赤色にしました。家は亡くなった両親が残してくれていましたし、苦学生だと分かった苦住さんに生活面で色々助けてもらったので、妹と私は不自由しませんでした。でも――」
緑山はそこで言葉を止め、握りしめた拳で自分の太ももを強く叩いた。
「あいつは、あいつらは裏切った! 苦住は嫌がる妹を無理やり凌辱し、それを苦にした妹は自殺した。私の人生は、二年前に全て終わったんです」
「その復讐のために、今回の事件を起こしたのか。でも、他にも手段はあったんじゃないのか」
「私だって、最初からこうしたかったわけじゃありません。妹の残した遺書に事の顛末がすべて書かれていましたから、警察に相談しました。でも、それだけじゃあ何の証拠にもならないって突き返されました。ならばと思って、苦住さんに直接聞きました。苦住さんは、妹と肉体関係を持ったことを認めました。でもそれは、恋愛関係に発展してからのことだったと、あの人は言ったんです。痴情のもつれってやつですか、それなら苦住さんを責めるわけにもいかない。一度はあの人を許すことができました。私たち兄妹を助けてくれたあの人を、信じてみようと思いました。でも、それから苦住さんはおかしくなった。突然色命会を宗教にし、教祖になった。そして、最初期からメンバーだった七人に加え、私も幹部にしたんです。なんだか、私のことを飼い馴らそうとしているんじゃないかと思いました。そして、その直感は当たっていたんです」
緑山は一呼吸おき、自分の右手を見つめた。
「聞いてしまったんです、仲代と藤壺が話してるところ」
「何を話してたんだ」
「あいつらは、自分たちの知的好奇心を満たすためだけに、集会の参加者たちに洗脳を施していたんです。そしてその被験者の中に、妹も含まれていた。妹は苦住さんに恋愛感情を持つように洗脳されて肉体関係になり、それが覚めたから自殺した。それが真相だった。そしてあいつらは、色命会を宗教法人にすることで更に被験者を集め、洗脳技術の研究を続けようとしたんだ。許せなかった。人を人とも思わないカス共も、それに喜んで協力して教祖になった苦住さんも、全員! だから、だから私は、この手で――」
その瞬間、取調室の扉が勢いよく開け放たれた。
「それは違います」
藍はそう言って、取調室の中に入ってきた。そして、こちらに目で合図した。朝倉はその意図を察すると席をたち、取り調べの担当官を交代した。
「何が違うんですか」
「――今、大勝負の事情聴取が終わった。そこで、すべて吐いたわ。あなたの妹に催眠術をかけて、自殺の原因を作ったのは自分だってね」
「だからなんですか。誰がやったかなんて、この際どうでもいいことです」
緑山は藍の話を一蹴しようとしたが、藍は構わず話し続けた。
「ある日、大勝負は苦住から相談されたそうです。あなたの妹さん――
緑山は、開いた口が塞がらないようだった。
「早奈美さんは、自分たちのことをなにかと気にかけてくれる苦住に好意を抱いていたんでしょう。そんな二人が恋愛関係になるのは、自然なことだった。でも問題は、そこに大勝負の横槍が入ったこと。結果、早奈美さんはその暗示に突き動かされて自殺してしまった。緑山さん。あなたに遺書を突き付けられた時、苦住はきっと激しく動揺したと思います。愛し合っていると思っていたのは、自分だけだったのかと。強い後悔と自責の念にとらわれたことでしょう。どうしてこんなことになったのかと、自問自答を繰り返し、苦住はどんどん追い詰められた。そんな時、あの七人が悪魔の囁きをしたんです」
「悪魔の囁き?」
「神の力を借りましょう。聖職者になって神に奉仕することで、早奈美さんに対しての罪が浄化され、その先で多くの人を救うことになるでしょう。そんな出鱈目を、あの七人が代わる代わる言ったんです。追い詰められた苦住さんは何度もそう言われるうちに、この言葉が絶対的な真理に聞こえたんでしょう。だから、色命会を宗教にし、教祖になったんです」
「じゃあ、苦住さんは……」
「何も知らなかったと思います。少なくとも、早奈美さんのことに関しては、なにも」
青坂署に、慟哭が響いた。
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