第2話 博士
事件発生から二日後、藍は苦住が博士課程に在籍していた当時の指導教授である
「苦住くんは、宗教を作ろうとしたわけではないんです」
山本教授は、俯き加減でそう言った。藍はその目に、我が子を失った親の悲しみを見た。教授にとって苦住は、怪しい宗教活動家ではないようだ。
「彼は研究を進める中で、色が秘める力の大きさに気付きました。持ち物や部屋の色を変えれば、それだけで習慣を変えられる。それなら、この研究成果を広めて人々に活用してもらうことこそ、多くの人を幸せにする最も簡単な方法だろう。彼はこう結論付けたんです」
「それで、色命会を作ったんですね」
「はい。ただ、それは宗教ではなかったんです。苦住くんは学会を作ったつもりだった。現に、最初にそこに加入した七人は、同じく心理学関連の博士号取得者でした。しかし彼は取り込まれてしまったんですよ、その七人に」
そう言って山本教授は、下駄箱の上に置いてあった一枚の写真を藍に差し出した。そこには、久住と七人の人間が写っている。
そう、あの十人の幹部の内、正面玄関からホテルを出たことで重要参考人リストからは外されている、
仲代大輔は一見色名が含まれていないように思えるが、苗字の最後と名前の最初の文字を続けて読めば『だいだい』となるので良しとされているらしい。
「こいつらは全員、准教授として働いていた大学を懲戒免職されているんです。理由はその倫理観でした。こいつらはマインドコントロールや洗脳といった危険な分野に興味を示し、合法・非合法問わずに実験を繰り返しました。その横暴は関係者によって阻止されましたが、こいつらの頭の中にある知見は奪うことができません。人々を洗脳したいと思う、その気持ちもね。そんな奴らが、色の力で人生を変えようと訴える苦住の元へ集って実験を再開するのは、必然だったのかもしれません」
「苦住さんは、それを止めようとしなかったんですか」
「分かりません。ただ私は、苦住くんが宗教活動に協力していたとはどうしても思えないんです。きっと、こいつらに騙されたんですよ。現にこの七人は信者たちに、苦住くんのことをドクターと呼ばせていたそうです」
「お医者さんでもないのに?」
「博士号取得者のことを、そう呼ぶんですよ」
一通り話を聞き、藍は深々と頭を下げて山本邸を後にした。そして道すがら朝倉に電話をし、すぐさま情報共有を図った。
「そっちはどうだった?」
藍は山本教授から聞いた情報を要約して朝倉に伝えると、今度はそう聞き返した。
「竜林白善からの証言です。あのホテル、裏口から出て従業員用の通路を通ると、防犯カメラに写ることなく地下駐車場に行けるルートがあるそうです。恐らく犯人は、そのルートを通って車で逃走したものと思われます」
「当日、車に乗ってホテルに来た幹部は」
「
「容疑者は絞れず、か。他には」
「あの死体の状態ですが、どうやらあれは、苦住が信者たちの前で行っていたパフォーマンスをなぞったもののようです」
「パフォーマンス?」
「はい。信者が入信して最初に苦住に会う時、その体をナイフで滅多刺しにして磔にし、そこから復活するマジックを披露したそうです。これは幹部の大勝負が提案したもので、イエスキリストを連想させることでより信仰心を集められる算段だったと、本人から証言が得られました」
後輩たちが調べ上げた情報をひとしきり聞き、藍はしばらく立ち止まって考え込んだ。だが考えたところで、ここからどうやって犯人を見つけ出せばいいのか分からなかった。
「……もう少し、容疑者の三人を調べましょう。苦住を殺す動機が見つかれば、そこから糸口がつかめるかも」
「それなんですが、先ほどのマジックの件、三人はトリックがあることを知らなかったそうです。それに気付いた誰かが、騙された復讐をした可能性もあるかもしれません」
「……他にも動機がないか、調べて」
電話を切り、頭を抱えた。藍自慢の長く美しい黒髪が、自身の両手で複雑に絡み合わされていく。その行為は三十秒ほど続いた。その後地団駄を二回踏み、頬を三回張ってから、再び歩み始めた。思い出したのだ、この近くに三枝静子の家があることを。
藍は静子の家に到着すると、すぐにインターホンを鳴らした。あれだけ怒られた翌日なのだから、正直気乗りはしない。だが、昨日からずっと、静子の娘である三枝幸の言った、サンタを見たという証言が頭から離れなかった。それが今回の事件を解決するきっかけになると、藍の第六感が叫んでいるのだ。
しばらく待ったが、応答がない。再びインターホンを鳴らすと、今度は間髪入れずに扉が開け放たれた。そこには静子でも幸でもない、見知らぬ男性が立っていた。
「青坂署の、智恵藍です。三枝静子さんはいらっしゃいますか」
「いらっしゃいますが、警察が何の御用でしょうか」
「二日前にあった青坂王家ホテルでの殺人事件に関して、聞きたいことがあるんです。ところで、三枝さんは既に離婚されているはずですよね。あなたは?」
「私はこういうものです」
そう言うと男は、ズボンのポケットからしわだらけになった名刺を取り出し、こちらに向かって差し出した。
「
「はい。認知科学が専門なのですが、最近は発達心理にも関心がありまして。三枝幸さんには定期的に面談し、その成長を記録させていただいています」
「研究分野って、そんなにコロコロ変えてもいいんですか」
「ドクターなら問題ありません。学問に関する、免許皆伝のようなものですから。好きな学問分野に移って、自由にのびのびと研究することが許されています」
学者の世界はよく分からないと思い、藍が首を傾げていると、駒込の足元からひょこりと一つの顔が覗いてきた。
「あ、あいさんだ。なにしにきたんですか?」
「幸ちゃん、こんにちわ。今日はね、幸ちゃんが見たサンタについて教えて――」
「幸には何も聞かないでほしいと、昨日言ったばかりだと思いますが」
藍がこっそり話を聞こうとすると、静子が割って入ってきた。
「でも、捜査は八方塞がりなんです。このままじゃ、殺人犯が野放しです」
「犯人を捕まえるのはあなたたちの仕事で、私たちには関係ありません」
その後も、二人の議論は平行線を辿るばかりだった。埒が明かないと双方が思った時、突然駒込が間に割って入った。
「静子さん、犯人は血まみれだったんですよね。その血は、何処についていましたか」
「え、何処って……そりゃあ、もう全身に」
「では、犯人が来ていた服は何色でしたか」
駒込の質問に、静子は口を閉ざした。
「全身の様子を見たのなら、確実に服の色を見ているはずです。あの事件のことはニュースで見ましたが、あの時は被害者主催のパーティで、関係者は自分の名前にあわせた色の服を着ていたはずです。それなら、犯人の服の色が分かれば事件は解決します」
「……思い、だせません」
静子が気まずそうにそう答えると、駒込は体をこちらに向けた。そして真っ直ぐな視線を向け、落ち着き払ってこう言った。
「智恵さん。確かにこの状況なら、藁にも縋る思いで幸ちゃんに事情聴取したい気持ちは分かります。しかし、まだ四歳の子どもに残虐な光景を思い出させようとするのは、心の専門家として見逃すわけにはいきません。そこで、私が捜査に協力するというのはどうでしょうか。面談の中で、何か捜査に有用な情報が聞けた場合には、それをお教えします。いかがでしょうか」
藍には、その提案を受け入れる以外選択肢が無かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます