犯人はサンタ

佐々木 凛

第1話 証言の謎

 都内にあるホテルのパーティ会場で、男性の遺体が発見された。そんな第一報を受け、そこを管轄している青坂警察署の刑事課、智恵藍ともえあい警部補が現場を訪れた。現場のパーティ会場に入ると、そこには目を覆いたくなるような凄惨な光景が広がっていた。

 全裸の男性の死体。その上半身は壁に沿って垂直に立てられ、さながらサルバドールダリが描いた十字架の聖ヨハネのキリストの如く、両手を壁に突き立てられたナイフで固定されている。下半身は床に投げ出されているが、やはり足にナイフが突き立てられている。更に、全身が刺し傷だらけだ。詳しくは調べてみないと分からないが、概算だけでも二十ヶ所以上は刺されているように見える。動機が怨恨だとしたら、相当な恨みを持たれていたであろう。

「智恵警部補、お疲れ様です」

 そんな状況に阿鼻叫喚していると、左斜め後ろから声をかけられた。そちらに目をやると、藍が目をかけている後輩の刑事、朝倉常長あさくらつねながの姿があった。

 朝倉は青坂署の中で一番のイケメンとして、女性職員からの人気が圧倒的だ。どれだけ仕事でくたびれ、シャツがよれても、口周りが青髭だらけになっても、鼻毛が何本も出ていても、それを搔き消す美貌を兼ね備えている。女刑事としてモテない人生を歩んできた藍にとっては、憧れや恋愛感情より嫉妬の方が勝ってしまうような存在だが、彼の捜査能力は一役買っている。

 そんな彼だが、今日はどうも覇気がない。いつもの絶対的な自信が宿った輝かしい目とは程遠い目をしている。仕事に忙殺されているとか、そういったことでは説明できない彼の様子は、この事件が一筋縄ではいかないことのなによりの証左だった。

「ごめん、別件で遅れた。ところで、顔色悪いけど大丈夫?」

「ああ、はい、なんとか」

「弱音を吐けないのは相変わらずね」

「先輩に言われたくありません」

 二人の間に、僅かばかりの笑いが生まれる。こういう気兼ねなく話せることもまた、藍にとっては嬉しかった。

「それじゃあ、事件の概要を説明します」

 そう言って朝倉は、ジャケットの内ポケットから手帳を取り出し、まずは被害者について話し始めた。

「被害者は苦住衛稔くずみえいねん、四十二歳。新興宗教の教祖です」

「新興宗教?」

「はい。苦住の興した宗教は色命会しきめいかいと言い、色を重視した教えを説いていたようです。例えば、赤色は情熱的になって人々を興奮させる代わりに、理性的な判断を失わせる。だから人生の重要な決断を決める時ではなく、決断を下して後は突っ走るのみという段階で使うべき色だ――と、こういった具合ですね」

「宗教っていうより、なんだか心理学みたいね」

「はい。事実、苦住は大学院で心理学に関する博士号を取得しています。その時の知見を、宗教的にアレンジしたのでしょう」

「博士号まで取ったのに、馬鹿みたい」

「先輩、亡くなった人の悪口を言うのは、さすがにどうかと思いますよ」

 朝倉に窘められ、藍は襟を正した。そして被害者の亡骸の前まで行き、合掌した。無礼を謝罪する気持ちと、必ず犯人を逮捕するという決意を内に秘めながら。

「第一発見者は、ホテルの従業員です。パーティ終了の時刻が過ぎたのに苦住がフロントに姿を現さないので不審に思い、部屋の中に入ったということでした」

「パーティ?」

「はい。色命会には、十人の幹部がいます。それぞれが名前に色を含む人なのですが、定期的にその人たちを集めて、ここでパーティをしていたようです。その名も、十人十色。それぞれの名前にある色の服を着て、全員でその色が持つパワーを引き出しあうことを目的にした会だそうです」

「キモイ」

「……」

 藍、再び合掌。

「事件のことは分かった。つまり、容疑者はその十人の幹部ってことね」

「はい。そこで、ホテル入り口に設置されている防犯カメラの映像を見せてもらいました。でも、その映像の中で帰宅する姿が写っていたのは、七人だったんです」

「どういうこと? 残りの三人は、まだ帰らずにここにいるの」

「いえ。我々が駆け付けた時には、もういませんでした。どうやらその三人は、裏口から出たようなんです。そちらには、防犯カメラがありません」

「つまり、もうこの段階で容疑者は三人に絞られてるってことね」

「はい。三人ももう自宅に帰っていたようなので、今分担して、それぞれの人から話を聞いている所です」

「分かった。じゃあ、私たちは裏口の辺りで聞き込みでもして、目撃者でも探しましょう」

「……問題は、それなんです」

 先ほどまで軽快に話していた朝倉の顔が、急激に曇った。口をもごもごと動かし、自信なさげに俯いている。藍はそんな朝倉の肩を叩くと、優しく事情を尋ねた。

「もう、目撃者は五人集まってるんです」

 ――翌日、藍は青坂警察署の取調室にいた。

「前田さん。昨日、こちらの警察署へ通報されましたよね。その内容を詳しく聞きたいので、改めて教えて頂けますか」

「はい。あれは、昨日の夜九時くらいのことです。近くの居酒屋で同級生と飲んだ帰り、あの青坂王家ホテルを通ったんです。酔っぱらってたんで、誰かに迷惑をかけちゃまずいと思い、僕は路地を歩いていました。そしたら! ホテルの裏口から人が飛び出してきて、こっちに向かって走ってきたんです。避けようと思いましたけど、ぶつかっちゃいました。といっても、僕だけ吹き飛ばされて、その人はそのまま走っていったんですけど」

「それで、どうなりましたか」

「思い切りぶつかられたこともあって、僕は思わず叫んでしまったんです。そしたら、騒ぎを聞きつけて何人か人がきたんです。でも、その人たちは僕じゃなくて、皆走ってる人の方見てるんですよ。なんでかなと思って立ったら、その理由が分かりました」

 前田はそこで言葉を止め、自分の右手の平を見つめた。

「……僕、血まみれだったんです」

 事情聴取が終わり、藍は自分のデスクに戻った。そこには、二種類の書類が置かれていた。一つは、先ほど事情聴取を行った前田が提出した、犯人とぶつかった時に着ていた服のDNA鑑定結果である。DNA鑑定の結果、前田の服に付着していた血液は被害者のものだと分かった。つまり、前田が目撃した人物はこの事件に深く関わっている可能性が高いということだ。

 もう一つは、前田以外の四人の目撃者の内三人に行われた、事情聴取の結果である。一通り目を通すが、収穫は無い。何故ならそこには、多少の言葉選びの差こそあれ、全員から同じ証言を得たと書かれているだけだからだ。そして、それは既に自明のことで、この捜査を進展させる効力は何一つなかった。

「犯人は、血まみれだった」

 それが、四人の目撃者に事情聴取して分かったことだった。藍は頭を抱えたが、ここで考えこんでいても仕方がないと気持ちを切り替え、現在進行形で目撃者の事情聴取が行われている取調室へと向かった。

「それでは三枝さん、ご協力ありがとうございました」

 藍が取調室の前に来ると、丁度そこから人が出てくるところだった。一人は朝倉なので、もう一人が目撃者の三枝静子さえぐさしずこだろう。聞いている情報では三十代前半という話だったが、その見た目は五十代にさえ見えた。これまでの人生の苦労が全て刻まれたように、顔にはたくさんの深いしわがあった。

「三枝さん」

 藍が呼びかけても、三枝はこちらを一瞥するだけだった。頭を下げたり、こちらに体を向けたりする素振りは一切見られなかった。疲れ切っている。そんな印象だ。

「警部補の智恵藍です。本日は、わざわざご足労頂きありがとうございました」

「全くです。自分たちの生活でも手一杯なのに、人のことなんて気にしてられません。警察署に呼び出すのは、これで最後にしてください」

 冷たく言い放つ静子のその目には、ほとんど生気が感じ取れなかった。露骨な敵対心、全身からそれが放たれていた。

「ママ~!」

 そんな静子の姿に藍が呆気に取られていると、背後から元気で無邪気な声が聞こえてきた。声の主はバタバタと大きな足音をたてながらこちらに近づき、やがて藍を追い抜かして静子の足元に抱き着いた。それは三枝静子の娘、四歳の三枝さちだった。

「ママ、もうけいさつさんとのはなしはおわったの?」

「幸、待たせてごめんね。寂しくなかった?」

「うん。さちちゃんね、あのふけいさんってひとと、あそんでたの」

「そう。ちゃんと、ありがとうって言った?」

「うん。さちちゃんね、えらいから、ちゃんとふけいさんにありがとうっていった!」

 幸は嬉しそうに話している。それを聞く静子の顔は、先ほどまでと打って変わってとても穏やかだ。夫からのDVが原因で離婚した静子にとって、幸は唯一の心の拠り所なのだろう。そして、それを引き離そうとするすべては敵。そう思っているのだろう。

 藍はそう考えて無理やり自分を納得させると、静子に改めてお礼を伝えて、入り口まで見送ることにした。入り口に行くまでの間にも、親子の微笑ましい会話が続いている。

「ようちえんでね、とおるさんがおこったんだ」

「え、どうして」

「このまえ、ほてるでさんたみたでしょ。そのことをはなしたら、とおるさんが、もう春なのにさんたがいるわけないっておこったの」

 その幸の言葉を聞いた途端、藍は歩みを止めた。振り返り、幸と目線を合わせるようにしてしゃがみこむ。

「幸ちゃん」

「おばさん、だあれ?」

「おばっ……私も警察だよ。智恵藍っていいます」

「あいさん、かわいいおなまえ!」

「ありがとう。それより、今の話本当?」

「うん。とおるさん、おこったよ」

「そっちじゃなくて、ホテルでサンタ見たの?」

「うん。さんたがはしってるのみたよ」

 幸の言葉を受けて、藍はその手を優しく握った。新たな証言が得られるかもしれない。そう思えたからだ。

「その話、詳しく聞かせて――」

「止めてください! 幸はまだ四歳なんです。あんな物騒なもの、早く忘れさせてあげたいんです。もう、失礼します」

 そう言って静子は、藍から幸の手を奪い取って青坂署を出た。

 藍は、その背中を見送ることしかできなかった。

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