番外編 とある愚男と白狐の物語 その3


 とある月の妖狐集会にて。

 和室の中心に鎮座している長机の前に、五名の影がある。

 上座には相変わらず気まずそうに煎餅を齧っている、妖狐界の最上位、天狐。その左には妙齢の美女、九尾。左には白き髪の白狐がおり、そのさらに奥には黒狐と管狐が座っていた。

 五芒星を思わせる布陣。

 いつもなら、和気あいあいとした雰囲気で情報交換という名の雑談をするこの集会は今。

 地獄のような空気になっていた。


「……そ、それでですね! 今潜入している学校で……と、友達ができまして! 私、初めて人の子と遊んだんです!」

「あら、それはよかったわねぇ。何をして遊んだの? 蹴鞠?」

「九尾様、流石にそれは古い。今はおはじきで遊ぶ時代」

「まあ、そうなの? 最近の子は進んでるわねぇ」

「あ、あの……どっちも違います……九尾様、黒狐様」

「あら?」

「むむ?」


 二人の狐が同時に首を傾げる。

 彼女らの現代感覚は大分に狂っていた。なお、年寄りと言ったら処される模様。


「……」

「……」

「……え、えぇと。えぇっと……」


 ふと、そこで会話が止まる。

 茶髪の管狐が何とかして場を繋げようとしていたが、話題が尽きたのか言葉は出ない。

 また天狐を除き最年長である九尾も、自主的に話すのが得意なわけではなかった。黒狐は言わずもがなである。

 こういうとき、真っ先に飛びついて話題を広げる狐がいたはずだ。

 話し上手でいつも明るい。

 雪のように白く、美しい赤眼の狐が。


「……」


 はたして、白狐はそこにいる。

 視線を机の方に向けて、一言の言葉すら発さず、じっと黙っている。

 管狐が人の子と遊んだという、いつもの彼女なら可愛いと連呼する話題ですら、今の彼女には届かない。

 その様子が流石に異常だと感じたのか、黒狐が問いかける。


「白姉、さっきから変。何か落ちているものでも食べた?」

「……。……? あ、黒江……どうしたの……?」

「……それはこっちの台詞。今の白姉は異常。何があった?」

「うん……うん……」

「……白姉?」


 声をかけても、いまいち反応が薄い。言葉にも覇気がなく、これではまるで別人である。今までの煩くて明るい姉はどこへ行ったのか。

 黒狐はますます訝しむ。


 ……大体にして、服装から変なのだ。

 彼女の服装はやたらと露出の多い、確か……ギャルだったか? そんな感じの、よく分からないが今風のファッションを好んで着ていた。

 それが今はどうだ。

 露出を最低限に抑えた、清楚らしい服装。美しい白髪が生える白の上着に、黒の長いスカート。

 派手だったフリフリやリボンは消えて、代わりに上品さが携わっている。


 誰だこれ。

 黒狐は本気でそう思った。


「九尾様、何かに憑かれている可能性は」

「うーん、診たけど何もないわねぇ。本当にどうしちゃったのかしら、白愛ったら」

「も、もしかすると人間界で何かされたのでは……?」

「陰陽師の仕業ってこと? でもそれなら痕跡があるはずよねぇ。条約のこともあるし、その線はないと思うけれど……」

「洗脳された様子もない。そも、白姉は人間なんかに遅れはとらない」

「で、では一体どうして……」

「……こればかりは、本人に聞くしかないわね」


「……」


 意見は纏まった。

 しかし、わざと目の前で話し合って見せたが、反応らしい反応を感じなかった。これは思ったよりも重症かもしれない。

 最悪の場合、術を使って荒療治をする必要がある。

 そんなことを考えながら、九尾が慎重に口を開く。


「白愛、ちょっといい?」

「……? 九尾、様? どうしましたか……」

「んーん、大したことではないの。ただ少し、聞きたいことがあって」

「はい……」

「……貴女最近、何かあった? 嫌なこととか……辛いこととか」

「……っ」

「……そう、あったのね」


 僅かな反応から、九尾は異変に対する原因を探し出した。

 流石は年の功というべきか。心の扱いについて、彼女は無類の精密さを持っていた。


「……納得がいかない。私のときは聞いてくれなかった。異議を申し立てる」

「だ、駄目です黒狐様……! しーっ、です……!」


 ……外野が少し煩かった。

 構わず言葉を続ける。


「もしよければだけど、詳しい話を聞かせてもらえる……?」

「……」

「……それは、言いたくないこと? それとも……誰かに言うなと、脅されてるの?」

「ちがっ……そんなこと、ないです……」

「そう、じゃあ言いたくないのね。私達にも話せない、大切なことなのね」


 言葉を選んだつもりだった。

 何が彼女を傷つけるか分からない今、最良の選択をしたつもりだった。

 しかし、結果的に見れば。


 それは最悪の選択である。


「……大切? うん、大切だよ。だって、あれは私の大切なの。誰にも奪わせない。誰にも汚させやしない。二度とあんな目には合わせない。あれはあれはあれは、私だけのものなの。私だけが触れていいの。私だけが癒してあげられるの。この世に私だけが、愛してあげられるの。だからだからだから……」


「そのためには全部、私が守るの」

「……っ」


 ……藪蛇を突いた、なんてものではない。これでは龍の逆鱗だ。

 九尾は遅まきながらに己の失態を気付く。

 赤黒い、どろどろとした瞳が彼女を射抜いた。実力的にはこちらが上だが。この執念は、何か不味い……!


「落ち着いて、白愛。貴女は今錯乱している。ゆっくりと深呼吸して、落ち着くの」

「落ち着く? 私はいつも通りだよ九尾様。何も変わらない」

「否定する。白姉は明らかに異常。九尾様の言う通り、落ち着くべき」

「はっ、何それ。黒江に一体私の何が分かるの? これが私だよ、ずっとずっと前から。黒江に会う前からね」

「……!」


 黒狐は白愛を姉と慕うが。実際のところ、彼女らに血の繋がりはない。

 ただ、髪色が白と黒で。瞳の色が同じ赤色だったから、そう呼んでいるだけだ。

 少なくとも白愛はそう思っている。

 自分が黒江に愛される理由は、それだけだと。

 たとえ事実が異なっていても、彼女にとってはそれが事実だった。 


「やっぱりおかしい。白姉、誰に何をされた? 狸? 鬼? それとも……」


「人間?」


 黒狐がそう言った瞬間。白愛の空気が変わり、言葉が止まる。

 これを説得の好機と捉えた黒狐は、やや早口に言い募る。


「……なんで人間なんかに。いや、そんなのどうでもいい。早くその人間を排除すべき。それは白姉にとって悪影響しか与えない。だから早く――」


「黙れ」


「――消し、て……?」


 言葉の端が弱々しく散っていく。

 言われたことが信じられなかった。あの明るい姉が。可愛いものが好きで仕方がない、誰よりも優しい姉が。

 こんな、冷たい声で……。


「黒江に何が分かる。彼の何が、分かるというの」

「し、白姉……」

「……白姉? 血も繋がってないのに、どうして私を姉と呼ぶの?」

「え……?」


 またもや固まる。


 だって、だってそんなの、あんまりな。


「ずっと疑問だった。何でこの子、私を姉呼ばわりするんだろうって。ねぇ、何で? ねぇ?」

「あ、え……? どうして、そんな」

「……はぁ、こんな質問も答えられないくせに、よく私の理解者面できたね? 恥ずかしいと思わないの?」

「……ぇ、ぅ……」

「白愛! 貴女、黒江になんてことを……!」


 よろめく黒狐の背を支えながら、九尾は白愛を叱責する。

 それがいけなかった。

 能面のような顔で、白愛はぶつぶつと呟く。


「……ああ、そっか。そういうことなんだ、あはは、そっかそっかぁ……」

「一体どうしてしまったの……!? お願い白愛、何か教えてちょうだい……!」

「やっぱりそうだったんだ。あの子だけが、本当の私を愛してくれるんだ。孝仁君だけなんだ! だからきっと、彼にも私しかいないんだ……!」

「たかひと……? それが、貴女を狂わせた人間の名なの……?」

「そっか、あれは嘘だったんだ。照れ隠しだったんだよね。そうだよねそうだよねそうだよね? あは、あはははは」

「白愛!」


 もはや、彼女に言葉は届かない。閉塞した世界の中で不気味に笑い続ける。焦点の合っていない瞳で、ただただ笑う。

 あの明るく、無邪気だった彼女は見る影もない。

 否、これこそが彼女の本性だった。

 不安定で脆い。どこまでも愛されることを望んだ、愚かで哀れなその中身。

 そして、何より。


「待っててね、孝仁君。今、行くから」

「っ!? この子、いつの間に結界を……!?」

「あはははははは」


 狡猾。

 それは狐の本性。騙し、陥れることに特化した狐の本領発揮。

 緻密に編まれた術式はいかに九尾といえど簡単には破壊できない。さらに、結界術に長けた黒狐は未だ茫然自失。まだ若い管狐は話にならない。


 結界は白愛ではなく、彼女らを包むように展開している。

 さながらそれは牢獄。封印を主とした、結界術の応用であった。


「じゃあね、皆。もう会うこともないだろうけど……」


 赤く濁った瞳が、彼女らを見つめる。

 どろどろとしたその色は不安を誘った。まるで破滅の権化。濃厚な死の気配が、彼女から漂っていた。

 そして、冷徹に。


「追ってきたら、殺す」


「……っ!? 駄目よ、白愛! それだけは――」


 聞く耳持たず。


 ガシャアアアン!!


 襖を破壊して、目的地へ駆ける。それは人外の速さ。音を置き去りにして、ひたすらに彼を求める。

 九尾はがら空きになった空を見つめながら呟く。


「それだけは、駄目……ああ、なんてこと……」


 心中には複雑な感情が蠢いている。

 九尾は悲痛な表情で、この世の非情を憂いた。


 対して、黒狐は未だ正気に戻ることなく。言葉は刺々しくも、姉を慕っていた彼女にとって、この出来事は衝撃過ぎた。

 もう立ち上がる気力は、ない。

 

 また管狐は怯えていた。憧れの存在であった白狐の狂気。それを目の当たりにした彼女は、言いようのない恐怖を感じていた。

 また同時に、人間に対しても。

 妖狐をここまで狂わせる人間がいると知った彼女は、認識を改めた。

 人間は怖い、と。


 そして、我らが総大将、天狐様は。


「……えぇ、怖ぁ……」


 ぽりぽり、煎餅を齧りながら。

 結構いつも通りだった。














 駆ける、駆ける、駆ける。

 夜空の星が流れる。空気が触れては消えていく。


 彼女は考えていた。

 今までのこと、これからのことを。


「……あは、ははは……」


 あの日、会社での地獄を見た夜。

 詰られ、貶められ、穢された彼を見てしまったその夜。

 彼女は孝仁の部屋に押しかけ、開口一番こう言った。


 あのクズどもを終わらせてやろう、と。


 架空の両親がお金持ちだと嘘をついて。あんな弱小企業、いくらでも干せると囁いて。

 悪魔の取引を持ち掛けた。狐らしく、厭らしく。

 望むなら首を持ってきてもいい。さぞ憎いだろう、あれらのクズが。なに、生きる価値のない存在を消しても誰も困らぬさ。

 さあ、言え。

 助けてと言え。さすれば助けてやろう。


 ……代わりにお前の全てを頂くが。


 彼女はそう呟き、手を差し伸べた。

 彼の手がゆっくりとこちらへ向かう。

 満面の笑みで、彼女はそれを迎え……。


「ははは、はははは……!」


 手が、弾かれた。


 それは明確な拒絶の意思。

 空白になった思考に追い打ちをかけるように、彼が口を開く。


 私は、貴女を穢してしまった。

 取り返しのつかないことをしてしまった。

 ずっと前から、言うべきだった。


 意味が分からない。

 彼は何を言っている。どうして手を取らない。それだけで、全てが上手くいくというのに。


「はは、けほっ、あはははは!」


 彼は首を振って、視線を合わせた。

 弱々しい目つきだ。睡眠不足の、隈のできた目つき。

 だのに何故、こうも力強いのか。

 断固とした意思をもって、彼が言う。


 私達はもう、会うべきではない。

 お別れの時が来た。


 ……なんだ、それ。

 ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな。なんだそれは。別れってなんだ、ふざけるな。

 そんなこと絶対に……!


 怒りのままに口を開こうとした。 

 糾弾して、押し倒して、服を剝いでやろうと。

 だが、その前に。


 枯花を思わせる、目を閉じれば消えてしまいそうなほど儚い顔で。

 悲しげな顔で。

 そっと、一滴の水を零すように。

 彼は。

 偽名である自分の名を呼んで。


『……さようなら、シロさん』


「あ、ぅああああ……!」


 何も言えなかった。

 あの顔を見てしまえば、もう、帰るしかなかった。

 貴女を愛してくれる人は自分の他に沢山いると、慰められたのが辛くて仕方がなかった。でも、彼の言葉を尊重したくて……。


 違う。

 

 恐れたのだ、自分は。

 みっともなく恐れたのだ。

 言うことを聞かない自分が、彼に嫌われることを。

 彼に見捨てられることを、恐れたのだ!


「ああ……ごめんね……ごめんね、孝仁君」

「な、なんだ君は! ど、どど、どこから入った!?」

 

 五百年も生きた自分が、なんと情けない。

 気付くべきだった。

 あの言葉が、彼のだったということに。


 彼は本当は、救ってほしかったのだ。

 間違いない。そのはずだ、だって彼が自分を拒絶するなどありえないのだから。

 ありのままの自分を受け入れ、愛してくれた彼が、そんなことするはずがないのだから。

 心が痛い。

 自分は、なんて愚かな勘違いをしてしまったのだろう。


「償うから。ちゃんと償うから、ね? 孝仁君も私に、返してほしいな……」

「ぁ、ぎぁあああああ!? あ、足が、足がぁああああああ!?」


 取り敢えず、彼を踏んでいたこれの足を贈ろう。それでも足らないなら、腕でも、首でも、何人でも贈ろう。

 条例なんて知ったことではない。

 今の自分は最強だ。

 誰にだって、自分と彼の仲を裂くことはできない。

 邪魔するものは殺す。


 たとえそれが、仲間の妖狐であったとしても。


「い、いいい、いだいぃいい! だ、誰かたしゅけっ」

「……煩いなぁ、今彼を想ってるんだから、邪魔しないでよ」

「ひ、ひぃいいい! やめ……がひゅっ」


 静かになった。

 これで存分に、彼のことを考えられる。


「はぁ、ぁ……」


 ずっとずっと辛かった。 

 ずっとずっと不安だった。

 愛されなければいけないと思った。愛されない自分は価値がないと思ってた。

 

 でも違ったの。

 自分の価値は自分で決めていいって、分かったの。

 彼がそう、気付かせてくれた。

 自分を叱って、本当の自分を見つめてくれて。 

 ご飯を作ってくれて。話を聞いてくれて。どんな服でも褒めてくれて。

 深く深く、愛してくれて。

 噓だらけだった自分を、愛してくれて。

 曝け出した自分も、愛してくれて。


 そんなのさ、愛さないわけないじゃん。

 五百年だよ? ずっとずっと痛かったのに、こんな優しく包まれたらさ。

 そんなの、無理だよ。

 

 だから、ね?

 もういいよね?

 我慢しなくて、いいんだよね?


「ぁ、あ、あ……」


 貴方だけを愛してる、孝仁君。

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