番外編 とある愚男と狐の日常 その2
「キングタートルの特殊効果により、竜騎士長ゼルネイアを召喚。攻撃力二千で攻撃じゃ!」
「迎撃魔法、ライフシールドにより無効化します」
「にゅっふっふ。本当にそれでよいのか? もう場には迎撃かーどがあるまいて」
「はい。厳しい状況ですね」
盤面を見つめる。
確かに、己の場には応戦するカードがない。あるのはランク三以下のモンスターだけ。相手をするには、いささか心許ない。絶体絶命の状況。
しかし、まあ。
まだどうやら、天は己を見捨てぬらしい。
「……ふむ、何か手がありそうじゃな。よかろう! 全て粉砕してくれるわっ、暴走ゴーレムで孝仁を攻撃!」
「……革命魔法、発動」
「な、なにぃ!? 革命魔法じゃとぉ!?」
己は一枚のカードを出す。
その効果は……。
「革命魔法、天地創造。場に一枚も迎撃カードがなく、加えてランク三以下のモンスター三枚を生贄に捧げることで発動できます」
「ま、まさか。先程の行動は……」
「天地創造の効果発動。相手と自分の全てのカードを墓地に。加え、相手と自分は山札からカードを三枚めくり、それがモンスターカードならば、場に出せます」
「にゅおお!? わ、儂の軍勢が……。し、しかし儂が三枚もんすたーかーどを引ければ……」
「ここで特殊効果を発動します」
「……ふぇ?」
元より己の場にはカードが一枚も存在しない。天地創造は、そのときにこそ真価を発揮する。
「私の場にカードがないため、神の恩情により私は追加で三枚カードを引き、場に出すことができます」
「え、え、え」
「一枚目……モンスターカード」
「や、ちょ」
「二枚目……モンスターカード」
「あ、その」
「三枚目、四枚目……モンスターカード」
「かひゅっ」
天音さんの可愛らしい悲鳴を聞きながら、カードを引く。
勿論、本音であれば今すぐ土下座をして降参をしたい。だが最初に約束したのだ。やるならば全力で戦えと。
カードを引く手が重い。
過去、こんなにも負けたいと思ったことはない。頼むからもう、モンスターカードが出ないでほしい。
しかし……。
「五枚目、六枚目……も、モンスターカード」
「にゅぇえ……」
現実は非情である。
天音さんが震える手で、三枚カードを引き。
ちらり。
ぱたり。
「……儂の、負けじゃ……」
「天音さん……!」
「いいんじゃよ、孝仁。弱き者が負ける、それがこの世の真理じゃ」
「しかし、しかし……!」
「ふふ、なんて顔しとる。……ああ、でも」
儚い、あまりにも儚い、微笑をして。
「儂、勝ったと思って凄いどや顔しちゃったのじゃ……」
「天音さん……!」
「ふ、ふふふ。何が、粉砕してくれるじゃ。何が、何が……」
「いけません、これ以上は命に関わります。何卒、もうお止めになってください」
「うん……そうする……」
こくりと頷き、彼女はカードを片付ける。
その姿の、何とか弱きことか。胸が締め付けられる。今からでも降参できないだろうか。いやしかし、それこそ侮辱というもの……。
ああ、どう慰めたものか、と考えていたところ。
彼女が突然がばり、と顔を上げて。
にぱー。
「いやはや、面白かったのじゃ! やはり、かーどげーむはいいのぅ。どうなるか先が読めんわ!」
「そ、そうですか……? しかし……」
「うにゅぅ? なーにを落ち込んどるか。お前さんは勝ったであろうに」
「いえ、その……天音さんはいいのですか? 本当に、面白かったでしょうか」
「あったりまえじゃろ。確かに負けたのは悔しいが、ああも完璧に負ければ逆に潔いわ」
ちらりと顔を見れば、そこに嘘はないように感じた。
すっきりとした、いつも通りの彼女の顔だ。美しく、凛々しい、天音さんの顔だ。
よもや先程の寸劇も冗談だったのだろうか。
そう思ってもう一度彼女の顔を見ると、にやりと返されてしまった。
羞恥が昇る。
すっかり乗せられてしまった。ああ、恥ずかしい恥ずかしい。
己は何と恥ずかしい存在なのか。
「にゅふふ……いやしかし、これは大きな発見じゃったな。お前さんと遊べば、未来が見えなくなるとは」
「……先刻も聞きましたが。それは、大丈夫なのですか? 己が何か、不自由を強いてしまっては……」
「いやいや! そんなことはない。これはどちらかというと、儂の気持ちの問題じゃからなぁ」
気持ちの問題、と。
それはどういうことなのか。
「……いやな? その、未来視は、えと……相手が敵だと思うから、見えるのであって。だから、うにゅぅ……」
「……?」
「だ、だから! その、孝仁は、別に、儂の敵にはならんであろう……? そ、そうであろう……?」
「勿論です。私が敵などと、そのようなことには絶対になりません」
「……ん、にゅふふ……そ、そうか……そうか……ふふ」
もにゅもにゅと、口を緩ませながら。彼女は嬉しそうに微笑む。
それが本当に嬉しそうだったから。己は知らず、噛み締めていた。
頬の内側を食い破るように。
勘違いするな、付け上がるなと、自戒をしながら。
話を変えるべきだ。
これ以上は何か、何かが決定的に間違ってしまう。そんな気がしてならなかった。
視線を彷徨わせる。
そこで見つけた、積みあがったそれら。
これ幸いとばかりに、己は話題を提示した。
「そういえば、もうあの本らは読んだのですか? 初めより位置が変わっているように思えますが」
「……にゅ? あ、ああそうなのじゃ。うむ、中々に楽しめたぞ。特にあの……漫画? あれは面白かったな」
「左様ですか。それはよかったです」
「うむうむ。あのように絵を動かすとは、やはり人間も侮れんよなぁ」
しきりに頷く彼女を見て、ふと疑問に思ったことを問うた。
「天音さんは、漫画を見るのが初めてなのですか?」
「……あー、そうじゃなぁ。儂ずっと山に籠っておったし……あ、でもな!」
「はい?」
「えーと、ちょっと待っておれよ……えー、確かここに……」
「……」
懐に手を入れ、ごそごそ探し物をしている。
その際に着物が崩れ。己は何とも言えぬ罪悪感に苛まれた。汚してはならぬ芸術品に泥を塗るような。とにかく、そんな気分だった。
そうして顔を必死に逸らしながら、やがて「あっ」と声が響き。
「あったあった、これじゃこれ……ほれ、見てみい!」
「これは……」
絵だった。
少し茶色の……半紙だろうか? 紙に絵が描かれている。その先には筒状の巻物があり、するすると流れていく。
蛙と兎、それに猿。これは、どう見ても学校で習った、あれである。
「天音さん、これをどこで」
「んー? あー、結構前の話じゃからなぁ……たぶん、山に落ちてたのを拾ったんじゃろ」
「なる、ほど……」
「ふふーん、凄いじゃろ! 昔から人間は絵を描くことに長けておってなぁ……いやぁ、懐かしい」
……改めて、彼女が規格外の存在であると悟った。
千年を生きたという事実が、急に現実味を帯び、恐れ多くなる。
しかし。
「……天音さんは、昔から絵を見るのが好きだったんですね」
「うむ、絵はいいぞぅ。一人でも寂しくないし、何も言わんからの。引き篭もりの儂には、ぴったりじゃ」
「それは……」
「……じゃがな? 最近は、それがちょっと変わってな」
そう言って、天音さんは体を寄せてくる。
意図しない急接近に体が逃亡反応を示すが、無理やり押しとどめる。これは逃げてはいけない。そう感じたのだ。
ぼそりと呟かれる。
「儂一人じゃなく……孝仁と一緒に、読みたいと思ったのじゃ。同じ喜びを共有したいと、そう、思ったのじゃ……」
「天音さん……」
「儂も弱くなった。今更に、一人が寂しいなどと。散々孤独を選んでおきながら、情けない限りじゃ」
「そのようなことはありません。たとえ天音さんであっても、孤独を厭うのは当然のことです。それに、天音さんにはお仲間がいるではありませんか。何も寂しがる必要は……」
「仲間? はて、一体誰のことかの?」
「……っ」
心底分からない。その様子に、思わず言葉が詰まる。心が軋む音がした。
このようなことを考えるのは全く不敬だが。しかし、これは、駄目だろう。
憐れである。可哀想である。
己は今、分不相応にも憐れんでいる。
無礼は承知。だがその罰を受ける前に、己は言うべきことがあった。
「妖狐の皆様がいらっしゃるではありませんか。一度しか見えませんでしたが、皆が貴女を慕っているのがよく分かりました。なれば彼女らは、仲間でありましょう?」
「……ああ、そうかの。そうかも、しれんの」
「そうでしょう。どうか安心してください。貴女は一人ではありません。きっと妖狐の皆様も、そう思って……」
「孝仁は?」
「へ?」
予想外の言葉。返答が遅れる。
「孝仁はどうなのじゃ? お前さんは、儂の仲間か?」
「……」
「なぜ答えぬ。早う答えよ。お前さんは、儂の味方であろう? なあ、そうであろ?」
「……」
答えに窮したのは、彼女に対して反感があったからではない。
ただ、その瞳に。己を問いかける、暗き瞳に。
己は言いようのない不安に駆られたのだ。
軽々しく答えてはいけない。この答えによって、何かが変わってしまう。
それが分かっていたからこそ、慎重に口を開いた。
「……私は、貴女と初めて会ってからずっと、貴女の味方でありたいと思っています」
「……!」
「しかし言葉だけなら、何とでも言えましょう。私は行動で示すべきでした。だのに、貴女にそのようなことを問わせてしまった」
「あ、いや、違うのじゃ。これはただ、儂が悪くて」
「一体天音さんに、何の非がありましょうか。貴女を不安にさせ、心細くさせてしまった、私にこそ責任があります」
「あ、ぅ、じゃから」
「どうか罰を。貴女が望む、最良の罰をお与えください」
「……」
頭を垂れて、裁判を待つ。
己には諸々の不敬に対する罰が必要だった。高きにいる彼女に対し、度を過ぎる無礼をしてしまった。
無言で待ち続ける。
するとやがて、口を開く気配がして。
「じ、じゃあ……また一緒に、げーむをするのじゃ」
「……しかし、それでは」
「いーいーかーら! ほれ、やるのじゃ!」
「……分かりました」
納得はいかない。
いかないが、彼女の言葉に勝ることもなし。黙々と準備を進める。
「それから、その後は一緒に漫画を読むのじゃ。それから、それから、その後は絵巻物とか、昔の暇つぶしを一緒にやって……」
「はい、承知しました」
「……そ、それでな! その後は……」
「ええ、貴女のやりたいように、何なりとおっしゃってください」
それが己の、唯一の幸せなのだから。
寝る時間などは考えまいよ。どうせ、元より短い泡沫の時間だ。
それに最近は何故か体の調子がいい。天音さんのおかげだろうか。彼女が来てから、己は確かに満たされている感覚がある。
まあ、それも、あと少し。
もう少しで終わるのだ。
現在、天音さんと出会って一週間と四日。
明日も彼女が、幸福に過ごせればよい。
残りの二十日を思いながら、切にそう願った。
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