十三話 最後の夜


『初めまして、元宮孝仁さん。いきなりだけど……私達とお話、してくださらない?』


 開口一番、金色の麗人は己にそう言った。

 美しき尊顔を楽し気に綻ばせながら。

 艶やかに目を細めつつ、ゆっくりとした声調で。

 魔性を纏った色だった。


 頭がぼんやりする。

 

 何も考えず、彼女の言うことを聞いてしまいたくなる。

 無条件に、従ってしまいたくなる。

 ああ、彼女の下で傅けたら、どれほど幸せなことだろう。


「……っ」

 

 がりっ。


 頬の内側を犬歯で噛む。

 以前にも嚙んだことがあるのか。肉はあっさりと歯の侵入を許した。

 血の味がする。

 おかげで少しだけ、冷静になれた。


 現状、彼女達がどういった目的で接触してきたかは不明だ。

 見たところ、敵意を持つ者もいれば、此方に関心のない者もいる。

 他二人は……興味か、或いは警戒か。

 

 いずれにせよ、問題はない。

 己はまだ生きている。

 殺害が目的なら、姿も見せず実行していたはずだ。

 何より彼女は会話を望んでいると言った。

 なら、それでいい。

 余計なことは考えるな。どうせ、思いつかないのだから。

 教えを乞え。それがお前のすべきことだ。


 己は、慎重に口を開いた。


「……自分の名を、存知のようですが。改めて自己紹介を」


 彼女の目を見る。

 濡れた花のように妖艶な金色。深く、吸い込まれる感覚を覚えた。

 自戒せよ。

 再度嚙み締めつつ、腰を曲げて名乗った。


「お初にお目にかかります。自分は、元宮孝仁と申します。先程の失礼に、謝罪を」


「あらあら、そんな気にしないで。私は……九尾、とでも呼んで頂戴。よろしくね、元宮さん?」


「はい。九尾様」


 己はこのお方を知っている。 

 否、彼女だけではない。

 横に並ぶ少女達もまた、己は知っている。


「よろしく~、社畜ちゃん。あ、私は白狐だよっ。白狐ちゃんって呼んでね!」

「……お腹減った……はぁ」

「……」


「よろしく、お願いします」

 

 方向を変え、もう一度頭を下げる。

 今度は謝罪ではなく挨拶として。

 僅かな静寂。

 出方を伺われている、か。

 ならば好都合。

 自らを九尾と名乗った女性に向き直る。

 

「……して、お話というのは?」

「ああ、ごめんなさいね。正直……私達もどこから話せばいいか迷ってるの」


 こんなこと、初めてだから。

 そう物憂げに彼女は呟く。

 

 初めてとは何のことか。知らず内に、己は彼女らに無礼を働いてしまったのだろうか。

 心当たりはない。

 だが事実、己は彼女を悩ませている。酷く申し訳ない。


 関わらずとも他者に害をなす。

 それが己という、膿にも劣る男の本質だった。


「貴方が陰陽師だったら、話は早いのだけれどねぇ」

「陰、陽師?」

「そう。人の身で妖を退ける存在。最近では統合して……退魔師、という名だったかしら?」

「……」


 陰陽師。退魔師。

 後者に関しては聞きなれないが、意味は分かる。

 つまり現代にもフィクションのような職がある、ということか。

 特段驚きはしない。

 目の前に非現実の代表がいるのだ。

 疑う余地もなし。されど疑問は湧く。


「はぁ。ほんと、困ったわぁ」

「……一つ、質問を。自分が陰陽師であれば、どのように?」


 問うた己に、彼女はあっけらかんと。


「ん? 勿論殺すわよ。当たり前でしょうに」


「……なるほど」


 殺す。

 己が陰陽師なる者であれば、殺せる。

 逆にそうでなければ殺せない。

 彼女達独自のルールがあるのだろうか。


「……あら? もしかして貴方、天狐様から何も聞いていないの?」

「と、言うと」

「私達妖狐……いえ、妖怪と人間達の関係についてよ」

「……何となく、互いに不干渉であるとは、察せられるのですが」


 あらら、といったように彼女は手を頭にやる。

 己の無知が恥ずかしかった。

 聞こうとすらしない、怠慢も。


「うーん。まあ簡単に言えば、条約のようなものがあるのよ」

「条約、ですか」

「ええ。それで――」


「そうなんだよ〜。あの条約のせいで私達、困ってるんだからっ」


 頬を少し膨らませながら、雪の白さを纏った少女が前に出た。

 明るく活発な印象。

 彼女は確か……。


「んもう、白愛。私達は今大事なお話をして」

「九尾様だけずーるーいー! 私だって社畜ちゃんと話してみたいのっ。それに……」


 くるり、と一転。

 上目遣いで見つめられる。


「社畜ちゃんも、こういうのが聞きたいんじゃないでしょ?」

「……っ」


 息が詰まる。

 その通りだった。

 人と妖で結ばれた条約について気にはなるが。

 やはり、最も知りたいことは。


「白狐様! 危険です、それに何をされるかっ」

「大丈夫だって。この子に特別な力はないよ。だからこそ、気になっちゃうの」

 

 純真無垢な瞳。

 その奥底には、隠しきれぬ興味が溢れている。

 頬をにんまりとさせ、彼女は言った。


「あの天狐様を、どうやって篭絡したのかなぁ……って」


「……は?」


 ろうらく?

 彼女は、何を言って。


「ありゃ、ひょっとして自覚ないの? だめだよー、堕とした女の子は大切にしなきゃ」

「おっしゃっている、意味、が」

「……ふーん? じゃあ、もっと分かりやすく言うね?」


 だめだ。

 これは、聞いてはいけない気が。


 細い指が胸をつつく。


「天狐様は、君に執着してる。恋とか愛とかを超えた次元で、ね」


「ぁ」


 思考が消える。


「ほんと驚いたよ~。天狐様、全然雰囲気違ったし。君のこと聞いただけで脅されたんだから」


「ぁ、ぁ……っ」


 口から何かが零れ落ちる。

 深く、泥沼の最下から汲み上がる。


 その寸前に、茶色の少女が叫んだ。


「っ、人間! お前が何かをしたんでしょうっ!! 天狐様に! じゃなきゃ天狐様が、あんな、あんなこと……!」

「まあまあ落ち着きなって、管奈ちゃん。それを今聞いてるんだから」


 目が、己を見ている。

 覗き込んでいる。

 意思が握りつぶされる。

 溢れる。汚い想いが。


 己は。


「……で? 君は一体、何をしたのかな?」


 私は。


「……に、も……っ」

「んー?」


 絞り出すように、吐き出した。


「私は何も、していない……!」


「……う、そ。まじ?」


 初めて、彼女が目を見開いた。

 信じられぬものを見た、といったように。

 無理もない。

 

 私は罪人であった。


「ふ、ふざけないでください!! そんなわけが……!」

「いや、嘘じゃないよ。……本気で言ってる。本気で、この子は」


「ぁあ、ああああ……!」


 胸を描き抱き、膝を付く。

 頭を地面に擦り付ける。

 少しでも苦しめばいいなと思った。


「何も! 何も、しなかった! 私はいつも、貰うばかりで! こんな、価値のない塵にっ」


 死ね、死ね、死ね。

 役立たず。恩知らず。臆病者。


「どうしてっ。どうしてだ!」


 天音さんが己に対し、特別な感情を抱いていることは知っていた。

 

 怖かったのだ。

 確かめれば、全て終わってしまうように思えて。

  

 認めたくなかったのだ。

 天音さんが己程度の存在に。


 好意を、抱くなど。


「どうして天音さんは、俺なんぞに……!?」


 言葉は続かなかった。

 胸から出る濁流を止めたわけではない。

 強制的に止められた。

 人外の瞳によって。その、尋常ならざる圧によって。


「か、は……っ」


「……いやぁ、まいったね。まさか真名すら教えてるなんて」

「不敬な人間。白姉、やっちゃう?」

「是非そうしましょう! 天狐様の名を軽々しく呼んだのです。死をもって償いを……!」


「はい、そこまで」


 ぱん。


 乾いた音が鳴る。

 次いで、全体を締め付けていた圧が消える。

 荒い呼吸をしながら、視線を上げた。


 金色の姫が己を見下していた。


「……みんなの気持ちも分かるけど、これ以上は殺しちゃうわ」

「そんなっ。あのような重罪、許してよいはずがっ」

「私も九尾様に賛成かな~」

「白狐様!?」


 悲鳴に近い叫びを、少女は上げる。


「どうしてっ」

「だって、この社畜ちゃん。……んーん、孝仁ちゃんは何もしてないんだもん」

「は、はぁ!?」


 すたすたと、足音が近づく。

 やがて目の前まで来ると、ふわり。

 

「……ごめんね。辛い思い、させちゃった」


「……! い、いけま、せん」


 彼女は己の頭を撫でていた。

 優しく、包み込むように。

 理解不能。

 茶色の少女が言っていた通り、己は重罪を犯した。 

 しかるべき罰が必要である。

 だのに。

 

「いいんだよ。さっきので、君の想いは伝わったから」

「っ、ぅ」


 咄嗟に身を引き、尻餅を付いた。

 滑稽な姿をしている己に、されど彼女は柔らかな表情で。

 僅かに悲しみを含ませながら口を開いた。


「……残酷な話だね。幸せと苦痛が切り離せないなんて」

「ふぅ、ふぅ……っ」


 頭が痛い。

 割れるようだ。

 記憶が混濁している。今日は何曜日だ。

 三週間。

 天音さん。天音さん。


 どうして、貴女は。


「ねぇ黒江。この子に掛かってる術、解ける?」

「……無理。ここに来るまでに大分力を使った。平常でも一月はかかる」

「ま? どれどれ……うひゃー、さっすが天狐様。凄い術式だね」


 少女達が何かを言っている。

 理解は出来なかった。

 ただ、知ってはならないということは分かった。


「……もういいでしょう、白愛。そろそろ本題に移りましょう」

「あはは、その必要はないと思うよ九尾様。これからどうするべきか、この子は理解してるもん」


 ……これから、どうすべきか?

 ぼやけた頭で自嘲する。

 そんなこと、決まり切っていた。


「白狐様……! いい加減にしてくださいっ。こいつは狼藉者です。信用してはなりませんっ」

「じゃあ本人に聞いてみようよ。……ねぇ、孝仁ちゃん」


 己のすべきこと。


「君は、どうしたいの?」


「……自分は、あ」


 不適切。

 訂正。後悔。


「……天狐様と、お話がしたいです」


「……」

「ほ、ほらやっぱり――」


「そして」


 花が咲いていた。

 月よりも眩く微笑む花が。

 幸せだった。本当に、過分なほどに。

 不相応な幸福に浸っていた。ずっとあのままがいいと、思ってしまった。

 だから。

 己は。


「お別れを、したく思います」


「……うん」


 元よりそういう契約だった。

 契約は終わった。


 花が枯れる前に土壌を変える。

 これは、そういう話だった。


「……」


 空を見上げた。

 今日は星空が綺麗だ。

 

 貴女も見ていたら、いいな。














「それでは、元宮さん。くれぐれもお忘れなきよう。貴方のなすべきことを」

「……はい」


 金色の麗人が言う。


 己は下を向いていた。

 舗装されていない道路を見ていた。


「一応、私と九尾様で幻術耐性の札は作ったけど、過信はしないでね。お守り程度に考えといて」

「ありがとう、ございます」


 ぐわん。


 日常では聞くことのない音がする。

 世界が捻じ曲がる音。その悲鳴。

 彼女達が去ろうとしている。

 

「……も、無理。お腹、限界」

「っとやば、これ以上は黒江が腹ペコで死んじゃう。じゃあね~、孝仁ちゃん」

「……本当に大丈夫なのでしょうか」

「もう、管奈ちゃんは心配症だなぁ。大丈夫だって、知らないけど!」

「あ、安心できない……っ」


 霧が現れる。

 声も段々小さくなっていく。

 視線を上げ、薄れゆく彼女達を見つめた。

 恐らくは一生で一度の邂逅。

 

 我慢出来ず、口を開いた。


「……最後に、聞きたいことがあります」


「えー、なに~?」


 聞くべきではない。 

 だが、これが最後ならば。

 きっと己は聞かねばならない。


 彼女と話す上で、大切なことだから。


「今日は一体、何月何日なのでしょう」


「へ? んーとね。今日は……」


 言葉の続きを聞き、彼女達は消えた。


 霧は嘘のようになくなり、辺りには静寂が戻った。


 暫し立ち尽くす。


 ポケットからメモを取り出し、彼女の言った日付を書いた。


「……」


 さあ、家に帰ろう。

 きっと、彼女が待っている。














 天狐様がこの部屋に来てから、二ヵ月が経った。


 彼女との生活は驚きの連続で。無知な己はその都度自分を恥じた。

 嬉しかった。美味しそうにご飯を食べる姿を見るだけでそう思った。

 楽しかった。困惑しながらもゲームをしている貴女が輝かしかった。


 辛かった。貴女の笑顔が、優しさが。

 太陽に焼かれるように痛かった。

 苦しかった。申し訳なかった。


 死にたかった。


 ガチャリ。

 

「ただいま帰りました、天狐様」


 ぱたぱたと、愛らしく出迎えて。


 彼女は微笑む。

 いつものように、淡い花を咲かせて。


「……おかえり、孝仁」


 彼女との、最後の夜が始まった。

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