女難の相

@ku-ro-usagi

読み切り

仕事の帰り道

出先からの直帰だったから

いつもとは違う商店街の中を抜けて歩いてたら

道端で暇そうに落書きしてる手相占いのおじさんがいた

着物を着ていたけど寒いから上に厚手のダウンを羽織ってる

小さなバッテリーが音を立てており

多分白い布で覆われた机の中ではヒーターが動いているのだろう

暦の上ではとうに春なんだけどね

道の端にはまだまだ雪が積まれている早春

足を止めたのは本当になんとなしで

「景気はどうですか?」

と話しかけてみたら

「いやぁ、このご時世厳しいで…おわぁっ!?」

って顔見るなり悲鳴あげられた

何かと思ったら

「いや、別れた嫁さんの若い頃そっくりで…いやいや、失敬」

「……」

一体お嫁さんとどんな別れ方したのこの人

なんだか

あんまり信用できないけど

これも何かの縁かと思って手相を見てもらうことにした

しかし

もしやと

「あの、元お嫁さん、生きてますよね?」

暗におじさんがそのお嫁さんを殺していたとかって怖いオチじゃないよなと思いつつ聞いたら

「元気元気、養育費早く振り込めってつい最近も連絡来ましたわ」

だって

それは早く振り込みなさいな

おじさんは

私の手のひらを見ながら

「うん、顔は嫁さんとそっくりだけど手相は違うねぇ」

いいのか悪いのか

複雑な気持ちでいたら

「おや、女性で女難の相、珍しいね」

私は内心でギクリとした

「……続きます?」

「もう少しだよ、太いのがぱったり途切れてる」

ぱったり

長身と中性的、いやちょい男顔よりのお陰で昔から若干いらぬ苦労は度々してきたけれど

最近

特に少しばかり

ストーカーじみた子がいるんだ

初めはスポーツジムで相手が困っていたから

同性ならばこちらも声が掛けやすいし彼女も無駄に警戒しなくて済むだろうと思ったんだ

でもその親切心が

酷い言い方になるけれど仇となった

今思えば、困っていた事すらも彼女に意図的に作られたものだったのではないかと思っている

彼女とは

時間が合えば一緒にランニングマシーンで並んで走るなどはするようになったけれど

そのうち

時間を変えても

ジム以外でも

生活圏内のスーパー、コンビニ、駅前、ジョギング中

「わぁぁ、偶然ですねぇ~」

「奇遇です~」

「きゃ~もう運命です~!」

日に一度は必ず、下手すれは2、3回

彼女の言う偶然やら奇跡やら運命とやらが続くのだ

最近はもう、いつどこから彼女が現れるかと思うと

変な動悸と共に落ち着かなくなっていた

それは決してトキメキなどではなく

それは恐怖にも似た心臓にとても悪いもの

なまじ相手が同性なため

周りに相談してみても

「懐かれてるね」

「仲良くすればいいじゃない」

と解ってもらえないことも多い

だからこそ

このおじさん、もとい占い師の言葉は信じたかったし縋りたかった

「健康運は良いね、仕事はもう少ししたら大きな変化あるよ

悪いのは、何でも根詰めすぎだねぇ、ちょっと身体を酷使し過ぎで肉体にも疲れが出ている」

とポンポン話してくる

健康はともかく仕事の変化とは何だろう

異動がある会社だからそれだろうか

身体を酷使し過ぎは

正直あの彼女から逃げるように

外でのランニングはオーバーワーク気味の自覚はある

何となく

「ここにはいつまでいるんですか?」

と聞いてみたら

「あー、そうさね、もう少しかな」

随分と曖昧な返事

見やすい場所に提示されていた金額に

煙草代を上乗せしたのは

少し気持ちが軽くなった分と

嫁と子供に逃げられた占い師への僅かな同情

おじさんは

ホクホクした顔を隠しもせず受けとると

でも

「あんたさんは、気にやまないことだ」

と不思議な一言残して

おもむろに片付けを始めた


それから一週間と少し経った日

住んでる部屋の近くにお気に入りの昔ながらの喫茶店があるんだ

残念ながらそこにも行く度に

「わぁぁ、偶然ですねぇ~」

と後から入ってきた彼女に

同じテーブルに着かれるのが当たり前になりつつあった

それは正直とても憂鬱なのだけれど

美味しい珈琲を飲みたくて

いや違う

正確には部屋にいると

今はまだ鳴さられてはいないものの

いつ彼女に部屋のチャイムまでをも鳴らされるかと思うと

休日でも部屋にいるのが憂鬱だったのだ

いつもなら席に着いたらそのタイミングで

喫茶店のドアが開き

同時にドアの鈴が鳴り

彼女が現れるのだけれど

「……」

もう無意識に身体が強張るように構えていると

案の定

チリンチリン……と鈴が鳴り

「こんにちは、煙草は吸えるかな?」

しかしゆったりと入ってきたのは身形の整った老紳士だった

「吸えますよ、どうぞ」

オーナーが席に案内している

(あぁ)

そうだ

そうだった

ここは喫煙ができるのだ

この時代に珍しく全席喫煙

しかしあの子はかなりの嫌煙らしく

ここにいるといつも眉を寄せていた

私は父親と兄が吸っていたせいか気にならないし

むしろ

煙草を吸っている人の姿を見るのは嫌いではない

匂いも真横で吸われなければ落ち着くと思うくらいだ

なるほど

煙草の煙は虫除けになるのだなと

さすがに虫扱いは失礼かと考えつつ

いや

本当は

セーフティポイントを見付けられたことに私は心底安堵していた

それなら

(なんならいっそ私も煙草でも吸ってみようか)

なんて

ふと心から息を吐けたことに気付いて、ずっと強張っていた肩の力も抜けた


そしてその日は

そのまま久々に鞄に忍ばせていた文庫なんかを広げたりしてね

しっかり珈琲のおかわりもしてから喫茶店を出ると

ここは店の前にね

小さなテーブルがあるんだ

可愛い小物が飾ってあってね

私も女子だから

好きなんだ

可愛い小物が

太陽の光に反射して陶器で出来た人形の瞳がちらと光った

今日は空は分厚い雲が覆っていた気がするけど

晴れてきたのだろうかと顔を上げた時

多分

ずっと喫茶店の近くの信号辺りで私が出てくるのを待っていたであろう彼女が

視界の端に映ったんだ

彼女は満面の笑みでね

その時

初めて

少し

「可愛いな」

と思った

「自分に懐いてくれる女の子」

って

一瞬だけ思ったんだけどね

慣れってのは恐ろしいね

そんな事を思う自分はまんまと彼女の策に絡められているのに

それに気付きぞくりと鳥肌が立った時

喫茶店のドアが大きく開いた

ドアに付いている鈴の音が控え目にまたチリンチリン……と響き

「お客様、栞のお忘れものが……」

外に出てきた大柄なオーナーの低い声が聞こえた辺りから

全てがスローモーションに入った

なぜか

それは

小走りで駆けてくる彼女の足許に

雪溶け後の小さな小さな水溜まりがあったのだ

地面の色と同化して分かりにくいけれど

それには気づかぬ彼女のピンヒールの、細く華奢なヒールが水溜まりに着地したかに見えた

けれど

雪解けにしてはやけにぬるりとした液体は彼女のピンヒールに纏わりつき

「……あっ?」

(あ……っ)

彼女は小さなバッグを宙に浮かせながら

盛大にバランスを崩し

尻餅ならまだ良かったものの

なまじ小走りなために勢いが良すぎ

頭から斜め後ろに倒れ込んだ

そしてその彼女の後ろには

膝上くらいの高さの円柱の、天辺は平たいコンクリートの車止め

その角に

彼女の後頭部がまるで、全てが計算されつくしたかのように着地し

「ゴッ!!」

と酷く鈍く重い音がした


その鈍い音を境に今度は時間が早回しになった

後頭部を強打しそのままゴロンと転がった彼女に

私ではなく店から出てきたオーナーが慌てて駆け寄ったけれど

彼女はピクピクと瞼を震わせ目を開けてはいるもののぐにゃりとして動きはない

でも鼻からは

鼻血と、なにか透明な液体がトロリと流れ出していた

救急車が呼ばれ

一応は知り合いの自分が同乗するべきだったのだろうけど

彼女を介抱していたカフェのオーナーが

私が彼女を煙たく感じていたことを察してくれていたらしく

オーナー自らが救急車に同乗して病院まで行ってくれた

周りの通行人と共に救急車を見送った私は

しかし

彼女が滑ったであろうコンクリートの歩道に

あの雪溶けの水溜まりの後は何も見えず

人が歩き回ったにしてもその跡すらないのはおかしい

でも

ないものはない

さらりと乾いたコンクリートだけが私の目に映っているだけだった


私はさぞ薄情な人間なのだろうけれど見舞いには到底行く気になれず

しばらくしてから喫茶店へ出向きオーナーに話を聞いた

彼女の意識は戻った

頭蓋骨がとても頑丈で

今すぐ何か命に関わることはないとの事だった

ただ

強く強打したせいかここ数ヵ月の記憶が酷く曖昧なこと

手指の痺れを訴えていることから

退院はもうしばらく先になると聞いた

本人は

数ヵ月の間にジムに通っていた記憶すらも消えているらしい

元々アクティブではないらしく、本人がジムに通っていた事実を疑っている有り様だったと

寝た子を起こさないよう、記憶を揺り動かさない様に私のことも慎重に訊ねてくれたらしいけれど

少なくとも表向きは全く記憶にない模様

記憶を呼び起こすための起爆剤となるスマホは

彼女が手に持っていたのか

転んた拍子に車道まで飛んでいたと思われる

彼女の家族に連絡をしなくてはならず

しかし彼女の持ち物にスマホはなく

病院から帰ってきたオーナーが周辺を探した時には

車に轢かれて道の端にそれっぽい欠片がパラパラと残っているだけだったと

家族へ連絡は大学の学生証があったため連絡は無事できたと言う


スマホに関しては

本当はあの後

救急車が去って行った後

街路樹のツツジか何かの下に見覚えのある彼女のスマホが隠れるように転がっており

ただあの場で突っ立っていただけの役立たずの私が見付けていた

私は私であの一連の出来事で酷く混乱していた

なんて言わない

ただ酷く冷静で頭もクリアだった

その上で私は

自分自身の利益と安全を最優先し

人気が捌けた時

ちょうど遠目に大型のトレーラーが飛ばしてくるのが見えたため

脇を通りすぎるタイミングを見計らい

足でスマホを蹴飛ばして車道に滑らせ

トレーラーのタイヤで彼女のスマホを踏み潰してもらい粉々にしてもらった


数ヵ月単位とはいえ記憶喪失になった彼女

私の事をすっかり忘れてくれた彼女

私の心にあるのは安堵と、ほんの少しの後ろめたさ

彼女が退院したらその後はどうするのかは知らない

彼女とは

意図的かそうでないかは知らないけれど生活圏内がかなり被っていたため

面倒だし余計な出費は痛いけれど逃げるなら今のうちと

引っ越しをしてしまおうと不動産のホームページを覗いていた

そしたらば

仕事場の上司に

「海外転勤が決まった、君にも付いてきて欲しい」

との誘いがあり

「渡りに船」

と思ったらそれはまさかのプロポーズだった


日本を離れる前に、もう居ないかと思いつつあのおじさん占い師がいる商店街へ行ってみたら

まだいた

しかも先客がいる

催促はされるけれども養育費を払える程には繁盛しているらしい

「おや?」

元嫁の顔に似ているせいか覚えられていた

今度は黙って手相を視てもらうと

「あぁ女難の相は切れたね、どうだい?」

「しっかり切れました」

「だろうね」

「あの……聞いてもいいですか?」

「なんだい?」

「やっぱり元奥さまの手相には男難の相が出てたんですか?」

私の不躾かつ大変失礼な質問に

おじさんは私の顔をまじまじと見てから

「いやぁ、言うねぇお嬢さん」

こりゃ一本取られたと額を叩くと

「視た時にはなかったよ、出て行かれる前は手相なんか視なけりゃ手を繋ぎもしないからね」

確かに

「さぞきっつい男難の線が出てたんじゃないかね、あっはっは」

楽しそうだなおっさん

「手相はどんどん変わるものだからねぇ」

そんな失礼なことを聞いても、またおいでと言ってもらえたのは

多分今回も煙草代を上乗せしたからだろう

でも

私が会釈して足を踏み出した途端

「前にも言ったけれどね、お嬢さんは気にやまなくていいんだ」

背中に声が掛かった

「……」

この人は、何を知っているのか

「何となくだよ、女難の相がぶっつり切れた後に少し心労の線が出てたから」

心労

私は自分の手のひらを眺めてみる

自分でも勉強すれば少しは何か視えたりするのだろうか

例えば未来の女難の相とか



あれから優に5年は経っただろうか

本当に久しぶりに商店街のあるあの駅に降り立ったけれど

占い師のおじさんは居なかった

(まぁそうか)

きっとどこかでまた元嫁に養育費の催促をされながら誰かを占っているのだろうと踵を返した時

「ん?」

思わず声が出てしまったのは

駅前のビルの1階に

「手相占い」

と大きな手のひらの描かれた看板があったからで

建物の前には今時にしては珍しく設置されている煙草の自販機

おじさんはおじさんでどうやらだいぶ出世したらしい


『ただいまの時間予約なしで占えます』

の看板に

私はおじさんの吸っているであろう

それだけ1列にずらりと並んだ銘柄の煙草を差し入れがてらに買うと、中に足を踏み入れた


時が経ち、もっと元嫁に似てきたであろう私の顔に

おじさんはまたきっと

驚いた顔を見せてくれるだろう

私は

女難の相が出ていないないことを祈りつつ

「こんにちは、景気はどうですか?」

と大きくドアを開けた






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

女難の相 @ku-ro-usagi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ