#52

 ボイラー室から出てきたエイイチを、まるで待ち構えていたかのようにマリとセンジュ、ガンピールが迎える。


「ど、どうしたの? 揃いも揃っちゃって」


 思わずたじろぐエイイチを、マリはボイラー室の扉と交互に見比べた。


「無事……みたいね。エーイチくん、どういうこと? 封印も解けてないのに、どうやって中から出てきたの」

「いや、どうったって……。こう、普通に扉を押し開けて」


 エイイチがジェスチャーを交えて説明するも、狼戻館の住人からすれば到底納得できるものではない。


 ヒツジは封印部屋に入ったが最後、凶悪なトラップを解除するか、もしくは命を失うかの二択を強制的に迫られる。狼戻館における絶対の掟の一つだ。

 扉には封印を示す青白い粒子が漂ったまま。かつエイイチのように五体満足で部屋を抜け出た者など、館の歴史を辿ってもこれまで唯一人として存在しなかった。


「な、なんだよもー。みんな怖い顔しちゃってさ。ほらほら、ガンピールまで」


 エイイチの両手がガンピールの頬をぶにゅりと持ち上げる。無意識に左右へ振れそうになる尻尾を、だが黒狼は強い意志で鞭の如くぴしゃりと地に打ち下ろした。

 一時の快楽などに決して流されない、気高き狼である。


「それよりツキハさんは? 俺、ちょっと用があるんだけど」

「待雪ツキハなら“仕事に戻る”って、さっき館に帰ってった」

「そっか、書斎かな。じゃあ行ってみるよ」


 裏庭を去るエイイチの背中を、それぞれ思い思いの表情で見送る三体の化物。

 静寂を破り、マリが呟く。


「エーイチくんがおかしいのか。それとも、変わったのは“館の方”……なのかも」


 それは今朝、アヤメの“狼戻館は変化する”との言葉から着想を得た台詞だった。他にこの異常事態を説明する術を持たないのだ。さっきまで心地よく庭を吹き抜けていた風も、今はただ不穏な肌触りに感じられる。


「……ていうかあいつ、結局手ぶらでさ。何しにボイラー室入ったんだ?」


 センジュのもっともな疑問に答えられる者は誰もいなかった。




 書斎の扉をノックしたエイイチは、部屋主の返答を待たずに入室した。

 書斎机に落としていた顔を上げ、ツキハはレザーチェアに深く掛け直す。礼を欠いたエイイチの行為を咎める様子もなく、どこか余裕めいた表情で用件を問うた。


「……俺ね、とうとうわかっちゃいました」

「あら、何がわかったのかしら。それより修繕道具をお持ちでないようだけれど」

「はい。探してもいません。なぜなら……修繕道具を取ってきてほしいなんて、ただの方便。ツキハさんの狙いは別にあったからです」

「…………」


 無言で続きを促すツキハの視線に気分を良くし、エイイチは意味もなく書斎内を練り歩く。腕組みをしながら、時折窓の外へ遠い目を向けるなどしてなかなか核心に触れようとしない。

 エイイチの勿体ぶった態度に若干苛つきはじめたツキハは、内心を表すかのように指先でコツコツと机を叩く。


「……それで、わたくしの狙いとは?」


 理路整然と並ぶ本の背表紙へ触れ、エイイチはピアノの鍵盤のように指を滑らせた。格好だけのグリッサンド奏法がピタリと止まる。

 本の背表紙には【羊も眠くならない、おもしろいパソコン入門】の文字。ちなみに狙ったわけではなく、ここで指が止まったのはたまたまである。


「ボイラー室に行けと言ったのは、本当はアレ・・を見せたかったんでしょう? まさかまで再現してるなんて驚いたけど、光栄ですよ」

「くだらない推理ごっこはおやめなさい、エーイチさん。端的に何をおっしゃりたいの?」


 推理ごっこという図星を突かれたが、エイイチはもう少し探偵気分に浸っていたかった。何よりまだ決め台詞も発していない。

 結論をお望みならばと、満を持してツキハに人差し指を突きつけるエイイチ。


「館を騒がせているドッペルゲンガー事件――犯人はあなただ、ツキハさん」


 なんですって!? なんていうお決まりの動揺はツキハに見られなかった。ここから事件を起こしたツキハの後ろ暗くも悲しい事情を聞き、その心に寄り添い慰めックスに持ち込むというエイイチの野望は脆くも崩れ去った。


 ツキハは口に寄せたティーカップを、ゆっくりと机に置く。


「それで、根拠は?」

「え? こ、根拠?」

「ええ。もちろんあるのでしょう? わたくしが黒幕だと断言するだけの理由が」

「ああありますよ、そりゃあ! だってエイイチドッペル、この部屋から出てきたし!」

「それだけで根拠とするには心許ないロジックね。推理になっていないわ」

「直感ですよ直感! 犯人はツキハさんで間違いない! 探偵が断言したらそれはもう真実なんだ!」


 暴論に過ぎる。そもそも探偵ではないし、カンを根拠に犯人を割り出す探偵など推理モノとして破綻している。


 興奮するエイイチをまっすぐに見据え、ツキハは長く息を吐いた。

 アヤメとはまた少し違うベクトルでエイイチを買っているツキハである。いつか答えにたどり着くであろうことは予測していた。それどころか最初からすべて知っていた可能性が高いとツキハは踏んでいる。

 つまりエイイチの推理はともかく、導き出した結論は的を射ていた。


 ドッペルを館に放った人物はツキハで間違いないのだ。


「それにしても……今、なのね。エーイチさん、あなたは今ここでわたくしとの決着を望んでいる。相違ないかしら?」


 ツキハの瞳は冷酷に問いかけている。書斎内の空気が、霜が降りたかの如く寒々と凍りついていく。


「わたくしは暴きますよ。あなたのすべてを。覚悟はよろしいのかと聞いているの」

「……ええ、ツキハさん。俺はいつだって裸一貫になる覚悟はできてる。早々の決着といきましょう」


 原作エロゲー【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】で長女の攻略には当然それなりの尺を要するのだが、攻略対象本人が早期決着を望むというならエイイチもやぶさかではない。

 エモいエピソードの核となる過去話などは、アダルトシーンと順番が多少前後しても一向に構わない。むしろそういうパターンもあるのかと、ゲームとは違った新鮮な刺激が生まれそうだ。


 頷くエイイチを確認すると、ツキハは机に置かれたタウリン配合の目薬を手に取った。

 片目ずつに目薬を差すツキハを、エイイチは心底から労う。


「疲れ目なんですか? 仕事大変ですね」

「これ? 中身は樹液よ」


 真顔で言うツキハに、エイイチの表情も一瞬こわばる。しかし直後には破顔した。


「ぶふ――あっはは! 樹液て! ツキハさんもそんな冗談言うんですね!」


 腹を抱えて笑うエイイチに目もくれず、ツキハは書斎机の引き出しから何かを掴み取る。そしてレザーチェアを離れて書斎奥の扉へと向かう。

 ツキハが手に持つ王冠型のオーナメントキーが、扉の窪みにカッチリと嵌まった。


「え……その扉って。あ、開けちゃっていいんですか?」

「今さら怖気づいたの? もう遅いわ。そのとぼけた態度にも飽きてしまったの。お互いに本性をさらけ出しましょう」

「だ、だってそんな、ツキハさんの恥部ちぶを俺なんかに」

「恥部……?」


 エイイチに疑問を投げながらも、ツキハの手は扉を押し開けていく。キィィと軋む音がまるで、これ以上開けるなと警告を発しているかのような錯覚をツキハに与える。けれど急には止まれない。


「すみません、恥部は失言でした。“技工師”として、ツキハさんの腕は職人級。いやそれ以上の神業なのは疑う余地もないですから」

「技工……なんですって?」


 扉を半ばまで開いたところでツキハは静止した。本能に従い、なんとか急停止することに成功したのだ。

 ツキハの賢明な判断と努力も知らないエイイチは、自らの手を開きかけの扉に重ねる。


「さあ、俺も覚悟はできてます。見せてください、ツキハさんの仕事場――ラブドール工房を!」

「待ちなさ――」


 無慈悲にも扉は開かれた。ツキハはここ数日で何度目になるのか、頭を抱えたくなった。

 だが一縷の望みにかける。ラブドールなどという発言はエイイチのブラフに違いないと。未だシラを切り通すつもりでいるのだと。


「あれ……最先端の自立型ラブドールは? 保管場所は別なんですか?」


 室内は真っ暗で、中心にモニターとキーボードが鎮座しているだけだった。一つのモニターに対して、異様な数のケーブルが数十本も繋がっている。


 あまりの暗さにエイイチは視認できなかったが、それはケーブルではなく樹木・・だった。太さの異なる蔓や枝、幹がモニターのみならず部屋中に張り巡らされていたのだ。


 ツキハは黙したまま、樹海の中へと歩みを進める。キーボードへ手を置くと、指先が周囲の植物へと同化しモニターに明かりが灯る。


「見なさい、エーイチさん。あなたはこれ・・を知っているはずよ」


 こうなってしまってはやぶれかぶれだ。どうか“すべてを知る人物”であってくれとさえツキハは願っていた。


 エイイチが覗き込むと、暗転したモニターから電子音が流れはじめる。おどろおどろしい、恐怖心を煽るかのようなBGM。

 何かのゲームみたいだ。そうエイイチが感想を抱いたとき、まさしくゲームタイトルが浮かび上がったのだ。


 ――【豺狼の宴】の赤く爛れた文字が、エイイチの瞳に映し出されていた。



◇◇◇



 狼戻館の屋根にメイドが立っている。

 吹きすさぶ風にスカートを煽られながら、アヤメは穴の空いた屋根の前に立ち尽くしていた。

 エイイチが仕事を手伝ってくれると、ツキハから本当に聞かされていたのだ。


「……それにしても、遅いですね」


 両手にハンマーとモルタルバケツを提げて。

 館の修繕のために積み重ねた洋瓦と人工スレートを見下ろし、アヤメは無表情に一人呟くのだった。

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